植村氏が受けた被害 竹中明洋氏尋問

 

元文春記者、「捏造攻撃」加担の詳細語らず

週刊文春で植村氏を攻撃する記事を書いた竹中明洋氏に対する証人尋問は、第13回口頭弁論で原告植村氏と被告西岡氏の本人尋問に先立って行われた(2018年9月5日東京地裁)。

植村弁護団はこの日の尋問で、記事の意図と取材の経緯、記事がもたらした影響、被害とその責任について、具体的に明らかにするように強く迫った。竹中氏は取材の意図については「デスクの指示に従って取材した」と答え、被害をもたらした責任については「脅迫などを煽ってはいない。大学に向けて抗議が起こることは予見もしなかった」と述べ、責任を否定した。その一方で、詳細については語ることを避け、「覚えていません」「記憶がありません」などと逃げの姿勢に終始した。

 

竹中氏は白いシャツ姿の軽装で出廷し証言台に立った。「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず偽りを述べないことを誓います」と型通りの宣誓文を読み上げて、午前10時30分すぎ、尋問は始まった。

最初に被告側代理人の藤原大輔弁護士が25分間、主尋問をした。竹中氏は次のように答えた。

▽取材は週刊文春編集部デスクの指示で行った。西岡力氏には会って取材した。植村氏には取材を申し入れたが、朝日新聞の広報を通してといわれた。広報には質問書を送り回答を得た。

▽2つの大学には質問メールを送ったが、その内容に問題はない。植村氏の職を奪い社会から抹殺しようとしたことはない。あくまでも記者として指示に従い、適正な取材をした。脅迫行為は断じてあってはならないと思う

 

植村弁護団の反対尋問は吉村功志弁護士が担当した。朝日新聞記者から転じた気鋭の法曹である。吉村弁護士は、陳述書で書かれていることの矛盾点や、たったいま竹中氏が滔々と述べた答弁の詳細に次々と迫った。以下、尋問の流れを整理して、主なやりとりを再現する。(いずれも要約。一部、順の入れ替えがある)

竹中尋問調書全文 こちら

 


 

竹中氏は週刊文春2014年2月6日号で、「朝日新聞関係者」の談話として「本人は『ライフワークである日韓関係や慰安婦問題に取り組みたい』と言っているようです」と書いている。ところが、竹中氏は陳述書の中で、談話の主を「別のメディア記者」と書いた。そもそも、植村氏は記事が出た直後から、「そのようなことは言っていない、当時は慰安婦問題とは距離を置いていた」と強く否定し続けている。そうすると、竹中氏は談話をもっともらしいものに仕立てるために「朝日新聞関係者」と書いたが、植村氏の追及を免れるために、陳述書では「別のメディア記者」と書いたのではないか。吉村弁護士は、尋問の冒頭にこの点を追及した。

 

吉村弁護士 記事と陳述書では矛盾してますね。

竹中証人 取材源に関わる部分なので詳しくは説明できないが、別のメディアの記者というのは、広い意味で朝日新聞に関係している人で、陳述書の通りだ。

吉村弁護士 朝日新聞関係者と書いたのは誤りではないか。          

竹中証人 朝日新聞に関係されている方だ。関係しているという意味は広い意味で関係しているという意味だ。

吉村弁護士 朝日新聞関係者というのは朝日新聞の社員とかそこで働いている契約社員とかをいうのではないのか。

竹中証人 必ずしも社員であるという場合だけではないというふうに思う。

吉村弁護士 朝日新聞の関係者であるならば、朝日新聞に関係のある別のメディアの記者と書くべきではないか。

竹中証人 ただ、その方は、繰り返しになって恐縮だが、朝日新聞に関係のある方でもありますし。

吉村弁護士 関係者というのはどういう関係か。

竹中証人 それは取材源の秘匿にかかわる部分なので詳しくは申し上げられない。

吉村弁護士 朝日新聞の記者ではない、朝日新聞で働いている人でもないということですね。

竹中証人 いま現在は朝日新聞記者ではありません、取材した当時、朝日新聞の記者ではありません。

 

竹中氏の答えは理解不能領域で行きつ戻りつしている。竹中氏はこのあとにつづく尋問で、防御姿勢を強め、殻を固くしていった。

竹中氏は2014年2月と8月、週刊文春で植村氏の実名をあげて「捏造」記者と決めつけ、神戸松蔭女子学院大学の教授就任予定(2月の記事)と札幌の北星学園大学で非常勤講師をつとめていること(8月)を、大学の実名をあげて書いた。

この結果、両大学に抗議やいやがらせの電話やメールが殺到し、植村氏はふたつの大学での職を失うこととなった。「捏造」記者との表現は、2月の記事中、西岡力氏の談話で用いられた。

2014年当時、週刊文春は嫌韓、反朝日キャンペーンを連発し、部数を伸ばしていた。当時の編集長は新谷学氏。文春のスクープは「文春砲」の異名でもてはやされ、新谷氏は「週刊文春編集長の仕事術」というドヤ本をダイヤモンド社から発行している。その中では同誌の取材体制も得意げに明かされているが、毎週木曜日に開くプラン会議に出席する記者には、5本の記事プラン提出がノルマとして課せられていたという。竹中氏は正社員でなく特派記者と呼ばれる契約社員だった。だからスクープ競争の激しい週刊誌業界の最前線にあって、スクープには人一倍の執念を燃やしていたのではないか。ところが、2つの記事とも、自分のプランではないという。

 

吉村弁護士 記者には5本のノルマがあったそうですね

竹中証人 おっしゃる通りです

吉村弁護士 陳述書では、デスクに指示を受けて取材を開始した、とあるが、あなたのプランではないのか。

竹中証人 そのような事実はない。

吉村弁護士 このプランをデスクはどうやってみつけたのか。

竹中証人 わからない。デスクが自分でネタをみつける場合もあるので、なんとも申し上げようがない。

吉村弁護士 デスクから指示があったということか。

竹中証人 おっしゃる通りだ。

吉村弁護士 秦郁彦氏や西岡力氏に会ったのもデスクの指示か。

竹中証人 デスクの指示だったか私が思いついたのか、記憶が定かではない。

 

竹中氏はこの取材の過程で、神戸松蔭女子学院大学に植村氏の教授採用予定があるかどうかを質問している(2014年1月27日)。そのメール文面には、「この記事をめぐっては現在までにさまざまな研究者やメディアによって重大な誤り、あるいは意図的な捏造があり、日本の国際的イメージを大きく傷つけたとの指摘がかさねて提起されています。貴大学は採用にあたってそのようなな事情を考慮されたのでしょうか」とある。

 

吉村弁護士 質問状を出す前にあなたは大学に電話して、「植村さんが教授になるのは本当か、捏造記事を書いた人ですよ」と言ってますね。

竹中証人 記憶にない。

吉村弁護士 この記事が出て、神戸松蔭には抗議があって、植村さんの採用は取り消された。抗議があったことは知ってるか。

竹中証人 伝聞で聞いた。

吉村弁護士 どういう伝聞か。

竹中証人 覚えていない。

 

竹中氏は朝日新聞社にもファックスで質問を送った。陳述書によると、質問は3点あり、①植村氏の神戸松蔭女子学院大学の教授に就任予定の有無、②植村氏の記事が誤りだとする指摘への見解、③前主筆・若宮啓文氏の「吉田証言」関連記述についての見解、を求めている。ファックスで送ったのは1月28日午前中、朝日新聞社から回答があったのは同日午後、とも書いている。

このうち②の内容は次のようなものだった。

<植村氏の署名入りの1991年8月11日付の記事について、これまでに西岡力氏や秦郁彦氏から、事実関係に誤りがあるとの指摘がなされているほか、2013年5月15日付け読売新聞4面の「Q&A従軍慰安婦問題とは」と題する記事には、「朝日新聞が『日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた』と報じたことがきっかけで、政治問題化した。特に『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した』と事実関係を誤って報じた部分があり、韓国の反発をあおった」とあるが、これら指摘に対する見解を聞かせてほしい>

 

吉村弁護士 朝日新聞社から回答がありましたね。

竹中証人 詳細は覚えていない。

吉村弁護士 (②の回答を読み上げて)このような回答でしたね。

竹中証人 正確な記憶がないのでなんともお答えのしようがない。

吉村弁護士 あなたはこの回答をあえて紙面に載せていませんね。

竹中証人 あえて、ではなく、結果として載せていない。

脅迫状まがいの質問状は、8月に北星学園大学にも送りつけられた。その文面には、「植村氏をめぐっては、慰安婦問題の記事をめぐって重大な誤りがあったとの指摘がなされていますが、大学教員としての適性に問題ないとお考えでしょうか」とある。

吉村弁護士 あなたが植村さんには大学教員の適性がないと考えたからですね。

竹中証人 たしかに適性という言葉を使っているが、私が植村さんに適性がないなんていうことを思ったことはない。

吉村弁護士 じゃあ、どうして訊いたのか。

竹中証人 ほかに表現を知らなかったからだ。(傍聴席に笑いとざわめきが起きる)

吉村弁護士 疑問を感じたから訊いたんでしょう。

竹中証人 ですから、ここに書いてあるように指摘されていると。

吉村弁護士 だれが、適性がないと指摘しているのか。

竹中証人 巷間、一般的にです。

吉村弁護士 ネットで見たのか。

竹中証人 ネットであるのか記事であるのかわからない。そのような言い方をされていたので、どこにどう書いてあったのかは覚えていないが。

吉村弁護士 あなたが取材した西岡さん、秦さんに言われたのか。

竹中証人 うーん、誰と言われても、それは記憶していない。

吉村弁護士 少なくとも疑問は持っていたわけですよね。

竹中証人 私は識者である西岡さんが書いたものをそのまま記事にしただけだ。そのような先入観を持っていたわけではない。

吉村弁護士 そうですか。あなたは、週刊文春の8月の記事の地の文で「今ではこの記事には捏造と言えるほどの重大な誤りがあることが明らかになっている」と書いている。

竹中証人 言えるほどの、と書いていて、断定はしていない。(傍聴席、笑い声)

吉村弁護士 あなたは同じ記事の文末で、「韓国人留学生に対して自らの捏造記事を用いて再び“誤った日本の姿”を刷り込んでいたとしたら、とんでもない売国行為だ」と書いている

竹中証人 いたとしたら、と仮定の話として書いている。断定はしていません。 

 

西岡氏の「捏造」決めつけ攻撃は、2014年当時、たくさんの雑誌、新聞を舞台に繰り広げられたが、最も影響力を持った媒体は週刊文春だった。事実、週刊文春の発行日に符合するかのように、植村バッシングは勢いを増していた。しかし、竹中氏はそのような事実に正面から向き合う説明はしなかった。

 

吉村弁護士 この記事が出た後、松陰には次々と抗議が殺到したんですが、ご存じない。

竹中証人 伝聞では聞いた。

吉村弁護士 植村を辞めさせろという抗議ですよ。

竹中証人 くわしくは存じ上げない。

吉村弁護士 文春には反響が来たんですか。

竹中証人 来たかどうかも存じ上げない。

吉村弁護士 あなたは、2月の記事で神戸松蔭に抗議が殺到したことを知っていた。8月に同じような記事を書くとき、同じように北星にも抗議が殺到することを予見していましたね。

竹中証人 同じようなことが起きるとは思いません。

吉村弁護士 期待していましたね。

竹中証人 とんでもない。そんなことを期待していたことはない。

週刊文春は、2月の記事の1カ月後にも朝日新聞の慰安婦報道を批判する特集記事を掲載している(3月13日号)。その中で、植村氏が神戸松蔭の採用を取り消されたことを報じ、同時に文春側が朝日新聞社から受けた回答を16行にわたって掲載している。「91年8月11日付朝刊記事を書いた当時、韓国では『女子挺身隊』と『従軍慰安婦』が同義語として使われていました」という内容だ。朝日新聞社は2月6日号用の竹中氏の取材に対しても、同趣旨の回答をしている。この朝日の回答が2月の記事に載っていれば、「捏造ではない」とする朝日新聞社の見解が神戸松蔭にもきちんと伝わっていたのではないか、と植村氏は憤っている。

竹中氏はこの3月の特集には関わらず、記事も書いていない。読んでもいないという。自分の記事によって起きたことを書いている記事、しかも自分が所属する雑誌の記事を読んでいないということがあるのだろうか。あまりにも不自然である。植村弁護団の穂積剛弁護士は、吉村弁護士の尋問が終わったあと、補充質問を行った。

穂積弁護士 あなたはこの記事を読んでいないとおっしゃいましたね。ただ、この記事が出た当時、編集長やデスク、同僚から、植村の神戸松蔭への就職はなくなったらしいぞ、というような話は聞いたことがありますか。

竹中証人 えーと、聞いたことがあったか、なかったか、記憶は正直ありません。

穂積弁護士 自分の書いた記事の反響だから、聞いてたら覚えているのではないか。

竹中証人 あのー、ほんと、私たちの仕事は毎日毎日取材してるもんですから、覚えておりません。

穂積弁護士 神戸松蔭のほうに反響があったことは伝聞で聞いたと先ほどおっしゃったがどのようなことを聞いたか。具体的に言ってください。

竹中証人 神戸松蔭の先生になる予定だったのが、なれなくなったという感じです。

穂積弁護士 その理由については、どういうふうにか。

竹中証人 そこまではよく覚えていない。

穂積弁護士 自動的に採用がなくなるわけがないから、たぶん抗議か何かがあってなくなったんだろうと。

竹中証人 たぶん、そうなんだろうなあと思ったかどうか、ちょっとそこまでは、詳細に記憶しておりません。

 

吉村、穂積両弁護士による反対尋問は、予定通り25分で終わった。この後、尋問を経ても明確な答えが得られなかったポイントを、裁判官と裁判長が問い質した。主なやりとり。

 

小久保裁判官 西岡さんと秦さんの取材についてデスクからはどういう指示があったのか。

竹中証人 よく覚えていない。

小久保裁判官 慰安婦問題で以前に書いたり取材したことはあったか。

竹中証人 記憶の限りでは、ない。

小久保裁判官 慰安婦問題のようにいろいろな考えや意見がある問題で、だれにコメントを求めるかは、相談して決めるのか。

竹中証人 することもあり、なかったり、とケースバイケースだ。この場合は記憶が定かではない。

原裁判長 朝日新聞社への質問②の、記事には誤りがあるとの指摘は、媒体あるいはものといってよいのか、具体的になんなのか、今の時点で特定できますか。

竹中証人 記憶が定かではない。

原裁判長 文面だったり記事だと思うが、それえは読んでいたんですか。

竹中証人 質問するときには読んでいた。

原裁判長 西岡さんの本は取材するさいに読んでいましたか。

竹中証人 はい、取材する前か後かに読んでいた。

原裁判長 その本はなんですか。

竹中証人 4年前のことなので覚えていない。

原裁判長 甲3号証から6号証は、西岡さんが書いたもので、原告から(名誉毀損だと)指摘されているものですが、これらは読んだことはありますね。

竹中証人 えーと、4号証はサイトの記事ですね、記憶がない、いや読んだか、あとは読んだか読んでないかわかりません。

原裁判長 そうすると、読んだか読んでないかわからない、ということですね。

竹中証人 そうです。

原裁判長 わかりました。終わります。

 

裁判官の質問は約15分。ここでも理解不能の答えが目立った。質問で深入りされるのを防ぐためにとぼけているのか、ほんとうに記憶がないのか。たぶん、その両方だろう。

原裁判長の最後の質問は、証人尋問に臨むにあたって竹中氏が重要な書面をきちんと読み込んだかどうかを問うものだったが、竹中氏は、まったく読んでいないことを白状した。

 

その竹中氏は、その後、週刊文春を去り、フリーのジャーナリストとして沖縄をめぐるヘイトスピーチ行動に加わり、沖縄紙批判などの記事を書いている。現在は沖縄県知事選の保守候補の選対に入り込んでいるという。植村バッシングに加担した週刊誌記者がじつは、歴史修正主義勢力と深くつながっていたということである。植村バッシングの構図と背景を、竹中氏は法廷と沖縄で自ら、さらけ出すことになった。