updated 2022.3.4

 

植村氏は個人としては見事に闘った。しかし、この闘いの勝者は右派だということは認めざるを得ない――思想家の内田樹氏は、「週刊金曜日」のコラムで、右派勢力の「一罰百戒」という政治的暴力が開示した痛ましい事実を冷徹にとらえている。

 

 

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政治的暴力の「標的」 「一罰百戒」の本質とは

 

内田樹(思想家)  【週刊金曜日、2022年3月4日号】

 

本誌発行人植村隆さんの闘いを 記録した西嶋真司監督のドキュメ ンタリー映画『標的』を観てきた。「歴史戦」の活動家たちが植村さんに激しい攻撃を加え始めたのは 2014年のことである。 植村さんは中傷を浴びて任用が決まっていた関西の大学教授職を辞することを余儀なくされ、さらに非常勤先の札幌の北星学園大学も右派の攻撃にさらされた。学生に対する物理的な暴力行使までが予告されるに至った時点で、植村さんと北星学園大学を孤立させないために、多くの市民が支援する会を結成した。私も呼びかけ人に加わった一人である。

その後、植村さんは逆風の中で裁判闘争を行ない、ジャーナリストとしての筋目を通し、歴史修正主義との闘いの拠点を創り出した。立派な闘い方だったと思う。しかし、右派の攻撃に屈して結果的に植村さんを守り切れなかった新聞社と二つの大学はその社会的威信を深く傷つけられた。

 

映画を観て、この政治的暴力が何をめざしていたのかがわかった。植村さん個人を執拗に攻撃しながら、彼らはもっと大きな「標的」、この事件においては、新聞と大学というこの社会における道徳的インテグリティと、知性の拠点であるべき組織に対する国民的な信頼を毀損することをめざしていたのである。

 

19918月に『朝日新聞』に掲載された日本軍「慰安婦」についての植村さんの記事は、名乗り出た金学順さんの語った言葉をそのまま伝えたストレートニュースだった。そこには特段の政治的主張は含まれていない。事実、植村さんの記事とほぼ同内容のものを当時日本のいくつものメディアが配信した。しかし、記事が出てから20年以上経って、第2次安倍政権下で「歴史戦」の号砲が鳴ると同時に、同じ内容の報道をしていた多くのジャーナリストたちの中から「捏造記者」として植村さんただ一人が標的に選び出され、憎しみを集中的に向けられた。

 

もし報道された内容についての真偽が問題ならば、なされるべきは事実の検証である。

けれども、攻撃者たちはファクトチェックには何の関心も示さなかった。裏づけ取材も反証もしなかった。事実はどうでもよかったのである。同様の記事を配信したメディアすべてを網羅的に攻撃しようともしなかった。標的は一人でよかったのである。一人の方がよかったのである。

「一罰百戒」という政治技術が有効なのは、標的の選択が恣意的だからである。犠牲者の選択に合理性がないということが重要なのだ。それによって「誰が、いつ、どんな目に遭うかわからない」という予見不能の恐怖が社会全体に浸透する。それでも、犠牲者は運の悪かった一人だけである。ならばさしあたりわが身は高い確率で安全である。そうやって恐怖と安堵を同時に与えるところに「一罰百戒」的暴力の本質は存する。

 

そして、犠牲者が属する組織に対しては執拗に「切り捨てて、孤立させろ」という圧力がかかる。「生け贄の山羊」一人を切り捨てれば組織の安全は保障するというそこだけ奇妙に合理的な解が提示される。この時に、組織の上層部が不幸な一人を見捨てても組織を守るべきだという、計量的には合理的な選択をした時点で勝負は終わる。敗北するのは個人ではない。組織そのものである。その組織が掲げてきた「大義名分」が泥にまみれるのである。植村さんは個人としてはみごとに闘ったと思う。だが、この闘いの政治的勝者は右派だということは認めなければならない。彼らはことの筋目を通し、理不尽な恫喝に屈しない勇気を持つ組織が今の日本社会では見いだしがたくなっているという痛ましい事実を開示したからである。