玄武岩氏
玄武岩氏
2016年6月10日(札幌市教育文化会館)
2016年6月10日(札幌市教育文化会館)

 

集会・講演・支援 玄武岩氏講演

札幌訴訟第2回口頭弁論の後に開かれた報告集会で、北大大学院准教授の玄武岩氏が講演をした(2016年6月10日、札幌市教育文化会館で)。

 

講演 玄武岩 ナショナリズムとメディア 

 

ナショナリズムは時代によってその様相が異なる。グローバルな状況のいま、ナショナリズムによって対立があおられたり、悲惨な事態が生まれているが、国民国家を生み出した「統合」の役割を果たしたのもナショナリズムだった。

慰安婦報道をめぐる朝日新聞バッシングでは、反日、売国、亡国という言葉が飛び交った。「国益を損ねた」というのが理由だが、何をもって国益というかは単純ではない。新聞社それぞれの国益のとらえ方が変化してきたことは、60年安保以降の各社の社説などからうかがえる。

国益には、国民の生命・財産を含めた安全保障、領土主権、経済利益といった要素が含まれる。その国益も3・11以後は「国全体の利益」を意味しなくなった。国の利益と公共の利益は必ずしも一致せず、ズレが目立つ。もう一つのキーワードは「正義」だ。人権、知る権利、表現の自由といった価値を「国益」の上に置くか下に置くかで、メディアは立場が違ってくる。

 

朝日新聞をバッシングし、河野談話を骨抜きにした日本政府や右派メディアの次のターゲットは、「慰安婦」少女像だと思われる。昨年末に日韓で「慰安婦問題の解決に向けた取り組み」として財団設立などが合意されたが、日本は(基金出資の)条件として少女像の撤去を求めている。私は先日、少女像をいくつか見てきた。韓国の人たちはこれを守ろうと様々に活動しており、次に日韓の争点になっていくだろう。

その少女像を辛辣に批判している朴裕河教授の著作『帝国の慰安婦』は、非常に多くの問題をはらんでいる。ソウルの日本大使館前の像について朴教授は「チマチョゴリを着た可憐な少女の姿であり、大多数だった成人慰安婦ではない」「(朝鮮人慰安婦は日本に)協力したという記憶を消し、抵抗と闘争のイメージだけを表現している」「デモの歳月と運動家を顕彰するものでしかない」と批判を浴びせ、結果的に「朝鮮人慰安婦」はないと言っている。

 

重要なのは、実証的資料と慰安婦の証言の、どちらが歴史として意味があるかということだ。「文書で確認できない」からとか「慰安婦は少女ではないのでは」として日本軍慰安婦の強制性を否定するのは、慰安婦が生きてきた記憶を破壊するものだ。

本の副題は『植民地支配と記憶の戦い』となっている。記憶の選択、再生産される記憶、公的記憶などと「記憶」が多用される。歴史学の重要な研究方法である記憶論は「どのような過去が、誰によって、どのように記憶され、なぜ想起させられるのか」が重視される。少女像に関していえば「像がなぜそうした形になったのか、どんな人々が、どんな思いを込めて作り上げていったのか」という問題である。

慰安婦像は韓国内に33カ所あるが、日本大使館前の少女像のようなものばかりではない。中国人少女もいる像、亡くなった被害者ハルモニ(おばあさん)の胸像、煉獄から這い出ようとする像もある。

大使館前の像制作者が当初依頼されたのは、黒い石に白い文字の小さな碑だった。設置に日本から圧力がかかり、日本を叱咤するハルモニ像に変更したが圧力はやまなかった。「ハルモニが人生を奪われたのは少女の時でしょう」という妻の意見で、等身大の今の少女像になった。慰安婦本人が描いた絵や証言に基づいて作られた映画や演劇、アニメなどの作品と同様に、この少女像は作家がそうした証言に共感し、想像力を発揮して制作した芸術作品だ。

 

哲学者の野江啓一氏は「歴史的証言は、証言者が生きている限りその人の意図から切り離すことはできない。歴史家の叙述に対しその人は絶対的な『否』を突きつける権利を留保している」と述べている。

ハルモニたちの証言に基づいた作品は、いずれ他界する彼女たちの思い、記憶を形として残していこうと作られたであろう。現在も生きている人たちの証言を無視して「韓国ナショナリズムの表象として出来上がった像」とする朴教授の非難は妥当ではない。歴史に対して非礼であり無礼だ。

少女像の制作者はこの春、死んでいる赤ちゃんを抱くベトナムの母親「ピエタ像」を現地に作った。韓国軍によるベトナム戦争の被害者だ。韓国でベトナム戦争への評価は定まっていないが、人権、戦争がもたらす被害に社会的な目が向けられている。このことを見ても慰安婦像が単に韓国ナショナリズム、反日ナショナリズムの象徴ではなく、人権、平和、反戦というもっと普遍的な意味を持っている。

 

玄武岩(ヒョン・ムアン)=北海道大学大学院准教授。1969年、韓国済州島出身。漢陽大学校新聞放送学科卒。東京大学大学院博士課程修了。同大学院情報学環助手を経て2007年から現職。著書に「コリアン・ネットワーク-メディア・移動の歴史と空間」(北大出版会)、「サハリン残留-日韓ロ 百年にわたる家族の物語」(高文研、共著)、「『反日』と『嫌韓』の同時代史-ナショナリズムの境界を越えて」(勉誠出版)など。

 

要旨まとめ text by H.H