ルポ「斎藤旋風 兵庫の傷痕」
ノンフィクションライター松本創
「世界」2025年9月号、p103-112より一部抄録引用
文中の敬称略は原文のまま。数字は洋数字に変えました
■パワハラ認定と公益通報者保護法違反
あの異様な知事選の余波は、8カ月を経た今も収まることなく、兵庫県を揺るがし続けている。
昨年3月から始まった斎藤と側近幹部をめぐる告発文書問題は、今春までにはほぼ結論が出た。経緯を振り返る。
まず、県議会が設置した百条委員会。文書に書かれた7項目の疑惑のうち、5項目で一定の事実が含まれていたとし、特にパワハラについては概ね事実と認定した。また、文書は公益通報者保護法上の外部通報に当たる可能性が高く、事実確認よりも通報者の特定を優先し、元県民局長を懲戒処分した県の対応は「客観性、公平性を欠き、行政機関の対応としては大きな問題があった」と批判した。
だが、斎藤は聞き入れなかった。百条委の結論は「一つの見解」に過ぎないと開き直り、「県の対応は適切だった」と主張。さらに、元県民局長が「倫理上、極めて不適切なわいせつな文書」を作成していたと会見で述べた。文書は県が押収した公用パソコンから見つかったが、告発内容と関係ないため、百条委は調査対象外とした。そこにあえて踏み込んだことに批判が巻き起こった。
次に、県が設置した第三者委員会。元裁判官を含む弁護士6人からなる委員会も、文書は外部公益通報に該当し、県の対応は「極めて不当」で違法だと結論づけ、文書作成と配布を理由にした懲戒処分は無効とした。パワハラについては16件を調査し、 10件がパワハラに当たるとした。また、齋藤が記者会見で「嘘八百」「公務員失格」と述べたこともパワハラに該当すると指摘した.
自らが設置した、法律の専門家による調査結果も斎藤は受け入れず、「判断は適切だった」と強弁。元県民局長の懲戒処分を撤回しなかった。 一方、「第三者委員会としてのパワハラ認定は認めたい」と言い、謝罪の意を示した。だが、自らの処分はなく、幹部職員と一緒にパワハラ研修を受けるだけにとどまった。
さらに、元県民局長の公用パソコン内の私的情報が漏洩した経緯を調べる第三者委が二つあった。
一つは立花らが知事選後に入手したとして、ネット上に私的ファイルの画像や文章を公開した件だ。第三者委は、県職員が漏洩した可能性が極めて高いとした。これを受け、県は地方公務員法違反の疑いで、容疑者不詳のまま県警に告発。立花は6月になって、この職員の名前を暴露し、本人も記者の取材に漏洩を認めた。
もう一つは、斎藤側近の井ノ本知明前総務部長が3人の県議に私的情報を見せて回っていた件。第三者委は、斎藤と片山安孝元副知事が指示した可能性が高いと指摘した。井ノ本は、斎藤から「議員に情報共有しておいたら」と指示されたと主張。片山ともう一人の幹部もこれを認めたが、斎藤だけが「指示したことはない」と否定した。
以上の通り、いずれの調査結果も県の初動対応は公益通報者保護法違反であり、告発者探しや情報漏洩を指示した斎藤の責任は重いとする。また、同法を所管する消費者庁は4月、斎藤の主張する法解釈が「公式見解と異なる」と県にメールを送り、同庁長官は記者会見で「自浄作用を働かせていただきたい」と発言している。それでも、斎藤は頑なに認めない。「重く受け止める」「真摯に受け止める」と言いながら、“受け流す”ことが常態化し、議会や庁内からも呆れた声が上がる。
説明を尽くすべき県政トップが語る言葉を持たない中、対立だけが激化していく。
■遺族の悲痛「一木にも一草にも……」
元県議の竹内が亡くなって5カ月となった6月18日、月命日の弔間を兼ねて姫路市内の彼の自宅を訪ねた。妻は「今も悪い夢を見ていると思いたい」一方で「夫がいないことが、少しずつ日常になりつつある」という。
夫はなぜあんな理不尽な目に遭わねばならなかったか。誰が悪意を差し向けたのか。事実を知りたい。その一心で百条委や第三者委の報告書を読み込んできた。
すると、元県民局長の私的情報を県会議員らに漏らした井ノ本前総務部長が当初、情報漏洩の責任を竹内に押し付けようとしていたことがわかった。「(竹内は)野党で唯一の告発文書の送付先であり、元県民局長と頻繁に連絡を取っていたと聞いたから」と井ノ本は理由を述べたという。
「夫に関するデマや陰謀論はいくつも、亡くなった後も見ましたが、こうして公の文書になったものを読むとまたシヨツクで。こんな根拠にも何もならないことが……。夫は元県民局長さんと面識はありましたが、連絡を取り合うような親しい間柄ではなく、むしろうるさい議員だと警戒されていたように聞いています」
前知事時代から当局を厳しく追及した竹内は、県幹部には煙たい存在で、元県民局長との関係にも一定の緊張感があったようだ。それでも告発文書を送られたのは、竹内の高い調査能力や追及力が期待されたからかもしれない。
だが、追及の鋭さゆえに百条委で最も目立った竹内は、斎藤を守りたい側から「黒幕」にされてしまった。
立花の手に渡ったメモには<竹内は元局長と同じ姫路西高校で以前から情報交流を実施>と書かれていた。名門伝統校の同校出身者は、県内から全国まで各界に数多おり、同窓といぅだけで関係が近い根拠にはならない。
しかし、拡散された悪意の言説は容易に消えない。
先述した年末の百条委を、竹内と妻はネット中継でいた。増山や片山が何ら根拠なく自分を誹謗中傷する質疑をすべて見終わると、竹内がつぶやいた。
「ほら、やっぱり」
デマはいつまでも追いかけてくる。発信を控えても、議員を辞めても、家にこもっていても。「世間は忘れるのも早いから」と励ましていた妻は、何も言えなかつた。
そして年が明け、阪神・淡路大震災から30年を迎えた1・17の翌日、竹内は死を選んだ。
大学時代、ボランティアを組織して神戸の避難所で活動した竹内は、災害対策や被災者支援への関心が強かった。斎藤が就任半年後の県議会で、震災当時の貝原俊民知事の言葉「知事の責任は県民の命はもちろん、県土の一木一草にまで及ぶ」を引用した時には苦言を呈している。言葉と政治姿勢が不一致だ、軽々しく使うべきではない、と。
同じ思いを今、竹内の妻は抱いている。
「知事にとって、夫や私は一木にも一草にも満たないのでしょう。どんなふうに夫が苦しんで……最期を迎えたか。私たちが……その死をまだ……受け入れられずに日々過ごしているか。まったく意に介することもなく、どこか別の世界の出来事のように感じているのでしょう」
訥々と、絞り出すような遺族の悲痛も斎藤には響かないだろう。「真摯に受け止めたい」と空疎な定型句を唱え、形ばかりの「きれいなお辞儀」で相手を遮断する。知事というより人として何かが欠落したような定例会見の姿が、私の脳裏によみがえる。
凡例▼人名、企業・組織・団体名はすべて原文の通り実名としている▼敬称は一部で省略した▼PDF文書で個人の住所、年齢がわかる個所はマスキング処理をした▼引用文書の書式は編集の都合上、変更してある▼年号は西暦、数字は洋数字を原則としている▼重要な記事はPARTをまたいであえて重複収録している▼引用文書以外の記事は「植村裁判を支える市民の会ブログ」を基にしている
updated: 2021年8月25日
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