2018年7月6日(札幌エルプラザ)
2018年7月6日(札幌エルプラザ)
永田浩三氏
永田浩三氏

 

集会・講演・支援 永田浩三氏講演

 

札幌訴訟の第12回口頭弁論の後に開かれた報告集会で、武蔵大学社会学部教授の永田浩三氏が「『報道の自由』を考える~不信と憎悪の時代に~」と題して講演をした。永田氏は元NHKディレクター、プロデューサーとして慰安婦問題に関わった(2018年7月6日、札幌エルプラザ)

 

講演 永田浩三 『報道の自由』を考える~不信と憎悪の時代に~

 

私はNHKで32年間、ディレクター、プロデューサーとして仕事をし、「NHKスペシャル」「クローズアップ現代」の番組を長く担当した。1989年のベルリンの壁崩壊、東欧の民主化を現地で取材し、歴史は昨日から今日、明日へと連続しているように見えるが、ある時を境に劇的に変わることを目撃した。

民衆はいろんな自由を求めていた。その中でも一番は「言論の自由」だったと思う。劇的な変化は韓国でも起きているのを見るにつけ、日本社会も今のままではいけないという思いだ。(先ほどの北岡和義さんの)お話で「植村さんは朝日新聞の記者だったから攻撃された」とあったが、その通りだと思う。

産経新聞は2013年から「歴史戦」という連載を続けてきた。歴史をめぐって教科書やメディアの扱いに偏りがあり、それをただし、勝利するのだという。その延長上で、民間団体が朝日新聞を訴えた3つの裁判が続いた。

最初は「朝日新聞を糺す国民会議」裁判(原告2万5722人)。朝日の記事によって自分たちの尊い歴史を汚され、誇りを傷つけられ、「国民的人格権」が損なわれたと主張し、1人1万円の支払いなどを求めた。裁判の中心になったのはインターネットテレビ「チャンネル桜」で、様々な文化人がこれに参入した。植村さんを攻撃する人々と重なりが多い。

2つ目が「朝日新聞を正す会」裁判(原告482人)で、済州島で慰安婦狩りをしたと告白・謝罪した吉田清治証言を、朝日がことさら取り上げ、傷ついたなどと提訴した。

朝日新聞は吉田証言の誤りについて謝罪したが、そうとも言えないのではないかと思う。

済州島で1948年に起きた「4・3事件」は広く知られている。南北2つの国に分断されていくのに反対し統一選挙を求めた人たち、蜂起した人々が、「アカ」のレッテルを張られ大量に虐殺された事件だ。10人に1人は殺されたと思う。多くの人々が日本に逃れ、大阪の生野区や東京の三河島に済州島コミュニティーができた。戦前、戦中、そして「4・3事件」でバラバラにされた済州島で、吉田証言の検証は難しい。しかし改めて本気で調べたいと思う。

3つ目の「朝日・グレンデール訴訟」)は、米カリフォルニア州グレンデール市に建立された慰安婦像に象徴される日本への誤解が、「朝日の誤報で世界に定着した」と在米日本人を含む2557人が提訴し、今年になって終わった。

判決はいずれも「原告の主張は正当性がない」として訴えを退け、確定した。しかし原告の自民党議員は一連の裁判の中で「朝日を屈服させれば外務省も屈服する。朝日を叩けば外務省が変わる。だから朝日を叩くんだ」と述べていた。だから裁判に負け続けても、今なおその動きをやめていない。

 

いま世界でフェイクニュースが飛び交っている。米国のトランプ、日本の安倍、2人がウソを垂れ流して平気という世の中だ。どうしてそうなっているのか。1つは既存のメディアに対する不信だ。新聞やテレビからの情報は、自分の好みに関係なく接することになるが、自分の好きな、自分に気持ちのいい情報だけをネットから所有することが出来る。

ほとんどのフェイクニュースは「こう言われているけど、本当は違うんだよね」と俗な興味を喚起する内容だ。またビジネスとしてメディア自身がフェイクニュースを流したり、憎悪を増幅する場合がある。特にひどいのは産経新聞だ。

昨年6月、東京新聞社会部の望月衣朔子記者が森友学園・加計学園問題で、菅官房長官に23回質問し追求した。産経は望月記者攻撃を半年間で30回行った。極めて異常な展開だった。沖縄タイムス、琉球新報への攻撃も繰り返し行った。

東京MX(メトロポリタン)テレビの「ニュース女子」は昨年1月2日の番組で、沖縄の高江、辺野古の新基地建設反対運動を中傷し、虚偽の報道でおとしめた。反対運動を支援する様々な人のう ち、辛淑玉さんに対する事実に基づかないバッシングで、彼女は日本を去った。ドイツで暮らす本人は、実質的な亡命という。日本社会はまっとうに発言する人が生きていけず、亡命しなければならない国になったということだ。

金学順さんが「私は日本軍の慰安婦だった」と名乗り出たのは1991年だった。70年代にも慰安婦問題を様々な人が書いていたが、世間が注目したのは金学順さんからだ。金さんが名乗り出た理由を最近、全然別のルートから聞いた。

 

私は、母が広島の爆心地から800メートルで被爆した被爆2世だ。毎年学生たちと広島へ合宿に行くが、今年の学生たちのテーマは韓国・朝鮮人被爆者の問題だ。被爆の手記を出来る限り読んで演劇を作ろうとしている。韓国での被爆者運動の人たちは80年代、韓国政府、日本政府の責任を求める運動を起こした。その中に金学順さんの背中を押す人がいたそうだ。

河野官房長官が93年8月、慰安婦問題の責任を認め「末永く語り継いでいく」ことを国際的に約束した。そして教科書にきちんと記述することが始まる。

しかし「それはならぬ」という動きが直後から始まった。96年に「新しい歴史教科書をつくる会」、97年に「日本会議」「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が誕生する。今の安倍内閣の枢要なポストにいる人たちは、ほとんどここから育った人だ。「若手議員の会」代表が中川昭一、事務局長が93年初当選した安倍晋三氏だった。

NHKが慰安婦問題を取り上げたETV2001の番組改変問題が起きた。私は番組の編集長だった。放送は2001年1月30日。前日の夕方、NHKのナンバースリーの放送総局長以下幹部が永田町に呼びつけられた。安倍氏はNHK幹部に「公平公正にやってくれ」、加えて「お前、勘ぐれ」と言ったことが朝日新聞の取材で明らかになった。

 

番組改編事件は、まず教科書を変えさせ、そして放送を潰すという流れの中で起きた。教科書は零細な出版社が作っており、攻撃にひとたまりもなく次々に記述が消えていった。第1次安倍政権の06年に教育基本法が全面改正され、日本社会はそれ以降、メディアにおいても教育でも劇的に変わってきた。

私が身を置いていた放送の世界では、放送法第4条(政治的公平)で揺さぶられた。

14年12月のTBS「ニュース23」で、岸井成格キャスターと安倍総理がスタジオでやりとりした。アベノミクスで何の恩恵も得ていないという街頭インタビューが紹介され、安倍さんは「意図的にネガティブな異見を放送している」と逆ギレした。そのあと全放送局へお決まりのセリフ「公平にやってくれ」という要望が出された。15年3月、テレビ朝日「報道ステーション」で古賀茂明氏が「I´m not Abe.」と生放送で表明した。

162月、高市総務相が「政治的に公平でない放送局、1つの番組でも偏りがあった場合は、停波の可能性がある」と述べた。翌3月、私が永く関わった「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスター、TBSの岸井、テレ朝の古舘伊知郎キャスターが相次いで番組から降板した。放送法第4条の「政治的公平」を脅しの道具として揺さぶりをかけた事件です。

国連人権理事会の特別報告者デビッド・ケイさんがこの年4月に来日、「表現の自由」について多くのジャーナリスト、総務省関係者、様々な人から聞き取り調査し意見書をまとめた。私も機会を得て事情を説明した。ケイ氏は放送法4条の撤廃、記者クラブ制度の廃止、歴史教育のゆがみを正すべきだなど、様々に指摘した。

そんな中でケイ氏は「ロシアのようにジャーナリストが殺されることはない」と楽観的に述べている。

でも31年前、朝日新聞阪神支局で小尻知博記者が散弾銃で命を奪われ、犬飼記者も死の直前までいった。「ロシアのように殺されはしない」など、全然そうではない。

 

朝日新聞でこの事件をずっと調べてきた樋田毅記者とやりとりすることがあった。犯人を捜すことと取材することが一体の30年間、いろんな人と会ってきた、取材相手はほとんど朝日新聞に恨みや敵対心を持っていたという。殺人犯の情報をなんとか得たかったが、すり寄りはしなかった樋田さんは、朝日の何がいけないのか、それが誤解だったらきちんと論争をした。身の危険を感じる事はあった、しかし意見が異なる人とは論争する、これがジャーナリストとして大事だと思う。

「記者は殺されはしない」とデビッド・ケイ氏は言ったが、植村さんや家族への異常な攻撃が今日まで続いているのは、ほとんど殺人に近いことだ。

さてトランプのアメリカです。放送の世界に「公正原則」はあったが、レーガン政権の1987年に撤廃された。60年代から70年代にかけてアメリカのジャーナリズムは非常に健全だった。特にベトナム戦争を終わらせることで、テレビも新聞も貢献した。「公平原則」などなくても自分たちは自立しており、やっていけるんだという考えがあった。

映画「ペンタゴン・ペーパーズ」が最近上映された。ベトナム戦争に関する秘密の報告書をニューヨークタイムス紙とワシントンポスト紙などが暴いた物語だ。アメリカがまだマシだったのは、ベトナム戦争の様々な汚い真実が文書として残っていたことだ。いま日本では文書そのものを消してしまうという、とんでもないことが起きている。

公正原則が撤廃されてから一番ひどいのが「9・11」以降のFOXニュースの歪みで、これがフェイクニュースの大きな流れを作っている。愛国的な放送をする動きが加速化されていく。

「9・11」の遺族にはアフガンやイラクとの戦争を望まない人たちがいる。そういう人たちをFOXニュースが招いた番組で、キャスターのビル・オライリーは「あなたたちは反米的だ」と彼らをスタジオから追い出してしまう様な事が起きた。

トランプの時代になってリベラルなテレビ局への攻撃が続く中で、このあいだCNNなどを標的に「フェイクニュース撲滅」キャンペーンが張られた。政権に批判的なものがフェイクニュースのレッテルを張られるのです。

日本ではどうか。言論は「自由空間」と「公共空間」に分けられる。かつては新聞やテレビによって2つの空間は重なっていた。今は自由空間の中でヘイトとフェイクがあふれ、公共空間がどんどんやせ細っている。好きな情報しか信じない人々が、それぞれの情報に囲い込まれて生きているようだ。情報を流す側の政府は文書の隠蔽、改ざん、嘘を流す。そこに風穴を開けたのが朝日新聞の3月2日からの森友学園・加計学園のスクープだった。

規制緩和の中で民放潰しが進んでいる。「アベマTV」のようなインターネットテレビがあればいい、というのが安倍さんの本音だ。政権に都合のいいメディアを増やしていくことを本気でやろうとしている。憲法改正と国民投票、それと民放のCMの関係は予断を許さない。民放経営はとても悪く、憲法改正のCM特需で潤うことから、ビジネスとしてなびかざるを得ないと言われている。

 

韓国映画「共犯者たち」が東京で上映された。韓国の公営放送、MBCKBSへの李明博、朴槿恵政権の介入・弾圧を告発したドキュメンタリー映画で、どれほどひどい圧力をかけ、心あるジャーナリストたちをつぶしてきたかの物語だ。監督はMBCのドラマ番組プロデューサーだ。

政権の意のままに社長が送り込まれてきたMBCの社屋で、プロデューサーは「社長は出ていけ」と叫び、それを自撮りしてネット中継する。最初はたった1人だったが多くの社員の大合唱となり、最終的に社長退陣となった。プロデューサーはクビになったが、現在はMBCの社長だ。

映画は「歴史を畏れよ」と伝えている。ジャーナリストは日々を記録する。そうやってその日その日が歴史になる。だからその歴史をお互いに畏れようということだ。それともう1つ「記者が質問をやめれば、その社会、その国は壊れる」と伝えている。

立ち上がったジャーナリストたちを応援した人たちがいた。視聴者・読者です。メディアは市民とともに健全な民主主義を作っていく。日本の放送法第1条に「放送は健全な民主主義に資すること」とある。健全な民主主義に奉仕するのがメディアの役割で、韓国はメディアと市民が一緒になって今回それを実現したということだ。

冒頭に話した東欧民主化の時代のキーワードが2つあった。1党独裁の対局の「多元主義」それと「連帯」だ。1人の力は弱いけれど連帯することで世の中は良くなっていく。市民とメディアが連帯する、様々なジャーナリストたちが連帯する。この連帯がいま1番大切だと思う。

 

(まとめ=林秀起)