集会・講演・支援 対談 能川元一・安田浩一氏
ネット右翼の動向に詳しい研究者とジャーナリストが、植村隆さんと櫻井よしこ氏の本人尋問を傍聴した後、公開対談をし、ネトウヨの現状を語った(2018年3月23日、北海道自治労会館4階ホールで開かれた札幌第11回口頭弁論報告集会で)
対談 能川元一 安田浩一 ネット右翼はいま… |
安倍政権発足の年から勢い増したネット右翼
能川 きょうは安田さんといっしょに裁判を傍聴したが、被告側弁護団の挑発的な、悪意を隠さない尋問ぶりが印象に残った。櫻井さんが植村さんに言ってきた、ずさんだとか捏造だ、ということに事実誤認があることも、動かしがたく明らかになった。植村さんに対して投げかけてきた非難がみごとに櫻井さん自身に帰ってきた尋問だった。
安田 法廷では植村さんの心の底からの怒りがひしひしと伝わってきた。櫻井さんは安倍政権の代弁者、というより提灯持ちだ。提灯持ち水に落ちる、という言葉もある。主人の足元を照らしているうちに自分の足元が見えなくなって、気がついたら水に落ちていた、ということだろう。そのことを植村さんの弁護団は明らかにしてくれた。
能川 ネット右翼に私が関心をもつようになったのは2000年代の半ばだった。ブログという新しいインターネットサービスが登場して、見栄えの良いホームページを個人が簡単に作れるようになった。そのようなSNS空間で、普通の人たちが歴史認識問題で意見を表明していることに気が付いた。その内容は、主に在日コリアン批判だったが、それがだんだんとヘイトスピーチへと広がっていった。
安田 私が初めて関わったのは2006年だった。外国人実習生を巡る事件と裁判を取材した時だった。栃木県で中国人実習生が警察官に撃たれて死んだ事件で遺族は賠償を求めた。その裁判にネット右翼が押しかけて「不逞支那人は射殺せよ」と叫んでいた。
能川 ネット右翼に呼応する大きな動きがいくつかあったのは2012年だ。年末に第2次安倍政権が成立した年だ。この年12月、雑誌『正論』が歴史戦争キャンペーンを始めた。8月、池田信夫氏(元NHKディレクター、経済評論家)が自身のインターネット番組で、国会議員の片山さつき氏と西岡力氏に朝日の慰安婦報道を批判させている。この中に植村隆さんの名が出ており、ネット民の注目を集めていくようになった。産経新聞は10月23日の産経抄で植村さん個人に焦点を当てて批判した。
翌13年から、右派の市民グループによる「慰安婦パネル展」も全国各地で開かれるようになった。街宣右翼とは異なる活動スタイルで、植村さんの写真や記事も使ったパネル展示で「慰安婦報道糾弾」などと訴えた。関西のグループの中心メンバーは在特会(在日特権を許さない市民の会)の元活動家だ。ヘイト街宣から足を洗って慰安婦問題に流れ込んできた。排外主義的ヘイトスピーチと「慰安婦」問題との接点を象徴的に示すのが、西村修平なる人物だ。西村氏は在特会の代表だった桜井誠の師匠とされている。いくつかの団体を率いているが、「主権国家を目指す会」と「河野談話の白紙撤回を求める市民の会」が二本柱だ。
ネットの中の言葉が街頭のヘイトスピーチになった
安田 西村氏は、ネットの中で流通している言葉を街頭に持ち込んだ。西村氏が2000年末の「女性国際戦犯法廷」に反対する運動を展開した人であることは知っていたが、本人に出会ったのは、外国人実習生を巡る事件と裁判の取材した時だった。ネット右翼が押しかけて「不逞中国人を射殺せよ」と叫んでいた事件だ。
その外国人実習生は警察官に撃たれて死んだ。3年間岐阜で働いて中国に帰国する前日、経営者からパスポートと預金通帳を返してもらった。しかし通帳にはお金はたまっていなかった。母親と妻と子供2人が待つ故郷に、働いて得た金を持って帰るはずだった。彼は逃げた。名古屋へ、茨城へと逃げ、栃木県西方町(現栃木市)でコンクリート型枠会社に就職が決まった。履歴書不要、滞在資格がない外国人でも必要とする職場は、日本にいくらでもあるのだ。
彼はバッグを持って寮にあてがわれたアパートに向かった。真昼間の田舎町、外国人とおぼしき若い男。彼は警察官に誰何され、民家の庭に逃げ込んだが行き止まり。22歳の警察官は拳銃を抜き、彼の腹部に1発撃った。威嚇射撃はなかった。その1発で彼は死んだ。
彼の遺族は、特別公務員暴行凌虐致死罪に当たるとして裁判を起こし、06年12月から宇都宮地裁で審理が始まった。私はこの裁判を取材した。
開廷を待つ間、地裁前が騒がしい。裁判所職員に聞くと「右翼が来ている」という。黒塗りの大型街宣車、パンチパーマ、特攻服。これまで見慣れていた右翼はいなかった。この集会にいるみなさんと同じような、おじさん、おばさんと、若者、それにベビーカーを引いた女性たち、約50人が「支那人を射殺せよ」と叫んでいた。
どうやって動員されたのか。ジャケット姿の若い人に「どこの団体?」と聞くと「一般市民です」と返ってきた。一般市民が平日の昼間に「支那人を射殺せよ」と大声上げるものか。「じゃあ何故ここにいるの」と聞くと、「われわれはネットで集められた」と答えが返ってきた。調べたら2チャンネルで「日本に損害賠償を求め、日本の警察官を訴えた不逞支那人が、裁判を起こしている。みんなで日本を守るため集まろう」と呼びかけていた。
ネットで動員される人々、ネットで動員される憎悪、ネットで動員される排外主義。それを目の当たりにした。2006年の秋のことだった。これが、ネット右翼の取材を始めるきっかけの一つだった。
ネット右翼と街宣右翼が垣根を越えて相互乗り入れ
能川 各地で開かれている慰安婦パネル展にもネット右翼が関わっている。「歴史写真展 史実に見る慰安婦」と題して、実行委員会方式で開かれているが、「新しい歴史教科書をつくる会」の地方支部などが後援しており、公民館などの施設が会場だ。札幌の場合は毎回のように日本会議北海道支部が後援し、通勤通学や買い物など多くの市民が行きかうメインストリート「チカホ」(地下歩行空間)で繰り返し開かれている。
安田 北海道で特徴的なのは、日本会議とネトウヨの段差がほとんどないように見えることだ。ざっくり分類すると、右翼には「民族派」と称され街宣車や特攻服が思い浮かぶ右翼グループがある。それにネット右翼、そして統一教会など宗教右翼グループがある。北海道の右派地図はグラデーション状態だ。かつては住み分けされていたグループが、いまは相互乗り入れして入り乱れている。今日の傍聴席にも、日本会議だがパネル展でネトウヨと共闘している人もいた。
東京では2月下旬、朝鮮総連本部ビルに銃弾5発が撃ち込まれ、2人が逮捕された。主犯はバリバリの右翼活動家だが、同時にバリバリのヘイト活動家だった。彼は2013年秋、在日コリアン最大の集住地、大阪・鶴橋で、当時中学2年生の娘にマイクを持たせ「南京大虐殺でなく 鶴橋大虐殺を実行します」と街宣車から言わせて問題になった。そんなことを中学生に言わせ、後ろで笑いを浮かべ拍手する大人を私は許せない。ヘイトデモが嫌なのは、その主張だけでなく、笑いながら差別し、笑いながら人を貶め、笑いながら人間の存在を否定する連中だからだ。
そんなデモに出て来る人間と、街宣右翼が相互乗り入れする時代になった。境界が低くなってきたことは、全国各地で見られる。しかし、右翼は総じて卑怯で、嘘をつき、ネットでデマを流す。「本当の右翼は差別をしない」「本当の民族派なら、こんなことはしない」という言い方を私はやめた。
能川 右翼のアジェンダは幅広いから、関心の違いや利害の差は様々あるだろうが、日本軍「慰安婦」問題はその差を超えて、右翼が広く一致団結できるテーマになっている。慰安婦像をめぐっては、たとえば、米国世論を味方にしようという目的で、動画投稿サイトYoutubeを通じてネット右翼の目に止まったアメリカ人、「テキサス親父」ことトニー・マラーノなる人物をオルグして活動させているが、その資金はある宗教団体も拠出している。
右翼ではないのに右翼以上の事件の主役になる
安田 右翼同士の段差が小さくなってきたが、それは一般社会との間についても言える。一般市民が差別や排外主義がからむ事件の主役になるようになった。
去年の5月に名古屋であった事件だ。旧朝銀系のイオ信用組合名古屋支店で、65歳の男性がポリタンクに入っていた灯油をまき、火のついたタオルを投げ込む放火事件があった。すぐに逮捕され、初犯だったこともあり名古屋地裁の判決は懲役2年執行猶予4年だった。
裁判の過程で男性は「慰安婦問題で韓国の態度が許せなかった」と放火の動機を述べた。だがイオ信用金庫は朝鮮総連系の金融機関で、韓国系ではない。男性に北と南の区別はなく、「朝鮮人イコール敵」の烙印を押している。決定的に間違えているけど、男性は「韓国系とか総連系は、どうでもいいと思った」と言った。男性は右翼活動歴はまったくない。勤務先の評価は「真面目」で、もちろん前科もない。定年を迎え年金生活となり、時間が出来てネットを見るうち慰安婦問題への憎悪が高まり、火を投げ込むまでになった。
右翼ではないのに右翼以上のことを一般人がやってしまった。こんな例は、まだある。
一昨年、福岡市天神の繁華街で西鉄系列のデパートやバスターミナル、トイレに、張り紙がべたべたと張られていた。「日本を支配しているのは在日」「在日支配の危険から逃げなければいけない」「我々は在日と戦わなければならない」。監視カメラや警察官の張り込みで逮捕された男は、63歳の元学習塾経営者だった。この人も右翼活動歴はまるでない。きっかけはネットだった。一人で飲んでいた居酒屋で、大声で話す近くのグループの話題が耳に届いた。「芸能人の〇〇は在日で…」。それを聞いた彼は怖くなったそうだ。「芸能界にそんなに在日がいるのか」。家に帰ってパソコンを開いた。パソコンはちゃんと使えないが、検索はできたそうで、いろいろ発見してしまった。日本の経済、行政、政治もメディアも在日が支配している、というのだ。彼は奥さんに話したそうだ。「お前、日本を支配しているのは在日だと知っていたか」。奥さんは「バカなことを言ってないで早く寝なさい」。彼は「うちの妻はダメだ。社会の事にまったく関心をもてない。俺が社会に知らしめなければならない」。検索は出来てもアウトプットは出来ないもんだから、手書きのビラを作ってべたべた貼ってしまった。建造物侵入で懲役2年執行猶予3年。建造物侵入で初犯なら、ふつうは起訴猶予だが、長期拘留されて有罪判決を受けた。ちょうどヘイトスピーチ解消法ができたころだった。
金融機関に火を投げ込んだ男性、デパートにべたべたビラを貼った男性。どちらも右翼ではない。2人を犯罪に走らせたのは一部メディアやネットだった。とりわけネットにあふれたデマが行動を促した。こうした回路は私たちの社会のあちこちにあふれている。
「自由」を矮小化する差別と排外主義
能川 そのようなネット右翼個人だけでなく、右派系の大衆運動が私たちの生活に迫っている。その最大勢力が「日本会議」だ。そのルーツをたどると、「生長の家」に行きつく。2016年に日本会議を扱った本が10冊も出版され、ブームになった。うち1冊は、副題に「カルト」という言葉を使っている。カルトとは、社会の主流派との間に緊張関係を持っている宗教集団と理解されている。地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教はカルトだ。では日本会議の考え方は少数派なのか、特殊な一部の人だろうか。カルトかどうかは議論が分かれるが、そのことも含め、研究者仲間の斉藤正美、早川タダノリ氏と行った鼎談が「図書新聞」のホームページ(2017年10月28日号=こちら)にアップされているので、詳しくは読んでいただきたい。
安田 右翼について書かれた有名な本「戦後の右翼勢力」(堀幸雄著)にもこういう一節がある。「日常われわれの身近にいて、しかも信心深いと思われている人たち、これが現代の右翼である。街頭で制服を着た右翼から、どこにでもいる背広を着た右翼となって、大衆の中に入り、大衆運動を組織して右傾化、反動化の先兵となっている」。この本が書かれたのは、1983年だった。当時すでに、右翼と一般社会との段差が小さくなっていた。「日本会議」の前身、「日本を守る会」は1973年に宗教界を中心に作られた。鎌倉円覚寺の朝比奈宗源師が、生長の家の谷口雅春氏を口説き落とし、富岡八幡宮の富岡盛彦宮司とともに作った組織だ。もうひとつの前身、元号法制化を進めてきた「日本を守る国民会議」は1981年に作られた。元外交官の加瀬俊一氏が代表で、作曲家の黛敏郎氏や歌手の三波春夫氏らが名を連ねた。このふたつが統合して1997年5月、「日本会議」ができた。前身の組織は、それまで左翼、リベラルが得意だった草の根の運動や地道なオルグ活動など、左翼の作法を取り入れて、勢力を拡大してきた。
能川 右派のアジェンダは幅広いが、「慰安婦」問題に限っていえば、右派の言説を追いかけてきて「自由」に対する考え方の違いを痛感する。とくに「性奴隷」という言葉に対する言説にそれがはっきりしている。日本政府が激しく反応するのは、「奴隷」であったことを認めることは国際条約違反であったことを認めることになり、それによって軍「慰安所」制度の歴史的評価が定まってしまうのを嫌がっているからだが、右派には、もっと素朴な感覚がある。つまり、給料がもらえるのに奴隷なのか、外出が許されることもあるのなら奴隷ではない、という感覚だ。しかし、奴隷であるかどうかが「鎖が足につながれているかいないか」の問題ではないことを理解するなら、「慰安婦」問題は外国人実習生の問題、AV出演強要問題やブラック企業の問題にもつながる。
右派の「慰安婦」問題認識から分かることは、人間の「自由」を極めて矮小化してとらえていることだ。足が鎖につながれていなければ自由なんだ、と思っているわけだ。だから日本軍「慰安婦」問題に関する彼らの主張にきちんと反論し、そうじゃないんだよと、この社会で示していく。それは、この社会で自由に生きていくことが出来るか、自由に働くことができるか、という問題とイコールだと思う。
安田 慰安婦問題でほんとうにむかつくのは、お金もらってたんでしょ、休憩時間もあったんでしょ、というような物言いだ。私たちは、この社会、地域、人間を壊そうとしている差別、排外主義と闘っている。ここに1枚の写真がある。熊本の縫製工場で働く中国人女性実習生が2007年、裁判に勝った時の写真だ。
彼女たちは、時給300円から400円という安い賃金、月に休みが1日あるかないかの長時間労働、そしてパワハラ。ブラック企業のあらゆる悪を詰め込んだような経営者を訴えた。「私たちは奴隷ではない」「勝訴」「奴隷労働反対」。プラカードを持つ女性の笑顔が美しい。この判決を記事にしたところ、「給料もらっている奴隷がいるのか」という奴がいた。冗談じゃない。足かせをはめられ、手錠をかけられないと奴隷じゃないのか。見えない足かせ、見えない手錠、見えないしばりで、人間は奴隷になるんだ、完璧に。この裁判の原告代理人に小野寺信勝弁護士がいた。彼は熊本を離れて、いま札幌にいる。植村弁護団事務局長の小野寺さんです。(会場に大きな拍手)人を人として見ないような視線がこの世の中にあふれている。だれかを排除して生きながらえようとしている人間がいて、だれかを犠牲にしてこの社会を動かそうとする人間がいる。そういう人たち、この社会、地域、人間を壊そうとする差別、排外主義と闘っていきたい。
(まとめ・文責 H.N)
凡例▼人名、企業・組織・団体名はすべて原文の通り実名としている▼敬称は一部で省略した▼PDF文書で個人の住所、年齢がわかる個所はマスキング処理をした▼引用文書の書式は編集の都合上、変更してある▼年号は西暦、数字は洋数字を原則としている▼重要な記事はPARTをまたいであえて重複収録している▼引用文書以外の記事は「植村裁判を支える市民の会ブログ」を基にしている
updated: 2021年8月25日
updated: 2021年10月18日