誤りだらけの「捏造」決めつけ■櫻井言説の誤り 

変転する主張

 

櫻井氏の言説には誤りだけでなく、変遷と矛盾もある。これは、札幌控訴審の重要な論点のひとつとなった。弁護団は控訴審で、慰安婦問題と植村氏の記事に関する櫻井氏の意見や主張が大きく変遷していることを、次の7点の証拠で指摘した。6点は櫻井氏本人の著作と執筆記事、1点は本人の発言。その内容はこうである(著作発表順)

 

週刊誌「週刊時事」1992年7月18日号=金学順さんを含む元慰安婦が日本政府を訴えたことについて、「強制的に旧日本軍に徴用された彼女らの生々しい訴え」と表現した

書籍「櫻井よしこが取材する」1994年、ダイヤモンド社刊=週刊時事の記事を収録

書籍『寝ても醒めても』1994年、世界文化社刊=日本テレビ「きょうの出来事」のキャスターとして番組内容に関与できたことを明かしている

書籍「直言!日本よ、のびやかなれ」1996年、世界文化社刊=強制連行について、「軍や政府の方針だったという確信を持てないのです」と書き、疑問を呈している

週刊誌「週刊新潮」1998年4月9日号=植村氏の記事について「訂正されない誤報」「女子挺身隊と慰安婦と直結するかのように報道」「日韓の世論に大きな誤解を与える誤りを犯した」と批判している。しかし、「捏造」という表現は用いていない

書籍『迷わない』2013年、文藝春秋刊=日本テレビ「きょうの出来事」キャスターとして、ニュース原稿を読み上げるだけでなく原稿に変更や修正を加えていたことを明かしている

記者会見映像記録、2018年、日本外国特派員協会で=一審判決を受けての会見で、言説の変遷を問われた時の短いやりとりが記録されている

 

植村氏が金学順さん名乗り出の記事を書いた1991年当時、櫻井氏は日本テレビのニュース番組のメインキャスターをつとめ、同時にジャーナリストの肩書で時事問題をテーマに執筆活動もしていた。慰安婦問題が日本国内でも大きなニュースとなり、櫻井氏も番組で取り上げ、記事も書いた。その軌跡を上記証拠でたどると、最初は慰安婦に心を寄せ、被害に同情していたが(1992~96年)、次第に「強制性」に疑問を持ち始め(96年)、植村氏の記事を「誤報」と批判するようになり(98年)、ついには慰安婦=売春婦説を唱えて植村記事を「捏造」と攻撃するに至った(2014年)。

 

この変遷ぶり。いや、変遷というよりは変転というべきか。地動説から天動説に変わるごとくである。しかし、その理由や根拠を櫻井氏はほとんど明らかにしてこなかった。札幌弁護団は、一審法廷でのやり取りや書面で説明を求め続けたが、ゼロ回答に終わった。一審判決直後に東京の外国特派員協会で行われた記者会見でも質問が出た。しかし、櫻井氏は「時間がたつにつれていろんなことがわかってきて」と答えるのみで、何がわかったのか、とさらに問われても無言だった。

 

櫻井氏は一審で、植村記事を捏造と決めつけた根拠として、1991~92年当時のハンギョレ新聞と月刊宝石の記事、金さんの訴状上の記載の3点をあげた。判決はこの3点セットに厳密な検討を加えないまま、櫻井氏の主張に寄り添うかのように「真実相当性」を認めた。

 

意見や主張が社会状況や個人的事情によって大きく変わることは、あってもおかしくない。しかし、ひとつの事象について意見や主張を変え、結果、ひとりの記者の名誉を大きく傷つけることになっても、その説明をきちんとしない。こんなことがあっていいのだろうか。ごく普通の市民感覚から生じるそんな疑問に、一審の裁判官は答えようとしなかった。

ところで、上記の証拠の内、控訴審第3回口頭弁論(10月10日)で提出されたのは書籍『迷わない』の1点である。これは、結審にあたって櫻井氏のウソを見事にあぶり出した証拠の決定版である。

 

櫻井氏は1992年12月9日、「きょうの出来事」の中で、「第二次世界大戦中に、日本軍によって強制的に従軍慰安婦にさせられた女性たちが、当時の様子を生々しく証言しました」とアナウンスした。このニュースは当日東京で開かれた「日本の戦後補償に関する国際公聴会」の会場の様子を伝えるもので、映像では金学順さんら、韓国、北朝鮮、オランダの女性8人が壇上で証言し、日本政府に謝罪と補償を求めている。櫻井氏のアナウンスはこのニュースの冒頭に流れた。

 

札幌弁護団は一審で、「日本軍によって強制的に従軍慰安婦にさせられた」とのアナウンスをとらえ、櫻井氏は慰安婦に同情を寄せるだけでなく、強制連行説も認めていたのではないか、と迫った。これに対し櫻井氏は、控訴審第1回口頭弁論(4月25日)で提出した「控訴答弁書」で、「櫻井自身の認識として金氏が強制連行されたと述べたことは一度もない」「きょうの出来事の冒頭アナウンス部分は、ニュース原稿を読み上げたものであり、櫻井自身の認識を示すものではない」と応じた。説明は短く素っ気ないが、番組の内容や原稿については自分自身の考えや意見は反映していないというのである。

ところが、櫻井の著作『寝ても醒めても』と『迷わない』の2冊には、ニュースキャスター時代の現場を振り返り、制作責任者やスタッフと対立しながら自分の意思を貫き、自分の言葉で語っていたことが、誇らしげに書かれているのである。自身の著作だから、談話や伝聞ではない。櫻井氏自身の言葉である。6年前の著作『迷わない』から、その部分を抜き出してみよう。

 

「その件については、これも取材しなければいけないんじゃないですか」「こういう見方も必要ではありませんか」などと、意見を述べました。周囲の雰囲気が固くなっているのが、はっきり分かりました。(61ページ)

私は、ただ読むためにスタジオにいるわけではありません。少なくとも自分ではそう心得ていましたので、原稿の中の言葉の使い方から、情報の過不足に至るまで、自分なりに判断して、変更や修正が可能なところは手を入れていました。すると、ある日、社会部の部長が怒鳴り込んできました。「何様だと思っているんだ」と大変な剣幕です。(62~63ページ)

けれど、3年目くらいでしょうか。件の社会部長がやって来て言いました。「わかった。櫻井さん、もうあなたね、全部変えていいよ。断らなくていい。あなたのすることは全部信頼するから。断らずに好きなように変えてください」と言ってくれたのです。(64ページ)

私はすぐに報道局長に会って、こう告げました。「あの人を辞めさせるか私を辞めさせるか、どっちかです」。局長もさぞ驚いたことと思います。結論からいえば、一度発表された人事が覆りました。(67ページ)

 私は一人のフリーのジャーナリストとして日本テレビの報道に参加しましたが、その基本的立場は、大組織の日本テレビと私は対等ということです。私は本当は対決を好む人間ではありません。けれど、対決しなければならないときは怯まず対決しました。(68ページ) 

 

自分の著作では、「ただ読むためにスタジオにいるわけではありません」と書き、法廷に提出した書面では「ニュース原稿を読み上げたもの」と書く人に、「真実相当性」を認める余地はない。

 

出典:「植村裁判を支える市民の会」ブログ、2019年10月22日付け記事