裁判経過と判決 札幌高裁の審理 

 

以下の記事の内容

1 口頭弁論の経過

2 控訴理由

3 札幌高裁判決

4 札幌高裁判決に批判

 

 

1 控訴審 口頭弁論の経過

第1回 2019年4月25日 植村氏と小野寺弁護士が意見陳述

第2回 同年7月2日 憲法学者らの意見書と陳述書3通を提出

第3回 同年10月10日 植村氏が金学順氏証言テープについて意見陳述し、結審

判決 2020年2月6日 植村氏の控訴を棄却

 

控訴審の口頭弁論は2018年4月に始まり、計3回の審理を行って10月に結審した。

植村弁護団は、櫻井氏が植村本人に直接取材していないことや資料の引用に誤りがあり取材は杜撰だったことなどをあらためて指摘し、櫻井氏に「真実相当性」を認めて免責した地裁判決を強く批判した。「真実相当性」については、厳密な運用を重ねてきた従来の数多くの判例と比べてもハードルを下げ過ぎている、とも批判した。

証拠書類としては、歴史学者和田春樹氏の意見書や判例など、新たに依頼、収集した計79点を裁判所に提出した。そのうち、和田氏の意見書は、札幌地裁判決の歴史認識を厳しく問うものだった。札幌地裁判決は、櫻井氏側の提出した証拠をもとに、慰安婦を「公娼制度下の戦地の売春婦」と断定していた。これは、日本政府の公式見解にも反し、いわゆる「歴史修正主義」に乗っかった定義である。和田氏は意見書で、「従軍慰安婦とは、かつての戦争の時代に、日本軍の慰安所で将兵に性的な奉仕を強いられた女性たちのことです」と書き、「朝日新聞への攻撃は、金学順氏登場という意味を消し去ろうとする愚かな企て」とも述べている。

重要な物証としては、新たに発見された金学順氏の証言録音テープが提出された。「平成3年訴訟」の弁護団の聞き取りに対して語った証言で、キーセンの経歴はひとことも語られていない。この聞き取りには植村氏も同席していた。植村記事Bはその聞き取りをもとに書かれたもので、当然のことながら、キーセンの経歴のことは書かれていない。櫻井氏は、キーセン経歴が書かれていないことを「捏造」の根拠のひとつとしていたが、録音テープはその根拠を完全に否定するものだった。

 

2 控訴理由 小野寺弁護士の意見陳述

 

第1回口頭弁論で、植村弁護団の小野寺弁護士は控訴理由の要点を次のようにまとめ、意見陳述を行った。

 

真実相当性の判断枠組 

札幌地裁の判決は、櫻井さんの表現について真実相当性を理由に、櫻井さんの名誉毀損を不問に付しました。私たち弁護団は真実相当性をもって櫻井さんを免責した原判決は、これまで司法が積み上げてきた「真実相当性」の判例理論から大きく外れた不当な判断だと評価しています。

控訴理由書では真実相当性に関する判例を紹介しました。たとえば、報道機関が解剖医や捜査員からの取材をもとに、家族が産まれながらに障害をもつ子どもの将来を悲観して殺害した疑いがあると報道した記事について、家族を取材するなど慎重に裏付け取材をすべきであったとして真実相当性が否定されています(昭和47年11月16日第一小法廷判決)。また、新聞記者が捜査機関に密着して情報を収集した場合であっても、被疑者の供述の結果を聞く等その後の裏付け取材をしていないとして真実相当性が否定されました(昭和55年10月30日第一小法廷判決、判例タイムズ429号88頁等)。

このように、判例は真実相当性を厳格に判断しており、特に当事者への裏づけ取材の有無を重視しています。ところが、原判決は櫻井さんが植村さん本人に取材はおろか、取材申込みすらしていないという事実を全く考慮せずに、真実相当性を肯定しました。

しかしながら、判例に照らせば、櫻井さんに真実相当性を認める余地は到底ありません。 

 杜撰な調査・取材 

櫻井さんは植村さんが書いた1991年の記事を「捏造」というとても強い言葉で非難しています。ところが、櫻井さんの調査・取材はジャーナリストとして驚くほど杜撰なものでした。

まず、資料調査の杜撰さは、原審において、櫻井さんが資料の多くをつまみ食い、曲解することで、植村さんを「捏造」記者に仕立て上げたことが明らかになりました。

例えば、櫻井さんは、金学順さんが日本政府を訴えた訴状について「14歳の時、継父によって40円で売られたこと、3年後、17歳で再び継父によって北支の鉄壁鎮というところに連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている」とわざわざ根拠を示して、「植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊と結びつけて報じた」などと繰り返し書くなどして、植村さんの記事は「捏造」であると繰り返し断定しました。

ところが、札幌地裁の審理では訴状には「継父によって40円で売られた」との記載は全くないことが明らかになりました。櫻井さんは私たちに再三指摘されて、ようやく記事を訂正しています。これは単なる勘違いやケアレスミスでは済まされません。なぜなら、櫻井さんは訴状を確認すれば容易に分かる「間違い」を繰り返して、植村捏造説の根拠にしたからです。櫻井さんの資料調査の杜撰さを示す象徴的な「間違い」といえます。

ほかにも、控訴理由書では、櫻井さんが参考にしたというハンギョレ新聞、臼杵敬子さんの論文等について自身の都合のよい表現のみ取り上げ、曲解した不自然さを原判決が看過していると指摘しています。 

 植村本人への取材 

加えて、櫻井さんの取材も、彼女をジャーナリストと呼ぶことに躊躇を覚えるほど、杜撰なものでした。櫻井さんが「捏造」だと断定する植村さんには1回も取材をしたことはありませんし、取材を申し込んだこともありません。

櫻井さんは植村さんへの取材は不要だと言い切っています。その理由は、西岡力さんが2013年8月号の月刊「正論」の中で植村さんに公開質問を呼びかけたが植村さんが答えなかったからだと言います。しかし、一人の学者が一雑誌に記載した公開質問に答えなかったということを以て、取材をしなくてもよい理由になりません。「誤報」ではなく「捏造」と断定するには、植村さんが噓と知りながら意図的に書いたかどうか、植村さん本人にその「意図」を取材することが不可欠だからです。 これはジャーナリストとして最低限行うべき当事者への取材を怠った自身の怠慢を正当化する詭弁にほかなりません。

また、櫻井さんは1998年に朝日新聞に質問状を出したが、事実上のゼロ回答だったことも理由にしています。しかし、このときの質問は植村さんの記事に関するものではありません。また、櫻井さんが植村さんの記事を「捏造」と決めつける論文を書く16年以上前のことです。

櫻井さんは西岡力さん、秦郁彦さん、政府関係者に取材したうえで、植村さんの記事は「捏造」だと断定したといいます。しかし植村さん本人はこれを否定しています。そうであれば、なおさら植村さん本人の言い分を取材することが必要不可欠になります。 

 エスカレートした批判 

また、控訴理由補充書⑴で詳しく述べていますが、櫻井さんは慰安婦問題を書き始めた当初から、植村さんの記事を「捏造」と言っていませんでした。

1998年にはじめて植村さんを名指しで批判した週刊新潮の記事では、「誤報」と表現していました。それが2014年に突然「捏造」にエスカレートしました。櫻井さんは原判決後の2018年11月16日に開かれた外国特派員協会の記者会見で、その理由を次のように答えています。「時間がたつにつれていろんなことが分かってきて、植村さんがそのようにしたのではないかという疑問が強くなってきたため、捏造したと言われても弁明できないのではないかとかですね、仕方がないだろうということを書きました」

しかし、櫻井さんが原審で示した資料や根拠はすべて1991年、1992年のもので、「誤報」から「捏造」に表現をエスカレートさせる新しい資料や根拠は示されていません。

さきほど櫻井さんをジャーナリストと呼ぶことに躊躇するといいましたが、それは自ら言葉には責任を伴うと言う櫻井さんが、植村さんに一切取材せず 「捏造」と極めて強い言葉を安易に使用することに驚いているからです。「捏造」と決めつけられることは、記者だけでなく、学者、研究者、作家、法律家など表現に関わるすべての人にとっては最大の侮辱なのですから、そう決めつけるには慎重さが必要であり、当然本人に取材をする必要があります。しかし、櫻井さんはそれを行いませんでした。

加えて、櫻井さんは金学順さんをはじめとした元慰安婦に1度も会ったことはなく、挺対協に取材をしたこともありません。

冒頭に判例理論は当事者への裏付け取材を重視していると紹介しましたが、櫻井さんが植村さんを「捏造」と断定するにあたって、裏付け取材がないことは誰の目から見ても明らかでしょう。

控訴理由書では真実相当性を中心に、原判決の誤りを詳細に論じていますが、今述べた点のみをもっても、真実相当性を肯定したことがいかに判例理論から外れた判断かがお分かり頂けると思います。

最後に。

1991年当時は、朝日新聞だけでなく、毎日・読売・産経・北海道新聞など他の日本の新聞でも、日本軍慰安婦のことを「挺身隊」と表現していました。当時の新聞を読めば、植村さんは当時の一般的表現を用いただけで、「捏造」という断定が言い掛かりで、理不尽なものであるかは誰でも容易にわかります。とても単純な話のはずです。

ここで問われているのは、慰安婦問題そのものではなく、櫻井さんが「捏造」と書くために、ジャーナリストして取材を尽くしたかということです。

再三にわたる繰り返しになりますが、原判決がなぜこれらの点を考慮せず、櫻井さんが「捏造」だと信じたことに相当の理由があると判断したのか理解に苦しみます。 

 

3 控訴審 札幌高裁判決

 

札幌高裁の判決は2020年2月6日に言い渡され、冨田一彦裁判長は原告側の控訴を棄却した。植村氏は上告した。

冨田裁判長は一審の判決を支持し、最大の争点である「真実相当性」について、地裁判決と同じ判断をし、櫻井氏の不法行為責任を免責した。

 

植村氏は控訴審口頭弁論で「櫻井氏は植村本人に直接取材していない」と指摘し、櫻井氏が植村氏の記事を「捏造」だと信じたことに「相当な理由があるとは認められない」と繰り返し主張した。だが判決は、「推論の基礎となる資料が十分あると評価できるから、事実確認のため、控訴人植村本人への取材を経なければ、相当性が認められないとはいえない」と判断して、植村氏の主張を退けた。

変更があったのは、「摘示事実」とした表現の一部を「論評・意見」とした点だが、判決には影響していない。また、金学順さんの「強制的に連行され」の証言の信用性をめぐる植村氏の主張について、「金学順氏を慰安婦にしようとしていた義父あるいは養父から奪ったという点にとどまっている」と、日本軍による強制の要素を限定的にとらえる判断を示した。

判決の主要部分は次の通り。

 

資料には「一定の信用性がある」とし、櫻井に真実相当性を認めた

ハンギョレ新聞は、金学順氏が慰安婦であったとして名乗り出た直後に自身の体験を率直かつ具体的に述べ、これを報道したもの、平成3年訴訟の訴状は、訴訟代理人弁護士が金学順氏に対し事情聴取をして作成したもの、臼杵論文は、臼杵敬子が金学順氏に面談して作成したものと考えられ、それぞれ一定の信用性があるということができる。これらの記載の内容を総合考慮すると、被控訴人櫻井が、これらの資料から、金学順氏が女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊として日本軍に強制連行されて慰安婦になったのではなく、金学順氏を慰安婦にすることにより日本軍人から金銭を得ようとした検番の継父にだまされて慰安婦になったと信じたことについて相当な理由が認められる。=高裁判決書14ページ

 

日本軍関与は「消極的事実」だとして、櫻井に真実相当性を認めた

 控訴人植村は、上記の各資料からは、金学順氏が日本軍人により強制的に慰安婦にさせられたと読み取るのが自然であると主張する。しかし、上記の各資料は、金学順氏の述べる出来事が一致しておらず、脚色・誇張が介在していることが疑われるが、検番の義父あるいは養父に連れられ、真の事情を説明されないまま、平壌から中国又は満州の日本軍人あるいは中国人のところに行き、着いたときには、日本軍人の慰安婦にならざるを得ない立場に立たされていたという趣旨ではおおむね共通しており、上記ハンギョレ新聞・臼杵論文からうかがえる日本軍人による強制の要素は、金学順氏を慰安婦にしようとしていた義父あるいは養父から金学順氏を奪つたという点にとどまつている。

 そうであれば、核となる事実として、日本軍が金学順氏をその居住地から連行して慰安婦にしたという意味で、日本軍が強制的に金学順氏を慰安婦にしたのではなく、金学順氏を慰安婦にすることにより日本軍人から金銭を得ようとした検番の継父にだまされて慰安婦になったと読み取ること、すなわち、いわば日本軍の関与に関わる消極的事実を読み取ることが可能である。被控訴人櫻井が、上記の各資料に基づき上記のとおり信じたことについては、相当性が認められると言うべきである。

 =判決書14ページ

 

「単なる慰安婦の名乗り出なら報道価値が半減する」と断定

朝日新聞は、1982年以降、吉田を強制連行の指揮に当たった動員部長として紹介して朝鮮人女性を狩り出し、女子挺身隊の名で戦場に送り出したとの吉田の供述を繰り返し掲載していたし、他の報道機関も朝鮮人女性を女子挺身隊として強制的に徴用していたと報じていた。その一人がやっと具体的に名乗り出たというのであれば(それまでに具体的に確認できた者があったとは認められない〈弁論の全趣旨〉。)、日本の戦争責任に関わる報道として価値が高い反面、単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないというのであれば、報道価値が半減する。=判決書15ページ

 

「勤労令の女子挺身隊と結びつけた」と櫻井が信じたことに相当性を認めた

 「体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。」との記述等に照らすと、本件記事Aについて、一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すれば、「女子挺身隊」として強制的に徴用された慰安婦が具体的に名乗り出たと読むことは相当である。

 そうすると、被控訴人櫻井が、本件記事Aにおける「女子挺身隊」の語を女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊の意味に解し、女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊の名で慰安婦にされたとは述べていなかった金学順氏について、控訴人植村が女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊と慰安婦とを関連付けたと信じたことには相当性が認められるというべきである。

 =判決書15ページ

 

「推論の基礎となる資料が十分あるから本人取材は必要がない」と断定

 金学順氏は、自ら体験した過去の事実(慰安婦となった経緯)について、櫻井論文執筆時点に比べ、より記憶が鮮明であったというべき過去の時点において、多数の供述を残している。すなわち、金学順氏は、平成3年8月14日の共同記者会見の当初から、検番の継父にだまされて連れて行かれた先で慰安婦にさせられた旨を繰り返し述べており、このことは、同月15日付けのハンギョレ新聞や平成3年訴訟の訴状からも明らかである。これらから、前記イのとおり、日本軍の関与に関わる消極的事実を読み取ることが可能である。

 これらの資料の閲読に加えて、更に平成3年当時の金学順氏が述べた慰安婦にさせられた経緯について、改めて取材や調査をすべきであったとはいえない。控訴人植村の主観的事情(記事執筆時点での認識)について、これまでに判示したところによれば、被控訴人櫻井は、本件記事Aについて、一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈(具体的には、本件記事Aの「女子挺身隊の名で連行された」との部分について、金学順氏が第二次世界大戦下における女子挺身勤労令で規定された「女子挺身隊」として戦場に強制的に動員されたと解釈)した上、多数の公刊物等の資料に基づき、合理的に推論できる事実関係(具体的には、金学順氏が挺対協の聞き取りにおける録音で「検番の継父」にだまされて慰安婦にさせられたと語っており、原告がその録音を聞いて金学順氏が慰安婦にさせられた経緯を知ったこと)に照らして、判断の上、櫻井論文に記載したということができる。

 前者(記事の趣旨)について、執筆者である控訴人植村本人に確認することを相当性の条件とすることは、記事が客観的な存在になっていることを考慮すると、相当ではない。一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すれば十分というべきである。

 後者(記事執筆時点での事実認識)について、本件においては、推論の基礎となる資料が十分あると評価できるから、事実確認のため、控訴人植村本人への取材を経なければ、相当性が認められないとはいえない。

 また、実際上、控訴人植村本人に対する取材について、被控訴人櫻井と同様に本件記事Aの問題点を指摘していた西岡に対し、控訴人植村が回答していなかったことからすれば、被控訴人櫻井において、別途取材の申込みをすべきであったとはいえない。

 =判決書17~18ページ

 

4 札幌高裁判決に批判

 

植村氏は判決を受けて開いた記者会見で、「不当判決」と批判して上告する意向を明らかにした。また、植村裁判を東京と札幌で取材してきた水野孝昭氏(神田外語大学教授、元朝日新聞記者)は、WEBサイトの論稿で、「裁判長は強引な理屈で櫻井氏を不問に付し、また、慰安婦にされた女性への蔑視をあらわにしている」と、高裁判決を強く批判した。

 

 植村氏 「これでは、取材せずに「捏造」断定が可能になる」 

これは不当判決であり絶対に容認することはできません。札幌地裁の不当判決では真実相当性のハードルを地面まで下げて櫻井氏を免責しました。高裁の審理では過去の判例9件を示して、地裁判決の認定の杜撰さを批判しました。裏付け取材のない記事に真実相当性を認めることはできない、これは判例の基本です。しかし、札幌高裁は札幌地裁と同様の認定をしました。

この判決文の18ページにこんな言葉が出ています。「本件においては、推論の基礎となる資料が十分あると評価できるから、事実確認のため、控訴人植村本人に対する取材を経なければ、相当性が認められないとはいえない」。たった3行ではありますが、これはきわめて恐ろしい判決です。つまり、これでは、本人に取材しないで「捏造」などと断定することが自由になる、ということです。

本人に取材しない、取材しようとする努力をしない、にもかかわらず、そして杜撰な資料だけでそう断定して、それを裁判所が推論の基礎となる十分な資料があると評価できる、といったら、何でも言えてしまいます。

これは非常に恐ろしい判決です。このような認定では、取材もせずにウソの報道ができるようになります。司法がフェイクニュース、しかも捏造というフェイクニュースを野放しにすることができる。

札幌地裁では元道新記者の喜多義憲さんが証人になってくれました。喜多さんは1991年8月、私の記事が出た3日後に金学順さん本人に単独取材して、私と同じように挺身隊という言葉を使って、私とほぼ同じ内容の記事を書きました。喜多さんは、櫻井氏が私だけが捏造したと決めつけた言説について「言いがかり」という認識を示し、こう証言しました。「植村さんとぼくはほとんど同じ時期に同じような記事を書いて、片方は捏造だと批判され、私の方は、捏造と批判するような人からみれば不問に付されているような気持ち、そういう状況を見ればですね、やはり、違うよ、と言うのが人間でありジャーナリストであるという気が、思いが強くいたしました」という言葉です。

私は地裁の審理の中で、この他社、ライバル社の、取材協力もしたことがなく、当時私の記事を読んだことすらなかった喜多さんが、こういう証言をした時に、私はジャーナリストとして、真実を書いたんだ、間違っていなかった、捏造していない、ということが証明されたと思いました。少なくともジャーナリズムの世界では証明されたことになると思います。しかし、この高等裁判所では、地裁唯一の証人である証言が全く言及されていない、その点でも私は、この判決は不当判決だと思います。

 

水野孝昭氏 「裁判官の人権感覚を疑う」  

札幌控訴審の今回の判決は、「強制連行」や「慰安婦」の定義を捻じ曲げているうえ、櫻井氏のずさんな「取材」を不問にするため強引な理屈で「真実相当性」を認めています。判決文には「慰安婦」にされた女性への蔑視をあらわにしたような表現もあって裁判官の人権感覚も疑われるほどです。以下、判決文に沿って検討します。

■櫻井コラムは「事実の摘示ではない」?

判決は、「義母の訴訟を支援する目的と言われても弁明できない」、「意図的な虚偽報道だと言われても仕方がない」と書いていた櫻井氏のコラムの記述を「事実と断定しているのではなく、論評である」と判断しています。(判決文p10~12)

しかし、こうした櫻井コラムの読者が、植村さんは「義母の訴訟を支援する目的」で「意図的な虚偽報道」をした、と思い込まされたからこそ「植村バッシング」は始まったのではないでしょうか。櫻井コラムの内容が「事実ではない」と読者が思っていたというなら、なぜ植村さんやその家族、北星学園大学に「殺す」「爆破する」という脅迫が殺到したのでしょうか。櫻井氏も単なる論評としてではなく「事実のつもり」で書いたからこそ「植村氏に教壇に立つ資格はない」とまで攻撃したのではないでしょうか。

櫻井氏の論拠は①ハンギョレ新聞記事、②金学順さんの訴状、③月刊『宝石』の臼杵敬子論文の3点でした。しかし①のハンギョレ新聞の元記者と③の臼杵敬子さんはともに「慰安婦の被害を伝えようとしたのに、櫻井氏は内容を曲解して逆に使われた」と陳述書で批判しています。②の金学順さんの訴状には、そもそも櫻井氏が書いたような記述がなかったことが訴訟で明らかになって訂正に追い込まれています(産経新聞と雑誌WiLL)。

判決はこうした経緯にいっさい触れることなく、櫻井氏が書いた内容が真実ではなくても真実と信じたことに相当の事情があったという「真実相当性」を認めています(p13~18)。

判決は金学順さんの供述について、こう総括しています。

「植村は、金学順氏が日本軍人により強制的に慰安婦にされたと読み取るのが自然であると主張する。しかし、上記の各資料は、金学順氏の述べる出来事が一致しておらず、脚色・誇張が介在している事が疑われる」(p14)

1991年8月に韓国で初めて「慰安婦」として名乗り出た金学順さんは、殺到する取材陣に翻弄されながら半世紀以上も前の辛い体験を思い起こしていたのです。記憶違いもあれば、言いよどんだ部分もあるでしょう。ようやく口を開いた被害者の語りに対して、この裁判官はまず「脚色・誇張が介在している」と疑っているのです。「名乗り出た性犯罪の被害者へのセカンドレイプ」は、最近も伊藤詩織さん事件などで問題になっています。これが2020年の日本の裁判所の人権感覚なのでしょうか。

■「日本軍人の強制」は「消極的事実」?

判決は、金学順さんが「慰安婦」にされた経緯について以下のように認定しています。

「検番の義父あるいは養父に連れられ、真の事情を説明されないまま、平壌から中国又は満州の日本軍人あるいは中国人のところへ行き、着いたときには日本軍人の慰安婦にならざるを得ない立場に立たされていた」

「日本軍人による強制の要素は、金学順氏を慰安婦にしようとしていた義父あるいは養父から金学順氏を奪ったという点にとどまっている。」

「日本軍が金学順氏をその居住地から連行して慰安婦にしたという意味で、日本軍が強制的に金学順氏を慰安婦にしたのではなく、金学順氏を慰安婦にすることにより日本軍人から金銭を得ようとした検番の継父にだまされて慰安婦になったと読み取ることが可能である」(p14) 

だから、櫻井氏が「上記の通り信じたことについては、相当性が認められる」としているのです。

金学順さんが一貫して述べていたのは、「私は日本軍に武力で奪われた」という点です。養父あるは義父に連れられて中国に行ったにしても、「慰安婦にならざるを得なくなった」のは「日本軍人に武力で奪われた」からなのです。そうでなければ金学順さんは名乗り出ることもなかったし、日本政府を相手取って訴訟を起こすはずもなかったでしょう。

驚いたことに、判決は「日本軍人が金学順さんを奪った」と認めています。

この点は櫻井氏が決して認めてこなかった点です。

「日本軍人が金学順さんを武力で奪った」という事実は、①のハンギョレ新聞、②の訴状、③の臼杵論文とも明記されています。しかし、櫻井氏は「慰安婦は人身売買の犠牲者」と繰り返すだけで「日本軍人が金学順さんを奪った」という点は認めてこなかったのです。①②③を論拠にしながら、「日本軍の関与」に関する記述はいっさい無視していたのが櫻井氏だったのです。

「日本軍人が金学順さんを奪った」と認定するならば、金学順さんが語っていた通りに記事を書いた植村さんの訴えが認められるはずです。それなのに、どうして結論が逆になっているのでしょうか? 

金学順さんが「日本軍人に奪われた」という事実と「日本軍人に強制的に慰安婦にさせられた」こととを切り離すため、判決は奇妙な三段論法を持ち出します。

①「義父あるいは養父」は金学順さんを最初から慰安婦にするつもりだった

②だから、金学順さんは中国に着いた時点で「慰安婦にならざるを得ない立場だった」

③だから、日本軍人が金学順さんを奪っても「消極的事実」であって「核となる事実」ではない。

つまり、どのみち「慰安婦」にされる立場の女性だったのだから「日本軍人に奪われた」ことは記事の中核にすべき価値はない、という見解です。義父または養父が「最初から金学順さんを慰安婦にするつもりだった」のだから、日本軍が軍刀で脅して連行しようが、密室にカギをかけて監禁してレイプしようが、それは「核となる事実」ではない、と判決は断言しているのです。

この三段論法には、安倍政権が進めてきた「慰安婦は強制連行ではない」という歴史の書き換え、櫻井氏や西岡力氏の「慰安婦=人身売買の被害者説」のトリックが凝縮されています。

まず、「強制連行」の定義を、安倍首相の国会答弁にならって「その居住地から連行して慰安婦にすること」と非常に狭く限定します。そして、日本軍が金学順さんを「奪って」いることは認めても、先に強引に狭く限定した定義をひいて「日本軍による強制連行ではない」と決めつけているのです。

「消極的」と言おうが、「居住地」であろうが戦地であろうが、泣き叫ぶ少女を無理やり「奪って」、軍のトラックに載せて監禁してレイプしていたのは日本軍人だった、と判決は認定していることになります。これは普通の言葉で「強制連行」であり、普通の裁判では「監禁罪」や「レイプ」という犯罪ではないでしょうか。

養父が「最初から慰安婦にしようとしていた」という点も、それを裏付ける記事も資料も存在していないのです。櫻井氏もそうした証拠を提出していません。金学順さんに歌や踊りなどの芸妓(キーセン)としての教育を受けさせたことは確かです。しかし、「慰安婦にしようとしていた」と断定する根拠はどこにあるのでしょうか。当時の芸妓(キーセン)は誇り高い花形職業だった、と金学順さんは繰り返し言っています。この判決は「芸妓(キーセン)=売春婦」という間違った思い込み、偏見に基づいているのです。 

■「単なる慰安婦」は報道価値が半減?

「慰安婦」問題の報道価値についても、判決は驚くべき判断を下しています。

植村記事に先立って朝日新聞が「吉田証言」を掲載していたことを指摘して、「その一人がやっと具体的に名乗り出たというのであれば日本の戦争責任に関わる報道として価値が高い反面、単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないというのであれば、報道価値が半減する」と断言します。

「単なる慰安婦」とは、どういう人を指すのでしょうか? 「日本の戦争責任と関わる報道」でない「単なる慰安婦」報道とは、どんな記事でしょうか? 日本人であれ、韓国人であれ、オランダ人であれ、慰安婦とは、軍隊によって組織的に監禁、監視されてレイプされ続けた被害者のことです。

判決は、「単なる慰安婦」と「女子挺身隊の名のもとに戦場に連行された慰安婦」との報道価値を区別して、植村記事がその報道価値を誇張するために「女子挺身隊の名のもとに」という前書きを使ったかのように書いています。

しかし、どんな呼び方であれ、どの国籍であれ、声を上げる被害者がいれば、それを記事にするのがジャーナリズムです。それを91年8月に実践したのが植村記事でした。

それとは対照的に、櫻井よしこ氏は、慰安婦の方の話を一人として聞かず、植村さん含めて当事者への取材を一切していないのです。それは「慰安婦」にされた人たちの実態を伝えることが「ジャーナリスト」櫻井氏の目的ではなかったからでしょう。日本政府や日本人が「被害者」であることを強調して戦争被害者に対する責任逃れを正当化するために、植村記事を「ねつ造」と言い張ってきたのです。その稚拙でずさんな手口が次々に明らかにされてきたのが植村訴訟の法廷です。