法廷ドキュメント 傍聴席から見た植村裁判 

札幌訴訟の全傍聴記録

 

以下の記事の内容

 札幌地裁口頭弁論(第1回から第12回までと判決)

 札幌高裁控訴審(全3回と判決)

 最高裁決定(新聞記事) 

 

   

札幌地裁 第1回口頭弁論 2016年4月22日

植村氏陳述「櫻井さんの行為はジャーナリストとして許されない」

 

開廷30分前の午後3時。札幌地裁1階で傍聴券の抽選が始まった。並んだのは198人。報道関係者用などを除いた傍聴席57に対し、3・5倍の競争率だ。2基のエレベーターが「当たり組」を乗せ、8階と往復し始めた。

805号法廷。原告弁護団の数が増えていく。何度もパイプいすが持ち込まれ、28人の弁護団席が確保された。その間に櫻井よしこ氏を含む被告側7人が、そろって入廷した。

刑事裁判だと被告人には、第一審の公判に出廷する権利と義務がある。民事の被告に出廷義務はない。東京訴訟の法廷のように、被告の西岡力・東京基督教大学教授本人ではなく、代理人の弁護士しかいないのは、民事裁判でよく見かけることだ。それだけに櫻井氏の出廷は意外だった。そのうえ意見陳述する。普通の口頭弁論初回とは違う空気を、法廷で感じた。

それぞれ20分の意見陳述に先立ち、岡山忠広裁判長が傍聴席に注意をうながした。「拍手したくなる時もあると思いますが、拍手は心の中でお願いします」。廷内にドッと笑いが起き、緊張がゆるんだ。

 

植村氏が3点にわたり櫻井批判

植村隆氏の陳述は、攻撃の矛先が家族にも向けられていることを、もう隠せないと知った脅迫状のことから始まった。

2015年2月2日に受け取ったその脅迫状は「『国賊』植村隆の娘である○○○を必ず殺す。期限は設けない。地の果てまで追い詰めて殺す。絶対にコロス」で終わっていた。恐怖。そして理不尽。千枚通しで胸を刺されるような痛みを、植村氏は絞り出すように話した。

植村氏は25年前、元従軍慰安婦の金学順さんが韓国ソウル市内で、民間団体の聞き取り調査に応じていることを第一報の記事にした。

櫻井氏は2014年3月3日、金さんは人身売買されて慰安婦になったとし(産経新聞朝刊1面コラム)、金さんが後に日本政府を訴えた訴状で「14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳の時再び継父に売られたなどと書いている」と、その根拠を示していた。

植村氏は、訴状には「40円」の話も、「再び継父に売られた」とも書かれていないと指摘。「訴状にないことを付け加え、慰安婦になった経緯を人身売買と決めつけ、読者への印象を操作した。ジャーナリストとして許されない行為だ」と強く非難した。

櫻井氏はまた「慰安婦と女子挺身隊は無関係」としているが、植村氏は、当時の韓国では慰安婦のことを「女子挺身隊」と呼び、日本のメディアも同様の表現をしていたと話した。そして櫻井氏がニュースキャスターだった日本テレビが、ドキュメンタリー「女子てい身隊という名の韓国人従軍慰安婦」を番組案内していることを例に挙げた。

「調べればすぐ分かることを調べず、私の記事を『ねつ造』と決めつけ、憎悪をあおっている。問題の産経コラムのコピーに、手書きで『日本人を貶めた大罪をゆるせません』と書き込んだ匿名の手紙は、コラムにあおられたもの」と述べた。

月刊誌で櫻井氏は、植村氏の教員適格性を問題にし、「こんな人物に、果たして学生を教える資格があるのか」と攻撃。また北星学園大学に対し「23年間、ねつ造報道に頬被りを続ける元記者を教壇に立たせることが、大学教育のあるべき姿なのか」と批判した。植村氏は、こうした発言への反応がインターネット上に現れた具体例を示し、櫻井氏の影響力を指摘した。

櫻井氏が朝日新聞の慰安婦報道を批判し、朝日新聞廃刊を訴えていることについて、植村氏は「言論の自由を尊ぶべきジャーナリストが、言葉による暴力をふるっている」と逆批判した。「私はメディアからの取材、月刊誌への手記などで反論してきたが、『記事はねつ造』と断定し続ける人がおり、脅迫もやむことはなかった。こうした事態を変えるためには『司法の力』が必要です。司法の正しい判断は、表現の自由、学問の自由を守ることにつながると確信している」と締めくくった。

被告席の櫻井氏は身じろぎもせず、真正面の植村氏を見据えていた。

続いて原告弁護団共同代表の伊藤誠一弁護士は、「朝日」「植村」に絞った被告らの極めて公平を欠く執拗な攻撃は、その矛先が自らに向けられることを恐れたマスメディアを委縮させていると指摘。訴訟進行について意見を述べ、「わが民主主義のこれからと、言論のあり方の指針となる判断を」と陳述した。

 

従来と異なる櫻井氏の論法

一方の櫻井氏はまず「世に言う『従軍慰安婦問題』と強制連行の話は、朝日新聞が社を挙げて作り出し、植村氏はその中で重要な役割を担った」と主張した。

34年前の記事で朝日新聞は、「軍命で済州島に出向き、200人の女性たちを強制連行した」という吉田清治氏を取り上げた。のちに事実無根と分かった吉田証言を報道し続けて日本軍の強制連行説を確立。次に植村氏が「戦場に連行された」女性の存在を報じて、「加害者の日本軍・被害者の朝鮮女性」という形が整えられたことになると、持論を展開した。

櫻井氏は、元慰安婦の金学順さんが「女子挺身隊の名で戦場に連行された」と植村氏が書いたとして、その根拠を疑った。そして母親によってキーセンに売られた事実に触れていないことを問題視し、「取材対象が語らなかったことを書き、語ったことを省いた」と決めつけた。

こうした櫻井氏の意見陳述では「○○なのは△△だったからではないでしょうか」「◇◇だとすれば▽▽のはずです」といった、従来の断定調と異なる論法が目につく。そして25年前の植村氏の第一報記事について「私はこの記事について論評したのであって、ねつ造記者と評したわけではない」と言う。

また「植村氏が言論人であるなら、自分が書いた記事への批判には自分の責任で対応するのが当たり前のことだ。植村氏がそうせず司法闘争に持ち込んだ手法は、言論・報道の自由を害するものだ」と述べた。

 

両者の意見陳述の後、岡山忠広裁判長は櫻井氏側が提出した書面の内容が「要点」しか書かれていないことを柔らかな口調で指摘し、「フル規格」で書くように求めた。この点については植村氏側弁護士も「提訴から1年以上も経つのにどうして書けないのか」と発言した。

植村、櫻井両氏が真正面からぶつかり合うことになった口頭弁論。閉廷は午後4時25分。この後、植村、櫻井両氏はそれぞれ別の場所で記者会見を開き、意見陳述内容の説明などを行った。 

text by H.H

記者会見動画 こちら

 

札幌地裁 第2回口頭弁論 2016年6月10日

事実の摘示か、単なる論評か、で主張対立

 

札幌では前日から、夏の訪れを告げる「よさこいソーラン祭り」がにぎやかに開催中で、裁判所周辺でも「ソーラン」が遠くから聞こえていた。傍聴抽選には111人が行列を作った。抽選倍率は一般傍聴席70に対して約1.6倍(前回は3.5倍)。櫻井氏の支援者とみられる日本会議系の団体が事前に傍聴を呼び掛けていたが、それとおぼしき人物と確認できたのは数人のみ。3人程度が抽選に当たり、傍聴券を手にしたようだ。

805号法廷の原告代理人席(植村さん側)はこの日もいっぱいの4列になった。そのため椅子の列は証言台のすぐ前までせり出し、通常の裁判では最前列に座るはずの植村さんが、2列目に埋もれる形になった。

午後3時半開廷。裁判長に向かって左側に植村さんと弁護団の計27人が着席。対する被告席は林、高池弁護士ら代理人6人で、櫻井氏の姿はなかった。

 

裁判はそれぞれの主張を展開する準備書面の応酬となっており、法廷ですべてが読み上げられるわけではない。そのため、傍聴席からはそれぞれの主張の組み立て、争点が分かりにくい。この日の法廷では櫻井氏側の準備書面(3月31日付)に対する反論をまとめた原告側準備書面(6月6日付)の要旨のみ、成田悠葵弁護士が読み上げた。

それによると、櫻井氏側が「捏造」の表現を「意見」「論評」と主張するのに対し、原告側は過去の判例などを踏まえ、「捏造」は証拠の裏付けが必要な「事実摘示(事実を暴くこと)である」と反論。櫻井論文を「事実摘示」とみるか「意見」「論評」とみるかが争点になってきた。

この後、岡山忠広裁判長は原告側に対し、「どの部分が事実の摘示に当たるのか、なぜ植村さんの社会的評価の低下に当たるのか、整理してほしい」と注文。約15分間で閉廷し、非公開の進行協議に移った。

進行協議では、次回以降の年内の期日が以下のように決定した。第3回7月29日(金)、第4回11月4日(金)、第5回12月16日(金)、いずれも午後3時半開廷、805号法廷。

 

text by T.Y

 

札幌地裁 第3回口頭弁論 2016年7月29日

植村氏側が「事実の摘示」について再主張

 

この日の弁論は、原告側が提出した第2準備書面をめぐるやりとりが中心となった。最初に原告弁護団の竹信弁護士が要旨を説明した。第2準備書面は、札幌訴訟の核心となる重要な主張であり、櫻井氏が書いた雑誌記事6点の17個所にわたる名誉棄損表現のどこが「摘示されている事実」にあたるかを具体的に整理している。この主張に対して、岡山忠広裁判長が、一部は「事実の摘示」というよりは「論評」と読めるのではないか、また今後、「論評」による名誉棄損表現も加えるのかどうか、と質問した。さらに、被告側からは準備書面の中の重複した記述など細かな点について質問があった。結局、裁判長も含め、双方のやりとりが10回ほどあった。
開廷は午後4時20分、閉廷は同40分だった。開廷は定刻から50分ほど遅れた。被告側弁護士2人が搭乗した東京からの飛行機が機材繰りで延着したためだった。
この日も地裁1階の会議室には傍聴券を求める長い列ができた。73の座席に対して107人が並び、倍率は1.5倍の高率だった。

 

 

札幌地裁 第4回口頭弁論 2016年11月4日

櫻井氏側が「事実の摘示」を一部で認める

 

裁判所周辺の街路樹の紅葉は終わりに近づき、冬の訪れが近いことを実感させた。今回も傍聴券交付の行列ができ、抽選となった(定員71席に対し87人行列)。
前回まで主たる争点は、櫻井氏が植村さんに浴びせた名誉棄損表現は「事実の摘示」なのか、「意見、論評」なのか、ということだったが、被告側はこの日の陳述でこれまでの主張を変更し、「意見、論評」としていたものの一部が「事実の摘示」であることを認めた。この点について、植村弁護団の小野寺信勝弁護士は、「
被告らは、従前、各表現を論評であると主張してiいたが、今回提出された書面では、各表現のうち事実摘示であることを認める主張がなされた。被告出版社が、事実摘示性を主張する表現は少なくとも論評か事実摘示かという争点は解消し、一般読者の読み方から理解される摘示事実の内容のみが争いが残されたことになる」と意見を述べた。

 

このやり取りを踏まえて、小野寺弁護士は裁判後の報告集会で、「これで事実摘示か論評かについて、お互いの見解が明らかになった。(基本的な)第一の争点のやり取りを終えた。裁判は次のステップに進むことになる」と説明した。名誉棄損をした表現者は、その表現が「事実の摘示」であれば、その事実が真実であるか、真実だと信じてもやむを得ないことの証明が必要だ。次回以降は、櫻井氏の表現が「真実である」のか、もしくは「真実と信じるについて相当の理由がある」のか、について双方の主張、立証が行われ、さらに植村さんが受けた「被害・損害」も大きな争点になる。

 

小野寺信勝弁護士の意見陳述

1 被告櫻井よしこ氏への求釈明

前回口頭弁論期日において、原告は、櫻井よしこ氏が雑誌等に掲載した各表現はいずれも事実摘示であると主張しました。これに対して、被告らは、裁判所より、9月末日までに反論書面を提出するよう促されました。しかしながら、被告出版社からは準備書面が提出されましたが、櫻井よしこ氏から準備書面が提出されておりません。

ところで、櫻井氏は、第1準備書面において、被告櫻井は名誉毀損表現全てについて、「櫻井論稿は「事実摘示」ではなく「意見」ないし「論評」である」(第1準備書面・8~9頁)と主張しています。

しかし、今回、各出版社から提出された準備書面には、櫻井氏の表現を事実摘示と主張するものが含まれ、(例えば、甲7号証「過去、現在、未来にわたって」から「最重要の事柄を書かなかった」まで、甲8号証のうち「氏は韓国の女子挺身隊」から「『太平洋戦争犠牲者遺族会』の幹部である」まで)、被告櫻井氏と被告出版社の主張に矛盾があります。

そこで、櫻井氏は、被告出版社の主張を援用するのか、仮に援用する場合は、原告の第1準備書面に反論する予定はないか釈明を求めます。

 

2 事実摘示・論評に関する主張

被告出版社の準備書面によって、当事者双方の各表現の事実摘示・論評の見解が明らかになりました。

被告らは、従前、各表現を論評であると主張しておりましたが、今回提出された書面では、各表現のうち「事実摘示」であることを認める主張がなされました。

被告出版社が、事実摘示性を主張する表現は少なくとも論評か事実摘示かという争点は解消し、一般読者の読み方から理解される摘示事実の内容のみが争いが残されたことになります。

たとえば、新潮社は、週刊新潮2014年4月17日号に掲載された櫻井氏のコラム中の次の表現-「氏は韓国の女子挺身隊と慰安婦を結びつけ、日本が強制連行したことの内容で報じたが、挺身隊は勤労奉仕の若い女性たちのことで慰安婦とは無関係だ」-を事実摘示であると認めましたが、植村氏の「故意」「意図的」といった主観的表現を読み込むことは一般読者の読み方に反すると主張しています。

しかしながら、ある文章を読む際に、一般読者は当該センテンスを切り出して意味を読み取るのではなく、「意図的な虚偽報道」という見出しの情報を得てから本文を読み、その見出しを含めた前後の文脈から表現がいかなる事実を摘示しているのかを理解するはずです。新潮社の主張は表現を細分化し、前後の文脈を無視することで摘示事実を著しく狭く解釈する点で一般読者の読み方に反しております。

原告は、次回期日までに、事実摘示か論評か争点となっている表現については、原告は更に反論し、被告らの摘示事実の誤りについても準備書面を提出します。

 

3 12月16日以降の期日

本件訴訟は争点が多岐にわたります。現在、主に各表現の事実摘示性につき主張を闘わせておりますが、今後、真実又は真実相当性に関する主張・立証、損害に関する主張・立証等、が想定されます。

原告は、事実摘示性と平行して、これらの争点についても主張・立証を進める準備を進めております。

特に、本件は、著名な言論人が、雑誌やインターネット上で、原告が慰安婦記事を「捏造」したなどと執拗に攻撃した事案ですが、原告の被害を理解するうえでは、何より家族や勤務先にも脅迫等の大きな被害が生じたことを含めた被害の実態を理解する必要があると考えています。原告は、年度内を目処に、損害に関する主張書面を提出したいと考えています。

次回期日までは進行協議期日で示された審理計画に基づき進めて参りましたが、12月16日以降の期日は決まっておりません。次回期日終了後に事実摘示以外の争点も含めた今後の審理計画につき進行協議を設けていただくことを希望します。

  

 

札幌地裁 第5回口頭弁論 2016年12月16日

植村氏側が櫻井氏側の主張に反論する書面提出

 

この日、午後3時の気温は氷点下3.9度。裁判所近くの大通公園は凛とした冬化粧に包まれていた。そんな師走の週末の午後にもかかわらず、この日も傍聴券を求める行列ができ、抽選となった(傍聴席72、行列は75人)。
午後3時30分開廷。まず、原告側が第4、第5準備書面の要旨朗読を約10分行った。二つの書面は、前回、新潮社とダイヤモンド社が櫻井よしこ氏の表現は名誉棄損にはあたらない、と主張したことに対する反論だ。齋藤耕弁護士は、新潮社が「事実の摘示であっても原告の社会的評価を低下させない」とする理由に対して、「表現を文節ごとに分解などして、一般読者が受ける印象とかけ離れた解釈をしている」と批判した。また、竹信航介弁護士は、ダイヤモンド社が「表現が具体性に欠けるから原告の社会的評価は低下しない」とする理由について、最高裁の重要な判例を引用して「社会的評価を低下させるものであるかどうかの判断は一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべき」と反論した。

これでこの日の陳述は終わり、次回以降の進め方について岡田忠広裁判長の考えが示された。原告と被告の主張を裁判長があらためて整理し直し、土俵をきちんと作って審理の速度を早めようという趣旨の提案だ。裁判長は双方に同意を求め、いくつかのことを確認して閉廷する段取りだった。
ところが、ここで波乱が起きた。櫻井氏の代理人弁護士が、「ワックの陳述を原告は読み違えている」「きょう予定されていた弁論を原告はしなかったため2カ月も空転が生じた」などと発言した。傍聴席には失笑があちこちでもれた。伊藤誠一弁護団長、小野寺信勝事務局長、大賀浩一弁護士が次々と大きな声で反論した。

 

結局、岡山裁判長の裁きで混乱には至らなかったが、閉廷したのは午後4時10分。波乱気味のやり取りを含め40分も費やした口頭弁論は、植村裁判ではこれまでの最長記録だ。

このやりとりについて、弁論の後に開かれた報告集会で、大賀浩一弁護士は、次のように解説した。

「そもそもワックの準備書面(9月30日付)は、よくわからない、はっきりしない、煮え切らない内容のもので、私は10回読み直したが理解できなかった。裁判長が、それでは困るので裁判所が内容を整理しますよ、ということなのです。それについて、原告が内容を読み違えたとか変えたというのは、ワックに代わって口を出した弁解、いちゃもんです。2カ月の空転とかいうが、原告側が待っていた櫻井氏の準備書面を代理人は9月30日までに提出せず(出版3社は提出)、その1カ月後に、書面はどうしたのかと問いただすと、各社の主張を援用すると言ったのですよ。各社の中にはワックも入っている。ワックにしても、提出した重要書面を陳述しながら、その内容を変えるというのは、民事訴訟法では「自白の変更」といって、よほどの事情がない限り許されないことなんです」

 

この日に提出した書面内容は次のとおり。

原告第4準備書面要旨(抜粋)

被告新潮社は、櫻井論文イ(甲8)に関して、原告の指摘した表現①~⑤の事実をそれぞれ分断して検討するなどして、これらは、事実の摘示ではなく、論評であったり(表現①)、または、事実摘示であっても、原告の社会的評価を低下させないものであり、名誉毀損に該当しないとするものである。

そこで、まず、過去の判例の検討から、名誉毀損該当性について、再検討する。

これまでの最高裁判決によると名誉毀損該当性については、「一般読者の注意と読み方を基準として解釈した意味内容に従う」としており、その判断は、判例として確立している。

そのため、新聞や雑誌が一般大衆によって読まれることに鑑みるのであれば、その記事内容が、ある人の名誉を毀損するかどうかを「平均的な一般読者の印象(解釈)を基準とすべきこと」になる。

そして、その検討に当っては、文節ごとに分解して検討するのではなく、筆者のメッセージがどこにあるのかを考えつつ、各文節の有機的関連性を検討すべきである。そうでなければ、筆者のメッセージとかけ離れた解釈になってしまい、筆者の文意を曲解することになるからである。

また、一般読者の注意と読み方を基準とする解釈は、普通人が極く常識的に受け止めたものが、その内容となるが、場合によっては、いくつかの解釈もありうる。しかし、その解釈は、文意全体から筆者の意図・メッセージを忖度しつつ、解釈しなければならない。

このことは、最判H9.9.9の趣旨からも読み取れるものであり、新聞や雑誌を読む一般人の感覚にも合致する。

以上を前提に、櫻井論文イ(甲8)を読むと、「意図的な虚偽報道」(表現①)との表題以下が、本件で問題となっている部分であり、これらは、上記表題以下、筆者の一つのテーマとして、一体のものとして読み、そのメッセージを読み取ろうというのが、一般読者の注意と読み方を基準とする解釈であり、これらをさらに細分化して、解釈しようとする被告新潮社の主張は、逆に筆者のメッセージを曲解することになりかねない。

そのため、これらが、全体として事実を摘示し、かつ、その内容が原告の社会的評価を低下させるものであることは明らかである。

同様に、櫻井論文ロ(甲9)も、また、櫻井論文ロは、朝日新聞批判をその目的として、その批判材料として、原告及びその勤務先の北星学園大学への脅迫問題を取り上げているものであるが、このテーマに基づき、表現①ないし表現④が摘示されているため、これら各表現は、分断してその文意を探るのではなく、全体を通じて、その意味内容が何かを読み取ろうとするのが、一般読者の注意と読み方を基準とする解釈に該当する。

そして、その内容もまた、具体的事実を摘示し、かつ、その内容が原告の社会的評価を低下させるものであることは明らかである。

 

原告第5準備書面要旨(抜粋)

<第1 新聞・雑誌等の表現の名誉毀損該当性の判断基準について>

新聞・雑誌等の表現による不法行為たる(事実の摘示による)名誉毀損に該当するかどうかは,事実の摘示に当たるかどうか,その表現がいかなる事実を摘示しているか,その事実の摘示によって被害者の社会的評価が低下するかといった点によって左右されるものです。

これらの点の判断基準は,既に判例上明らかにされています。

 (特に,最判平成9年9月9日民集51巻8号3804頁では,以下に引用する重要な判示がされ,判例として確立しています。

 「ある記事の意味内容が他人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは、当該記事についての一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきものであり(中略)、そのことは、前記区別に当たっても妥当するものというべきである。すなわち、新聞記事中の名誉毀損の成否が問題となっている部分について、そこに用いられている語のみを通常の意味に従って理解した場合には、証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を主張しているものと直ちに解せないときにも、当該部分の前後の文脈や、記事の公表当時に一般の読者が有していた知識ないし経験等を考慮し、右部分が、修辞上の誇張ないし強調を行うか、比喩的表現方法を用いるか、又は第三者からの伝聞内容の紹介や推論の形式を採用するなどによりつつ、間接的ないしえん曲に前記事項を主張するものと理解されるならば、同部分は、事実を摘示するものと見るのが相当である。また、右のような間接的な言及は欠けるにせよ、当該部分の前後の文脈等の事情を総合的に考慮すると、当該部分の叙述の前提として前記事項を黙示的に主張するものと理解されるならば、同部分は、やはり、事実を摘示するものと見るのが相当である。」)

判例に照らして,被告ダイヤモンド社の櫻井論文エないしカについて検討すれば,いずれも原告の社会的評価を低下させる事実の摘示に当たる表現である,というのが今回の書面の趣旨です。

<第2 週刊ダイヤモンド2014年9月13日号(櫻井論文エ・甲10)>

ここでは,原告について触れたのは連続する2つの文ですが,被告らは,この2文を別々のことを指していると主張しています。しかし,内容的にも体裁的にもそのような読み方には無理があるので,その旨反論しています。

また,被告らはこの論文について,金学順さん個人の事情について原告が記事で捏造したと主張します。これに対して,「女子挺身隊という勤労奉仕の少女たちと慰安婦を結びつけて報じた」という表現からすれば,「女子挺身隊」や「慰安婦」一般について原告が捏造したと述べていると読むべきであると反論しています。

さらに,被告らはこの表現が具体性に欠け原告の社会的評価を低下させないと主張します。これに対して,以上に述べたことからすれば具体性に欠けるところはないとの反論をしています。

続いて,被告らは表現が具体性に欠けることなどを理由に事実の摘示ではなく論評であると主張します。これに対して,既に主張したように,証拠による認定可能性に欠けるところはないなどの反論をしています。

<第3 週刊ダイヤモンド2014年10月18日号(櫻井論文オ・甲11)>

この論文については,被告らは表現が具体性に欠けるから事実を摘示しておらず,原告の社会的評価も低下しないと主張します。これに対し,論文全体の内容を受けているのが「捏造」という表現であり,そこには論文全体に現れている具体的事実が含まれているので,原告の社会的評価を低下させる事実の摘示として具体性に欠けるところはないと反論しています。

また,被告らは「捏造だと言われても仕方がない」との言い回しをとらえて,「仕方がない」かどうかは証拠によって認定できないから意見・論評であると主張します。これに対し,判例の基準によって,普通に読めば「〜と言われても仕方がない」の前に書かれた事実を摘示しているものであると反論しています。

<第4 週刊ダイヤモンド2014年10月25日号(櫻井論文カ・甲12)>

この論文については,被告らは表現が具体性に欠けるから原告の社会的評価が低下しないと主張します。これに対し,判例の基準によって,この論文がこの連載の他の回を引用していることなどにかんがみれば,それらの表現と一体として評価されるべきであるから,原告の社会的評価を低下させる事実の摘示に当たるとの反論をしています。

 

札幌地裁 第6回口頭弁論 2017年2月10日

植村氏側「被告櫻井はきわめて違法で悪質」と厳しく批判

 

柔らかな日差しが春の到来間近を思わせる季節。正午の気温はプラス4度。裁判所のすぐ近くの大通公園は雪まつりでにぎわっていた。開廷前の傍聴券交付(定員71人)の行列には73人が並び、今回も抽選となった。

植村弁護団は補助席も含めて21人が着席、いっぽう被告側弁護団はいつものように7人が席に着いた。定刻の午後3時30分開廷。はじめに被告、原告双方からそれぞれ4通の準備書面の提出の確認(陳述)があった。その後、植村弁護団の福田亘洋、秀嶋ゆかり両弁護士が第9準備書面の要旨を朗読(意見陳述)した。
同書面は、「被告櫻井による本件各名誉毀損表現が、判例上打ち立てられた抗弁の前提を欠くほど悪質性を帯びたものであることを踏まえた上で、被告らの抗弁に対する反論を行っている」もので、櫻井よしこ氏をこれまでになく強い語調で、鋭く批判し徹底的に糾弾している。福田、秀嶋両弁護士の凛然たる声が廷内に響き渡った。その一部を紹介する。

 

被告櫻井は悪質な攻撃(バッシング)の手段として、原告の記事の用語と内容を敢えて捻じ曲げて記述することで、「捏造」「虚偽報道」と断定している

被告櫻井は、原告の記事を「捏造」であると言うために、敢えて記事の核心的な部分である元従軍慰安婦であった女性が自ら体験した性暴力被害を語った点に一切触れていない

このような被告櫻井には、抗弁を主張することの適格性すらないというべきである

被告櫻井は原告の記事を執拗に「捏造」記事であると主張する反面、これらと同様内容の記事を掲載した国内他紙に対するバッシングは一切行っていない

つまり、被告櫻井は、原告のみを目の敵とし、同人に対するバッシングが最も功を奏するタイミングを見計らって名誉毀損行為を行っていたのである

被告櫻井による名誉毀損行為の違法性・悪質性は顕著であり、他の同種事案に比して際立っている

被告櫻井は、より鮮明に「連行されて日本陸軍慰安所に送られ」「強制連行」「強制的に」等と記した読売新聞社、産経新聞社に対しては、全く批判せず、ことさら原告及び朝日新聞社を狙い撃ちしている

被告櫻井の名誉棄損表現は、原告に対する根拠のない誹謗中傷そのものであり、その記述内容には、全く公共性・公益目的性は認められない

 

何度も繰り返し語られてきた核心の事実だが、このようにまとめ束ねて語られると、3年前のバッシングが思い出され、新たな怒りがわいてくる。

意見陳述は20分ほどで終わり、岡山忠弘裁判長が今後の進行についての考えを述べた。「名誉棄損表現をめぐる双方のやりとりは次回と次々回で終え、そのあと、人証(証人尋問と本人尋問)に移る」と明言した。札幌訴訟はいよいよ胸突き八丁にさしかかる。すでに決定ずみの7回(4月14日)に続き、次々回(8回)は7月7日(金)と決まった。本日の閉廷は午後4時2分だった。

 

札幌地裁 第7回口頭弁論 2017年4月14日

植村氏側がバッシング被害を詳細に陳述

 

植村弁護団は第1011準備書面を提出し、その要旨を川上有、上田絵里、大類街子の3弁護士が読み上げた。被告櫻井氏の言説がネット上で拡散し、激しいバッシングを引き起こしたことはこれまでの弁論でも明らかにされているが、この日の弁論では、ふたつの大学(神戸松蔭女子学院、北星学園)に寄せられたメールや電話、ファクスが、ネットで流れた櫻井氏の記事を引用するなど、密接に関係していることを時系列的に指摘し、櫻井氏の言動を次のように批判した。

 

▽SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を利用した情報発信は、連鎖的に感情が増幅されることがしばしばあります。情報の送り手が激怒すれば、受け手がこれに呼応して感情を増幅させていくのです。その結果、芸能人らのブログがしばしば炎上したりします。被告櫻井は、このようなSNSによる情報伝達の威力を十分に知っていました。だからこそ、被告櫻井は、自分の記事をブログに転載しているのです。

▽被告櫻井は、反韓嫌韓感情に触れる情報が、ネット社会でどのように拡散していくかについて十分に認識していました。被告櫻井は、ネット右翼の言動の問題点を十分に認識していました。

これは、被告桜井自身がSAPIOに「ネット右翼のみなさん、現状への怒りはそのままに歴史に学んで真の保守になってください」という記事を書いていることからもわかります。そこでは、ネット右翼がネット上で「朝鮮人は半島に帰れ」など書いていることが指摘されています。そして、これらが誹謗中傷であるとしているのです。被告櫻井は、ネット右翼の言動を十分に熟知しているのです。被告らは、このようなネット社会の現状やネット右翼の言動を十分に知っていました。ですから、自分たちが放出する情報が、どのように社会に拡散し、影響を与えるかということを分かっていたということになります。

▽被告櫻井は、本件各論文を含む植村さんを批判する論文執筆やブログへの転載を続けています。日付だけ述べます。2014年6月26日、7月3日、8月1日、7日、 16日、 21日、23日、 28日、9月1日、8日、13日、18日、25日、10月11日、14日、16日、17日、20日、23日、25日、12月11日、18日などです。執拗かつ多数といわざるを得ません。その間、同年5月から北星学園大学に対する非難・抗議のメール・電話が多数寄せられています。脅迫状も届いています。非難・抗議メールは多くの月で100通を超え、8月には500通を超えています。非難・抗議電話も8月以降は月100本を超え、200本を超える月もあります。被告櫻井は、このような経過の中で、本件各論文を執筆しているのです。被告櫻井が、このような経過を知らないわけがありません。そうであれば、被告櫻井がこれら各論文を掲載した場合には、北星学園大学や植村さんに、どのような影響を生じるかもまた熟知していたはずなのです。

▽被告櫻井の論文においては、原告の執筆した記事内容そのものへの批判のみならず、ジャーナリストとしての資格、さらには、教育者としての資格もないなどと断言しています。互いに言論で議論を交わすのであれば、その表現内容に対し反論すべきでありますが、被告櫻井は原告の新聞記者としての経歴のみならず、記事を書いた23年後の原告の勤務先というプライベートな事実を暴露し、表現内容とは無関係の教育者としての資格を非難するものであり、その点でも表現内容は悪質であると言わざるを得ません。

▽原告には甚大な被害が生じているにもかかわらず、被告櫻井は、本訴訟第一回口頭弁論期日において、原告に向けて「捏造記事と評したことのどこが間違いでしょうか」などと意見陳述を行い、原告の名誉回復を図る意思が一切ありません。

原告は、被告らにより、「慰安婦記事を捏造した」といういわれなき中傷を流布され、これに触発・刺激された人々から多数の激しいバッシングと迫害を受け、自身が雇用を脅かされて生存の危険に晒されるだけでなく、家族も生命の危険に晒されています。

当該精神的損害を慰謝するには、最低でも請求の趣旨のとおりの慰謝料が支払われ、謝罪広告が掲載されなければ到底足りるものではありません。

 

開廷午後3時30分、閉廷午後4時5分。今回も傍聴券交付は抽選となった(定員71人に対し83人が行列)。次回期日は7月7日(金)に決まっているが、論点整理のための弁論をさらに行うことになり、次々回は9月8日(金)に設定された。

 

この日、読み上げられた書面内容は次のとおり。

第11準備書面要旨① 原告訴訟代理人 川上有

まず、原告である植村さんが被った損害を考えるにあたり特に留意すべきことについて述べます。

(1)ネット社会における名誉棄損行為

被告櫻井は、現代のネット社会の状況を十分に認識していました。

つまり現代社会は、フェイスブック、マイクロブログ、ツイッター、インスタグラムなど、多岐にわたるSNSが発達しています。それによって、大衆は、自宅に居ながら大量の情報を入手できるようになりました。しかも、雑誌を買うお金もかかりません。それだけではありません。従来、情報の発信はマスメディアに独占されていました。

しかし、SNSによって、大衆は情報の送り手となることができるようになったのです。大衆の間でその情報は連鎖して、何万人、何十万人という膨大な数に伝播できるようになったのです。これまではごく親しい人間に対する口コミ程度だったことと大きく異なります。これは劇的な変化です。

さらに、SNSを利用した情報発信は、連鎖的に感情が増幅されることがしばしばあります。情報の送り手が激怒すれば、受け手がこれに呼応して感情を増幅させていくのです。その結果、芸能人らのブログがしばしば炎上したりします。

被告櫻井は、このようなSNSによる情報伝達の威力を十分に知っていました。だからこそ、被告櫻井は、自分の記事をブログに転載しているのです。被告櫻井以外の被告らも、マスメディアである以上、これらのことを当然知っていました。

(2)反韓・嫌韓感情に触れる情報による名誉棄損行為

また、被告櫻井は、反韓嫌韓感情に触れる情報が、ネット社会でどのように拡散していくかについて十分に認識していました。被告櫻井は、ネット右翼の言動の問題点を十分に認識していました。

これは、被告桜井自身がSAPIOに「ネット右翼のみなさん、現状への怒りはそのままに歴史に学んで真の保守になってください」という記事を書いていることからもわかります。そこでは、ネット右翼がネット上で「朝鮮人は半島に帰れ」など書いていることが指摘されています。そして、これらが誹謗中傷であるとしているのです。

被告櫻井は、ネット右翼の言動を十分に熟知しているのです。当然のことながら、マスメディアである他の被告らも熟知しています。被告らは、このようなネット社会の現状やネット右翼の言動を十分に知っていました。ですから、自分たちが放出する情報が、どのように社会に拡散し、影響を与えるかということを分かっていたということになります。

(3)本件各名誉棄損行為と植村さんを取り巻く社会状況

しかもそれらの論文が掲載された時期が問題です。原告である植村さんを取り巻く社会状況との関係です。いくつかについて具体的に指摘します。

ア 被告櫻井が、最初に本件名誉毀損論文を出したのは、WiLL4月号です。これは、週刊文春に神戸松蔭女子学院大学の記事が掲載され、神戸松蔭に多数の非難・抗議メール・電話が寄せられた時期です。

その記事で、被告櫻井は、原告の植村さんが「真実を隠して捏造記事を報じた」などと書いているのです。

このような時期に、植村さんが「ねつ造記事を報じた」などという記事を出せば、ネット右翼らがどのように反応するかは、被告櫻井は十分に理解できていたのです。

結局、植村さんは、その直後に、神戸松蔭への就職を辞退せざるを得なくなりました。

イ そして、被告櫻井は、この直後に週刊文春で「意図的な捏造報道」という見出しの論文を執筆しています。ご丁寧にもこの記事を自分のブログに転載しています。

まさにネット右翼らが、原告の神戸松蔭への就職を断念させたという成功体験を得た直後なのです。

このような時期にこのような記事を掲載したならば、こうした非難・抗議行為をさらに助長し、ひいては扇動する。被告櫻井は、そのことを知りながら、同記事を執筆していると言わざるを得ません。

ウ さらに、被告櫻井は、その後も、本件各論文を含む植村さんを批判する論文執筆やブログへの転載を続けています。

日付だけ述べます。

6月26日、7月3日、8月1日、7日、 16日、 21日、23日、 28日、9月1日、8日、13日、18日、25日、10月11日、14日、16日、17日、20日、23日、25日、12月11日、18日などです。

執拗かつ多数といわざるを得ません。

その間、同年5月から北星学園大学に対する非難・抗議のメール・電話が多数寄せられています。脅迫状も届いています。

非難・抗議メールは多くの月で100通を超え、8月には500通を超えています。

非難・抗議電話も8月以降は月100本を超え、200本を超える月もあります。

被告櫻井は、このような経過の中で、本件各論文を執筆しているのです。

被告櫻井が、このような経過を知らないわけがありません。そうであれば、被告櫻井がこれら各論文を掲載した場合には、北星学園大学や植村さんに、どのような影響を生じるかもまた熟知していたはずなのです。

本件各名誉棄損行為は、このような社会環境や植村さんを取り巻く社会状況の中で執拗に、そして継続的になされているのです。

このことは、植村さんの損害を考えるにあたって決して軽視してはならない事情なのです。

 

 第11準備書面の要旨 原告訴訟代理人 上田絵理

1 今回提出した第11準備書面の後半においては、被告櫻井論文がインターネット上に公開されたこと、また被告各出版社の発行する雑誌に掲載されたことによって、原告が被った不利益の程度がどれほど甚大なものであったのか、について具体的に論じています。

2 名誉毀損に関する裁判例においては、損害の程度を考慮するにあたって、いくつかの要素をあげて検討されています。

特に本件で注目すべき点は、被告櫻井の論文において原告の記事を「捏造」と断定したその表現方法が悪質であること、その論文の中では原告の新聞記者としての、また大学教員としての資質までも否定し、新聞記者としての、また教育者としての地位を社会から抹殺させるに等しい内容であること、それらをインターネットや発行部数の多い雑誌等に掲載し全国に知らしめたこと、そして、それらに触発された不特定多数の人々が、原告や原告の家族、原告の勤務先に脅迫等を行うという方法で原告に対し社会生活上極めて甚大な不利益を及ぼしているという点です。

3 1991年8月当時、原告が執筆した金学順さんに関する記事と同種の他社の新聞記事はいくつも発表されていました。ところが、被告櫻井の各論文ではとりわけ原告の記事のみを取り上げ、「捏造」「意図的な虚偽報道」と断定しており、これはまさに個人攻撃をしているというよりほかありません。

「捏造」とは、でっちあげ、意図的に事実を作り上げること、を意味します。新聞記者が記事を「捏造」したと断定されることは、事実を報道する新聞記者が職務を放棄したと非難されるに等しいものですので、安易に使用してはいけないことは当然です。そのため「捏造」と断定するからには、十分な取材調査行為が行われなければなりませんが、被告櫻井が取材等を行ったとの事実は認められず、この点も損害の程度を考慮する上で重視されるべきです。

また、被告櫻井の論文においては、原告の執筆した記事内容そのものへの批判のみならず、ジャーナリストとしての資格、さらには、教育者としての資格もないなどと断言しています。互いに言論で議論を交わすのであれば、その表現内容に対し反論すべきでありますが、被告櫻井は原告の新聞記者としての経歴のみならず、記事を書いた23年後の原告の勤務先というプライベートな事実を暴露し、表現内容とは無関係の教育者としての資格を非難するものであり、その点でも表現内容は悪質であると言わざるを得ません。

4 さらに、被告櫻井の各論文発表当時、原告は、2012年4月からは、北星学園大学にて非常勤講師として勤務し、また、2013年12月には、神戸松蔭に公募で採用され、教員としての第一歩を踏み出したところでありました。そのような中で、原告の勤務先及び内定予定の大学先が暴露され、「捏造」記事とのレッテルを貼られた結果、神戸松蔭及び北星学園大学に対し、不特定多数の者から、メール、FAX、電話などによる原告への非難が殺到しました。

そのような抗議を受け、原告は、神戸松蔭から「記事を見た人たちから『なぜ捏造記者を雇用するのか』などという抗議が多数来ている。記事の内容の真偽とは関係なく、このままでは学生募集などにも影響が出る。松蔭のイメージが悪化する」などとして、やむなく神戸松蔭との契約を解約せざるをえない事態に追い込まれました。

さらには、北星学園大学への抗議・脅迫が集中することとなり、雇用継続をするか否かにつき、北星学園大学は苦渋の判断を迫られました。

このような被害実態から、原告を雇用すれば同様のバッシングを受け、学生ないし受験生への危害が予告されるなどの脅迫を受けることが予想され、原告を雇用するという大学が現れることが期待しがたい状況になり、原告が志した教育者としての道を進むことが困難な状況に追い込まれていきました。

これらの社会的評価の低下による原告への不利益の低下の程度が甚大であることも損害額算定にあたって十分考慮されるべきです。 

 

第11準備書面の要旨 原告訴訟代理人 大類街子

1 社会生活上の不利益

名誉毀損によって原告に与えられた損害の程度を勘案するにあたって、社会生活上の不利益の程度も見過ごすことはできません。

() まず、原告の勤務先への脅迫行為についてです。

(ア)原告の内定が決まっていた神戸松蔭に対し、2014年1月30日に発売された週刊文春の被告櫻井らの記事をきっかけに、原告の採用取り消しを求める多数のメールが送られました。その中には「街宣活動する」との脅しまでありました。

そのような中、被告櫻井は、2014年2月28日発売のWiLL4月号において、自ら、原告が内定していた大学に対して原告の雇用予定の有無を問い合わせたと記し、「こんな人物に、はたして学生に教える資格があるのか、と。だれがこんな人物の授業を受けたいだろうか。」と記載して、神戸松蔭への攻撃を煽りました。

神戸松蔭への攻撃が増し、その結果、原告は神戸松蔭から就任辞退を求められ、雇用契約を解除せざるを得なくなりました。

(イ)勤務先への攻撃はさらに、原告が当時勤務していた北星学園大学への脅迫行為にまで発展していきました。

㋐ 抗議メールについて

まず、2014年5月から同年12月までの8カ月の間に、北星学園大学に対し、原告の解雇等を求める抗議メールが1600通以上届くようになりました。

その抗議メールの中には、被告櫻井の論文にて原告を非難するにあたって使われた「捏造」という言葉が毎月何十回、多い月では数百回と用いられています。

その他にも、原告に対し、「国賊」「詐欺師」「売国奴」と誹謗中傷する言葉が記載されています。

また、メールの中で、「桜井よし子さん(原文まま)も松蔭女子に抗議したので追い出されたのです」と記載するものもあり、まさに被告櫻井の論文が影響を直接与えたメールもあります。

そして、被告櫻井は、このような状況にあることを十分に認識している中で、さらに「植村氏は北星学園大の人格教育にどのように貢献すると考えるのか」「23年間、捏造の訂正も説明もせず頬被りを続ける元記者を教壇に立たせ学生に教えさせることが、いったい、大学教育のあるべき姿なのか」などの記事をさらに掲載し、大学への攻撃をさらに煽っていったのです。

㋑ 脅迫状について

次に、北星学園大学には複数の脅迫状も届きました。

その脅迫状は、「捏造朝日記者の植村隆を講師として雇っているそうだな。売国奴、国賊の。」「植村の居場所を突き止めて、(中略)なぶり殺しにしてやる。」「すぐに辞めさせろ。やらないのであれば、天誅として学生を痛めつけてやる。」といった極めて悪質な内容のものでした。

㋒ 抗議電話について

さらに、原告の解雇等を求める抗議電話が北星学園大学には、月に10本以上、多いときには100本以上かかってきていました。

罵声を浴びせる内容のものや、1日に複数回かけてくる者、1時間以上にわたって抗議を述べ続ける者などもおり、大学の日常業務に多大な支障を来すものでありました。

 (2)そして、原告の被害は勤務先にとどまらず、家族にも及んでいます。

まず、インターネットでの(誹謗中傷)攻撃は、原告のみならず、原告の記事と無関係な原告の娘も対象にされました。

原告の娘は、インターネットに実名と顔写真を晒されたうえ、「自殺するまで追い込むしかない」などの誹謗中傷が多数書き込まれたのです。

そして、2015年2月ころには、北星学園大学充ての脅迫文の中で、娘の実名が記載されたうえ、「何年かかっても殺す。どこへ逃げても殺す。絶対に殺す。」との脅迫状が届いています。

さらに、娘の通う高校に対しても、誹謗中傷のFAXが送信されました。

原告は、娘を不安にさせないため、脅迫状の件などを伝えてはいなかったのですが、警察が娘を警護する状況が続く中で、ついには娘にも被害状況について伝えざるを得なくなりました。

原告及び原告の家族は、毎日脅迫行為におびえる生活を余儀なくされ、また、インターネット上に実名や顔写真を晒され続けるという多大な生活上の不利益を被ったのです。

2 配布後の態度(事後的事情による名誉回復の度合い等)

以上のように、原告には甚大な被害が生じているにもかかわらず、被告櫻井は、本訴訟第一回口頭弁論期日において、原告に向けて「捏造記事と評したことのどこが間違いでしょうか」などと意見陳述を行い、原告の名誉回復を図る意思が一切ありません。

このような事情も、慰謝料算定にあたり、十分考慮されなければなりません。

3 まとめ

以上のとおり、原告は、被告らにより、「慰安婦記事を捏造した」といういわれなき中傷を流布され、これに触発・刺激された人々から多数の激しいバッシングと迫害を受け、自身が雇用を脅かされて生存の危険に晒されるだけでなく、家族も生命の危険に晒されています。

当該精神的損害を慰謝するには、最低でも請求の趣旨のとおりの慰謝料が支払われ、謝罪広告が掲載されなければ到底足りるものではありません。

 

 

札幌地裁 第8回口頭弁論 2017年7月7日

判決の下敷きとなる「主張整理案」めぐりやり取り

 

この日、札幌は最高気温が33度を超え、今年初めての真夏日となった。支援者の夏も熱い。傍聴希望者は定員71人に対して78人だった。午後3時過ぎ、裁判所職員が今回も抽選となったことをハンドマイクで告げると、横に7列に並んだ行列に軽いどよめきが広がった。

原告と被告双方は、裁判所が前回弁論(4月14日)の後に提示した「主張整理案」(6月2日付)についての意見を書面で提出し、次回以降の進め方についても意見を交わした。

 

裁判所の「主張整理案」とは、第1回弁論以降の原告側主張と被告側の反論を精緻に要約した文書で、本文はA4判17ページ、別紙主張対照表はA4判8ページにわたっている。ここに書かれている内容は、裁判所の客観的な“理解度”を示しており、裁判の最後に書かれる判決書の争点整理の項の下敷きともなる重要な書面である。

植村さん側はこの整理案について、肩書や日付の誤記の指摘と、表現の補強要請など8点を簡潔に述べるにとどめ(第12準備書面)、この日の法廷では意見陳述はしなかった。原告側の読み上げ陳述なしは今回が初めて。

一方、被告側は、櫻井氏と新潮社が7月5日付の書面を提出したが、追記と部分削除の要求が含まれていたため、主張整理案をめぐるやりとりは持ち越され、次回以降も続くことになった。櫻井氏側はこれとは別に、前回弁論で植村さん側が提出した第11準備書面(ネット上の櫻井氏の記事が植村バッシングを拡大させたことを実証し追及した)に対する反論(第5準備書面)を提出し、「櫻井の論文と第三者による脅迫行為に因果関係はない」と主張している。また、ワック社はA4判27ページの長大な書面(6月30日付)を提出し、戦時中の軍資料類を多数援用しながら、朝日新聞の慰安婦報道や吉田清治証言を批判している。これは「主張整理案」とも植村さんの書いた記事とも直接は関係がない“歴史修正主義”史観の展開である。

 

次回以降の進め方については、岡山裁判長が「次回と次々回も主張整理案の論議は続けるが、同時に証人尋問の方針やその範囲も双方にお伺いしたい」と述べ、簡単なやり取りの後、原告、被告双方が証人尋問の具体的な準備に入ることを確認した。日程は次回(9月8日、第9回)と次々回(10月13日、第10回)が確定した。これにより、第10回弁論で双方の主張のやり取りは終了し、その次に、終盤の対決のヤマ場となる証人尋問を迎えることになった。証人尋問には植村、櫻井両氏が出廷する。両氏の直接対決があるかもしれない。開廷は午後3時30分、閉廷は同3時45分だった。

次回は9月8日、次々回は10月13日に開かれる。いずれも午後3時30分開廷。

 

札幌地裁 第9回口頭弁論 2017年9月8日

証人尋問期日を来年2月16日に決定

 

正午の札幌の気温は24度。汗ばむほど穏やかな秋日和だった。午後3時30分開廷、同50分閉廷。弁護団席には原告側17人、被告側7人が座った。傍聴券を手に入れるための行列には70人が並んだが、定員(71人)には満たなかった。抽選なしは札幌訴訟では昨年4月の第1回以来初めて。

 

前回までに論点はほぼ整理され、双方の主張は出尽くしていたため、この日は今後の進め方について双方で意見が交わされた。その結果、岡山忠弘裁判長は、次回弁論を来年2月16日(金)に開き、証人尋問を行うことを決めた。10月に設定されていた口頭弁論は取りやめとなった。証人尋問の輪郭も明らかになった。原告側は証人として喜多義憲氏(元北海道新聞ソウル特派員)、吉方べき氏(言語心理学者、ソウル在住)と北星学園大学関係者1人の計3人を申請する、と小野寺信勝弁護団事務局長が法廷で明らかにした。一方、被告側は櫻井氏について1~2人、新潮社は1人(編集者)、ワックは2人(社長と研究者)、ダイヤモンド社はなし、との予定を示した。
次回の口頭弁論が10月に設定されていたため、証人尋問の日どりが決まるのは早くてもその日ではないかとみられていた。ところが、この日、櫻井氏側から提出された準備書面に対し、植村氏側は、すでに主張と反論は十分に尽くしたとして「同書面への反論はしない(必要ない)」と応対したため、岡山忠弘裁判長は次回弁論予定を取りやめ、証人尋問の日程の話し合いに一気に進んだ。原告側はこれまでずっと迅速な審理を求めてきた。この日の応対もその考えに沿うものだった。一方、被告側は書面提出に手間取るなど、ゆっくりペースだったから、急転直下の決定には肩透かしを食らったのではないか。
次回2月16日の証人尋問は朝から夕方までの終日行われる。証人の陳述をめぐる主尋問と反対尋問がぶつかり合い、大詰めの緊迫した対決と応酬の場面となる。1日では終わらずさらに期日が追加されることも予想されるが、ともかく証人尋問期日が確定したため、判決の時期も見えてきた。小野寺事務局長は口頭弁論後の報告集会で、「順調にいけば、来年5~6月に最終準備書面提出(最終弁論)、夏季休暇明け(9月ころ)に判決となるかもしれない」との見通しを示した。
岡山裁判長が次回10月の弁論を取りやめたことについて、「傍聴席のみなさんは(その日も)適宜、集会を開いてください」と語りかけると、ほぼ満席の傍聴席に笑いが巻き起こる一幕もあった。

 

札幌地裁 第10回口頭弁論 2018年2月16日

道新元特派員喜多義憲氏が重要証言

 

原告側証人の喜多義憲氏に対する尋問があった。証人尋問は札幌、東京両訴訟を通じて初めて。

開廷前、傍聴希望者が長い列を作った。東京からかけつけた人の姿も目立った。地裁1階の待合室から外廊下にまで続いた列は110人。定員71に対して1・5倍の倍率となった。壮観だったのは原告側弁護団席。東京訴訟の弁護士6人を加え34人が4列にびっしりと並んで着席した。被告弁護団は7人。

 

午後1時32分開廷。証拠手続きの後、裁判長に促されて喜多氏が、「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、何事も付け加えないことを誓います」と宣誓文を読み上げた。裁判長は、喜多氏に証言台の前の椅子に座るように指示した後、喜多証人と弁護団に発言に当たっての注意事項を告げた。

喜多氏は北海道新聞の元ソウル特派員で、植村氏が「元慰安婦名乗り出」の記事を書いた3日後に、元日本軍慰安婦金学順さんに単独インタビューして実名で報じた。

喜多氏は法廷に提出した陳述書で、自身の取材体験と慰安婦問題をめぐる当時の韓国の状況を詳しく説明し、植村氏の記事について「捏造した」とか「事実を故意にねじまげた」などと断じるのは、思想的バイアス(偏見)のかかった言いがかりに過ぎない、と被告側に疑問を投げかけた。また、櫻井よしこ氏の言動については、理不尽な糾弾をつづけた結果、ネット右翼らによって中世の魔女狩りのような攻撃が植村氏と家族に加えられた、その責任は重大だ、と批判した。

この陳述書を基にして、植村弁護団、櫻井氏側弁護団の順で2時間にわたって尋問が行われた。

 

喜多氏「同じことを書き、植村さんは捏造と言われ、私は不問に」

午後1時36分、証人尋問が始まった。

はじめに植村側から秀嶋ゆかり、伊藤絢子両弁護士による主尋問があった。陳述書に書かれている金学順さん取材の経緯と記事内容について、その趣旨を確認する質問が中心となった。宣誓を終えて証言台の前の椅子に座った喜多氏は終始、静かな口調で淡々と答えた。尋問は予定通り30分で終わった。

喜多氏は最後に質問に答える形で「植村さんと同じ時期に金学順さんのことを同じように書き、片や捏造といわれ、私は不問に付されている。こういう状況に、私はちがうよと言いたかった」「尋問が近づいて、つい最近、現場に戻って記憶を呼び起こそうと、韓国に行ってきたが、金学順さんが私に、ちゃんとほんとうのことを言うんだよ、と言っているような気がした」と語った。

 

続いて、櫻井氏側弁護団の反対尋問が、新潮社、ダイヤモンド社、ワック、櫻井氏の各代理人弁護士の順に行われた。

合計1時間半の反対尋問でもっとも時間がかかったのは新潮社だった。同社の代理人弁護士はこれまでの口頭弁論ではほとんど発言していなかったが、この日の尋問は延々50分にも及んだ。喜多氏の取材の経緯や様子、記事の微細な部分にこだわる質問が多かった。証言の信用性を揺るがせようという計算が見え隠れした。重要な人名の取り違えもあった。そのため、温厚な喜多氏が語気を強めて答えたり、弁護団から異議が飛び出たりする場面がたびたびあった。

また、ワックの代理人は、喜多氏とは関係のない「吉田清治証言」について質問をし、植村弁護団に質問を封じられていた。元日本軍慰安婦を侮蔑する差別表現もあった。「挺身隊」の意味やとらえ方が日本と韓国では違っていることについても、「日本では虎なのに韓国ではライオンという」などと珍妙な比喩を繰り返し、傍聴席の怒りと失笑を買っていた。結果、被告側弁護団のねらいとは逆に、喜多氏の新聞記者魂と植村弁護団の巧みな援護が際立つことになり、胸のすくような反対尋問となった。

 

 閉廷は午後3時40分だった。被告側弁護団の主任格である高池勝彦弁護士は反対尋問で一度も発言しなかった。

裁判後の報告集会で植村弁護団の平澤卓人弁護士は、「きょうの尋問の重要な意味は、金学順さんが自分を挺身隊だと言っていたことを、喜多さんからはっきりと引き出せたことだ。櫻井氏らの「捏造」決めつけの根拠ははっきりと否定された」と語った。

集会ではこの後、植村隆さんのあいさつと池田恵理子さんの講演「「慰安婦」問題はなぜ、タブーにされたのか」があった。会場は、札幌エルプラザ4階大集会室、参加者は120人だった。

 

 

札幌地裁 第11回口頭弁論 2018年3月8日

櫻井氏、証人尋問で自身の重大な誤りを認める

 

原告植村隆氏、被告櫻井よしこ氏に対する長時間の本人尋問があった。

この尋問で、櫻井氏は、いくつかの記述に誤りがあることを認めた。この記述は捏造決めつけの根拠となるものであるため、植村氏に対する誹謗中傷が根も葉もないものであることがはっきりした。櫻井氏本人がウソを認めたことにより、櫻井氏の根拠は大きく揺らぎ、崩れた。櫻井氏はその一部については、訂正を約束した。

 

傍聴券交付に252人の列、倍率4倍

尋問は午前10時30分から、植村氏、櫻井氏の順で行われ、午後5時前に終了した。両氏が法廷内で向かい合うのは第1回口頭弁論(2016年4月)以来2年ぶり。裁判大詰めの場面での直接対決となり、傍聴希望者は最多記録の252人。抽選のために並んだ列は地裁1階の会議室からあふれて廊下、エレベーターホールへと伸びていた。63枚の傍聴券に対する当選倍率は4.0倍となった。関東や関西、九州から前日に札幌入りした植村支援者もこれまた最多の20人ほど。一方で、櫻井氏側の動員によると思われる人たちの姿もいつになく目立った。

満席となった805号法廷は、開廷前から緊迫した空気に包まれた。弁護団席に、植村氏側は34人が着席した。東京訴訟弁護団からは神原元・事務局長ほか6人も加わっていた。櫻井氏側はいつもと同じ7人と新たに2人の計9人。いつもは空席が目立つ記者席は15席すべてが埋まった。傍聴席最前列の特別傍聴席には、ジャーナリスト安田浩一氏、哲学者能川元一氏のほか、新潮社やワックの関係者の姿もあった。

午前10時32分、開廷。裁判長が証拠類の採否を告げた後、植村氏に証言台で宣誓をするように促し、尋問が始まった。尋問の前半は植村氏、後半は櫻井氏。自身の弁護団に答える主尋問、相手側からの質問に答える反対尋問という順で行われ、重要な争点についての考えが明らかにされた。この中で、櫻井氏のこれまでの言説には重大な誤りや虚偽があることがはっきりした。

 

植村氏の尋問

植村氏は、1991年当時の記事執筆の経緯と、捏造決めつけ攻撃による被害の実態を詳しく説明した。質問は植村弁護団若手の成田悠葵、桝井妙子両弁護士が行った。主尋問は淡々と進み、予定の1時間で終わって昼休みに入った。

 

午後1時再開。植村氏への反対尋問が始まった。質問したのは、浅倉隆顕(ダイヤモンド社)、安田修(ワック)、野中信敬(同)、林いづみ(櫻井氏代理人)、高池勝彦(同)の5弁護士。尋問は1時間40分にわたった。質問が集中したのは、植村氏が記事の前文で「挺身隊」「連行」という用語を使ったこと、また、本文でキーセン学校の経歴を書かなかったことについてだった。このほかに、記事執筆の開始・終了時間や、慰安婦関連書籍の読書歴、関連記事のスクラップの仕方など、争点とは直接関連のない質問も繰り返された。

植村氏は終始ていねいに答えたが、「吉田証言」についてのやりとりで、怒りを爆発させる場面もあった。
朝日新聞社は1997年に「吉田清治証言」(済州島で「慰安婦」を狩り出したとの証言)について調査チームを作り、検証作業を行った。当時ソウル特派員だった植村氏もチームに加わり、済州島での調査結果メモを提出した。安田弁護士はそのメモについて、2014年に朝日新聞の慰安婦報道を検証した第三者委員会の報告書は「あなたの調査はずさん、という表現をしている」と言った。ところが同報告書には植村メモについて「徹底的な調査ではなかったようである」と書かれているものの、「ずさん」という表現は一切ない。
植村氏は、「名誉棄損裁判の法廷で名誉棄損発言をするのですか」と激しく抗議した。安田弁護士は植村氏の剣幕に圧されて「怒らないで下さい、謝ります」と述べ、そのまま尋問を終えてしまった。廷内のあちこちから失笑と溜息が聞こえてきた。

 

主任弁護人格の高池弁護士はこれまでの弁論ではほとんど発言しなかったが、今回は質問に立った。しかし、慰安婦問題や植村氏の記事について深く踏み込んだ質問はなかった。意外だったのは、植村氏が朝日新聞を早期退職して大学教授を志した理由や、植村氏が東京と札幌で提訴したことなど、訴訟の基本的な情報についての質問だった。植村氏が、自由な立場で研究と著作活動ができる場として大学教授の道を選んだこと、バッシング当時も現在も札幌市の住民であることを伝えると、高池弁護士は怪訝な表情を浮かべた。初めて知った、という表情に見えた。

植村氏の反対尋問が終わった後、岡山忠広裁判長とふたりの陪席裁判官から、植村記事の「(女子挺身隊の)名で」「連行」の意味、韓国内での「挺身隊」という表現や吉田証言の韓国内での影響などについて、質問があった。植村氏の尋問は午後2時50分に終わり、10分間の休憩に入った。

 

櫻井氏の尋問

午後3時、再開。櫻井氏の主尋問が始まった。櫻井氏は、林いづみ弁護士の質問に答え、慰安婦問題に関心を持つようになったきっかけと基本的な考え、これまでに行った取材や研究内容を語った。自身の著述や発言に誤りがあるとの指摘についても釈明し、「間違いですからすみやかに訂正したい」と述べた。朝日新聞の慰安婦報道については、「海外で日本の評価を傷つけた」との持論を繰り返し、植村氏の記事についても「意図的な虚偽報道だ」とのこれまでの主張を繰り返した。主尋問は45分で終わった。

続いて植村側の川上有弁護士が反対尋問を行った。川上弁護士は、櫻井氏の著述の問題点を具体的に指摘し、取材や確認作業の有無を徹底的に突いた。ゆっくりと柔らかい口調はまるでこどもを諭す小学校教師のようだが、中身は辛辣なものだった。刑事事件を多く手がけてきたベテラン弁護士ならではの面目躍如である。

 

川上弁護士は、櫻井氏が書いた記事やテレビ番組での発言を突き付け、櫻井氏が主尋問であらかじめ認めていた間違いについて、畳みかけた。「ちゃんと確認して書いたのですか」「どうしてちゃんと調べなかったのですか」「ちゃんと訂正しますよね」。櫻井側弁護団はその都度、証拠書面の提示を求めた。証言台上の書面を確認し終えた櫻井側弁護士は、自席に戻らずにそのまま立ち続けた。川上弁護士は「いつまでそばにいるんですか、証言誘導の誤解を招きますよ」と指摘した。そうこうするうちに、櫻井氏の声はだんだんと小さくなっていった。

 

櫻井氏が間違いを認めたのはこういうことだ。

月刊「WiLL」2014年4月号(ワック発行)、「朝日は日本の進路を誤らせる」との寄稿の中で、櫻井氏は「(慰安婦名乗り出の金学順氏の)訴状には、14歳の時、継父によって40円で売られたこと、3年後、17歳で再び継父によって北支の鉄壁鎮というところに連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている」「植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊と結びつけて報じた」と書き、植村氏を非難した。しかし、訴状には「継父によって40円で売られた」という記述はない。「人身売買」と断定できる証拠もない。なぜ、訴状にないことを持ち出して、人身売買説を主張したのか。誤った記述を繰り返した真意は明かされなかったが、世論形成に大きな影響力をもつジャーナリスト櫻井氏は、植村氏の記事を否定し、意図的な虚偽報道つまり捏造と決めつけたのである。

川上弁護士は、櫻井氏がWiLLの記事と同じ「訴状に40円で売られたと書かれている」という間違いを、産経新聞2014年3月3日付朝刊1面のコラム「真実ゆがめる朝日新聞」、月刊「正論」2014年11月号への寄稿でも繰り返したことを指摘。さらに、出演したテレビでも「BSフジ プライムニュース」2014年8月5日放送分と読売テレビ「やしきたかじんのそこまでいって委員会」2014年9月放送分で、同じ間違いを重ねたことを、番組の発言起こしを証拠提出して明らかにした。これらの言説が、植村氏や朝日新聞の記事への不信感を植え付け、その結果、ピークに向かっていた植村バッシングに火をつけ、油を注いだ構図が浮かび上がった。

 

櫻井氏、訂正を約束

は、櫻井氏はなぜ「訴状に40円で売られたと書かれていた」という間違いを繰り返したのか。
櫻井氏は、ジャーナリスト臼杵敬子氏による金学順さんインタビュー記事(月刊「宝石」1992年2月号)が出典であるとし、「出典を誤りました」と主張した。櫻井氏はこれまでに提出した書面でも、「宝石」の記事で金さんが「平壌にあった妓生専門学校の経営者に四十円で売られ、養女として踊り、楽器などを徹底的に仕込まれたのです。ところが十七歳のとき、養父は『稼ぎにいくぞ』と、私と同僚の『エミ子』を連れて汽車に乗ったのです。着いたところは満洲(ママ)のどこかの駅でした」と語ったことを根拠に、「親に40円で妓生に売られた末に慰安婦になった」と主張してきた。だが、川上弁護士は、「宝石」の記事で、櫻井氏の引用部分の直後に、こういう記述があることを指摘した。

 

「サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて、やがて将校と養父の間で喧嘩が始まり『おかしいな』と思っていると養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです」

 

つまり、櫻井氏が出典である、と主張する「宝石」にも、養父が40円で売って慰安婦にしたという「人身売買説」の根拠となる記述はどこにもない。むしろ、養父も日本軍に武力で脅され、金さんと強引に引き離されたという証言内容から、櫻井氏が強く否定し続けてきた日本軍による強制的な連行を示す記述があるのだ。この直後部分をなぜ引用しなかったのか。川上弁護士は、櫻井氏が自身の「人身売買説」に都合の悪い部分を引用せず、植村氏の記事を捏造と決めつけたことのおかしさを指摘した。
川上弁護士は、「櫻井さんは、訴状にないことを知っていて書いたのではないですか」などと述べ、同じ間違いを繰り返した理由を厳しく質した。櫻井氏は「訴状は手元にあり、読んで確認もしたが、出典を間違った」と、弁解に終始した。川上弁護士が紙誌名を逐一挙げて訂正を求めると、櫻井氏は「正すことをお約束します」と明言した。ただ、テレビについては「相手のあることなので」と語り、約束は保留した。

 

じつは、この問題は2年前からくすぶり続けている。2年前、第1回口頭弁論の意見陳述で植村氏は、WiLLと産経新聞の「訴状に40円で売られたと書かれている」という間違いを指摘、「この印象操作はジャーナリストとしては許されない行為だ」と批判した。そして、櫻井氏は口頭弁論後の記者会見で「ジャーナリストですからもし訴状に書かれていないのであるならば、訴状に、ということは改めます」と誤りを認めた。しかし、WiLLでも産経新聞でも、訂正しなかった。そのため、植村氏は2017年9月、東京簡裁に調停申し立てを行い、産経新聞社が訂正記事を掲載するように求めている。その審理はまだ継続している。

 

櫻井氏が間違いを認めたのはこれだけではなかった。「週刊ダイヤモンド」2014年10月18日号。「植村氏が、捏造ではないと言うのなら、証拠となるテープを出せばよい。そうでもない限り、捏造だと言われても仕方がない」と櫻井氏は書き、その根拠として、「(金学順さんは)私の知る限り、一度も、自分は挺身隊だったとは語っていない」「彼女は植村氏にだけ挺身隊だったと言ったのか」「他の多くの場面で彼女は一度も挺身隊だと言っていないことから考えて、この可能性は非常に低い」と断定している。

 

この記者会見は1991年8月14日に行われた。韓国の国内メディア向けに行われたので、朝日新聞はじめ日本の各紙は出席していない。植村氏も出席していない。しかし、記者会見で金学順さんはチョンシンデ(韓国語で「挺身隊」)をはっきりと口にしている。それは、韓国の有力紙「東亜日報」「京郷新聞」「朝鮮日報」の見出しや記事本文にはっきりと書かれている。

櫻井氏はこの点について「これを報じたハンギョレ新聞等を確認した」と述べている。たしかにハンギョレ新聞には「挺身隊」の語句は見当たらない。しかし、そのことだけをもって断定するのは牽強付会に過ぎるだろう。川上弁護士は、韓国3紙の記事反訳文をひとつずつ示し、櫻井氏の間違いを指摘した。櫻井氏は、間違いを認めた。櫻井氏の取材と執筆には基本的な確認作業が欠落していることが明らかになった。

 

櫻井氏の22年前の大ウソ

川上弁護士は最後に、櫻井氏の大ウソ事件について質問した。

1996年、横浜市教育委員会主催の講演会で櫻井氏は「福島瑞穂弁護士に、慰安婦問題は、秦郁彦さんの本を読んでもっと勉強しなさいと言った。福島さんは考えとくわ、と言った」という趣旨のことを語った。ところが、これは事実無根のウソだった。櫻井氏は後に、福島氏には謝罪の電話をし、福島氏は雑誌で経緯を明らかにしているという。

 「なかったことを講演で話した。この会話は事実ではないですね」

「福島さんには2、3回謝罪しました。反省しています」

「まるっきりウソじゃないですか」

「朝日新聞が書いたこともまるっきりのウソでしょう」

最後は重苦しい問答となった。こうして、70分に及んだ櫻井氏の尋問は終わった。櫻井弁護団からの補強尋問はなかった。裁判長からの補足質問もなかった。

尋問終了後、岡山裁判長は今後の進め方について双方の意見を求めた上で、次回口頭弁論で結審すると宣言した。閉廷は予定通りの午後5時だった。

次回開催日は7月6日(金)。開廷は午後2時。この日、最終弁論で双方がまとめの主張を行って審理は終結し、9月以降に予想される判決を待つことになる。

 

植村氏と櫻井氏は、閉廷後、札幌市内のそれぞれ別の場所で記者会見をした。

植村氏側の記者会見

弁護団事務局長の小野寺信勝弁護士は「櫻井氏は、取材を尽くして植村氏の批判をしたのかが尋問のポイントだった。捏造批判のよりどころとなっていた金学順さんの訴状を参照せず、訴状にそんな記述がないのに櫻井氏は『継父に人身売買され40円で売られた』たとした。自分の都合のいい部分だけ論文から利用するなど、調査の不足、意図的な手抜きがあったと考えられる」と述べた。秀嶋ゆかり弁護士は「被告側は、連行=強制連行、挺身隊=勤労挺身隊に引き付けようとする尋問だった。40円問題は、櫻井さんが繰り返し書いたりテレビで発言しており、その都度確認していないことが鮮明になった。22年前の講演会の架空発言を認め、朝日新聞もウソをついたでしょ、と尋問の幕切れで答えた。そう言うしかない櫻井さんの捨て台詞、悲鳴のように感じた」と語った。

植村氏は「私の記事が捏造ではないことを十分証明できたと思う。櫻井さんがいかに取材せず、捏造記者と言っているかも明らかになったと思う。書いた記事がこうして捏造呼ばわりされることは、みなさんにも起きる。私が直面している問題は、すべてのジャーナリストが直面する可能性がある」と話した。

 

櫻井氏側の記者会見

林いづみ弁護士は「40円問題」について「金学順さんの訴状、40円を記載している月刊誌の論文、ソウルの共同記者会見を報じた現地紙からの出典を、勘違いしていた。間違ってはいないが、勘違いした点については各出版社と相談し訂正する、と主尋問で申し上げている。原告側は反対尋問で、このことだけに絞って質問したが、まったく意味のない尋問だったのではないか」と評した。櫻井氏は「韓国で慰安婦が挺身隊と表現されていたことは事実です。慰安婦という意味で、挺身隊だった、と言っている女性もいた。問題は、従軍慰安婦の生き残りのひとりがソウルにいたことについて『女子挺身隊の名で戦場に連行され』と書かれていることです」と述べた。

 

 

札幌地裁 第12回口頭弁論 2018年7月6日

すべての審理を終了、2年3カ月で結審

 

植村裁判札幌訴訟の第12回口頭弁論が7月6日午後、札幌地裁で開かれ、すべての審理を終了した。提訴から3年5カ月、審理開始からはおよそ2年3カ月を費やしての結審となった。判決は、11月9日(金)午後3時30分から、札幌地裁805号法廷で言い渡される。
午後2時、805号法廷で開廷。植村弁護団の席と傍聴席はいつものように埋め尽くされた。

植村弁護団はこれまでの主張と訴えを全111ページ、8万2000字でまとめた最終準備書面を提出し、伊藤誠一弁護士(植村弁護団共同代表)と植村隆さんがが最後の意見陳述を行った。被告櫻井氏側からも書面が提出されたが、意見陳述はなかった。櫻井側主任格の高池勝彦弁護士は欠席した。

意見陳述で伊藤弁護士は、この裁判の意味と被告櫻井氏の批判に力点を置いて訴えた。

 

「被告櫻井はジャーナリストの基本的営為を怠った」

「傍聴券を得るために毎回長い列を作って並んだ市民のみなさんに共通する思いは、市民社会の自由の淵源である表現の自由に関わる、平易とは思われない事案の審理を司法がどのように指揮し、どう裁くのであろうか、という一点に集中させていた、ということではなかったか」
「被告櫻井は、日本軍慰安婦問題について自らとイデオロギーを共有するらしい一、二の研究者と面談し、その書いたものを参照したことはあったようであるが、その余の客観的資料に直接当たって、これを読みこむというジャーナリストとして最も基本的な営為を怠ったことが明らかになった」
と述べ、最後に、
「特定の思潮の下にある人たちにとって受け入れがたいという理由のみで、憎悪が、一瞬にして爆発的に増幅されて拡散するというインターネット社会の特徴が巧みに利用されて、植村さんが名誉を傷つけられているというべき本事案について、司法的な解決を求めているこの訴訟に相応しい救済をしていただくよう、そして将来起こりかねない類似の例をあらかじめ防ぐに足る判断をしていただくよう、改めて求める」
と語った。
つづいて植村さんが陳述した。植村さんは、緊張と心労で裁判に臨んだ日々を振り返り、金学順さんの言葉の重み、家族と支援者への感謝の思い、櫻井氏への批判を語った後、
「絶望的な状況から始まったが、希望の光が見えてきたことを実感している。私は、もう一度、大きな声で訴えたい。私は捏造記者ではありません。裁判所におかれては、私の意見を十分聞いて下さったことに感謝しています。公正な判決が下されることを期待しています」と結んだ。
その後、岡山忠広裁判長が判決日時を確認し、「どうもお疲れさまでした」と一言だけ述べた。閉廷は午後2時26分だった。
この日の札幌は数日来の長雨が小休止し、束の間の陽光が雲間から時折もれた。気温17度。開廷30分前までに傍聴券交付のために並んだ人は113人。66席の傍聴席に1.7倍の倍率となった。

 

最終意見陳述 伊藤誠一弁護士(植村弁護団共同代表)

口頭弁論の終結に当り、本事案の審理の初頭から今日まで参加させていただいた原告代理人の一人として、2、3申し上げる。

第1.

本事案の、第1回から第12回の本口頭弁論期日まで、傍聴人の抽選が行われ、傍聴席が埋まった。法廷の空気は、毎回緊張感に満ちたものであったといえる。

合議体におかれては、過ぎた緊張感を和らげていただくべく傍聴席への語りかけを含み、的確な訴訟指揮を貫いていただいた。

傍聴券を得るために、その都度、長時間列をつくって並ばれた市民のみなさんの思いには、共通するものがあったであろう。それは市民社会の自由の淵源である言論、表現の自由に関る、平易とは思われない事案の審理を、司法がどのように指揮し、どう裁くのであろうか、という一点に関心を集中させていた、ということではなかったか。

第2.

原告が本事案の審理の対象としたのは、本来、自由・闊達・柔軟であるべき言論空間が、四半世紀前の日本軍慰安婦報道の、記事表現に対する強迫的言辞・威嚇によって歪められ、萎縮させられ、狭隘化させられていた、言論空間において、被告らによって繰り返された原告に対する名誉毀損行為の違法の程度である。

1)本事案の審理を通じてジャーナリズムに期待される清廉性・インテグリティ(integrity)の内容が、本事案の審理を通じて具体的に明らかになったと考える。

まず、原告の記事について、取材の経過とその内容が明らかになった。それを要約すると、原告は真摯な取材に基づいて「確認されうる限り、真実とほとんど同じ真実を伝える」(1933年にユージン・メイヤーが起草したというワシントンポストの基本方針の一つ。ビル・コヴァッチほか編『ジャーナリズムの原則』日本経済新聞社2011年8月、49頁から)という、ジャーナリズムの基本に則って記事を書いた、ということが改めて示された。この四半世紀、その取材方法の正統性や内容の正確性が合理的な根拠をもって問われたことはなかったということがこれを裏付ける。

これに対し、被告櫻井の論文はどうであったであろうか。被告櫻井は、日本軍慰安婦問題について自らとイデオロギーを共有するらしい1、2の研究者と面談し、その書いたものを参照したことはあったようであるが、その余の客観的資料に直接当って、これを読み込むというジャーナリストとして最も基本的な営為を怠ったことが明らかになった。

2)日本軍慰安婦にされた被害者が、いわゆるカミングアウトしたとして、日本で広く報道された初めは、1991年8月14日の金学順さんへの単独インタビュー、金さんによる記者会見以降の、北海道新聞記事、あるいは記者会見を受けた国内報道からである。

被告らは、その数日前に、録音テープの聴き取りなど全う限りの取材にもとづいて書いて成立した記事の、「女子挺身隊の名で戦場に連行され(た)…『朝鮮人従軍慰安婦』のうち一人が」という表現を標的にして、責め立てる。

ところで、真摯な取材結果に基づくこの記事の表現が、何故、読者を誤導させるというのであろうか。被告らは多弁を用いたが、説得的であったとは到底いえなかった。大体において、朝日新聞の購読者のうち、この記事をリアルタイムで目にすることができる人は限られていた。少なくとも関東圏に住む市民は、翌日、東京版の編集された記事によって、はじめて概要を目にすることができたのであり、しかも、被告らが執拗に問題にするその表現の前段はそこになかったのであって、読者はこの表現が前日付けの大阪版の記事に含まれているなどということは知る由もなかったのである。

被告らは、自由であるべき言論空間が、記事をめぐり、原告、その家族や勤務先に危害を加えるという脅迫、暴力的言辞を含み、醜く歪められていたとしか評することができない状況の下で、これを知りつつ、およそ半年間にわたり、6本もの論文によって、「捏造」と断定し、虚偽報道と決めつけて、集中的に攻撃し続けたのである。

しかし、原告への記事と前後して報道された、同じ表現をもってなされた他の複数の報道への批判は全くなかった。被告櫻井は、これらを自らのオフィシャルサイトに今も掲載し続けている。なぜであろうか。それは、朝日新聞記者による朝日新聞の記事であったからに他ならない。

そこに、原告に対する被告櫻井の言説とこれらを媒介する被告出版各社の私的で、特殊扁頗といえる特徴をもつことが見てとれる。換言すると、被告櫻井らによる言論表現に公共性も公益性も読み取ることは困難であるということが、証拠調べの結果明らかになったといえる。

 3)言論空間が何人に対しても開かれていることは、民主主義が生命力を保ち続ける上で、絶対に欠かせないことである。日本軍慰安婦をめぐる事実、意見についても同じであって、これをタブー視することを私どもは認めることはできない。

ある歴史的な出来事、事実に言及することが、表現者やその周辺に対する暴力的言辞や強迫を招くということになれば、そのことをテーマにする表現行為が、これに脅え、萎縮してしまいかねない。言論空間に一度この意味での萎縮が生じてしまうと、これをあるべき健全な姿に復元するためには、多くの、並々ならぬ努力・エネルギーが必要であることは、経験的に誰もが知る。

4)話は、当時の言論空間のあり方そのものではないが、合議体には、甲第11号証の末尾に掲載された「負けるな!北星」のアピールについて、バッシングの只中にあって、顕名で賛同した1000名を超える人たちの勇気について思いを馳せていただきたい。

北星学園大学は、本事案にも関連する外からの謂れのない脅迫、暴力的言辞が直接加えられる中にあって、学生の安全と研究の持続をどう保障すべきか、原告の雇用を継続するのか否かを巡り、困難な状態に追い込まれていたことは広く知られたところであったが、北星学園大学は、「大学内外の力に支えられた」と公けに表明しつつ、自治的に雇用継続を決断した事実があったからである。

第3.

この訴訟では、言論の自由、表現の自由の侵害状態を排除して、自由の保証を実現する上で、司法が果たし得る役割も話題になった。

被告櫻井は、本訴訟について、「まるで運動論であるかのように司法闘争を持ち込んだ」とし、その手法は、「言論・報道の自由を害するもの」と述べる(乙イ39陳述書)。果たしてそうであろうか。この訴訟を傍聴された多くの方はそうは思わなかったのではないであろうか。

ちなみに、被告櫻井は週刊文春で、「暴力をあおったことなど一度もない」と述べる。西岡力氏との対談における発言であるが、そのように述べた後、「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」と発言している。これらの発言が、「朝日新聞よ、被害者ぶるのはお止めなさい―“OB記者脅迫”を錦の御旗にする姑息」と題された記事の中でなされていることをみると、それこそ一般の読者は、暴力をあおっていない、という先の言にも拘らず、被告櫻井が「報道の自由を脅かす暴力」を容認していると読み取るであろう。

最近、被告櫻井の訴訟代理人のお一人が、『反日勢力との法廷闘争―愛国弁護士の闘ひ』(展転社、平成30年3月)著書を上梓された。著者は、本訴訟に関連させて「匿名の者による誹謗中傷をとめるために、それとは無関係に堂々と論戦を挑んでいる者に対して裁判を起こすという方法は間違っている」(同書p219)と断定的に述べておられる。

著者が「堂々と論戦を挑んでいる」とされた被告櫻井の各論稿の評価は、これまで述べた言論のあり方をめぐる関係性の下で理解されるべきである、この点につき十分な掘り下げをすることを回避して、本訴訟を「言論の自由と個人の人格権がどのやうに調和されるべきかといふ訴訟である。」と規定しつつ、「どんな場合にも他人の人格権を傷つけてはならないとすると言論が大幅に制限されることになる。」と述べるところ(同書p215)は、遺憾ながら、法の支配の下、個別正義のありようを探る法的思考態度とは相容れないものである、と考える。

合議体におかれては、ジャーナリストである前に、一人の市民であり、生活者である原告が、ある歴史的事実に関ってした表現行為が、その事実の理解をめぐる特定の思潮の下にある人たちにとっては、受け容れ難い、という理由のみで、憎悪が、一瞬にして爆発的に増幅されて拡散するというインターネット社会の特徴が巧みに利用されて、名誉を傷つけられているというべき本事案について、司法的な解決を求めているこの訴訟に相応しい救済をしていただくよう、そして将来起こりかねない類似の例を予め防ぐに足る判断をしていただくよう、改めて求める。

 

最終意見陳述 植村隆

今年3月、支援メンバーらの前で、直前に迫った本人尋問の準備をしていました。「なぜ、当該記事を書いたのか」、背景説明をしていました。こんな内容でした。

私は高知の田舎町で、母一人子一人の家で育ちました。豊かな暮らしではありませんでした。小さな町でも、在日朝鮮人や被差別部落の人びとへの理不尽な差別がありました。そんな中で、「自分は立場の弱い人々の側に立とう。決して差別する側に立たない」と決意しました。そして、その延長線上に、慰安婦問題の取材があったと説明していました。

その時です。突然、涙があふれ、止まらなくなり、嗚咽してしまいました。

新聞記者となり、差別のない社会、人権が守られる社会をつくりたいと思って、記事を書いてきました。それがなぜ、こんな理不尽なバッシングにあい、日本での大学教員の道を奪われたのでしょうか。なぜ、娘を殺すという脅迫状まで、送られて来なければならなかったのでしょうか。なぜ、私へのバッシングに北星学園大学の教職員や学生が巻き込まれ、爆破や殺害の予告まで受けなければならなかったのでしょうか。「捏造記者」と言われ、それによって引き起こされた様々な苦難を一気に思い出し、涙がとめどなく流れたのでした。強いストレス体験の後のフラッシュバックだったのかもしれません。

本人尋問が迫るにつれ、悔しさと共に緊張と恐怖感が増してきました。反対尋問では再び、あのバッシングの時のような「悪意」「憎悪」にさらされるだろうと思ったからです。

「そうだ、金学順(キム・ハクスン)さんと一緒に法廷に行こう」と考えました。そして、金学順さんの言葉を書いた紙を背広の内ポケットに入れることにしたのです。

この紙は、私に最初に金学順さんのことを語ってくれた尹貞玉(ユン・ジョンオク)先生の著書の表紙にあった写真付の著者紹介の部分を切り取ったものです。その裏の、白い部分に金学順さんが自分の裁判の際に提出した陳述書の中の言葉を黒いマジックで、「私は日本軍により連行され、『慰安婦』にされ人生そのものを奪われたのです」と書きいれました。

私の受けたバッシング被害など、金さんの苦しみから比べたら、取るに足らないものです。いろんな夢のあった数えで17歳の少女が意に反して戦場に連行され、数多くの日本軍兵士にレイプされ続けたのです。絶望的な状況、悪夢のような日々だったと思います。

そして、私は、こう自分に言い聞かせました。「お前は、『慰安婦にされ人生を奪われた』とその無念を訴えた人の記事を書いただけではないか。それの何が問題なのか。負けるな植村」

金さんの言葉を、胸ポケットに入れて、法廷に臨むと、心が落ち着き、肝が据わりました。

きょうも、金さんの言葉を胸に、意見陳述の席に立っています。

 

私は、慰安婦としての被害を訴えた金学順さんの思いを伝えただけなのです。

そして「日本の加害の歴史を、日本人として、忘れないようにしよう」と訴えただけなのです。韓国で慰安婦を意味し、日本の新聞報道でも普通に使われていた「挺身隊」という言葉を使って、記事を書いただけです。それなのに、私が記事を捏造したと櫻井よしこさんに繰り返し断定されました。

 北海道新聞のソウル特派員だった喜多義憲さんは私の記事が出た4日後、私と同じように「挺身隊」という言葉を使って、ほぼ同じような内容の記事を書きました。記事を書いた当時、私との面識はなく、喜多さんは私の記事を読んでもいなかったのです。喜多さん自身が直接、金学順さんに取材した結果、私と同じような記事を書いた、ということは、私の記事が「捏造」でない、という何よりの証拠ではないでしょうか。その喜多さんは、2月に証人として、この法廷で、櫻井よしこさんが私だけを「捏造」したと決め付けた言説について、「言い掛かり」との認識を示されました。

そして、こうも述べられました。「植村さんと僕はほとんど同じ時期に同じような記事を書いておりました。それで、片方は捏造したと言われ、私は捏造記者と非難する人から見れば不問に付されているような、そういう気持ちで、やっぱりそういう状況を見れば、違うよと言うのが人間であり、ジャーナリストであるという思いが強くいたしました」この言葉に、私は大いに勇気づけられました。

 

1990年代初期に、産経新聞は、金学順さんに取材し、金学順さんが慰安婦になった経緯について、少なくとも二度にわたって、日本軍の強制連行と書きました。読売新聞は、「『女性挺身隊』として強制連行され」と書きました。

いま産経新聞や読売新聞は、慰安婦の強制連行はなかったと主張する立場にありますが、1990年代の初めに金学順さんのことを書いたこの両新聞の記者たちは、金さんの被害体験をきちんと伝えようと、ジャーナリストとして当たり前のことをしたのだと思います。私は金さんが、慰安婦にさせられた経緯について、「だまされた」と書きました。「だまされ」ようが「強制連行され」ようが、17歳の少女だった金学順さんが意に反して慰安婦にさせられ、日本軍人たちに繰り返しレイプされたことには変わりないのです。彼女が慰安婦にさせられた経緯が重要なのではなく、慰安婦として毎日のように凌辱された行為自体が重大な人権侵害にあたるということです。

しかし、私だけがバッシングを受けました。娘は、「『国賊』植村隆の娘」として名指しされ、「地の果てまで追い詰めて殺す」とまで脅されました。

あのひどいバッシングに巻き込まれた時、娘は17歳でした。それから4年。『殺す』とまで脅迫を受けたのに、娘は、心折れなかった。そのおかげで、私も心折れず、闘い続けられました。私は娘に「ありがとう」と言いたい。娘を誇りに思っています。

 

被告・櫻井よしこさんは、明らかに朝日新聞記者だった私だけをターゲットに攻撃しています。私への憎悪を掻き立てるような文章を書き続け、それに煽られた無数の人びとがいます。櫻井さんは「慰安婦の強制連行はなかった」という強い「思い込み」があります。その「思い込み」ゆえなのでしょうか。事実を以て、私を批判するのではなく、事実に基づかない形で、私を誹謗中傷していることが、この裁判を通じて明らかになりました。そして誤った事実に基づいた、櫻井さんの言説が広がり、ネット世界で私への憎悪が増幅されたことも判明しました。

 WiLL」の2014年4月号の記事がその典型です。金さんの訴状に書いていない「継父によって40円で売られた」とか「継父によって・・・慰安婦にさせられた」という話で、あたかも金さんが人身売買で慰安婦にされたかのように書き、私に対し、「継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかった」「真実を隠して捏造記事を報じた」として、「捏造」記者のレッテルを貼りました。「捏造」の根拠とした「月刊宝石」やハンギョレ新聞の引用でも都合のいい部分だけを抜き出し、金さんが日本軍に強制連行されたという結論の部分は無視していました。

しかし、櫻井さんは、私の指摘を無視できず、2年以上経っていましたが、「WiLL」と産経新聞で訂正を出すまでに追い込まれました。実は、訂正文には新たな間違いが付け加えられていました。金さんが強制連行の被害者でないというのです。日本軍による強制連行という結論をもつ記事に依拠しながらも、その結論の部分を再び無視していました。極めて問題の大きい訂正でしたが、櫻井さんの取材のいい加減さが、白日のもとに晒されたという点では大きな前進だったと思います。支援団体の調べでは、この種の間違いが、産経、「WiLL」を含めて、少なくとも6件確認されています。

 

 提訴以来3年5か月が経ちました。弁護団、支援の方々、様々な方々の支援を受け、勇気をもらって、歩んでまいりました。絶望的な状況から反撃が始まりましたが、「希望の光」が見えてきたことを、実感しています。

そして櫻井よしこさんをはじめとする被告の皆さん、被告の代理人の皆さん。長い審理でしたが、皆様方はいまだに、ご理解されていないことがあると思われます。大事なことなので、ここで、皆様方に、もう一度、大きな声で、訴えたいと思います。

 「私は捏造記者ではありません」

裁判所におかれては、私の意見を十分に聞いてくださったことに、感謝しております。公正な判決が下されることを期待しております。

 

札幌地裁 一審判決言い渡し 2018年11月9日

植村氏の請求をすべて棄却、櫻井氏の故意過失を否定

 

「裁判所は次の通り判決を言い渡します。主文1、原告の請求をいずれも棄却する、2、訴訟費用は原告の負担とする」。

 

判決言い渡しはあっという間に終わった。岡山裁判長は「事案の内容に鑑みて、判決の要旨を若干読み上げます」と言って、判決要旨を読み始めた。櫻井氏の責任を否定した上で植村さんの請求をすべて棄却した理由が、早口で説明される。「信じたことには相当の理由がある」というフレーズが何度も何度も繰り返された。傍聴席には声もない。

 

「以上によれば、本件各櫻井論文の執筆及び掲載によって原告の社会的評価が低下したとしても、その違法性は阻却され、又は故意若しくは過失は否定されるというべきである。以上です」。

 

朗読は10分ほどで終わり、岡山裁判長と両陪席裁判官は足早に退廷した。法廷の重い空気がやっと破れ、驚きと怒りの声があちこちでもれた。「ひどい」「なんだこれは」「信じられない」。原告の社会的評価が低下しても、と言いながら、被告の故意過失は否定される、よって被告は免責される、とはあまりにも公平を失してはいないか。植村さんの被害への具体的な言及はまったくない。許せない。

 

閉廷から10分後、地裁前で弁護士5人が横に並び、真ん中の成田悠葵弁護士が「不当判決」と書いた白い幟を掲げた。初冬の夕暮れが迫る中、冷たい木枯らしが幟を小刻みに揺らしていた。「判決を受け取ったところです。詳しい中身についてはこの後、記者会見で報告させていただきます」。市民、支援者、通行人が静かに見守る中、憤怒のセレモニーは短時間で終わった。

弁護団は、裁判所から渡された判決文の分析を大急ぎで終え、記者会見に臨んだ。裁判所近くの会見場には、「植村裁判判決報告集会」の大きな横断幕だけが張られている。予定されていた「勝訴」の幟はない。新聞、テレビの記者のほか、支援の市民も集まり、100人近くで会場はいっぱいになった。

植村さんを中央にして、弁護団共同代表の伊藤誠一、秀嶋ゆかり、渡辺達生弁護士と小野寺信勝事務局長、東京弁護団の神原元事務局長、植村裁判を支える市民の会の上田文雄共同代表、七尾寿子事務局長が揃って着席した。午後4時50分、会見が始まった。

動画 こちら

 

植村氏「悪夢なのではないか、これは本当の現実なのか」

「内容は不当だ、名誉毀損は認めるが慰謝料を払うほどではない、ということか」「インターネット言説が飛び交って憎悪が増幅される時代のジャーナリストのあり方を問題にしたのに答えていない」。

伊藤弁護士が、怒りを抑え、静かな口調で判決を批判した。小野寺弁護士が続いた。

「杜撰な取材によって信じたことに免責を与えている。言論に責任を負うべきジャーナリストに対して、杜撰な取材でも免責する道をつくった罪深い判決、きわめて不当な判決だ」「この判決は控訴審で戦う、ひっくり返すことができると確信している」。

次に植村さんが立った。「悪夢のような判決でした。私は法廷で、悪夢なのではないか、これは本当の現実なんだろうかとずっと思っていました。今の心境は、言論戦で勝って、法廷で負けてしまった、ということです。櫻井氏は3月の本人尋問ではいくつもずさんな間違いを認めていった。あの法廷と今日の法廷がどうつながるんだろうか」「激しいバッシングを受けたとき、これは単に植村個人の問題ではないということで、様々なジャーナリストが立ち上がってくれました。いまも新聞労連、日本ジャーナリスト会議、リベラルなジャーナリストの組織も応援してくれています」「この裁判所の不当な判決を高等裁判所で打ち砕いて、私は捏造記者でないということを法廷の場でもきちんと証明していきたいと思っています」。

植村さんの後も、きびしい判決批判と控訴審に向けての決意表明が続いた。涙はなく、負け惜しみや弁解、悲観論もなかった。記者会見は午後5時35分に終了した。

 

 

札幌高裁 控訴審第1回口頭弁論 2019年4月25日

植村氏、「一審判決は歴史に残る不当判決だ」と批判

 

控訴審第1回口頭弁論は2019年4月25日、札幌高裁(本多知成裁判長)で開かれた。

植村弁護団は弁護士24人が出席し、控訴人の植村隆氏と小野寺信勝弁護士(事務局長)が、公正な判決を求める意見陳述を行った。櫻井よしこ氏側は弁護士6人が出廷した。被控訴人の櫻井氏は出席せず、意見陳述(朗読)もなかった。法廷では意見陳述と、「無過失の抗弁」をめぐるやりとりがあった後、本多裁判長は次回期日を7月2日(火)と決めた。

 

植村氏の意見陳述は18分、小野寺弁護士は11分に及んだ。

植村氏は、櫻井氏がかつて元慰安婦の強制連行体験や境遇に心を寄せた記事を書きながら、とつぜん明確な根拠を示さずに「人身売買説」を主張するようになったことを強く批判した。また、櫻井氏を免責した一審判決についても、裏付け取材をしなくても「捏造」と思い込むだけで許してしまうのはあまりにも公正さを欠き、歴史に残る不当判決だ、と訴えた。

続いて立った小野寺弁護士は、櫻井氏が植村氏ほか当事者への取材を怠り、また資料の引用や理解で誤りを繰り返したことを一審判決は看過した、と批判し、判決の「真実相当性」の判断はこれまでの最高裁判例や法理論にかけ離れている、と強調した。

 

「無過失の抗弁」をめぐるやりとりは、「櫻井氏は過失がないことを証明しなければならない」との植村氏側の主張(控訴理由書)に対して、櫻井氏側が「無過失責任」を持ち出して反論(控訴答弁書)していることについて、植村弁護団共同代表の伊藤誠一弁護士が櫻井氏側に説明を求めたもの。伊藤弁護士は、無過失の抗弁を無過失責任と混同することはおかしい、と質問を重ねたが、櫻井氏側は即答せず、書面でやりとりをすることになった。

植村氏側が求めた証人申請(梁順任さん=植村氏の義母、元韓国太平洋戦争犠牲者遺族の会役員)は、櫻井氏側が同意しなかったため、今回は決定が保留となった。

 

公正な判決を求める署名に道内各地から1万3090筆
本多裁判長は4月1日に釧路地家裁所長から札幌高裁に着任したばかり。法廷全体によく通る大きな声でてきぱきと審理を進めた。開廷直後に行った書面証拠類の確認手続きでは、植村側、櫻井側双方の書面の中の誤記や説明不備を細かく指摘して修正を求め、ていねいに審理を進める姿勢をうかがわせた。また次回期日の決定では、植村弁護団の要望を受け容れ、今後提出を予定している法律学者の意見書と弁護団の準備書面の作成に時間がかかることに理解を示した。

高裁の審理は通常、一審の審理が十分に尽くされていると判断される場合、初回の口頭弁論で即日結審することが少なくないが、次回期日が設定されたことで、高裁の審理に展望が開けたといえよう。小野寺弁護団事務局長は「次回期日を設定し、弁論が続行されることを高く評価している」と、口頭弁論終了後に開かれた報告集会で語った。

この日使われた高裁802号法廷の定員は75人。傍聴希望者が開廷前に列をつくったが、定員を1人下回り、抽選はなく74人全員が入廷できた。開廷は午後2時30分、閉廷は3時16分だった。

開廷に先立って午前10時過ぎ、植村さんと支援メンバーが「署名簿」を札幌高裁6階の事務局に提出した。道内各地から寄せられた「公正な判決を求める署名」は第1次分で1万3090筆に達している。

 

札幌高裁 控訴審第2回口頭弁論 2019年7月2日

植村氏、「一審判決は歴史に残る不当判決だ」と批判

 

弁論は午後2時30分に始まった。定員78人の805号法廷の傍聴席はすべて埋まっている。弁護団席には植村さん側が25人、櫻井氏側は6人が着席した。6日前には植村氏敗訴の東京地裁判決があったばかり。法廷の緊密感は前回(4月25日)と変わらない。

正面中央の裁判長席には冨田一彦・部総括判事が着いた。冨田氏は5月13日付で着任し、本多知成裁判長と交代した(冨田氏の前任は神戸地裁部総括判事、本多氏は札幌地裁所長に就任)。裁判長交代による手続き(審理の引き継ぎを確認する「更新手続き」)と提出証拠の確認の後、植村さんが起立して意見陳述を行った。植村さんは、「裏付け取材なしに思い込みだけで『捏造』と断じた櫻井氏を許した判決はあまりにも公正さを欠く」と強い口調で述べ、冨田裁判長に向かって「証拠をきちんと検討し、公正な判決を出していただきたい」と訴えた。

 

その後、植村弁護団が提出した「準備書面(1)」の要旨を、大賀浩一弁護士が読み上げた。この準備書面は、憲法学者と元記者が一審の問題点を指摘した計3通の意見書・陳述書を基に、一審判決の取り消しを求める内容だ。一方、櫻井側弁護団は書面を提出し、弁論の終結を求めた。これに対し、植村弁護団は弁論のさらなる続行を求め、①東京、札幌両地裁判決に共通する論点に関しての主張書面②証人申請をした梁任順氏の陳述書を補充する書面、を提出する予定だ、と述べた。冨田裁判長が櫻井側弁護団に「もう主張することはないのですか」と問いかけると、林いづみ弁護士は「ありません、裁判所の判断におまかせします」と答えた。冨田裁判長は「では次回も開き、結審します」と述べ、日程を協議した結果、10月10日午後2時30分に次回口頭弁論を開き、その日に結審することになった。

閉廷は午後3時5分だった。

 

植村弁護団が陳述した「準備書面(1)」は、憲法学者の右崎正博・獨協大名誉教授と志田陽子・武蔵野美大教授が提出した意見書と、旧石器発掘捏造事件(編注1)をスクープした毎日新聞記者だった山田寿彦さんが提出した陳述書に基づいている。法廷で大賀浩一弁護士が読み上げた「要旨」から、主要部分を要約する。

 

準備書面(1)要旨の要約

▽名誉権は、憲法13条の保障する「個人としての尊重」や「幸福追求に対する国民の権利」の重要な内容をなしているのみならず、情報化が高度に進展した現代社会にあっては、いったん名誉権が不当に侵害されれば被害は重大なものとなり、その回復が非常に困難となる場合が多いから、十分な配慮が必要である。=右崎教授意見書から

▽ある発言者の論説の誤りを指摘し批判することは、表現の自由に合致するものではあるが、言論空間への参加ないし発言の足場を相互に認め合った上で成立する批判と、言論空間への参加が不可能となるような社会的制裁を招く表現を用いることは、問題の位相が異なる。=志田教授意見書から

▽報道における「捏造」とは、悪意ある故意に基づく確信犯を意味するものであり、書かれる対象にとっては、単なる誤りと「捏造」とは次元を全く異にすることである。社会正義のためとはいえ、書かれる側の人間を破滅的に追い込みかねない報道は、報道する側にも痛みと覚悟を伴う。慎重なうえにも慎重を期し、批判や反論を想定した上で言葉を選択しなければならない。=山田陳述書から

▽ダイオキシン事件最高裁判決(編注2)に代表されるように、社会的制裁を招く表現を用いた批判によって深刻な被害が生じている場合、真実性および真実相当性の判断基準を非常に厳しくする、いわば相関的な判断方法が採用されているものとみることができる。=志田教授意見書から

▽「捏造」という表現の持つ意味と、それによって植村氏が受けた被害の重大性を踏まえれば、本件では、歴史検証に関する調査の真実性・真実相当性だけでなく、「捏造」と断定する部分が真実か否か、真実でないとした場合には核心部分の調査を誠実に遂行したか否かが厳しく問われなければならない。=同上

▽ジャーナリズムの世界では「捏造」と断定するためには、たとえ「故意と判断し得る蓋然性の高い客観的事実」があってもなお、取材の常道として、本人に直接問いただしてその言い分ないし弁解を聞く作業が求められる。=山田陳述書から

▽ロス疑惑事件の報道をめぐる最高裁判決(編注3)が示した判断基準に照らせば、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評の域を逸脱したもの、例えばヘイトスピーチのような他者攻撃的言論は、最初から「公正な論評」の認定対象から除外されるべきである。櫻井による「捏造」表現は、植村に言論空間からの撤退を余儀なくさせる排撃的な効果を持つものであり、まさしく意見ないし論評の域を逸脱したものである。=志田教授意見書から

▽なぜ23年後になって突然「捏造記事」という激越な表現で批判・攻撃の対象とされるに至ったのか(それまでは「誤報」という批判がなされていた)、なぜ6本の論文によって批判・攻撃が繰り返されたのか。その背景についてはほとんど語られていないが、植村氏をターゲットして選び出し、バッシング対象とするような「人格攻撃」的性格も否定できないように思われる。=右崎教授意見書から

 

札幌高裁 控訴審第3回口頭弁論 2019年10月10日

金学順さんの証言録音など新証拠を提出し結審

 

植村隆氏と渡辺達生弁護士(札幌弁護団共同代表)が最終の意見陳述を行った。この後、櫻井よしこ氏側との意見のやりとりはなく、裁判長は「これで弁論を終結します」と宣言した。判決言い渡し期日は「来年2月6日午後2時半」と指定された。開廷午後2時半、閉廷は3時ちょうどだった。

 

植村氏は、意見陳述の中で、重要な証拠として2本の録音テープを提出したことを明らかにした。1本は1991年12月に金学順さんが日本政府を訴えた裁判の弁護団(高木健一弁護団長)の聞き取りに同席して録音したテープ。もう1本は前年の90年7月、植村氏が挺対協共同代表・尹貞玉氏をソウルでインタビューしたテープ。いずれも植村氏が録音したものだが、その後、ジャーナリスト臼杵敬子氏の手に渡り、このほど臼杵氏の自宅で発見された。

金学順さんのテープは、金さんが慰安婦とされた経緯を詳しく語る肉声が収められ、その証言を植村氏の記事が正確に再現したことがはっきりとわかる。尹氏のテープでは、挺身隊との呼称が当時韓国では一般化していた事情と、植村氏が早くから慰安婦取材をしていたことなどが詳しく語られている。

植村氏はこの2本の録音テープの内容などをふまえて、櫻井よしこ氏の言説は誤りと矛盾に満ち、「捏造」決めつけの合理的な根拠が示されていないこと、また、そのような櫻井氏を免責した一審判決も異常だと批判し、公正な控訴審判決を求めた。

渡辺弁護士は、9月17日に裁判所に提出した3通の準備書面(2)(3)(4)の概要を説明した。その上で、原判決の根本的な誤り、原判決が社会にもたらした影響、櫻井氏の政治的な言説についての見解を明らかにし、最後に櫻井氏の政治的立場を批判し、「原判決は、櫻井について真実相当性が認められないにも関わらず、そのハードルを下げて免責し、日韓関係の悪化にも事実上加担した。このような加担は司法の自殺行為であり、原判決は絶対に破棄されなければならない。裁判所の英断を期待する」と締めくくった。

 

この日の札幌は秋日和がまぶしく感じられる穏やかな天気で、正午の気温は22度。開廷前、傍聴のために整列した人は81人。805号法廷の傍聴席は80だが、1人が辞退したため抽選は行われず、希望者全員が入廷し傍聴した。

植村側弁護団席には、東京弁護団の2人を含め18人が着席。櫻井氏側は6人が並んだが、主任格の高池勝彦弁護士の姿はなかった。

村さんと渡辺弁護士の意見陳述は控訴審を締めくくるにふさわしく、気迫に満ちたものとなり、終わるたびに法廷に拍手が響いた。

 

札幌高裁 控訴審判決言い渡し 2020年2月6日

一審判決をなぞって追認、植村氏の主張にふれず

 

札幌高裁802号法廷。正面に向かって左手には植村氏と植村側弁護士27人が3列に着席した。右手には櫻井氏側の5人の弁護士。櫻井氏の姿はなく、主任の高池勝彦弁護士も欠席した。定員74人の傍聴席は満員となった。傍聴券抽選に並んだ人は105人だった。開廷前に2分間の報道用の法廷撮影があり、定刻午後2時半に冨田一彦裁判長が判決を読み上げた。

「本件各控訴をいずれも棄却する」「訴訟費用は控訴人の負担とする」

たった2行の、冷たく素っ気ない判決だ。法廷は静まり返っている。冨田裁判長はつづけて、「理由骨子」を読み上げた。

「当裁判所は原審札幌地方裁判所と同じく、本件各櫻井論文の記述中には控訴人の社会的評価を低下させるものがあるが、その摘示されている事実または意見ないし論評の前提とされている事実は、真実であると証明されているか、事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当な理由があると認められ、被控訴人櫻井による論評ないし意見が控訴人に対する人身攻撃に及ぶなど、意見ないし論評の域を逸脱しているとまではいうことができないと判断した。また被控訴人櫻井は本件各櫻井論文を執筆し掲載したことについては公共の利害に関する事実に関わり、かつ専ら公益を図る目的があるということができるから、本件各櫻井論文の執筆及び掲載によって控訴人の社会的評価が低下したとしても、その違法性は阻却され、また故意または過失も否定されると判断した」 

やや早口の読み上げは1分足らずで終わった。一審判決をなぞって追認しただけの判決だ。十分な裏付け取材を求めた数多くの判例や新しい証拠などを挙げて植村氏が控訴審で主張したことには、全くふれていない。裁判長は「詳細は判決文で」と述べて、2時32分閉廷。退廷する3人の裁判官の背に向かって、「許されない」と男性の太い怒声が飛んだ。

 

この日の朝、今季初めての大雪が札幌に積もった。一夜で積雪43センチ。街路樹が白一色に雪化粧し、前日まで路面が乾いていた車道も真っ白になった。

判決から15分後、裁判所前の歩道で「不当判決」の幟を福田亘洋弁護士が掲げ、まわりに20人の支援者、市民が並んだ。韓国から訪れたウセンモ(植村氏を考える会)のメンバーも横断幕を掲げ、声を上げた。

気温氷点下6度。最高気温がプラスにならない真冬日が続いている。すぐ前の大通公園では2日前から雪まつりが始まっている。そのざわめきが伝わってくるが、裁判所前の空気は凍りついたままだった。

 

記者会見が午後4時から、裁判所近くで開かれた。植村弁護団は記者会見が始まる前に、上告の意向を固めていた。植村氏は判決の不当な点を3つに絞って具体的に説明し、上告審へ向けての決意を語った。弁護団からは小野寺信勝事務局長、共同代表の伊藤誠一、秀嶋ゆかり弁護士が発言し、記者の質問に答えた。

午後6時半からは札幌駅近くのエルプラザで判決報告集会が開かれた。大雪の中、会場の3階ホールには約100人が集まった。植村氏と弁護団の報告、ジャーナリスト安田浩一氏と新聞労連委員長・南彰氏、映像作家・西嶋真司氏のトーク、韓国から訪れたウセンモのあいさつ、ピアニスト崔善愛さんの渾身のピアノ演奏と盛りだくさんのプログラムが進行した。集会の最後に、弁護団共同代表の伊藤誠一弁護士と、支える会共同代表の上田文雄氏(前札幌市長)が、上告審でも闘い抜こうと訴え、支援を求めた。 

 

 

最高裁決定 上告を棄却 2020年11月18日付け

札幌訴訟 植村隆氏の敗訴が確定

  

最高裁判所(第二小法廷、菅野博之裁判長)は11月18日、札幌訴訟の植村隆氏の上告を棄却した。植村氏の敗訴が確定した。

最高裁の決定通知書 PDF

 

朝日新聞の報道(朝日デジタル2020年11月20日)

元朝日記者の敗訴が確定 慰安婦報道訴訟

 

慰安婦の証言を伝える記事を「捏造」と記述されて名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者で「週刊金曜日」発行人兼社長の植村隆氏がジャーナリスト櫻井よしこ氏と出版3社に計1650万円の損害賠償などを求めた訴訟で、最高裁第二小法廷(菅野博之裁判長)は植村氏の上告を退けた。請求を棄却した一、二審判決が確定した。18日付の決定。

植村氏は1991年、韓国人元慰安婦の証言を朝日新聞で2回記事にした。これに対して櫻井氏は2014年、月刊誌「WiLL」「週刊新潮」「週刊ダイヤモンド」で「捏造記事」などと指摘した。18年11月の札幌地裁判決は、韓国紙や論文などから、植村氏の記事が事実と異なると櫻井氏が信じる「相当の理由があった」と請求を退けた。今年2月の札幌高裁判決も一審を追認した。