植村バッシングと植村裁判

 

元朝日新聞記者だった植村隆氏は、朝日新聞大阪本社社会部に所属していた1991年8月と12月、慰安婦として韓国で最初に名乗り出た金学順さんについての署名入り記事を書いた。

 

このうち8月11日の記事(裁判では植村記事Aという)は「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀 重い口開く」の見出し(大阪本社版)で、慰安婦だった韓国人女性が支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(略称、挺対協)の聞き取りに初めて応じた、として、匿名で証言テープの内容を紹介した。また12月25日の記事(同、植村記事B)は「かえらぬ青春 恨の半生 日本政府を提訴した元従軍慰安婦・金学順さん」の見出し(同)で、太平洋戦争犠牲者遺族会が12月6日に提訴する前に、弁護団が準備のため訪韓した際の聞き取りに同席し、金さんから詳しい話を聞いた際の証言を再現した。

 

これらの記事について、20年以上も経った2014年になって、東京基督教大学教授(当時)の西岡力と、ジャーナリストの櫻井よしこの両氏は「金学順さんは親に身売りされて慰安婦になったのに、その事実に触れずに、強制連行されたかのように書いた」と批判し、植村記事を「捏造」と決めつけた。

 

西岡氏は週刊文春などに「植村記者がキーセンへの身売りを知らなかったなどありえない。わかっていながら、都合が悪いので意図的に書かなかった」「本人が語っていない経歴を勝手に作って記事に書く、これこそ捏造ではないか」「植村記者は自分の義母らが起こした裁判に有利になる捏造記事を書いた」などと書いたりコメントをしたりした。

櫻井氏は月刊WLLや週刊新潮などに「過去、現在、未来にわたって日本人と日本の名誉を著しく傷付ける彼らの宣伝は、日本人による従軍慰安婦捏造記事がそもそもの出発点となっている」「氏は韓国の女子挺身隊と慰安婦を結びつけ、日本が強制連行したとの内容で報じた」「この記事は挺身隊と慰安婦は同じだったか否かという一般論次元の問題でなく、明確な捏造記事である」などと書いた。

 

勤務先に言及、本人、家族に脅迫と中傷

植村氏は2014年当時、2月に朝日新聞社を早期退職した後に神戸松蔭女子学院大学の教授に就任することが内定していた。札幌市では北星学園大学の非常勤講師も務めていた。櫻井氏はこれらのことにも言及し、「こんな人物に、はたして学生を教える資格があるのか」「捏造報道の訂正も説明もせず頬被りを続ける元記者を教壇に立たせ学生に教えさせることが、一体、大学教育のあるべき姿なのか」と書いた。神戸松蔭女子学院大には自ら問い合わせをしている。

 

植村バッシングの発端となったのは、「週刊文春」記事だった。「週刊文春」は2月6日号に「慰安婦捏造朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」、8月14日・21日号に「慰安婦火付け役朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ」と題する記事を掲載した。これらの記事が掲載された後、植村氏にはネット上の書き込みやメール、郵便で非難や抗議、中傷、いやがらせが多数寄せられた。植村氏の娘は殺害予告を受け、写真がネット上にさらされるなど、被害は家族にも及んだ。両大学にもメールや電話、FAX、郵便などによる抗議や批判、いやがらせが多数寄せられた。

「週刊文春」記事掲載の直後、植村氏は神戸松蔭女子学院大から教授就任辞退を求める申し入れを受け、契約解除を余儀なくされた。北星学園大学の非常勤講師契約も一時、解約の動きがあった。しかし、地元では市民グループ「負けるな北星!の会」が結成され、植村氏を支援する動きが全国の弁護士、学者、文化人らに広がった。非常勤講師契約は2015年度末まで継続された。

 

植村氏は、西岡、櫻井両氏のこれらの記事によって名誉を毀損され、平穏な生活をする権利を侵害されたとして受けた精神的苦痛に対する補償を求め、翌2015年1月に東京地裁、2月には札幌地裁に提訴した。
このうち東京地裁の訴訟では、西岡氏と「週刊文春」版元の文藝春秋に損害賠償計1650万円(のちに増額して2750万円に)のほか「週刊文春」への謝罪広告掲載などを求めた。また札幌地裁の訴訟では、櫻井氏と版元の新潮社、ワック、ダイヤモンド社の3社を相手取り、損害賠償計1650万円と被告各誌、櫻井氏が運営するウェブサイト「櫻井よしこオフィシャルサイト」への謝罪広告掲載などを求めた。

東京訴訟 東京の裁判は2015年4月、東京地裁で始まった。口頭弁論は16回開かれた。口頭弁論は第14回の2018年11月に終結し、判決日は2019年3月に指定されていた。ところが、判決の1カ月半前になって突然、原克也裁判長が西岡氏側に証拠を追加提出するように求め、弁論を再開しようとした。裁判長が追加を求めた証拠は西岡氏側に有利になるとみられたため、植村弁護団は裁判長らの忌避を申し立てた。判決直前に裁判官忌避が申し立てられ弁論が中断するのは異例のことである。忌避申し立ては東京地裁、東京高裁(抗告)、最高裁(特別抗告)でいずれも却下された。

判決は2019年6月に出された。原裁判長は、西岡氏側が植村氏の社会的評価を低下させたことを認めた上で、西岡氏の表現内容について、「そう信じたことには相当の理由がある(真実相当性)、また一部は真実である(真実性)」ことを理由にして、西岡氏側の不法行為責任を免じた。植村氏の請求はすべて退けられた。植村氏はすぐに東京高裁に控訴し、判決の取り消しを求めた。同高裁での口頭弁論は2019年10月から2回開かれ、判決は2020年3月に出された。白石史子裁判長は一審判決を支持し、控訴を棄却した。植村氏は3月、最高裁に上告した。2021年3月、上告棄却の決定が出され、植村氏の敗訴が確定した。

 

札幌訴訟 札幌での裁判は、櫻井氏側が東京地裁への移送を求めたため開始が遅れ、口頭弁論は2016年4月、札幌地裁で始まった。口頭弁論は12回行われ、2018年7月に結審した。判決は同年11月に出された。岡山忠広裁判長は、櫻井氏側が植村氏の社会的評価を低下させたことは認めたが、櫻井氏の表現内容に真実相当性があることを理由にして、不法行為責任を免じた。植村氏の請求は退けられた。植村氏はすぐに札幌高裁に控訴した。同高裁での口頭弁論は3回開かれ、判決は2020年2月に出された。冨田一彦裁判長は一審判決を支持し、控訴を棄却した。植村氏は2月、最高裁に上告した。11月、上告棄却の決定が出され、植村氏の敗訴が確定した。