私は捨てられた人間です。それもこれも、私は賠償のためにそうするのでもありません。堂々と事実を知らせて、今の若い人たち、日本人、韓国人の若い人たちに歴史を正しく分からせて。かわいそうな私たちのような慰安婦、哀れに死んでいった人たちは、ひとりやふたりではありません。知らずにいるのです。めちゃくちゃなんです。よく聞いてみると、日本でもそうです。碑石のひとつでも立ててやって、若い人たちにそれを正しく知らせてやれればいいでしょう。言いたいことは、そういうことです。

写真=「ハンギョレ新聞」日本語サイトより

 録音テープ完全再現

 

金学順さんの証言

 

1991年11月25日、ソウル市で  

聞き手  高木健一氏(弁護士)

臼杵敬子氏(通訳、ジャーナリスト)

同 席  植村 隆氏(朝日新聞大阪本社社会部記者=当時)

 

 

 

高木―― ご自分の名前を聞かせてもらえますか? 漢字も

金学順―― 漢字もですか?

高木―― 漢字でそこに姓名。

高木―― 戸籍謄本とかはありますか?

臼杵―― 戸籍謄本とかは持って来たでしょう? 事務室にありますか? 楽にしてください。

高木―― 生年月日から聞こうか。

臼杵―― 生まれたのはいつですか? 何年生まれでしょうか?

金学順―― 1924年10月20日です。

高木―― 故郷は、どこで生まれましたか?

臼杵―― 故郷はどちらですか?

金学順―― 満州で生まれました。

高木―― 満州のどこ?

金学順―― 吉林省。母の話では吉林省だそうです。

高木―― お母さんの話……。満州吉林省のどこですか?

金学順―― 吉林省のどこかは知りません。

高木―― 街の名前、どこですか?田舎ですか? 街中なのか、村なのか。

臼杵―― 田舎ですか?

金学順―― 田舎です。

高木―― じゃあ、ここで家族構成聞いて

臼杵―― 当時、家族は何人くらいいましたか?

金学順―― 父と母しかいませんでした。満州の吉林省になぜ行ったのかというと、父が独立運動をするのに加わって、それで満州に行ったようです。

高木―― お父さんの故郷はどこ?

金学順―― 父の故郷は平壌です。

臼杵―― 平壌?

金学順―― はい、平壌です。

高木―― どういう独立運動をしたか聞いたことある?

臼杵―― いや、ないです。お父さんはどんな民族独立運動をされていたんですか?

金学順―― 独立運動をしていたのですが、たぶん日本人に追われて、たぶん満州に逃げていったようです。たぶん独立運動をしていたのに付いていって、一緒にそんなことをしたようです。

臼杵―― どこで? 満州で?

金学順―― 満州で、吉林省で、私が1924年に生まれました。

臼杵―― 独立運動するために、ピョンヤンから吉林の方に移ったようです。その間に私が生まれたんじゃないかと…。

高木―― お父さんはどんな独立運動をしたのか知っているかな? 

臼杵―― どんな独立運動をされたんですか? 軍人でしたか?

金学順―― 軍人ではなくて、協力する人。民間人。

臼杵―― 独立軍を助ける運動をしてたと。

高木―― 具体的にどんなことをしたか、聞いたことある?

臼杵―― 具体的にどんなことをされたのですか?

金学順―― 独立軍の食事をつくってあげたり、昼には、明るい昼間にはできなかったと言います。怖いので、日本軍が怖いので夜にだけ者注:聞き取れず〕。

高木―― お父さんはいつ向こうへ行ったのか聞いたことはある?

臼杵―― ところでお父さんはいつ平壌から?

金学順―― それは私はわかりません。

臼杵―― では何年、日帝時代に、どれくらい前に?

金学順―― たぶん私が生まれる4、5年くらい前にそこに行ったんでしょう。母から聞いただけですから。

臼杵―― 私が生まれる4、5年前に、たぶん行ったのではないかと。

高木―― 他の兄弟はいないんですか?

臼杵―― 兄弟はいませんか?

金学順―― はい、兄弟はいません。私ひとりだけです。私ひとりだけ生まれて、父が亡くなったので。

高木―― お父さんは早く死んだんですか?

金学順―― はい。

高木―― いつ?

金学順―― 私が生まれて100日たたないうちに、3カ月ちょっと過ぎて。

高木―― 100日以前に死んだの? 100日くらい。病気で?

臼杵―― 100日くらい、後に。

臼杵―― 生まれて100日後に病気で亡くなったんですね?

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平壌の小学校に4年生まで通った

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金学順―― 病気のせいではなく、その事情はわかりません。母が言ってくれなかったので。どうして亡くなったか理由を教えてくれなかったんです。母は、当時は日帝時代で、子どもの口は怖いので言わなかったようです。どうやって亡くなったのかわかりません。戦って死んだのか、どうして死んだのか知りません。教えてくれなかったから。

高木―― 日本の兵隊に殺されたとか?

金学順―― わかりません、それは。

高木―― お母さんはそのあと2人で生活したわけね?

臼杵―― お母さんと2人で暮らしていたのですか?

金学順―― はい。

高木―― お母さんは何の仕事をしていたんですか?

臼杵―― お母さんはどうやって生活を? そこで。

金学順―― 満州で父が亡くなったので、長くいることができず、私を連れて出てきました。私が2歳になった年に。

臼杵―― 2歳の時に平壌に行かれたんですか?

金学順―― はい、母と一緒に。母と一緒に。

臼杵―― 2歳の時に、お母さんと生活が苦しくなって、平壌に帰ってきたと。

高木―― 平壌に親戚がいるのかな?

臼杵―― ところで親戚は平壌に?

金学順―― はい、いました。

臼杵―― どんな仕事をしていましたか?

金学順―― 母が幼子を連れて何の仕事ができましょうか。人の家の手伝いをしたり、兄弟の家を訪ねたり、そうやって暮らしました。

臼杵―― だからまあ、仕事っていう仕事は、ちっちゃい子抱えてだから…親戚を訪ね歩きながら。

高木―― 学校は行きましたか?

臼杵―― 学校は?

金学順―― 少し通ってやめてしまいました。

臼杵―― 普通学校は?

金学順―― 当時は普通学校といっていました。今は国民学校といいますが、当時は〔訳者注:聞き取れず〕といったでしょ。普通学校といいました。

臼杵―― 何年生まで?

金学順―― 4年生まで通ってやめました。

臼杵―― 4年生まで行ったって。

臼杵―― 普通学校の校名は覚えていますか?

金学順―― 名前は知りません。

臼杵―― 平壌にある?

金学順―― はい、平壌にある。

臼杵―― 平壌市内にある?

金学順―― 公立ではなく私立ですが、名前ははっきり覚えていません。

臼杵―― 私立の学校だったんですけど…。

高木―― 私立の?

臼杵―― 私立で、その慈善家がやってる学校なんじゃないかと。

高木―― 私立というのはプライベートの?

金学順―― はい。

高木―― 同級生はみんな朝鮮の人なの?

臼杵―― ところで、その同窓生の中に日本人はいましたか? あるいは朝鮮人だけ?

金学順―― はい。

高木―― 4年生で学校をやめたのはどうしてですか?

臼杵―― 4年生でやめた理由は何ですか?

金学順―― 貧しかったからです。

臼杵―― とっても貧しくて、やめざるを得なかった

高木―― それでその後はどうしたんですか?

臼杵―― その後はどうしましたか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

母は住み込みの家政婦に、私は子守で駄賃稼ぎを

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金学順―― その後は人の家の子どもの世話をしたり、人の家を転々としながら、私は私でそうやって、母は母で人に雇われて、そうやって生活しました。

臼杵―― ところでお母さんはどんな仕事をしていましたか?

金学順―― いろんな仕事、人の家に行ってご飯をつくったり、お手伝いのような、家政婦みたいな仕事もして、そんな仕事をして回り、洗濯のようなこともして、私は私で人の家の赤ん坊を世話したり。小さい息子、9歳とか10歳とかそんな子たちを。

臼杵―― 人の家に行って(訳者注:聞き取れず)していたのですか?

金学順―― いいえ。家に一緒にいながら。母と一緒に暮らしながら。

臼杵―― こちらのおばさんは子守りをして、お駄賃を稼いだりですね、お母さんはお母さんで、住み込みで、その、なんて言うんですか、下働きで、炊事をやったり、いわゆる家政婦として働きながら(高木――「ふたりで住んでたの?)、ふたりで。

高木―― 2人で住んでいたの? で、4年生になってもうできなくなってその後……

臼杵―― だから学校をやめた後ね。もうとっても貧しくって、母は家政婦として仕事をするし、こちらの金学順さんは子守りとか、そういうことをやって。

高木―― 平壌にはいつまでいたのか。

臼杵―― 平壌にはいつまで、何歳までいましたか?

金学順―― 17歳までです。17歳の春までいました。

臼杵―― 17歳まで…17歳の春までいました

高木―― そのままずっと同じようにいろんなことをしながら生活をしていたと? 

臼杵―― ところで、お母さんといっしょにいましたか? その時まで。

金学順―― はい、2人で。

高木―― この人は15歳、16歳の時もずっと子守して生活していたわけ?

臼杵―― 15歳か16歳まで人の家で働いて?

金学順―― はい、働いたり赤ちゃんを見たり。

臼杵―― その当時、平壌のどこにお住まいだったか、地名を教えてくれますか?

高木―― その時、平壌のどこに住んでいたか地名は言えますか?

金学順―― はい、平壌府キョンジェ〔訳者注:鏡斎〕里。

臼杵―― キョンジェ里はどう書くんですか?

金学順―― わかりません。私は、字はこう書きますが、ずっと前のことなので、忘れてしまいました。

臼杵―― いま覚えているのをそのまま書いてください。ハングルで。

金学順―― キョンジェ里、キョンジェ里。

臼杵―― 市内ですか?

金学順―― はい。

臼杵―― キョンジェ里。それから?

金学順―― 平壌府内のキョンジェ里133番地。そこで育ちました。

高木―― 部屋を1つそこで借りたのかな?

臼杵―― 部屋は1つだけ借りたのですか?

金学順―― はい。

臼杵―― 部屋が1つしかなかったのですか?

金学順―― はい。

高木―― お母さんは再婚しなかったの?

臼杵―― お母さんは再婚されなかったのですか?

金学順―― はい。

高木―― 普通使う言葉はそのころ……日本語を使う機会はなかったの?

臼杵―― とくに使わなかった

臼杵―― 日本語を使うことがありませんでしたか? その当時は。

金学順―― 特に使うことがありませんでした。

臼杵―― ところでお父さんの名前は何ですか?

金学順―― キム・ダルヒョンといいますが、ちゃんと書けません。

臼杵―― キム・ダルヒョン?

金学順―― はい、キム・ダルヒョン。はい、ダルヒョンと言いました。はい、キム・ダルヒョン。母はアン・ギョンドンで。はい、その「ダル」という字です。「ヒョン」は何と言うか、こうやって丸く。はい、はい、少し。母が教えてくれました。私はよく知りません。

臼杵―― お母さんの名は?

金学順―― アン・ギョンドンです。アン・ギョンドン。はい、ギョンドン。こう書いたと思うんですが、忘れてしまいました。

臼杵―― アン・ギョンドン。

金学順―― 戸籍謄本〔訳者注:聞き取れず〕出ていますが。

臼杵―― 戸籍謄本はありましたか?

金学順―― はい。

高木―― あと、17歳の春に何があったんですか?

臼杵―― 17歳の時に何がありましたか? 春に。

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お金が稼げると言われてトラックに乗った

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金学順―― そのとき、あのようなことが起こりました。17歳の春に。

臼杵―― どんなことが起こりましたか?

金学順―― はい、私はお金を稼ぐといえば、お金と言えばいつも、人の家の手伝いをして回り、お金をかせいでいたので、お金と言えば。その時は、何と言うか、部落で仕事を引き受けてくる人がそんな話をしたんです。そこに行きさえすれお金も稼げるし、後々立派になれると。良くなると、そう言いながら、そこに行けと言って。

臼杵―― どこに行けといいましたか?

金学順―― その時は何と言ったか。何と言ったか、それをはっきり覚えていません。いまでは。

臼杵―― どっかに行けば、すごい金儲けができるっていうふうに。

高木―― 言われたのね

臼杵―― 誰がそう言ったんですか?

金学順―― その、仕事をしている人たちです。部落の仕事をする人たちです。

臼杵―― 部落で一緒に住んでいた日本人たち?〔訳者注:通訳者の聞き違い〕

金学順―― はい。

臼杵―― 部落で一緒に住んでいた日本人たちがそんな話をしたんですか?

臼杵―― 日本人がおんなじ部落っていうか、その町内に住んでいた日本人が、そこに行けばすごい金儲けができて、豊かになるって、楽な生活できるからって。

金学順―― お金をたくさん稼げると言いました。そこに行けば。

臼杵―― 行ってどんな仕事をしているかと、聞きませんでしたか?

金学順―― そんな話はしませんでした。とにかく行きさえすればいいと。将来、とても日本でも考えてもらえると、そうだと。

臼杵―― だったら、日本人たちが連れて行くことができると、そんな話をしたんですか?

金学順―― いいえ。ただ、あの、何か軍隊の車みたいなものがあるでしょう。トラックみたいな。そこにまた行くとか何とか言って、ただ上に乗って行きました。

臼杵―― トラックに乗って。

金学順―― はい。

臼杵―― ところで、誰が案内しましたか?

金学順―― 部落で仕事をする人が案内したのです。

臼杵―― 案内する人が日本人だったんですか?

金学順―― いいえ、朝鮮人です。

臼杵―― ところで、話をした人は日本人だったと?

金学順―― その人に話をした人が日本人だったのかは知りません。ところで、私に話をしたのは朝鮮人でした。いまで言えば、区長のような人です。部落の仕事をする人。

臼杵―― 日本人が言った?

金学順―― 村の里長、面長、そんな人です。

高木―― 口長は日本人? 朝鮮人?

金学順―― 朝鮮人。

臼杵―― ところでそんな朝鮮人たちはみな親日派だと。

金学順―― 親日派と言うよりは、当時の部落の仕事をする人たち。

高木―― その村から何人くらいの女性が一緒に行くことになったのかな?

臼杵―― ところで結局何人が?

金学順―― 私と2人が。○○〔訳者注:聞き取れず〕と2人。

臼杵―― 誰とですか?

金学順―― 私の友達1人とです。

臼杵―― 友達1人とですか?

金学順―― はい。

高木―― 友達の名前はわかりますか?

金学順―― 友達の名前ですか? 名前は覚えていません。日本の名前しか知りませんエミコ。

臼杵―― エミコはどう書きますか? 漢字も分かりませんか? 姓も?

金学順―― 漢字も知りません。エミコとだけ。

臼杵―― その女性も朝鮮人ですか?

金学順―― はい、朝鮮人ですが、エミコと呼んでいました。

臼杵―― その当時、おばあさんは何と言っていましたか? 何と呼ばれていましたか?

金学順―― 私はアイコと呼ばれていました。

臼杵―― では、エミコとアイコが一緒に行ったのですね。

金学順―― はい。

高木―― そのトラックにはたくさんの女の人が乗ったんですか?

金学順―― いいえ、いませんでした。

高木―― 2人だけでトラックに乗ったの?

金学順―― はい。

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トラックが平壌駅に着くと、憲兵が汽車に乗れと言った

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高木―― で、どこに行きました?

金学順―― どこか分からずに行きました。行って、汽車に乗りました。汽車に乗せるといって。

臼杵―― では、トラックにまず乗って、どんな駅に到着して汽車に乗ったんですか?

金学順―― 平壌駅に到着しました。平壌駅に到着して、汽車に乗りました。そこには人がたくさんいました。

臼杵―― 女性も多かったですか?

金学順―― はい、女性たちもたくさん。

臼杵―― その女性たちも同じ仕事をしに行く人たち?

金学順―― それは分かりません。同じ仕事をするのか、何をしに行くのか。

臼杵―― 完全に団体で行ったのですか?

金学順―― はい。

臼杵―― 団体で? 何人の団体ですか?

金学順―― いいえ、何人かの団体ではなくて、私たち2人だけを別に連れて行ったのです。

臼杵―― 誰が案内しましたか?

金学順―― 憲兵が。日本の憲兵が。

金学順―― トラックで連れていってくれたから。

臼杵―― どこから憲兵が来ましたか?

金学順―― その駅です。平壌で。

臼杵―― トラックから降りたら、すぐ憲兵が出てきて…

臼杵―― トラックから降りるとすぐに憲兵が出てきましたか?

金学順―― はい、平壌駅で。

高木―― その憲兵が案内したのはこの2人だけなの? 他の地域から来た人は?

臼杵―― ところで憲兵が案内した女性は2人だけでしたか?

金学順―― 私たち2人だけ。

臼杵―― 他の女性たちは?

金学順―― 他の女性たちは分かりません。

臼杵―― 2人だけを案内したみたいですね

高木―― 憲兵は何か言いましたか?

臼杵―― その憲兵は何を言いましたか?
金学順―― 何も言いませんでした。ただ乗れと言いました。汽車に。

臼杵―― 日本語で?

金学順―― はい。

臼杵―― 汽車に乗れって言ったわけですね

高木―― トラックから平壌駅まで何分? 遠いのかな?

臼杵―― トラックに乗って平壌駅まで何分かかりましたか?

高木―― 遠いですか?

金学順―― 正確には分かりません。分かりませんが、かなり乗りました。1時間はかからず、だいたい30分くらい。

臼杵―― だいたい30分くらいじゃなかったかと思います。

臼杵―― ところで汽車に乗ったとき、案内した人は誰でしたか?

金学順―― 案内した人ですか? 憲兵しかいません。他には誰も。

高木―― 憲兵だけが1人で。

臼杵―― では、憲兵と一緒に汽車に乗ったのですか? 3人で?
金学順―― いいえ、軍人たちがたくさんいました。日本の軍人が。

臼杵―― 女性たちは何人いましたか?
金学順―― 女性たちはその車両に私たち
2人しかいませんでした。

臼杵―― では、軍人たちがたくさんいて、中に女性2人だけが憲兵と一緒に座って行ったのですか?

金学順―― はい。

高木―― そこは普通の民間人が乗らない車両なんだろうね。

臼杵―― 軍人専用のね。

高木―― うん。

臼杵―― 軍人専用車両に乗って。

金学順―― 誰も乗れません。その車両は憲兵が乗せてくれたから乗ったので、誰も乗れないのです。

高木―― 普通の人は乗らない?

金学順―― はい、乗っていませんでした。

高木―― それでどこまで行きましたか?

金学順―― かなり汽車に乗って、ずいぶん走りました。だいたい3日間は走ったようです。降りては乗って、降りては乗って、という具合に。

高木―― 中国の方に?
金学順―― はい、中国に。安東〔訳者注:現在の丹東〕を越えて。

臼杵―― 安東を越えて?

金学順―― 新義州から安東を越えていき、奉天かどこか、とにかくあまり記憶にありません。

臼杵―― 地図があります。地図を見ながら。

金学順―― はい。

臼杵―― 見てください。ここがソウルでしょ。ここが平壌です。そうすると、こう行って安東。安東がどこですか? 安東がどこかというと。

金学順―― 拡大鏡を持ってこなくて見えないですね。

高木―― 北京に行きましたか?
金学順―― はい、北京に行きました。

高木―― 3日間?

臼杵―― ここが北京です。だからこうやって来て、ここまで来て、ここが北京です。

金学順―― ここまで来て、ここで汽車を降りました。北京でです。

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北京から石家荘を過ぎて、北支のカッカ県鉄壁鎮へ

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臼杵―― 北京で降りて。

臼杵―― 何日間いましたか?

金学順―― 長くはいませんでした。北京には長くおらず、ただトラックに乗れと言われました。ここでトラックに乗れと言いました。軍隊のトラックに乗れと行ったんです。

高木―― 南の方に行って?

金学順―― ここで乗れと言いました。私たちが行ったところが北支だと言いました。北支。

臼杵―― 北支ですね。北支というのはどこのことを指すんですか?

高木―― 北支というのは北京より北の方でしょう。北京と上海の間かな。満州ね。

臼杵―― ここがサンヘです、サンヘ。

金学順―― はい、北京から上海、その間のどこかです。

臼杵―― 上海がここです。ここが上海ですから、そしてここが北京でしょう?

金学順―― なので、この間のどこかにあります。

臼杵―― どこがあるかと言うと。

高木―― たくさんありますが、山東とか。

臼杵―― チョンジュ〔訳者注:鄭州?〕もあるし、とても有名な場所ならどこがありますか?

高木―― 上海も行きましたか?

金学順―― 上海にも後で行きました。

臼杵―― 南京にも行きましたか?

金学順―― 南京にも行きました。行きましたが、その後で行きました。その後で。

高木―― 最初は?

臼杵―― 石家荘は?

金学順―― すぐに連れて行かれたところが……石家荘を通りました。石家荘を過ぎて。

臼杵―― 鄭州、鄭州があります。

金学順―― そこが済南、北支といいましたが。

臼杵―― 済南、あります。済南。

金学順―― 済南。

高木―― 済南は山東省。

金学順―― ここ、ここ。

臼杵―― 黄河。

金学順―― この近くのようですが。

高木―― 済南は北の。

金学順―― ところで、その時の話では。

臼杵―― 青島は記憶にありませんか?

金学順―― 青島ではありません。その時は済南、北支、カッカ県、鉄壁鎮、そう言っていました。

臼杵―― 鉄壁鎮? では、北支のカッカ県?

金学順―― カッカ県。

臼杵―― カッカ県、そして?

金学順―― そして鉄壁鎮、鉄壁鎮。

臼杵―― 鉄壁鎮、たぶん鎮はあるでしょう。

金学順―― カッカ県というのもあるでしょう。あまりに昔のことだから。それでトラックに乗って。

高木―― 何日?

臼杵―― だから鉄壁鎮というのは、鎮は村っていう意味だからね。たぶん、芙蓉鎮の鎮と同じだから、何とか村ってことですね。だから鉄壁の意味が分かればある程度分かるんじゃないか。で、北支のカッカ県というのが、アンショウ県とかいろいろあるから、アンホイ、アンビ県、違いますか?

高木―― 鉄壁鎮に北支の軍隊がいたわけね。何連隊とかいうのは分かります?

金学順―― それはわかりません。忘れました。それはその時、○○〔訳者注:聞き取れず〕すると考えもしませんでした。そんなことが頭のなかに入りますか?

臼杵―― では、平壌から汽車に乗って、何日後に到着しましたか? トラックに乗って。
金学順―― 北京まで行くのに3日かかりました。

高木―― 平壌から北京まで。平壌からここに。

金学順―― 北京からそこに行くのにそれほどかかりませんでした。トラックの中で一晩寝ました。

臼杵―― トラックの中で? それは春でしたか?

金学順―― 春です。

臼杵―― 17歳の時の春。

金学順―― はい、行く途中で襲撃されたら、最前線ですから、襲撃されたら塹壕に入って隠れて。そんなふうにして向かいました。

臼杵―― では、その憲兵も一緒に鉄壁鎮まで?

金学順―― その憲兵は北京まで行きませんでした。引き継ぎをして。

臼杵―― 憲兵はどこまで行きましたか?

金学順―― 汽車に、後ろに乗せて、それで終わりです。また奉天から山海関まで、山海関からまた人を代えました。

臼杵―― だったら、一緒に来た憲兵は北京で降りて、トラックに載せるときに姿を消して、憲兵はここまでの役目で、

高木―― トラックは。

臼杵―― トラックから司令官が出てきたと? どんな司令官、誰が出てきましたか? 憲兵が? トラックまで憲兵が?

金学順―― トラックに乗せて、汽車に乗せる時には憲兵が引き継いで、憲兵はそこでもう来ませんでした。

臼杵―― その代わりに誰が来ましたか?

金学順―― その汽車の中にいる軍人たちです。

臼杵―― どんな軍人たちですか?
金学順―― 将校たちです。

臼杵―― 将校かなんかわからないんですけど、軍人たちがトラックで。

高木―― 一緒に。

臼杵―― うん。

高木―― 女性は2人で?

金学順―― 女性は私たち2人しかいませんでした。

臼杵―― ところで軍人とか、人はいませんでしたか? 女性だけ2人で。そのトラックに?

金学順―― いいえ、一般の軍人がいましたから。

臼杵―― ところで軍人は何人くらいいましたか?

金学順―― 多かったです。パンマルでお話しなさい〔訳者注:その後は聞き取れず〕。

臼杵―― では、軍人と一緒にトラックに乗って行ったのですか?

金学順―― はい。

高木―― その時は日本語を話せましたか? 知りませんでしたか? その軍人と話をしましたか?

金学順―― 話はしませんでした。

高木―― 鉄壁鎮に到着して、どこに行きましたか?

金学順―― その時は話をすることもできず、話をするような状況でもなく。怖いので。怖いという思いばかりで、話もできませんでした。

臼杵―― ところで、トラックに乗ってどうなるかも、想像もできませんでしたか? あまりに恐ろしい気分だけ?

金学順―― ええ、怖くもありますが、お金を稼げるというから。お金を稼ぎに行くというので。だからもう。

臼杵―― ところでエミコとどんな話をしていましたか? 不安ではありませんでしたか?

金学順―― 特に話はしませんでした。

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引っ張られていった瞬間、しまった、と思った

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臼杵―― トラックの中で、とにかく怖かったということ、それから、自分はお金儲けに行くんだからっていう思いでいたっていうこと

高木―― エミコの年は? 同い年なの?

金学順―― 18歳です。私より1歳上。

臼杵―― エミコさんは18歳でした

高木―― じゃあ、後は鉄壁鎮に着いてどうなったか、どんなふうになったか聞いてくれる?

臼杵―― ところで鉄壁鎮に到着するとどうなりましたか?

金学順―― 夜でした。夜に、真っ暗な場所で降りました。さらに進んで、歩いて、また道を歩いていたら止まれと言われて、そこに行くと、ある部落に出ました。ある村に。

臼杵―― 中国の村が?

金学順―― はい、小さな中国の村が、小さな村が現れました。

臼杵―― 小さな部落が、中国の部落があって。

金学順―― ところが中華料理屋なのか何か、とにかく私たち2人を連れて将校が真っ暗な、薄暗い、そこには明かりもなくて、電気も灯もないんです。ランプのようなものを点けたんですが、真っ暗なところに連れられて入りました。結局はついて入ったんです。引っ張られて行った瞬間です。そのときから、もう頭のなかで、しまった、と思いました。

臼杵―― なぜですか? 怖くてですか?

金学順―― はい、怖くなって。軍人ばかりがいる場所に引っ張られて行ったので、私たちはとんでもないところに入っていくんだという思いがして。ああ、しまった、間違った道に足を踏み入れたと思いました。ただ怖いばかりで。そして少し行って、話を聞かなければしきりに殴ったり蹴ったりするので、怖くなったのです。

臼杵―― 夜着いて、非常に暗い夜で、小さな部落があったんだけど、そこに2人を連れて行って、そん中の部落の中の家に連れて行ったと。で、軍人に、将校のような軍人に連れて行かれたんだけど、その家に行ったときに「ああ、しまった」と思ったと。要するに、なぜかって言うと、その、軍人しかいないようなところに連れていかれて、女性は2人だけっていう身分で、そういう意味で、直感的に「しまった」と思ったと。

高木―― それで?

金学順―― ところで、中華料理屋に2人を連れて行って、空き部屋に閉じ込めておいて。中華料理屋に入ると、真っ暗なので何も見えない部屋に入れというので、入ったら、がちゃりと鍵をかけて行ってしまいました。軍人たちが。

臼杵―― それで、暗ーい、電気もついていない、蝋燭もない部屋に閉じ込められて、それで鍵をかけられて、そのまんま、その男は去って行ったと。

高木―― その男っていうのは兵隊でしょ? それで? そのまま寝たわけ?

臼杵―― それでどうなりましたか?

金学順―― そして次の日に見ると、夜が明けて見ると、お腹もすくし、水も飲みたくてしかたありません。ご飯も持ってきてくれず。夜も寝るのもそこそこに、どうにか夜を明かしました。夜が明けてみると、外から馬の声が聞こえました。扉の外から。

臼杵―― 話し声が?

金学順―― はい、馬の声が聞こえるので、変だなと思って、そちらを覗いてみると、他に朝鮮の女性が3人いたんです。

臼杵―― 3人?

高木―― 隣の部屋に?
金学順―― はい。

臼杵―― 次の日、まあ、朝起きてですね、鍵かけられてるから、表の部屋で、馬の声がするのでおかしいなと思って、気配をうかがっていたら、

臼杵―― 隣の部屋にも、朝鮮の女性が?

金学順―― はい。

臼杵―― 朝鮮の女性でしたか?

金学順―― はい、朝鮮の女性ばかり。

高木―― 話はしましたか?

その時、その3人の朝鮮人と話しましたか?

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隣室の朝鮮人女性たちに、逃げられない、と言われた

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金学順―― 話しました。私たちが不安で、いったいどういうことか分からない、と言うと、その女性たちが私たちにこう言ったんです。来たのが間違いだと。お前たちは何を捕まって来たのか、ばかみたいに。そう言いながら。逃げればいいのに、なぜここまで来たのか。そう言いました。

高木―― 隣の人もよくわからなかったんだね?

臼杵―― その3人の女性がどういうふうに言ったかっていったら、「お前たちはなんて馬鹿なことをしたんだ」って。こんなところに連れてこられて。馬鹿なことをしたって。どうしてここに来たっていうことを言ったって。それで、そんな話を聞いてどんな気分でしたか?

金学順―― 逃げなくちゃいけない、そんなことをまず思いました。

臼杵―― 逃げなくちゃいけない?

金学順―― はい、逃げなくちゃいけないと思いました。でも、無理でした。日本軍人、将校が朝早くに来ました。早く来て言うのには、お前たちは我々が言うとおりに、ここで言う通りにすれば、お前たちの将来は大丈夫だ、我々がお前たちの責任は持つ、だから心配せずに、我々の軍隊について、やれと言うとおりにやれば大丈夫だと。そう言いました。

臼杵―― 朝、将校が来て、心配するなと、我々についてくれば悪いようにしないからと。

臼杵―― ところで、我々軍人たちが連れてくれば悪くしないから心配するなと言ったんですか?

金学順―― はい。

臼杵―― そう言いましたか? それから何と言いましたか?

金学順―― そして自分たちが言うとおりにしろと。

臼杵―― 言う通りにしなさいと。

高木―― さっきの3人の女性はどこから来たか、どんな経歴か。

臼杵―― 隣の部屋に3人の女性がいたでしょう。

金学順―― 2人はソウルから来て。

臼杵―― 2人はソウルから来て?

金学順―― ソウルから来たと聞きました。1人はどこから来たのか分かりません。1人は知りません。お互いに近寄って話をする機会さえ与えてくれません。逃げるんじゃないかと。

臼杵―― その人がそう言ったのですか?
金学順―― 絶対にここからお前は逃げられないから、出られないから、出ればお前は死ぬと、そう言いました。

臼杵―― ところで、どんな仕事をしなくてはいけないと、将校が言いましたか? 仕事の内容、どんなことをしなくちゃならないか。

金学順―― それは言うまでもないことでしょう。その日からもう軍人たちが外出させるから。先にいた子たちが、他の子たちがやられることをそのまま手本にして、私たちがやることになっていますから。だからやれというとおりにやらないと。だから強制的にそこから軍人たちを受け入れることになるんです。

高木―― その日から軍人の相手をさせられたの?

臼杵―― その日から、何というか、慰安所に……

金学順―― 惨めでそんな話はできません。恥ずかしくてたまらないので。

臼杵―― それでも、申し訳ありませんが、事実ですから、歴史的な。ありのままに話してくださいますか? その夜からエミコといっしょにどこにいましたか?

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私は泣きながら、しかたなく、力づくでやられまいとして

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金学順―― 軍人の将校が○○〔訳者注:聞き取れず〕のようなものを抱えてくると、最初は私の腕をこうやって引っ張って。行かないとしゃがんだので。そうすると強制的に引っ張るんです。しかたなく、怖いので引っ張られて行きました。引っ張られて行くと、すぐ隣の部屋ですが、部屋でもなくて、ただ壁というか、幕のようなものが張ってあるんです。引っ張られて行って、すると否応なしにそこで服を脱げというんです。私を昼間に連れていった、その将校です。その人が脱げといいのです。私は怖いので、脱げないと言って脱がずに後ろに身をすくめると、パッと引き裂いてしまったんです。服を引き裂いて、それからはその場では、床に何か敷物を、前方だから何もありません、ただ床に敷物が一枚敷いてありました。そうしておいて、自分の欲望を満たそうとするのです。だから私はやられまいとして、泣いて、泣きながらしかたなく力ずくでただ向かって行き戦いました。ただやられまいとして。

臼杵―― 自分を案内した将校が、その真っ暗な部屋に彼女を連れて行って、服を脱げと。彼女が嫌だっていうと、とにかく服脱げみたいなことを言って、彼女は恐ろしさ、恐怖心いっぱいで、もうそれに従うしかなかった。そのときのことを思い出すとしゃべることすら…。

高木―― その将校が? 

高木―― その将校の名前分かる?

金学順―― (日本語で)ムライ。

高木―― どれくらいの将校なのか?

臼杵―― 将校というと?

金学順―― 星がこんなふうに。

高木―― 2つ星がある。

臼杵―― 完全に暴力でそうしたのですか?

臼杵―― ところでエミコはどうなりましたか?

金学順―― エミコは分かりません。その部屋でも、また静かでなかったところを見ると。そして、また夜が明ける頃です。実はちょっと話すのが恥ずかしくて、話が……。その翌日、夜明けに、夜明け前に、その場所でやられました。そして隅の部屋で、じっと考えてみると、軍人はそうしておいてすぐに立ち去ったんじゃなくて、そのまま横になっていて、そのござに横になっていて、ござのようなところで一緒に横になって、寝ているのかどうなのか。絶対に殺してやりたいと思いました。起き上がってそのまま。ですが、そうすることもできず、私に勇気がなかったんです。

臼杵―― では、朝まで一緒に寝ていたのですか?

金学順―― いえ、夜が明ける前に。ですから、2度、3度と、そんな欲望を満たして、朝ではなく、夜明け前に出て行きながら、「ここがどこなのか、明日にはお前にわかるだろう」と、そう言って行きました。それで出て行ったので、その後で幕を開けてみました。エミコはあちらの部屋に行っていましたが、どうなったのかと思って。うるさかったから。そっと幕を見ると、日本の軍服が見えました。その片隅で服を下ろして。どうすればいいのかと。

臼杵―― 幕を張った部屋ですか?

金学順―― はい。

臼杵―― 女性は何人くらいいましたか?

金学順―― 5人です。実際、私の部屋にいた子は、サダコ、ミヤコ、そしてエミコと私と、ひとつの部屋に。

臼杵―― ひとつの部屋でしたか?

金学順―― はい、ひとつの部屋です。

臼杵―― それからもう1人がいますが。サダコ、ミヤコ。ところで、部屋はどうなっていましたか?

金学順―― 赤いレンガで囲まれていて、四角くなっていて、中国人たちは履物を履いたまま中に入るんです。履物を履いて入ります。こうなっていて、こう入り口があって、ここにこうやって入って。

臼杵―― ああ、こういうふうに幕が張ってあるんですね?

金学順―― こういうふうに。

臼杵―― 幕をここにこうやって、部屋が5つあるんですね?

金学順―― いいえ、ここに2つしかなくて、横の部屋に。

臼杵―― ここですか? ここに2つありますか? 2つずつありますか?

金学順―― そうです。

臼杵―― 入り口はどこですか?

金学順―― 入り口がここ。幕ですから。ここにこうして幕だけ上げるんです。

臼杵―― そして隣に行く?

金学順―― 隣に別の部屋がもう1つありました。

臼杵―― もう1つありますか?

金学順―― シズエのいる部屋がもうひとつありました。

臼杵―― シズエの部屋が。ここに扉がありましたか?

金学順―― はい、扉がこうあります。

臼杵―― では、兵士たちがここに来て。幕ですから。で、おばあさんの部屋はどこにありましたか?

金学順―― ここに。エミコの部屋がここにあって。

臼杵―― エミコの部屋がここに。そしてアイコ、そしてここがシズエですね? ミヤコ、サダコ。

臼杵―― ところでここは何時から何時までですか

金学順―― 時間はありません。

臼杵―― 時間はない?

金学順―― 時間など決まっていません。部隊にくっついているのに、部隊の中にあるのと変わらないのに、どうして決まった時間がありますか。

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いたのは軍人だけ、民間の日本人はいなかった

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臼杵―― ですが、ふつう兵士たちが朝8時から来ていて、そして午後になれば……下士官たちが。

金学順―― 将校たちがたくさん来ました。

臼杵―― ところで日本人たちや、そんな監督する人たちはいませんでしたか?

金学順―― いませんでした。

臼杵―― 軍人しかいませんでしたか? 民間人もいませんでしたか?

金学順―― いませんでした。民間人もおらず、民間人はいませんでした。それは言葉が、言葉が少しできるシズエが、彼女が軍人だけ、将校だけ相手にするのです。この子が食べ物も全部、部隊からもらってきて、米もくれて、おかずなども部隊で全部出してくれて、それを私たちが煮て食べもしたのです。部隊がすぐ目の前ですから。部隊が出発すれば私たちもついて出発して。はい、昼も夜もなく。前方なので昼も夜もなく。いっしょに来ましたから。どこか一箇所に行ってそこにいるのではなくて、前進して入っていけば、それについて回るんですから。

臼杵―― 移動が多かったのですか?
金学順―― はい、何度かしました。

高木―― 最初の所はどのくらいの期間、そこの?

臼杵―― ところで最初に行った鉄壁鎮。そこはどのくらい。

金学順―― 春に行って秋ですから3カ月にならないか。ともかくしょっちゅう移動しました。

臼杵―― 鉄壁鎮は春に行って秋に移動。

金学順―― 秋になる前だと思います。

臼杵―― そしてどこに行きましたか?

金学順―― 次に行ったのは分かりません。地名も知りません。

臼杵―― では、みんないっぺんに行ったのですか? 5人がみな行きましたか?

金学順―― ついていきますから。軍隊に一緒について行きますから。

高木―― その軍隊というのは何人くらい?

臼杵―― 兵士たちは何人くらいいましたか? 軍隊に何人いましたか?

高木―― 千人?

金学順―― そんなには多くなくて、だいたい2~300人くらいかと思います。約300人くらいかと。小隊なのか中隊なのかわかりません。約300人くらいいたようです。

高木―― 部隊の名前は分からないけど、将校の名前で分かる人いる?

臼杵―― いま記憶に残っている人は誰ですか? 兵士たちが来ると、アイコと呼ぶでしょう。なぜ名前を知っているんですか? 名前とかを幕の前に貼り出していましたか? アイコと書いて。

金学順―― 自分たちはみんな知っていました。その、番号が付けられていましたから。たぶん号数が付けられていましたから。1号には誰、2号には誰、3号には誰、こんなふうに番号が付けられていたようです。あらかじめ知っていてきます。あらかじめ知っていて、アイコ出てこいと言って。アイコの部屋に行くとか言って。

臼杵―― ところでお金も出さずに、そのまま来るのですか?

金学順―― お金って、何のお金ですか

臼杵―― そんな商売はひとつもありませんか。ところでサック〔訳者注:コンドーム〕はどうしましたか?

金学順―― サックのようなものは持って来ました。

臼杵―― そのまま持ってきましたか?

金学順―― はい、そのまま持って来ました。

高木―― どういう順番に来るんだろう。勝手に兵隊が出入りする〔訳者注:聞き取れず〕。

臼杵―― ところでそんなことに関係していた担当者はいませんでしたか? 担当者というか、軍人たちの中に担当者はいませんでしたか?

金学順――  いません。

臼杵―― いま食事の時間だとか、今日はどんな人が来るからサービスをよくしろとか、そんな人はいましたか?

金学順―― いいえ、いません。そんな人はいませんでした。

臼杵―― 指示したり、そんなことはなかったですか?

金学順―― シズエだけは将校とよく行き来していました。私たちは全く何も知らずに。何も知りませんでした。

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兵士たちは行列を作り、30分過ぎると怒声が

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臼杵―― 朝何時から来ていましたか?

金学順―― 朝ですか? 朝8時を過ぎると。

臼杵―― 8時頃には来て、そして?

金学順―― そして酒を持ってきて、酒を飲んで、前方だから話もできません。軍人たちが酒を持ってきて、酒を飲みながら、むやみに抱いて、座って、歌を歌えと言って。

臼杵―― 朝からですか?

高木―― 土曜とか日曜とか?

臼杵―― 土曜日とか日曜日には? 平日にもそうやっていましたか?

金学順―― いいえ、いいえ。

臼杵―― 戦闘のない時には?

金学順―― 戦闘のない時は、万一襲撃がくるというと、銃弾が飛んできて襲撃だと言えば、静かになります。ただ私たちにはじっとしていろと言って、静かに座っていろと。そして。

臼杵―― ところで村には中国人はいませんでしたか?

金学順―― いませんでした。誰もいませんでした。

臼杵―― では、日本の軍隊とおばあさんしかいませんでしたか?

金学順―― そうです。私たちしかいませんでした。だから、すぐに逃げられなかったんです。人がいれば、助けてくれる人がいるでしょうが、人がいませんから。人の姿を見かけませんでした。前方だから、軍人が私たちだけ連れて歩くだけです。人がいませんから。そして前進して行く時には、私たちを一緒に連れていくんです。そこからあまり遠くないところに行って、また遠くないところに行って、前進して行くと、私たちもまた一緒について歩かねばならず。一緒に連れて行って。その時はまだ幼かったですが、戦争するのをよく見ていると、日本軍が入ってくるというと中国人はひとまず逃げてしまうんです。戦う前に。そして遠くに逃げていって、日本人が入ってくる。日本軍が入ってくると言うと、中国人はみなあらかじめ逃げてしまいます。いなくなって、日本軍が入ってきてから、夜にしきりに襲撃するのです。そんなふうにして。

臼杵―― 外には出られないでしょう?

高木―― そこから外に行くことはできたの?

臼杵―― 外に出ることは。

金学順―― できません。まさにそこが軍隊だから、行けませんよ。

高木―― 食事とかは誰が用意したの?

臼杵―― 食事とかそういったものは誰がしましたか?

金学順―― 私たちが作って食べました。

臼杵―― 軍人たちが作ったのではないんですか

金学順―― いいえ、米も部隊でくれて、味噌なども、日本の味噌のようなもの、おかずのようなもの、おいしいものをたくさん持ってきてくれて食べました。

臼杵―― 味噌まで持って来たんですか? 日本の味噌も?

金学順―― はい、こんなふうに塊になったのを。忘れません。味噌のようなものも持ってきて、おかずも、乾物ですが、おいしかったです。そんなものも持ってきてくれて。

臼杵―― 魚の干物ですか?

金学順―― はい、魚のこんな薄いもの。おいしかったです。そんなものも持ってきてくれて。だから食べました。みな持ってきました。

臼杵―― そんなものをどこで作るのですか? そこに水やそんなものはありましたか?

金学順―― ありますよ。この家ではなく、その間ですから。

臼杵―― その間に?

金学順―― 人が住んでいた家ですから、中国人が暮らしていた家ですから、井戸もあり、水もあります。中国人が住んでいて、逃げていったところですから。釜のようなものも、中国の釜のようなものもあるし。ごちゃごちゃと、何でもあります。

高木―― このシズエというのはリーダーなんですね?

臼杵―― するとシズエは何歳くらいでしたか?

高木―― シズエが22歳。

金学順―― シズエが22歳です。シズエが動いているようでした。よく見ていると。

臼杵―― シズエがリーダーだということですね。年齢が上だから。

金学順―― はい。

臼杵―― この人は将校専用だしね。

高木―― 部屋はひとつもらっているし。朝は8時から始めて、昼休みとかは?

臼杵―― 昼食の時はどうしていたんですか?

金学順―― 昼食をとる時には私たちが食べたいときに食べて、作って食べますから。食べたければ作って食べるんです。そんなふうにしていました。

高木―― 食事はみんな一緒に?

金学順―― はい。

高木―― 兵隊と食事することはない?

金学順―― いいえ、一緒ではありません。私たちだけで、各自がもらうままに、私たちだけで作って食べて。

臼杵―― また午後にも軍人たちが来ましたか?
金学順―― はい、午後も午前も。敵さえ来なければ、何も起こらなければ、静かであれば来るんです。好きなように。

高木―― 何分間とか決まってるのかな?

臼杵―― ところでもし1人来たら、部屋の中に入って来たら、1人あたりどれくらいいて出て行くのですか?

金学順―― 長くはいられません。長くいられないようにしているんです。外でやたらに声を上げて、早く出てこいと怒鳴り、長くいられないようにします。長く来ても30分。30分以内で出なくては。そうでなければ外で声を上げますから。出て来いといって。

臼杵―― 何人が列を作っているんですか?

金学順―― たくさん来るときはそんなふうに行列を作りますが、来なければ列もありません。300人がいるところだから。

高木―― 夜は何時まで仕事をしたんですか?

金学順―― 夜は夜で来ますよ。

臼杵―― 将校が宿泊することもありましたか?

金学順―― はい、夜に長く寝ていく将校たちもいました。

臼杵―― 夜に長く寝ていく?

金学順―― いえ、宿泊する将校たちがいたんです。夜を明かす将校たちが。 

臼杵―― 宿泊すれば朝まで一緒にいなくちゃなりませんね。それは面倒ですね。

金学順―― 面倒でもどうしようもありません。

臼杵―― ところで朝からまたその日本兵士たちが来れば、休む時間がないではないですか?

金学順―― 休む時間はありません。誰が休めといいますか。相手が出てこない限り。戦争が起こると静かになりますが。

高木―― 戦争の時だけは向こうが忙しくて。

金学順―― 静かになります。

高木―― そういう戦争もたくさんありました??

金学順―― はい、前方、最前方ですから、いつも。ともかく日が暮れると襲撃があって、銃の音がダダダダ、こっちからダダダダと。いつもそんなふうでした。

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相手は1日に多い時は30人、 お金は見たことがなかった

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臼杵―― 満17歳の時に?

金学順―― 16歳の時です。

高木―― 昭和15年頃?

金学順―― はい。

高木―― 日本がアメリカと戦争する前でしょ?

臼杵―― ならば、1939年ですね。そうなったのが。太平洋戦争が起こる前ですね。そうなったのは。

金学順―― 太平洋戦争が起こる前でしょう。太平洋戦争はいつ起こりましたか?
臼杵―― 1941年に。

金学順―― 1941年?

臼杵―― 1941年に起こりましたが、その前には中国と戦っていましたから。

金学順―― そうです。中国とまず戦いました。その時はそうでした。中国と戦っていて、太平洋戦争が起こったと言ったとき、私が脱出してきたんです。その時に太平洋戦争が起こりました。

臼杵―― ああ、そうですか?

金学順―― はい、太平洋戦争が起こりました。

臼杵―― では、おばあさんは太平洋戦争が起こる前の話ですね。

金学順―― はい。

臼杵―― その時、軍人から病気の検査はどのようにされましたか? 病気の検査。

金学順―― 検査? 検査はたまたま1週間に1度ずつしたりもし、集結して1カ月目にもあり、だいたい10日目に一度ずつ、軍医という人が来て検査をしました。軍医だと言って出てきて検査をしたんですが。検査器だけ持って来て検査をして、そんな具合でした。

臼杵―― お金を受け取ったことがありますか?

金学順―― お金は見たこともありません。

高木―― 30分といったら1日何人ぐらい?

臼杵―― で、一番多かった時、軍人が一番多かった時は何人くらい来ましたか?

金学順―― 約30人くらい来ました。

臼杵―― 1人で?

金学順―― 約20人は超えました。多いときは。静かなときには。

臼杵―― 多いときはひとりで20人以上。

高木―― 知ってる顔も何回も会ったりした?

臼杵―― 知っている人、何と言うか、親しくなった人は何人くらいできましたか?

金学順―― みんな忘れました。もうずいぶんたって。来る人の中でも、優しい人もいました。みな同じ日本の軍人だといっても、優しい人もいれば、態度の悪い人もいます。ところで、優しい人のことは特に考えるようになり、来ればうれしいし。そんな感じでしたが、ずいぶん前のことなので、みんな忘れてしまいました。どんな人かも言えません。

臼杵―― いろんな人がいましたよ、同じ日本人でも、非常に静かな人もいたし、乱暴な人もいたけど。

高木―― ところでいつまでその軍隊にいたの?

臼杵―― では、軍隊にいつまでいましたか? 3カ月くらい働いていたのですか?
高木―― もっといたでしょう? 鉄壁鎮は3カ月で、その後〔訳者注:聞き取れず〕4カ月くらい?

金学順―― あちこちいって。

臼杵―― 鉄壁鎮の後、どこに移動しましたか?

金学順―― どこに移動したかは分かりません。

臼杵―― そこで脱出したのですか?
金学順―― いいえ、できませんでした。できずに、次に。

臼杵―― その次にどこに行きましたか?

金学順―― そこからどこにかは分かりません。

臼杵―― では鉄壁鎮に約3カ月くらいいましたよね。次にはどれくらいいましたか?

金学順―― そこにはそれほどいませんでした。1カ月半くらいでしょうか。

臼杵―― 1カ月半?

臼杵―― 1カ月半くらい…

金学順―― はい、1カ月半くらいいたと思います。

臼杵―― そして。

金学順―― それから、そこからそのまま脱出しましたから。

臼杵―― あー、3回目でここで脱出したんだ。

臼杵―― そこに何カ月くらいいましたか?

金学順―― 全部で?

臼杵―― いいえ、最初は3カ月、そして1カ月半過ごして移動して、そこで何日かして脱出しましたか?

金学順―― はい、何日もいませんでした。脱出しました。ちょうど朝鮮人が入ってきて、朝鮮人の商売をする人が来て、その人と一緒に脱出したのです。日にちはずいぶんたっているので、覚えていません。

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部屋でも移動時でも軍服を着ていた

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臼杵―― ここに3回目に移動したときに、そんなに時間がたっていないときに、韓国人の、なんか商売やっている人が来て、彼が助けてくれて、脱出したと。

高木―― その時は上海だったんじゃないの?

臼杵―― その当時は上海ではありませんか?

金学順―― その次が?

臼杵―― 3カ所目が。

金学順―― いいえ、脱出して、その時に上海に行きました。

高木―― それから上海行ったんだね

高木―― 3回目の話を聞こうかな? どんな感じか、同じような?

臼杵―― それと、移動の時はどのようにして移動したのですか?

金学順―― 行くときには軍隊の車に一緒に乗って。

臼杵―― 軍人とトラックに乗って行ったのですか?

金学順―― 私たちは一緒に乗りました。

高木―― それから上海行ったんだね。

高木―― トラックだね、一緒にね。

臼杵―― ところで、そのような場所にいた時は何を着て?

金学順―― 軍服です。

臼杵―― 軍服ですか?

金学順―― はい、最初に私が着ていった服は。

臼杵―― 国防色の服を着たと?

金学順―― はい。

臼杵―― ズボンをはいて、上には同じ軍用の?

金学順―― 何でも着ましたよ。派手な服も着たし。

臼杵―― 派手なものもありましたか?

金学順―― はい、白いものもあるし、何でも着ました。私が着ていった服は最初の日に将校が引き裂いてしまいました。だから着ることもできませんでした。そういうことです。

臼杵―― 軍服を着て。

金学順―― 軍服でも何でも。中国の服や、軍服や、何でも手当たり次第。

高木―― 軍服は移動の時だけですか?

臼杵―― 部屋にいるときも軍服を着て?

金学順―― そうしました。中国の服もたくさん着ました。

臼杵―― 中国の服も軍服でしたか?
金学順―― 中国の服は女性もの。女たちが捨てていった服。残っているものを拾って、何でも着て、そうやっていました。

臼杵―― ところで、軍人たちが来るときは軍服も着ていたことがあるということですね。日本の服はありませんでしたか?

臼杵―― 余っている服を着たんだけど、軍服を着て相手をするときもあったし。

高木―― 日本の服はなかったの? 日本の着物。

金学順―― 日本の服はありません。

高木―― 兵隊は戦争に行った後って、誰か死んだりとか、殺気立っているというか、そういう時はやっぱり普通の時と違ったのかな?

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肺病になって苦労した。梅毒治療の注射も打たれた

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臼杵―― ところで、日本の軍人たちは、おばあさんの家に来て、明日は戦闘に行かなくてはいけないというときには、兵士たちは精神的に、戦争に行かねばならない感じ、複雑な感じがあるから、態度がかなり違いましたか?

金学順―― 態度が違います。その時は軍人たちが○○〔訳者注:聞き取れず〕。前方に出た軍人たちとかはよく暴れました。酒を飲んで、かんしゃくを起こして、言葉も乱暴になり、やれと言う通りにしないと殴ったり、よくそんなことがありました。

高木―― 行く前ね、結局興奮しているわけね。

金学順―― 酒をたくさん飲んで、よく殴り付けるんです。言うことを聞かないといって。他の子たちはあまり殴られないのに。言うことをよく聞くから。私は言うことを聞かないからよく殴られました。しょっちゅう。

臼杵―― いちばん記憶に残っているのは? 殴られたり。

金学順―― だから病気になりました。

臼杵―― どんな病気に?

金学順―― 肺病になって、ずいぶん苦労しましたよ。

臼杵―― お腹の病気ですか? お腹が痛くて? お腹を殴られて?

金学順―― いや、殴られたのではなくて、女性があまりにひどく性交をしたから、だから肺が悪くなったようです。

臼杵―― 薬をたくさん飲みましたか? どんな薬を飲みましたか?

金学順―― 肺の。呼吸ができず、肺が悪くなって。肺の薬をたくさん飲みました。今でもレントゲンを撮るとその時の陰が出ます。肺が悪くなって痛む場所があります。そうやって肺が悪くなりました。あまりに乱暴にするから。

高木―― ペ”って肺のことか、お腹じゃなくて。

臼杵―― お腹が痛いのではなくて?

金学順―― いえ、肺です。

高木―― そういう薬は衛生兵がくれるんでしょうか?

臼杵―― 衛生兵とか、病気について関係していた担当者がいましたか?

金学順―― 軍人たちで?

臼杵―― 衛生兵です。では、そのような軍人たちが薬をくれましたか?

金学順―― 薬をくれました。

臼杵―― ところで、そのような薬を知っていましたか? 606号〔訳者注:梅毒の治療薬、サルバルサンのこと〕。

金学順―― はい、606号ですか? それもよく注射されました。

臼杵―― では、どんな薬ですか?

金学順―― 知りません。注射もしてくれるから打っただけで、何かは知りません。

臼杵―― そうでしたか? 性病の薬です。

金学順―― 知りません。性病の薬だか何の薬だか。ともかく606号を何度か打たれました。

臼杵―― 注射されましたか?

金学順―― はい、軍人から。肺が悪くなって、具合が悪くなったんです。そうしたら、その人、朝鮮人が来て、何とかして脱出しました。このままでは死ぬと。ここで死ぬと。

高木―― 注射するんですか?

金学順―― はい、注射を何度か打たれました。606号。

高木―― 軍隊の中で死んだりけがをしたりした人を見ましたか?

臼杵―― ところで軍人で死んだ人、戦闘で死んだ人も見ましたか?
金学順―― 私は見ませんでした。私たちはただ引っ張られていって、私はそこから脱出したので。病気になって倒れていましたから。私自身は運よく○○〔訳者注:聞き取れず〕してくれて、注射を何回かしてもらい、治療薬を持っていましたから。運が良かったんです。朝鮮人がやって来て、その人と手を取って。これでは死んでしまうから、助けてくれと。だからその人と手を取って夜中に逃げました。その時、男の人の手さえつかめば助かったんです。私ひとりでは行けませんが。道を知っていなくては。どこがどこだか知っていなくては行けませんから。

臼杵―― ひとりでは逃げられないから、自分に協力してくれる人を探して。自分ひとりではとても無理だから。

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罪を負って逃亡中の男とともに慰安所を脱出した

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高木―― 脱出の話、ちょっと先に行こうか。

臼杵―― では、脱出した時の話を聞きたいのですが。

高木―― 誰か〔訳者注:聞き取れず〕に来て。

臼杵―― 亡くなった旦那さんだったでしょう、いつ来ましたか?

金学順―― その時期はよくわかりません。

臼杵―― あちこち回っている人だから、軍属でしたか?

金学順―― いいえ、商売人。商売をする人。

高木―― 商売は何の商売をしていたの?

金学順―― 銀銭商、お金の。中国でこんな銀銭があるんです。丸い銀銭。銀で作った1円硬貨。こんな1円玉があったんです。1円と書かれた銀銭がありました。それを商売して歩くんだそうです。

臼杵―― 銀銭の売買をしていた。

臼杵―― ところで、なぜ軍隊に入ってきたんですか?

金学順―― それを前方に、おそらくお金を買うとか借りるとかいって来たのでしょう。それで来たので。そこを知らずに入ってきたんです。

臼杵―― だけどなぜ? 民間人たちがここに入ってくることはできないでしょう?

金学順―― 入れないことはないんです。民間人たちが入ろうとすれば入れるんです。

臼杵―― そうですか?

金学順―― そうです。

臼杵―― 軍隊が横にいるのに。

金学順―― 日本人として来ているのに、入れないはずはありません。入れますよ。中国人ならわかりませんが。そうやって隠れて来れば、いくらでも入れます。

高木―― たくさん来ていましたか? そのような民間人が。
金学順―― いいえ、多くはありません。いません。この人がたまたま1人入ってきました。その人も実は逃げ回っている人でした。日本人を避けて逃げている人だと。何かの罪を犯したようです。朝鮮で罪を負って、満州に逃げてきた人です。そうして、どうかして、そこに来たようです。その人も日本人に捕まれば死ぬところでした。スパイとして捕まれば殺されたでしょう。ところが、うまいぐあいに捕まらず、何とかその夜に入ってきました。

臼杵―― それが夏ですか、秋ですか?

金学順―― 秋です。ところが、見て最初はびっくりしました。日本人か何かわからないので、驚くしかありません。

臼杵―― 最初は日本語で話しましたか?

金学順―― いいえ。

臼杵―― 朝鮮語で話しましたか?

金学順―― 真っ暗なところに人が入ってきたので、驚くしかありません。軍人ではないので、どれほど驚いたことか。

臼杵―― 要するに軍人じゃない人が、真っ暗な中で忍び込んでくるように来たんで。

臼杵―― 秘密裏に入ってきたんですか?

金学順―― 秘密裏に入ってきました。自分は朝鮮人だが、どこか寝るところもなく、こんな状況だ。そう言って、秘密裏に入ってきました。だから私たちのような朝鮮人同士、手を結んだんです。そうしてどうしたか、私だけ連れて行ってくれ、そうでないともう私は生きられない、と。私が病気になっていたので、かわいそうに思って、ここでこうしているのを誰かに見られたら殺される、一緒に行こうと言って、私を引っ張り出してくれたのです。そうして夜に逃げ出しました。2人で逃げたんです。

臼杵―― 軍人たちは来ませんでしたか?

金学順―― 戦時、銃弾が飛び交っているときには来ません。1人もいませんでした。そんな時には。

臼杵―― 全員が?

金学順―― はい。

臼杵―― 襲撃だと言えばみんな出て行くから。

高木―― いなくなっちゃった? ひとりだけ逃げたの?

金学順―― はい、私ひとりで。

臼杵―― エミコはどうしましたか?

金学順―― エミコはそのまま残して。エミコでも誰でもしかたありません。急ぐのに誰かを連れて行けますか。まずその人が、私ひとりだけでも助けなくてはいけないと言って。

臼杵―― その時も同じでしたか? 5人。

金学順―― はい?

臼杵―― その時も、その男性がアイコさんの部屋に入ってきた時も、5人くらいでこうして。

金学順―― いたかと?

臼杵―― はい。

金学順―― いました。

高木―― それで一緒に上海へ行った?

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上海では質屋の看板を掲げ、解放の翌年に仁川に戻った

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金学順―― はい、そうやって出てきて、最初にすぐ上海に行ったのではなく、南京に行きました。南京に行ってから、今度は蘇州に行き、そうやって逃げ回りました。その時、逃げていましたから。私たちは2人とも逃げる立場でしたから。

臼杵―― 逃げるというと。

金学順―― 逃げ回りました。2人で一緒になって。蘇州に行って少しいてから、南京に行って少しいて、蘇州に行って少しいて。そして最後にはダメだと思って、こうしていてはダメだと。どこかに落ち着かなくては、こうして歩き回っていてはどこかで捕まれば死ぬと。それで2人で上海に行ったのです。

臼杵―― 上海に2人で行ったと。

臼杵―― ところで、その夫の名前は?

金学順―― 趙元讃(チョ・ウォンチャン)です。

臼杵―― チョ・ウォンチャン。

金学順―― はい、玉へんにこの賛の字です。金へんではなく、玉。いえいえ玉はあっていますか。

高木―― その後、上海でしばらくいっしょに生活した?

金学順―― はい。

高木―― いつまで?

金学順―― 解放まで。

臼杵―― では、上海に行って、39年に行ったから。

高木―― その年の秋に逃げた感じだね。脱出は秋でしょ?

臼杵―― 1939年の秋に脱出しているからね。

高木―― その後もそのご主人、その男の人は銀銭の仕事をして生活していたの?

臼杵―― どうやって生活されましたか?

金学順―― そこがフランス租界でした。そこで質屋をしました。松井洋行という看板を掲げて。

臼杵―― 看板?

金学順―― 松井洋行という看板を掲げて、質屋をしたのです。質屋(チョンダンポ)、分かりませんか?

臼杵―― チョンダンポ?

金学順―― こういうものを持っていって、質に入れて金を借りて使うでしょ。チョンダンポ、日本にはないみたいだね。

臼杵―― その宝石を?

金学順―― 持っていって預けて金を借りて、チョンダンポ、質屋。それをしたんです。ところが余裕資金がありませんから、中国人の資本を引き込んで商売を始めたのです。

臼杵―― 中国人相手の質屋をやっていたと。

高木―― では、中国語も?

臼杵―― では、中国語が話せたのですか?

金学順―― はい、少しできます。聞くこともでき、少し話せますが、今ではずいぶんたったので、全部忘れてしまいました。中国語もかなりできたのですが。

高木―― その後、上海で解放した後は?

臼杵―― 解放になって上海ではどうなりましたか?

金学順―― 解放になったから松井洋行をやっていて、そこで子どもが2人生まれました。その間に。そこで暮らす間に、娘を1人産んで。次に解放になった年に息子を1人産んで。

臼杵―― では、いつ生まれましたか?

金学順―― 私が19歳の時ですから。

臼杵―― 19歳の時?

臼杵―― 1943年か。上のトミコ…

金学順―― そして8月15日に解放になって、解放になった年、チェファを生みました。男の子をもう1人産んだんです。3人でなく、2人です。そうやって解放になった年に帰国しました。

臼杵―― 帰国は、どこに行って、どちら方に行きましたか?

金学順―― 最初に解放になったから、重慶から、重慶から金九先生が出てこられて。そしてその次に、金九先生が出てこられた後に、光復軍が最後に出てきたのです。

臼杵―― 光復軍の最後の…、 光復軍と船に乗って?

金学順―― はい、船に乗って一緒に出て来ました。そして仁川に来て上陸しました。夏です。

臼杵―― 光復軍の最後の船で仁川に来て。

臼杵―― いつですか?

金学順―― 解放の翌年、1946年、仁川に上陸しました。

高木―― 冬に? 秋に? 夏に?

金学順―― 夏です。

高木―― その後はどこにいましたか?

金学順―― 次は、仁川に上陸させられて、出てきたから家などありません。行くところがないでしょう。ソウルの奬忠壇の収容所、奬忠壇に収容所を作って、避難民たちはみんな、中国から来た人たちは全部、収容所に入れました。そこにまた3カ月いました。そこにいる間に娘が死んだのです。はしかにかかって。病気になって、そこで子どもが死にました。収容所で。そうして3人が東大門の昌信洞に部屋をひとつ借りて引っ越しました。そうしてそこで私は商売をして歩き、畑にいって草むしりもし、野菜も作り、そんな仕事をし、また夫は市役所の清掃夫になりました。すぐにできることがありませんから。市役所で掃除をし、そうして生活していました。

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過去のことは一度、日本人に言わなくちゃいけない

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臼杵―― 市役所に何をしに行ったのですか?

金学順―― 掃除です。

臼杵―― おばさんは商売やりながら東大門で、海苔を売ったり、いろいろ、商売をやって。

金学順―― そうやって生活しているうちに朝鮮戦争が起こりました。家族を亡くし、写真まで、昔の写真まで全部。

臼杵―― では、上海で質屋をしていたときが一番安定していましたか?

金学順―― はい、約2年間。息子さえ〔訳者注:聞き取れず〕ときはこうではなかったのに。

高木―― その後もずっと行商みたいなことをしていたんですか?

臼杵―― ひとりでどうやって食べて生きてきたのですか?

金学順―― 息子が死んだから、もう生きていくつもりはありませんでした。死にたいとしか思いません。だから行かない場所がないくらい、歩き回り、朝鮮は全て、全羅道も、慶尚道も、狂ったように、全部歩き回りました。行かないところはなく。済州島にも。そうやって歩き回っていたら、81年に〔訳者注:聞き取れず〕。タバコも吸って、酒も飲んで、狂ったようにそうやって暮らしました。

臼杵―― 酒も飲まれて?

金学順―― はい、酒も飲むし、タバコも吸うし。

臼杵―― 死にたいとしか思わなかったから?

金学順―― 死にたいとしか思いませんから。そうやって歩き回っていたのですが、1年前からは、それでもこうしていてはいけないという気持ちが生まれました。ソウルに上京しました。そうじゃない、私がこんなになって、病気になり、こうなったのは、ただ一つ原因があるのに、いつでもこの話を言うと〔訳者注:聞き取れず〕。子どもまで死んだから、過去のことは〔訳者注:聞き取れず〕腹が立って。生きていながらも生きている感じもなく、結局は酒でも飲んで、死のうとして〔訳者注:聞き取れず〕死のうとして、それもできず、そうやって歩き回って、81年のその時はこうしていてはダメだ、そんな話をする時は〔訳者注:聞き取れず〕胸が痛いです。私の心が〔訳者注:聞き取れず〕。日本人に言おうか、国に言おうか、日本人に言おうか〔訳者注:聞き取れず〕。生きていても生きている感じもなく。それでも81年にソウルに上京して、そうやって誰に言うにしても、この話を一度言わなくちゃいけない、そうやってソウルに81年に上京しましたが、お金も、家も、行くあてもありません。行くところもないから、人の家で8年間手伝いをしました。8年間、家政婦をしました。

臼杵―― 家政婦ですか? どこでですか?

金学順―― 昌信洞です。

臼杵―― 昌信洞で?

金学順―― はい、まさに昌信洞で。今も私はこの街を離れずに暮らしています。私が気持ちを入れ替えて、そこからソウルに来ましたから。そこで8年間、家政婦をしながらためたお金で家を1つ借りました。人の家にいては、存分に活動することができませんから。夜も昼もそこにいて仕事をしなくてはなりませんから。自分の活動をできないので、出なくちゃ行けないと思って。部屋を1つ借りて出ました。お金を貯めて。その時に貯めたお金が700万ウォンです。その8年で貯めたお金が700万ウォンでした。だからお金を貯めて出て、部屋を1つ借りたんです。そうしてこれまで暮らすのに、出てきたから、お金を稼げないから、お金を使い果たしました。私の年が65歳を超えましたから〔訳者注:聞き取れず〕1カ月にお金を3万ウォンずつもらえます。小遣いと、3万ウォンで、今暮らしています。

臼杵―― 1982年までは、息子が死んだあとは死ぬことしか考えていなくって(聞き取れず)なんていうのかしら、その日暮らしをやって、それで、酒もたばこも、とにかく人生を放棄したような生活をしていたんだけど、そういう生活を10年以上やってて、で、82年ごろ、なんとなく、(聞き取れず)こういう生活をしていたんじゃだめだと、どうして私はこんなふうになったんだと、いろいろ考えあぐねていたら、まあ、原因があると。それはなにかっていうと、結婚した夫の、優しい夫が酒を飲むと、軍の慰安婦で、慰安所にいたのを助けてやったんじゃないかっていう話をして、そのおばさんの心を苦しめたって。あの慰安所から私は苦しい人生に足を…。だからこのうらみをどこにぶつけよう、日本人にぶつけようかっていうような話がだんだん出てきて、田舎に引きこもっていたんじゃだめだっていうんで、ソウルに向かって行って、82年。ソウルで8年間家政婦をしながら、800万ウォン貯めたんですって。それで小っちゃい家に住んで、それからあとは、今は米10キロと3万ウォンを政府から援助してもらって。

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何億円くれると言っても完全なる補償とはいえない

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高木―― 〔訳者注:聞き取れず〕というのは、今度裁判をする話があるわけなんで、裁判をする方法でぶつけたいということで、今日お話しを聞いて〔訳者注:聞き取れず〕。

臼杵―― 〔訳者注:聞き取れず〕軍隊の方に〔訳者注:聞き取れず〕感じを持って?

金学順―― そこに引っ張られて行って〔訳者注聞き取れず〕胸を張れません。人に恥ずかしくて、どこに言っても話ができず、自分の胸の中でだけ、そして世の中を、人生を、60を越えて、もうこの世で生きる時間があまり残っていないのに、この歳月をこうして恥ずかしく、耐えて暮らしてきましたが、考えるほどに腹が立ってしかたありません。

考えるほどにイジメられて引っ張られて行って、そうやって最初から軍人にやられて、身を台なしにしたと思うと呆然としてしまって。

臼杵―― その話は本当に誰にも言えず、口に出すこともできずに、今まで悩んできた。やっぱり私の不幸はそこから始まった

臼杵―― ところで、今回は、そんな話をキムさんは日本政府と裁判をすると、そんな考えがあるから、私たちも話を聞いているのです。その裁判についてどうお考えですか?

高木―― 何を言いたいか……

金学順―― 何を言いたいかということですか?

臼杵―― 裁判を通じて、日本に。

金学順―― ある人は賠償をしろ、何をしろ、恥ずかしくて、汚くて、そんな。私の体が賠償になりますか? お金を何万円もらったからといって、何千万円くれるといって、補償にはなりません。

私は捨てられた人間です。それもこれも、私は賠償のためにそうするのでもありません。堂々と事実を知らせて、今の若い人たち、日本人、韓国人の若い人たちに歴史を正しく分からせて。かわいそうな私たちのような慰安婦、哀れに死んでいった人たちは、1人や2人ではありません。知らずにいるのです。めちゃくちゃなんです。よく聞いてみると、日本でもそうです。碑石のひとつでも立ててやって、若い人たちにそれを正しく知らせてやれればいいでしょう。言いたいことは、そういうことです。今後は、どうか日本で戦争をしないでください。戦争はしてはいけません。

臼杵―― 補償と言ってもね、補償をもらいたいとかいろいろ言っている人もいるようだけど、補償と言ってもね、たとえば何千万、何億くれると言っても、それは完全なる補償とは言えない。この事実はもう…。

金学順―― いつまでも間違ったことは間違ったと、謝罪をすべきでしょう。そんなことはなかったと言ったらだめです。現に私が生きているのに、ないと言っていいんですか? 当分の間、私が何年かは死なずに生きていますから、こうして話をして。現にこうして生きているのに、そんなことがなかったと言ってはいけません。

臼杵―― だからこういう事実をね、きちんと認めて、特に若い人たちにきちんと伝えてほしいと。昔はこういう部分で、非常に大きい犠牲を出したと。だから将来的にはこういうことは二度としないように、そのためには、日本は将来戦争をしないという決心を持って。そのために私は…。

高木―― その悪いことというのは、軍隊がなぜ〔訳者注:聞き取れず〕そういうことを含めて、ひとりの女性の人生をめちゃくちゃにするようなことを組織的にしたということ、そういうことがあってはだめだということ、そこを言いたいんだろうね。

臼杵―― 軍隊というより、女性の性と他民族の部分を力で……

高木―― 一番悪いっていうのは、何を言いたい?

臼杵―― 本当に一番悪いと思うことは何ですか? 日本に対して、もちろんおばあさんを軍隊に連れて行った慰安所で〔訳者注:聞き取れず〕一番悪いことです。これまで一番悪いと、日本政府が悪いと思うことは?

金学順―― 嘘をつくことです。嘘をつくのがいけません。

臼杵―― 事実を認めて。

金学順―― 事実を認めて、間違ったことは謝罪をして。なのに、ないというのはいけません。

臼杵―― 民間人がやったことで、日本軍は関係ない、〔訳者補足:それは〕絶対にだめだと。

金学順―― 朝鮮人が営業したと言うでしょう。ですが、私はあきれてしまいます。ややもすれば朝鮮人が死ぬのは当たり前だと思って。

高木――  いろんな形態があったからね。でも、この人の場合は完璧に軍の中に入って、軍が支配してやっているということがあるし、この人は逃げられたから別の人生を生きているけど、残った人はたぶん……。

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戦争の中で人間は、人間でなくなる。犬です、犬

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金学順―― 死んだでしょう。どこにも行くことはできませんから。残っていた人たちは死んだでしょう。私も逃げて、その時から少ししてから、しぶとく。

私が父親の血を受け継いだのかも知れません。しぶとかったんです。よく見ると、そこでああやって病気になって、肺病になってすぐに死んでもおかしくないのに、それでも逃げて出てきたのを見ると。ともかく出てきて生き延びた、生きなくては行けないという思い、死にたくても、いろんなことを考えました。

死んではいけない、生きなくてはいけない、どうやってでもそこを出て生きなくてはいけない、残った子たちはいまどうなったのか、誰にも分かりません。会いたくても、出て来ません。今、1人でも出て来たらいいんですが。その後にどうなったのか。

臼杵―― でも、そのおばあさんも生きていたら、こうやって話をせずに、隠れているでしょう。

金学順―― 話せないでしょう。それはそうです。正直言って。

臼杵―― ですから、1人しかいないから、いま証言を、話をするのでしょう。

金学順―― 私は運が悪いですよ。

高木―― 僕らも日本の弁護士が7人いるんだけど、こういう日本が昔悪いことをしたことを裁判で明らかにして日本の責任を認めさせたいという気持ちで頑張りますから、これから一緒にやっていきましょう。

臼杵―― ですから、そんなことを裁判を通じて日本が悪い、こんなことが悪いということをはっきりさせて、日本の国民にも知らせて、これからはそんなことが二度と起こらないように 一緒にやらなくてはならないと考えています。

金学順―― はい、こんなことが二度とあってはなりません。

高木―― 私たち日本の弁護士も同じように考えていますから。

金学順―― 絶対にこんなことが将来もあってはならないでしょう。

高木―― 〔訳者:聞き取れず〕一緒にやりましょう。

金学順―― どうか日本で、戦争をしてはならないと言ってください。韓国に来て、その時は朝鮮でしたが、朝鮮をそんなふうにして、植民地にして、なぜまた中国を侵略して、なぜまた大東亜戦争を起こして、結局はどうなりましたか。どうか戦争はしないで。

臼杵―― 戦争をしたら人間性がなくなります。

金学順―― 戦争の中では人間ではなくなります。犬です、犬。戦場の中にいる人は人ではありません。

臼杵―― ここに住所と名前を書いてください。ハングルで書いてください。

臼杵―― 今日は2時間かけていらっしゃいましたか?

高木―― だいたい話は聞いたから。

臼杵―― 兵士の中で名前を1人でも覚えている人はいますか? 1人でもいますか?

金学順―― みな忘れました。ただ1人、ただ1人だけいましたが、私のところにきて、優しくしてくれた人が1人いました。

高木―― どこからとか、田舎が和歌山とか、あるじゃないですか。

金学順―― 覚えていません。忘れてしまいました。優しそうな顔でした。小柄な人で。

臼杵―― ところで、金学順さんに親切にしてくれた人はいませんでしたか?

金学順―― ええ、1人いたんです。優しい人がいました。とても優しくて。

高木―― 〔訳者注:聞き取れず〕

臼杵―― ここでその当時、日本の国民たちにも、よい人、歌を教えていた人たちもいたと、朝鮮人たちにとても悲しいときはそんな歌を歌おうと。

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ペ・ポンギさんが亡くなった。日本で会いたかったのに

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金学順―― 歌も歌いました。私たちに歌を歌おうと教えてくれて。そんな人がいました。

臼杵―― どんな歌を覚えていますか? その当時の朝鮮の?

金学順―― 朝鮮の歌ではありません。日本の歌です。

臼杵―― 「めんない千鳥」とか知っていますか? 1939年頃というと何があったっけ。

高木―― 軍歌じゃないの?

金学順―― 軍歌ではなくて、私がそこで一番よく歌って、また軍人たちが好きだという歌があります。「無情の夢」。あきらめましょうと 別れてみたが 何で忘りょう 忘らりょうか 命をかけた……。

高木―― その歌がさっきの優しい軍人が教えてくれた?

金学順―― はい。ところが○○〔訳者注:聞き取れず〕してあまり来られませんでした。その人は。

高木―― でも、軍人でそんな歌を歌うこと自体、あの時代は……。

臼杵―― 絶対あるよ。それは。3人聞いたら3人とも知っているような気が。だって歌しかコミュニケーションがないんだもの。

高木―― 話はしませんでしたか? できませんでしたか?

金学順―― 話はできませんでした。

臼杵―― それでもいっぺんにその話をするのは難しいですから、だんだんと。そして私たちもおばあさんが、一緒にその3人が、そんな経験をしたおばあさんたちが一緒にならなければなりませんから。お互いが。

金学順―― 日本に行ったら、ぜひ一緒に会えればと思いましたが、亡くなったとは。ペ・ボンギさん。新聞で見ました。やることがないので、新聞ばかり読んでいます。

臼杵―― ですから、今後は生きている人がいますから、いつか会って話をすることができますよ。

高木―― それと裁判は12月6日にやる予定だと。

臼杵―― ところで裁判は12月6日に行います。またいつ日本に来られますか? 12月7日ですか?

高木―― それはこちらで、大阪のね、大阪〔訳者注:聞き取れず〕招待受けたから、日程的には清水さんを通して、6日には東京に来て。

臼杵―― 6日じゃだめですよ。朝10時だから。だから5日くらいにまずいらっしゃって、その後に大阪に行ったら。

金学順―― 5日ですか? 6日に行くと言ったようですが。

臼杵―― そして提訴しなければならない日が6日です。6日に来たらだめですから、午前10時に提訴しなくてはいけませんから。5日頃に来て一緒に他の遺族たちと午前に日本の裁判所に行って〔訳者注:行かなくては?〕、他のおばあさんたちが顔を見ることができません。そういうことがあるので、金学順さんはそうするしかありません。

高木―― 今度の〔訳者注:聞き取れず〕軍人・軍属30人程度ですから。

臼杵―― 合計で35人です。今は金学順さんを合わせて35人が提訴することになっていますから。

金学順―― ここから5日に行かなくては。

臼杵―― 遺族会と一緒に。

高木―― 梁順任さんと。

 

※弁護団の聞き取りが終わり、同席した植村が質問を始めた

 

植村隆―- イ・ミョンヒさん.

金学順―― イ・ミョンヒさんのことで、そこに行くことになりました。挺身隊問題の関連がある、関連

があって、いまそこに用事で行くと。そんな話をイ・ミョンヒさんから聞いて行ったんです。そこでいっしょに知らせようと、それで行きました。

臼杵―― イ・ミョンヒさんはどうやって知り合ったのですか?

金学順―― 同じ町内に住んでいますから。私たちと同じ町内にいます。上と下で。私は少し下の方に住んでいて。

植村―― イ・ミョンヒさんは旅館に住んでいる人ではありませんか? 自分の家がありますか?

金学順―― 今は自分の部屋を借りて住んでいます。昔はお金がなくて旅館で暮らしていました。ところが女性連合会で部屋を1つ、500万ウォンの伝貰で借りてくれて、自分の部屋で暮らしています。私の部屋より大きな部屋を借りて住んでいます。私は400万ウォン、彼女は500万ウォン。

植村―― 今おばあさんは何をしていらっしゃいますか?

金学順―― 今は具合が悪いので何もできません。冬には。

植村―― 今どこが悪いのですか?

金学順―― 呼吸が苦しくて。こうしてじっと座っていれば大丈夫ですが、階段などを上り下りすると、あまり歩けません。息が上がって。さっきここに来ながら何度そうなったか分かりません。呼吸困難です。

臼杵―― 仕事ができませんね.

金学順―― はい、できません.

植村―― では、今は3万ウォンしかもらえなくて、生活が大変ではないですか?

金学順―― でも、教会のようなところで今は。

臼杵―― 協議会のような場所でお金を融通してくれませんか?

植村―― 経済的に助けてくれませんか?

金学順―― ありません。どの協議会で?

臼杵―― 挺身隊問題。

金学順―― そういうものはありません。

植村―― では団体で、助けてくれる団体はありませんか?

金学順―― ありません。キリスト教会で月に5万ウォンずつ。教会に行くので。

植村―― では、教会から5万ウォン、そして国から3万ウォン。8万ウォン程度しか。

臼杵―― 足りなくありませんか?

金学順―― 足りませんが、ここでそのまま住んでいます。夏には少しずつ仕事をするので。夏になれば仕事をするので。仕事に行けば1万ウォンはもらえます。1日に。

植村―― 1日に?

金学順―― 1日に1万ウォン。

植村―― 貯金などはありますか?

金学順―― ありません。

植村―― ありませんか? では、月に8万ウォンで暮らしていますか?
金学順―― はい。

植村―― 十分に生活できますか?

金学順―― ええ、お米はくれるので。

植村―― お米は10キロ。

金学順―― はい、お米は10キロ、お米は余ります。

植村―― 10キロで余りますか? では、おかずはどうしていますか? キムチなどおかずを作りますか?

金学順―― はい。

臼杵―― 〔訳者注:聞き取れず〕大丈夫ですか?

植村―― この前テレビに出たじゃないですか。たくさん出たでしょう。それを見た町内の人たちに、おばあさんは昔、挺身隊にいたんだと知られましたか?

金学順―― 知っている人は知っていて、知らない人は知りません。何かは知りません。行き来する人も、何かは知りません。

臼杵―― だけど、それを見て、同情的な目で見る人たちがいるでしょう? 違いますか?

植村―― その時、新聞記事が出ました。テレビにも出ましたよね。誰かがお米などを送ってきませんでしたか?
金学順―― いいえ。何も

植村―― 何も? いろいろ反応はなかったですか? それでも12月6日に日本で裁判をするので、その時に自分が言いたいことはみな言ってください。そうすれば、その時は日本人たちがみな新聞やテレビを見ていますから、おばあさんが話をすれば、そのまま人々が見ることができますから。50年の恨〔訳者注:ハン、日本語で「わだかまり」の意味〕があるじゃないですか。〔訳者注:雑談・食事の話〕

臼杵―― ふだん、家にいて何をしていらっしゃいますか?

金学順―― 新聞を読んでます。朝は朝刊を読んで。

植村―― 何の新聞を読んでいますか?

金学順―― 京郷新聞。

植村―― 京郷新聞は夕刊紙ではないですか?

植村―― ところで、なぜ裁判しようと決心しましたか? 新聞を読んだから?  

(録音終了)

 

聞き取りの経緯と録音テープ取得の事情

植村氏が東京高裁に提出した陳述書より部分収録

 

 私は、1991年11月25日に私が金学順さんの証言を録音したテープを高等裁判所に提出しました。

 証言テープは、金学順さんが日本政府を相手に裁判を起こすにあたって弁護団が聞き取りを行った際、私がその聞き取りに立ち会い、聞き取りの内容を録音したものです。証言テープに録音されている音声は、弁護団の高木健一弁護士、通訳の臼杵敬子氏のものであり、私の声も聞き取りが終わった後の最後の方に少しあります。録音には当時日本で使われていたカセットテープレコーダーが使用されました。

 今回発見されたのは、私が録音したテープそのものではなく、それをダビングしたものでした。後述のとおり、私は92年頃、元のテープをダビングして臼杵氏に送りました。私の手元にあった元のテープは無くなってしまったものの、臼杵氏はダビングテープを保存しており、それが今回発見されたのです。そこで、今回問題となる証言テープは、厳密にはそのダビングテープだということになります。

証言テープは全体として90分テープ2本で、2本目は表面のみ録音してあります。

文字は間違いなく私の筆跡です。私が元テープをダビングしたのち、これらの記載をして、臼杵氏に送ったものです。

 

 証言テープは、2019年8月22日、通訳の臼杵敬子氏の自宅で見つかりました。臼杵氏の自宅は香川県丸亀市にあります。私と支援者は、当時のことを聞くため臼杵氏の自宅を訪問したのですが、臼杵氏に対する聞き取りの際、臼杵氏より証言テープの存在を示されたのです。

 そこで、証言テープを臼杵氏の自宅にあるカセットテープレコーダーで再生し、これを私が持っていたICレコーダーで録音しました。ICレコーダーのマイクをテープレコーダーに近づけて録音するという方法です。その方法で採取したデータをメールで支援者に送って聞いてもらい、そこで金学順さんが「妓生(キーセン)」について言及していないことが確認できました。そこで、東京地裁に提出する控訴理由書にその旨を記載することができたのです。

   

 それでは、なぜ、臼杵氏の手元に証言テープがあったのかという点について、次に述べたいと思います。

 前記のとおり、私は、1991年11月25日、金学順さんが日本国政府を相手に裁判を起こすにあたって弁護団が聞き取りを行った際、その聞き取りに立ち会い、その聞き取りの内容をテープに録音しました。大阪本社企画報道室副室長の柳博雄さんの依頼で、本件で問題となる12月25日付け記事(記事B)を執筆するわけですが、その際、証言テープを使用したのです。

 ところで、西岡力さんは、1992年4月号の文藝春秋誌に「『慰安婦問題』とはなんだったのか」という論文を発表しました。そこには「植村記者はある意図を持って、事実の一部を隠蔽しようとしたと疑われても仕方ない」(37頁)と私を非難するくだりがありました。そこで、当時の朝日新聞社社内でも西岡氏の批判を否定できるかが問題となったのです。

 当時、証言テープは私の手元にありましたから、「金学順さんは妓生については証言しなかったはずなのに、おかしいな」と思いました。そこで、証言テープをダビングして、当時通訳をしていた臼杵敬子さんにダビングテープを送り、「妓生について証言があるかどうか聞いてみて欲しい」と依頼したのです。

 いろいろ調べた結果、証言テープの中には妓生に関する証言はありませんでした。そこで、私は、会社にその旨報告し、社内ではこの件は「問題なし」という結果に終わりました。そのことは、当時の1992年3月11日付けで「『文芸春秋』記事について」と題する社内文書の以下の記載とも整合します。

 

 「この記事について西岡氏は、二番目の「」、どうやって慰安所に行ったかの部分について、『それまでの韓国の報道と違う。韓国では、キーセンに売られていったと報道されている。植村記者は、それを書いていない』と指摘していますが、金さんは、この聞き取りの時には、この点は話していません(テープもきちんと保存しています。弁護団がつくり、マスコミにも配布した聞き取り要旨にもそうなっています=別紙参照。」 原文ママ

 

 

このように会社内で「問題なし」との結論が出ました。その後、私はテヘラン支局長、ソウル特派員、外報部デスク、北京特派員などで海外を回るうちに、テープそのものがなくなってしまいました。

 

 これまで私は、金学順さんが聞き取りの際「キーセンに売られた」と話したかについては「はっきりとはしません。」と述べていました。当時から私の手元には、1992年3月11日付け社内文書がありましたから、会社には「証言テープの中には妓生に関する証言はありませんでした」と報告したことは分かっていました。しかし、「ハッキリ通信」1991年第2号には、金さんが「私は平壌にあったキーセンを養成する芸能学校に入り、将来は芸人になって生きていこうと決心したのでした」と語ったことが記されていたことから、もしかしたら、証言テープの中にはその旨の証言があったのかもしれないと思ったのです。

他方、「金さんがキーセン学校に通ったことと、その後に慰安婦にさせられたこととの間に何の関係もない」と思っていたことも真実ですし、今でもそう思っています。

一審の段階では、証言テープが見つかっておらず、金学順さんが聞き取りの際「キーセンに売られた」と話したかどうかははっきりとしなかったため、裁判所に提出する陳述書には、その点は「はっきりしません」と記載した上、記事に妓生について触れなかった理由としては、「金さんがキーセン学校に通ったことと、その後に慰安婦にさせられたこととの間に何の関係もない」ことのみをあげたのです。

現時点では、「妓生について記載しなかった理由」を聞かれれば「証言テープになかったから」と答えることができます。記事の冒頭で「証言テープを再現する」と謳っている以上、証言テープにないことを書くはずがありません。

 

なお、私が聞き取り後臼杵氏から渡された弁護団の「聞き取り要旨」にも「妓生」に関する記載はありません。やはり金学順さんはその旨の証言をしていないのです。では、「ハッキリ通信」1991年第2号の記述はいつどのように入ったのでしょうか。この点、臼杵氏に尋ねたのですが、今では分からないとのことです。この点訴状にもその旨の記載があります。一体、これらの記載はどこからきたのでしょうか。今ではよく分からないということになります。