2016年2月16日(参院議員会館)
2016年2月16日(参院議員会館)
青木理氏
青木理氏
植村隆氏
植村隆氏

 

集会・講演・支援 対談 青木理氏・植村隆氏

 

東京訴訟第4回口頭弁論の後に開かれた報告集会で、植村隆さんと青木理さん(ジャーナリスト、元共同通信記者)が「言論をめぐる状況」をテーマに対談をした(参議院議員会館会議室、2016年2月16日午後4時~6時15分)

 

対談 青木理 植村隆  朝日叩きと植村バッシングの深層

 

青木 この本(『抵抗の拠点から』)は取材して2、3カ月で本にした。2014年10月に札幌で話を聞いて以来、植村さんからも元記者なので質問があると思う。今回、裁判は4回目だが、いまの状況はどうなっているか。

植村 札幌は裁判が始まっていないが、2015年1月、西岡力さんと文芸春秋相手に裁判を起こした。意見陳述ということで12分くらい、私の記事が捏造といわれたことで娘を殺すと言われたと陳述した。2回目は小林節さんが意見陳述をしてくれて、今回4回目。今回は吉村弁護士から報告があったが、特ダネです。インチキな取材をして証拠に出してきた。この方も元朝日記者だったが、今回の調査発表が出たのでほっとしているが、同時に情けない。札幌のほうは去年2月10日に桜井よしこさんらを提訴した。桜井さんの言説を掲載している雑誌社を訴えた。桜井さんは「植村と朝日の態度が社会の憤激を呼んでいる」というので私の住んでいる場所で提訴した。被告側は東京でやるべきだと言ったが、札幌でやるべきだということになり、ことし4月に第1回弁論がある。

青木 前川さんや長谷川さん、朝日というのはなんで何かが起きたときにいろんな人が出てくるのか。読売は清武さんが告発されたのに、だれひとり追従しないし批判する人もいない。朝日というのはなぜいろんな人が出てくるのか。

植村 前川さんは朝日の慰安婦報道を批判したわけではないが、いったん朝日が危機に陥るや言論活動を行うということが情けなく残念。私も元朝日記者だが、元朝日記者というのは批判していただくうえで価値がある。元読売記者は市場性がないのかもしれない。

青木 組織に長くいたが、古巣の悪口を書くのは自由だと思うが、中にいたときに何も言わなかった。波佐場さんは、植村さんが記事を書いた時のソウル特派員ですよね。波佐場さんのほうが、慰安婦問題報道については、厳しい見解を持っていて、社内で紙面上でも書かれたのではないか。

植村 挺身隊と慰安婦が違うというコラムを書かれた。全体を批判ということではない。

青木 ぼくが『抵抗の拠点から』という本を出したときは朝日バッシングがピークだった。表面上はそこそこ落ち着いたように見えるが、ミクロの個別な状況はある。メディア状況はあるが、この1年何カ月かすぎていろいろ変化がありましたよね。北星から韓国に行く。個人の変化は。

植村 あしたICUで学生と話をして、次の日の朝は北海道朱鞠内で朝鮮人遺骨を集めている方の日韓フォーラムのゲストスピーカーで行く。韓国の方にも私の話を伝えるため、ハンギョレと東亜日報のインタビュー記事を見たら、(写真の私の)表情が違う。ハンギョレの取材は事件直後に受けた。東亜日報は去年終わりくらい。表情が違う。自分で気づかなかったが、激しいバッシングのころより穏やかになっている。前は緊張していた。

この1年半、激しいバッシングはあったが、文芸春秋に書いたり、読売や産経の取材も受けて乗り越えてきた。青木さんが書くのは「植村氏が捏造したのでもなければねじ曲げた節もない。それなのに人権侵害がたちあらわれている」。1年半かけて訴えてきたのが伝わってきた。読売の記者や産経の記者にも語った。当時普通にやってきたことでなんで標的にするのか。乗り越えてこられた。みなさんの応援があり、乗り越えてこれたという気がします。

青木 私は90年に入社して初任地は大阪だった。共同は本社が東京で、大阪も地方扱い。大阪の衛星都市の担当記者で、当時の大阪社会部は古き良きにおいがあり、各社に人権担当がいて、社内でよく記事を書く名物記者がいて、在日の問題や被差別部落など熱心に取材して、大阪の地方版には毎日人権担当記者の記事が載っていた。慰安婦の問題とか戦争中の暗い話、差別の話は必ず出ていた。読売にも産経にもいた。産経や読売もやっているじゃないかということをあまり言い過ぎると、あの時代に読売や産経にいて、人権の問題をやろうとしていた人たちに対して、むしろ攻撃を加えることになるんじゃないかと思っていた。産経の阿比留記者との対決をみたとき、植村さんが指摘したら、相手はそんなこと、産経も同じ記事を書いていることも知らずに批判していたんですか。

植村 産経新聞には縮刷版がない。データベースも91年ごろは検索できない。わざわざ調査する人もいない。産経新聞は2回も強制連行したと、金学順さんにインタビューして書いている。ところが90年代中盤以降から手のひらを返して強制連行はなかった、朝日のせいでそうなったという論調になる。そこに大きなウソがある。強制連行や人身売買ということではなく、意に反して蹂躙を受けたということが問題なのに、そういう入り口で書いている。大阪には差別された人がたくさんいて、在日コリアンとか、差別がむき出しで、ヒューマンな気持ちで取材をする。でも阿比留さんは読んでいなかった。

青木 産経は未来志向なんですかね。過去にこだわらないと。

植村 そうですね。ちょっと不便ですね。

青木 ぼくは植村さんにインタビューしただけ。緊急出版ということだったが、大阪社会部とか新聞社内の所作は伝わっていない。あの植村さんの記事は恐るべき特ダネであるかのように言われているが、あれは大阪しか載っていないんですよね。

植村 東京では、挺身隊の名でというのは載っていない。

青木 小田川さんが「ソウルに来たまえ」というが、熱心にやっていた記者を呼ぶというのはごく普通だし、大阪の記者が来るというのは大阪社会部のヒューマンな反骨心。社会面をヒューマンなところで作るんだというのは、ごく自然なことなんだが、そういうことが伝わらないのはどうしてですかね。植村熱心な記者が取材するのはあり得ること。支局長はネタを独占するのではなく、活躍する記者を引っ張ってきて書かせるというのは不思議ではない。あの記事を見たらためにするような批判。わざと言っているところに阿比留さんのずるがしこさがあると思った。

青木 支局長でも独占する人もいるんですよ。小田川さんはそうではなかった。その当時、ぼくもよく知らないが、大阪ジャーナリズム。大切な問題だが、読売新聞は、黒田軍団という、黒田清さんを筆頭とするチームが反戦、平和、反差別の取材を続けていた。それが今はほとんど消えつつある。大阪の新聞ジャーナリズムにあった雰囲気はわからない人が多いと思うが、産経、読売も含めた雰囲気を。

植村 東京社会部の記者になろうと思っていたが、韓国語ができそうだとソウルに留学し外報部に行った後大阪に出された。まず感じたのは、世界最大の地方紙だと。大阪はそんなにニュースない。そうすると日本に発信できるものは在日コリアン問題。生野区は4人に一人が在日。あと広島の原爆。人権平和を担っている。それと政治部がない。毎日放送の西村さんに。

 

【毎日放送・西村】 植村さんが記事を書いた翌月、1時間のドキュメンタリーを作った。吉田清治さんも登場し、金学順さんは10分弱、インタビューを放送している。大阪ローカルだから、私の番組タイトルはグーグルでも出てこない。熊本の放送局の人が報道特集を作るが、ネトウヨから攻撃対象になっている。私は大阪ジャーナリズムの中で、朝日新聞も毎日も大阪がルーツ。それは戦争のときに発行部数を伸ばした。正力松太郎が警視庁にいて、大逆事件の責任をとって辞めた後、官房機密費をもらって作った新聞と違って、大阪商人が作った新聞ですから、客とのコミュニケーションができているのが大阪毎日と大阪朝日。私たちのグループで、産経や読売の人権担当と一緒に酒を飲んでいる。青木さんがいちばん最後の固まり。会社の縦割りより記者クラブのつきあいのほうが長い。結婚式にお互い呼ぶとか、家族ぐるみに近いジャーナリズム精神がありますし、NHKでも朝ドラ、自由闊達な雰囲気がある。私はテレビ局ですから総務相が電波止めるというのは絶対許せない。

 

植村 いっしょに大阪で酒を飲んだ。金学順さんが登場して、大阪の産経の記者がインタビュー。読売も大阪の記者が行っている。吉田さんのことを取材して人権賞を取ったりしている。日常に差別を直面しているのを同じ視線で受け取れた記者がいた。

青木 僕から見ると全然違ってて、人権問題について取材すると、かたまっている。ぼくが取材すると邪魔する。人権ゴロと呼んで嫌っていた。植村さんがおっしゃるように、目の前に差別されている人がいるということが、大阪のジャーナリストに照射され、一種の戦後民主主義的価値が、90年代前半まではごく当たり前にメディアが弱い者の立ち場に立つとか。あのころ弱い者の側に立つとかいうのは言うのも恥ずかしい、当たり前のことだった。今さら何を言うと怒られるほど当たり前だった。あれから25年、僕がかかわったのと同じ年数だが、なぜごく当たり前のことが当たり前でなくなったのか。植村さんは表情が柔らかくなったというが、全体状況は全然よくなっていない。

植村 私自身はこの1年半、みなさんに励まされ、当時の報道を調べる。ますます確信して、自分は捏造記事を書いていない。僕自身はある程度乗り越えてきたが、ぼくを攻撃したと言うことは、彼らが捏造したと思っていたのか。阿比留さんが「捏造記事」と書いているので質問状を送ったら「産経新聞社としては答える立場にない」と書いているので、本人に聞きたい。僕をバッシングした人はぼくを殺そうとしたのではなく、リベラルなジャーナリズム、朝日新聞を萎縮させようとして、その狙いはかなり実現したんじゃないかと思うと残念。

青木 植村さんがバッシングされるのは理由がない。慰安婦問題にせよ、もっと熱心にやった人は朝日に別にいる。植村さんは90~91年にかけて書いたが、もっと熱心に慰安婦、戦争責任をやった記者はたくさんいたのに、植村さんがターゲットになったのは、わかりやすかった。妻のこととか。植村さんご自身もそう理解されているんですよね。

植村 なんで私が。これは書かなければと、千葉では死刑囚再審事件、イランではクルド民族を取材した。慰安婦だけでなく立場の弱い人の声を伝えようとやってきた。ヘイトスピーチ的な部分がある。うちの家内が韓国人で義母が団体幹部というのは物語が作りやすかった。

青木 若宮啓文さんという人にもインタビューした。記者になるきっかけの一つが若宮さんだった。田舎が長野で、若宮さんが長野支局時代にルポした『現代の被差別部落』という本。すぐれたルポ。それを読んで、被差別部落に住み込む形で実態を描いて、新聞記者ってこんなことができるんだ、これだと決めたテーマに接近できるんだと思った。しかしその後若宮さんは政治部のエリートとして政治部長、論説主幹、主筆になった。朝日がどんどん右にずれているのを引っ張っているんじゃないかと悪口を言ったが、ターゲットになった。あれは論説主幹のときか、「竹島を韓国にあげたらと夢想する」と書いただけでバッシングされた。その程度でバッシングするのか。朝日新聞は好きじゃないが、朝日新聞的なもの、朝日が表象する戦後民主主義的な価値をたたきたい。便利な入り口として植村さん、若宮さんをたたいた。

植村 そう思います。朝日の戦争責任を追いかける「新聞と戦争」という連載で1年間、朝日が戦争中に何をやったか追いかける連載をやった。朝日が朝鮮半島で何をしたか。1910年の韓国併合で「日本になることは朝鮮人にとって幸せだ」と支配する側の論理を反映したが、戦後は反省してアジアとの和解を書いていた。ぼく自身、そういう論調が好きで朝日をめざした。若宮さんの本も読んだ。若宮さんだけでなく、支局長が「とにかくこれをやれ」とやらせた懐の深さ。人と会ったらああいう触媒が出てくる。そういう良さがあった。ところがそういう論調が嫌な人たちがいる。櫻井よしこさんは「朝日は廃刊せよ」という。これはジャーナリストじゃないんじゃないか。

青木 朝日は好きじゃないんです。給料は高いしいばっているし、リーディングニュースペーパーと書いているし。メディア界のエスタブリッシュメントといったら朝日なんですよ。どこのインタビューに応じるかと言えば朝日なんですね。その朝日に「廃刊せよ」といったり、反エスタブリッシュメント的な人が主流になってエスタブリッシュメントをバッシングしている価値の転倒。思想的な面とか歴史修正主義もあるが、何なんだろうかと。朝日にいた植村さんとして、一種の逆転現象。変わった人だと言われた人が中心にいて朝日をたたいている。

植村 朝日に入ると批判を受ける。それを引き受けてそういう会社に入る。昔から批判されてきた。しかしちょっと異常なのは、ぼく自身が攻撃されるのはあり得るが、娘の名前をあげて殺すと手紙が来る。私も娘もびびっていないが、日本を変えていこうという人々に邪魔だと。ほかのリベラルなジャーナリズムに対する攻撃。萎縮を呼ぶような圧力。そういう流れの中の標的になって、ジャーナリズムを沈黙させようとしているのではないか。

青木 本を書いたときに聞かなかった質問がある。朝日が検証記事を載せた。あれは一体なぜああいう検証をしたのか。あれによって朝日バッシングが燃え上がった。ああいうことをやった意味。肯定的か否定的か。植村さんも当事者だったので聞かなかったが。

植村 私は91年8月に金学順さんが記者会見する前に韓国で証言しているという記事を書いただけ。ところが翌年から西岡力さんが攻撃し始めて、書き続けていた。さほど身に迫る危険はなかった。まだ書いていると。たまたま大学の教授に転職すると言うときに弱い大学に攻撃が行った。捏造記者と書かれた。捏造は犯罪ですよね。でっち上げと知って書くと。自分ところの記者が捏造と言われているのに朝日は放置している。植村がまたやられているというだけで捏造じゃないと知っているわけだが、犯罪を犯したと雑誌に書かれたので社内で「取り調べろ」と言って、当時の資料を持って行ったら納得した。「検証してほしい」とお願いした。それで取材班ができるわけだが、吉田清治の問題も抱えていたと言うことで朝日が調査した。私は期待していた。朝日が調べて「捏造はない」と発表してくれたらバッシングは終わると思っていた。「植村に捏造ない」といわれて無罪になったと思ったら、ますますバッシングが激しくなった。見せ方の問題があったのかも知れない。突然記事を取り消したということもあって。朝日は交通整理しようと。さまざまな問題があるなかで、とりあげなきゃならない。吉田証言はどうなんだ、植村はどうなんだというのを交通整理し、ここまでは書いていいというのをねらっていた。慰安婦問題に取り組むつもりだった。朝日が取り組んで検証したのはぼくも要望したのも一つの理由なのでよかったが、その後の結果が予想できなかった。朝日は屈するべきではない。慰安婦問題が解決されてない中で朝日がやるべきことがあるなかで。

青木 自分の名前をウィキペディアでひくと「メディアに誤報はつきものだ」と書いている事になっている。それはつきものだが、植村さんについては誤報ではなく不当なバッシングだと言っているのに、合体されている。

検証記事は何人か知っており、お詫びしなかったとか混乱もおかしなところもあったが、結果的に交通整理できず、世の中のうっすら朝日は何か間違えたらしいという認識が拡散したという気もする。

植村 それはあるでしょうね。

青木 植村さんに聞くのは酷だが、その後のバッシング、朝日の紙面、メディアの状況をどうみるか。

植村 勇気のあるテレビ局、ニュース23のスタッフがわざわざ札幌に来てインタビューしてくれた。岸井さんが最後に「背後に歴史を修正しようという勢力がある」と言ってくださった。しかし昨今の岸井さんをめぐる騒動を見ると、自由にものを言える社会と逆に行こうという動きがある。言論の自由があると叫びながら不自由な時代になっている。平凡な記者であろうと思ったが、何か犯罪や偉業をなしとげたのならともかく、おばあさんが証言を始めたという記事だけでこうなるのは異常だが、ぼくは元気になりつつあるが、全体は萎縮が進んでいるのではないかと心配です。

青木 岸井さんだって保守派ですよね。若宮さんが政治部長、主筆、岸井さんだって政治部長、主筆、せいぜい保守リベラル。岸井さんや古館さんだって、そういう程度なのに、朝日バッシングをきっかけに叩けるんじゃないかということになっているんじゃないか。

植村 読売の全面広告が出ていた。言論を不自由にさせるような風潮が進んでいるということがあると思う。

青木 今度出版する本はどんな内容。

植村 西岡さんは92年、私に取材せずああいう記事を書いた。最初は「事実誤認」と言っていた。それがエスカレートして98年ごろから「捏造」と言い出した。海外特派員をやってきたこともあって、保守的雑誌のバッシングも実害もほとんどなかったが、2014年に就職先を攻撃された。家の前に週刊新潮の記者が来て盗撮する。私がコンビニで週刊新潮を買ってきたら「週刊新潮を読む植村記者」とか、「犬と散歩する植村」とか写真が載る。人を批判する記事も書いたが、メディアに対する恐怖を感じた。捏造記者でないといくら説明しても通じない。週刊文春も新潮も阿比留さんも使って恐怖を感じた。そこへの闘いを始めた。2014年2月からの、転職がだめになったときの悪夢から、立ち上がって闘おうと思って、たくさんの人がささえ、170人の弁護団ができて、札幌では10人に一人の弁護士が弁護団に加わった。どん底から立ち上がって再起する話。なんで私が慰安婦問題を取材したのか。ぼくは新聞記者になったら、弱い人の側で伝えたい。当たり前じゃないか。強い者の代弁をする必要はない。ぼくは記者クラブに属したことがない。野放し状態で、生まれて始めて大きな選挙は韓国の大統領選だった。自由に育って、なぜ韓国と出合ったか、高校生時代の原点。教え子たちとの出会い。北星で4年教えて、韓国のカトリック大の学生が多くて、その学生たちとの思い。北星を去ってカトリックに行く思い。この2年間の記録と原点。私のことを知ってもらって、慰安婦問題をジャーナリストとして取り組まなければと。

青木 ぼくは『抵抗の拠点から』という本を書いたとき、だれを守ろうとか救おうとかじゃなくて、自分がまずいと思ったから書いた。2014年2月くらい、植村さんに最初のバッシングがあった。春から夏にかけて、植村さん支援している人が、ぼくの仕事場の近くに来てくれといわれ、行ったら、その記事を伝えられ「青木さん、このことをどこかに書いてくれ」と頼まれたが、ぼくは断った。「植村さんは記者でしょ。本人が書くべきですよ」と。それから、朝日新聞の検証記事が8月に掲載され、朝日に対する猛攻撃が燃え広がった。このバッシング。朝日だからいいとか悪いとかじゃなくて、朝日には反感と偏見があるが、誤報はミスだから仕方がないが、この状況で国益とか売国とか反日とか言う言葉が飛び交った。誤報は批判されても、国益を持ち出して非難されたらジャーナリズム活動は成り立たない。誤報はミスですから修正して訂正して謝罪するのは当然だが、吉田清治だってあれは誤報なのだろうか。吉田という人物がああ言っていたのは事実。裏を取らないで書いている記事はたくさんある。植村さんが何歳ですかと聞いて、言ったらそのまま書く。つまりごく当たり前にやっていることが、どんどんなぎ倒されていくのはまずいと思ってサンデー毎日に書いたら本になった。最初に植村さんの支援をしている人から書けと言われたときには断った。植村さんが本を出すのは、記者の先輩として自分でペンをとって真実を書くのは、植村さんにやっていただきたいと思っていたことがついに実現するのは非常に楽しみ。

植村 2月26日に発売されます。青木さんに相談したが、そういう話だったというのは聞いていた。「自分で書くべきだ」と言われたというのを聞いて、その通りだと思っていた。岩波の人が心配してくれて、「記録を取り続けろ」と言ってくれた。青木さんが「自分で書くべきだ」というのも書かないといけないと思った。

青木 植村さんに対するバッシング、朝日に対するバッシングは、日本社会がいびつな形で変化しつつある形の表れ。放送法を根本的に曲解して電波を止めるとか、沖縄の新聞をつぶせとか、テレビ局にいると番組で一斉にキャスターが代わるとか、メディアの問題を語りたくもない、仕事場であって語ったり講釈をたれる場ではないのに、その道具がおかしくなりつつある。バッシングの推移は、メディアの踏ん張りどころ、ここで後退するとさらに後退する。踏ん張りどころなのでがんばっていただきたい。

植村 朝日を辞めるころでしたから、元記者でメディアがこわかった。バッシングが理不尽で恐怖感があった。胸が痛くて、空が暗い。どんよりと曇っている。スパッと解決する状況ではない。朝日が「ねじ曲げはない」と書いても晴れない。裁判をやったのは、物理的な脅迫状が来るなかで、朝日が間違ってないと言っても続くなら、究極の第三者委員会と思った。裁判所は。一つだけ成長したのは、一個人として産経新聞社や読売新聞社に質問状を送った。彼らは慌てたり困ったりする。巨大メディアと対決した。そういうことをやろうと思います。何かあったら「おかしいじゃないか」と聞く。けっこう勇気が出てくるというか腹がくくれる。勇気がまたわいてきた。

ぼくは青木さんの本を手にしたときに、百万の援軍を得た思いだった。突然青木さんが来るというので、青木さんのインタビューでもちょっと震えた。「私は今回の朝日バッシングは徹底的にたたかれまくった人の声を聞こうとした。たたかれた者の声を伝えるのが私の責務だという気がした」。最初にきてくださった。青木さん、ありがとう。(握手)

 

【会場参加者との質疑応答】

 吉田清治さんの本は、どこまでが捏造で、どこまでが本当か。吉見さんは「時と場所を変えている」と言われて、歴史的事実としては使えないと思ったという。でも表現はリアルだ。

青木 僕自身吉田清治さんを取材をしたことがないので答えられない。ただ、吉田さんがそういうことを言っていたというのは事実だ。朝日新聞も、果たしてどこまでが嘘でどこまでが本当か今となっては検証ができない、ただ明らかに事実と違う点もある、だから・・・ということではなかったか。実際に検証した人はある程度の感触はあるのかもしれないが。

 モーニングショーの羽鳥さんが橋下さんとの番組を、テレビ朝日で持つという。朝日の中に食い込んで中身を変えちゃおうとするのではと、唖然とした。

植村うちにはテレビがないんで。何年か前に映らなくなったとき変更手続きをしなかった。娘はパソコンで番組を見ている。韓国に留学していたので、韓国の番組も見られる。うちでは、ラジオでニュースを知ったりしている。

青木 僕もその内情は知らない。朝日新聞ってへんてこな新聞社だ。憲法改正とかこんな時期に。でも、上層部は視聴率がよくなると思ったんでしょう。

 私は韓国から来ました。ジャーナリズトを目指している。昨年、日本語で朝日バッシングについての論文を書いたが、青木さんの本に感銘を受けた。(バッシングをする人たちは)右傾化する日本社会の人々の興味を引くために、事実を捻じ曲げたりしている。しかし言論自身の力では立ち直れず、(植村先生は)『真実』を書いたりしてはいるが、どうすればいいか、方法はないか。

青木 なぜ朝日がバッシングを受けたのか。日本社会の右傾化、修正主義化。政権にも一部のネットにも、そういう風潮が強まってきたのはその通り。しかし、それだけではないところもある。「朝日新聞だから」というのも間違いなくあった。最大のメディアに対するある種のバックラッシュの面もあった。もう一つ、日本社会全体にあるメディア不信。僕自身への批判でもあるが、記者クラブ、3・11報道などによるものだ。それも、朝日を叩くときの原動力になった面もある。日本社会全体の重層的なものだ。ただ、言うように日本社会の変質はある。どう打開するか、頭を抱えるしかないが、組織はだめだ。降りることが大事。組織は企業だから最後は営利の論理が働き、膝を屈する。朝日の一昨年の慰安婦検証記事は朝日が耐えきれなくなったから。政府による批判、社への攻撃、OBである植村さんへの攻撃。そこで、慰安婦報道の整理へと追い込まれた。まともな一人が、メディアの中に増えていくしかない。減っていけばどんどん後退戦を強いられる。大手メディアにも、OBにも、フリーにも、歯を食いしばって踏ん張る人が増えるしかない。それと受け手は、まともな記者を応援し育てるしかないと思う。

植村 バッシングをする人たちの邪悪な思いとは別に、朝日にも反省すべき点がある。私は遊軍キャップをして集会などによく行き、市民から学ぶことがあった。記者クラブにいると、当局がブリーフィングしてくれて、楽。札幌市役所担当のとき、横書きされたものを縦に書けばいいだけで、便利だし、こんなに楽な仕事があるのだと思った。外務省などもそうではないか。そういう発表記事ばかり書いていれば、バッシングもされない。

若い記者が、市民や、労働運動をやっている人と接することが大事だ。発表ものだけを書いていたら危機に直面しない。ジャーナリズトになる訓練を、いま会社の中でやらない。そんな中でバッシングが来ると、簡単に委縮する。人々と一緒にものを見る訓練ができていないといけない。バッシングされて揺れる気持ちもわかるが、自身を鍛えていく必要があると思う。一人ひとりの朝日新聞記者、OBの私も問われている。

青木 植村さんのような人が一人でも増えていけば。一気にはできないかもしれないが、見つけたら応援してあげてほしい。

植村 さっき立って質問した韓国から来た姜君は、北星学園での教え子。日本語スピーチ大会で、植村先生の問題を話すことにしたというと、大学当局は「危険だからやめろ」と止めた。しかし姜君は「いえ、やります」と、スピーチをやった。彼の勇気だ。彼は「植村先生を辞めさせない」という署名運動もした。(姜氏に向かい)君たちが(私のような)年を取ったジャーナリストを励ましてもいるんだ。ありがとう。

 

 Text by R.K&K.F