集会・講演・支援 東京集会の記録

 

第1回口頭弁論報告集会(2015年4月)から裁判最終報告会(2021年8月)まで全21回の様子を記録する

 

東京第1回報告集会  2015年4月27日午後5時~、参院議員会館講堂

 

植村さんが法廷での陳述の感想を語った後、有田芳生参院議員があいさつ、神原元弁護士が植村裁判の要点などを説明し、会場の参加者との質疑を交わした。札幌弁護団の上田絵里弁護士は札幌訴訟が移送をめぐってストップしていることを報告した。大森典子弁護士は植村裁判と同時に参加している吉見裁判との共通点について語った。休憩をはさんで、山口二郎・法政大教授が講演、水岡俊一参院議員、中山武敏弁護士(植村裁判東京訴訟弁護団長)があいさつをした。

 

植村隆さんの話

きょうは第1回口頭弁論で原告意見陳述の時間を設けていただき約10分、報告しました。ここでは全部は朗読できないが、私がどうしても許せない問題のところだけ読んでみたいと思います。

(以下朗読)

今回の名誉毀損裁判を提訴してから約20日後の2月初めのことです。私が勤務する札幌の北星学園大学の学長宛に、またしても脅迫状が送られてきました。入学試験の前、私を雇っていることを理由に、入試の際に受験生や教職員に危害を加えると脅していました。脅迫状の中には、私や私の娘の名前が書かれていました。こういう内容の書き出しでした。<貴殿らは、我々の度重なる警告にも関わらず、国賊である植村隆の雇用継続を決定した。この決定は、国賊である植村隆による悪辣な捏造行為を肯定する>ものだ。そして最後は、娘の実名をあげて、こんなような殺害予告を繰り返していました。 <必ず殺す。何年かかっても殺す。何処へ逃げても殺す。絶対にコロス>

ぼくは悩みました。娘には見せられないと。警備が強化されたが娘に言えなかった。しかし娘に呼びつけられて「何かおかしい。学校の行き帰りにパトカーがついてくる」。 「お前を殺すという脅迫状が来たんだ」。娘は何も言わず黙って聞いていました。

娘への脅しは、これが初めてではありません。昨年8月には、インターネットに実名と顔写真がさらされ、誹謗中傷が溢れかえりました。例えば、こんな内容です(甲12)。

 <こいつの父親のせいでどれだけの日本人が苦労したことか。自殺するまで追い込むしかない><この子をいじめるのは『愛国無罪』。堂々といじめまくりましょう><国家反逆の売国奴 植村隆 の娘といった看板を背負って一生暮らさなければならない> 

私はいま24年前に書いた記事で激しいバッシングを受けています。しかし、そのときには生まれてもいなかった17歳の娘が、なぜこんな目にあわなければならないのでしょうか。私には愚痴をこぼさなかった娘が、地元札幌の弁護士さんに事情を聞かれ、ぽろぽろと涙をこぼすのを見た時、私は胸がはりさける思いでした。

 (朗読終わり)

絶対に許せないと思いました。91年8月に被害体験をしゃべり始めたことを挺対協に取材して書いた。当時韓国人の妻がいて、慰安婦の取材をしていたが、母親の団体遺族会とはまったく別の団体。挺対協のことを書いたということでバッシングが始まる。朝日にいたときはそんなに被害はなかったが、神戸の女子大に転職が決まったときに捏造記事だと書かれて、嫌がらせの攻撃がいって私の就職がフイになった。ついに娘を殺害するとまで言われた。この私を捏造記者と言っている西岡さん、それをまき散らした週刊文春の人たちには司法の場でも反省してほしい。

私は「文藝春秋」にも「世界」にも反論を載せている。西岡さんは「あたかも強制連行のように書いている」というが、産経新聞も「強制連行された」と2回も記事を書いている。事実に向かい合ったらどこの記者もそういう記事を書いた。そういう時代を忘れ去ったかのように捏造と書いている。

先ほど記者会見で「なんでそんなにバッシングされているのか」と聞かれた。西岡氏らは、「慰安婦を発掘した記者、売春婦だった老女、裁判を起こした弁護士、問題を国際化した自称NGOは日本を貶めた反日日本人だ」と書いている。なるほどと思った。反日、日本を貶めたという言説をまき散らしている西岡さんに反省していただきたい。

 

有田芳生参院議員の話

植村さんの裁判は、ヘドロのように汚く広がっているいまの日本社会をきれいにしていく重要な裁判だと考えている。おぞましい脅迫状が来たと植村さんが紹介された。そんなことは絶対許してはならないと、法務委員会で植村さんの娘さんへのとんでもない言説を何とかしなければと質問した。上川法相は「許せない」と語った。語るだけなら何もそれ以上のことはなされない。実質的に食い止めるためには、だれがそんなことを発したか明らかにしなければならない。

神原弁護士はヘイトスピーチ問題で闘う仲間だが、ネット上の脅迫行為をやめさせなければならない。ツイッターも煽動脅迫行為は徹底して削除するという動きがようやく始まっている。それを身のあるものにしなければならないと思っている。

 

神原元弁護士の話

週刊文春や西岡の言説によって名誉が毀損されたという原告の訴状に対して、被告側から答弁書が提出された。あちらの主張は、「捏造は事実の摘示ではない。論評である」という反論をしている。

事実関係では、

1、植村さんは、金学順さんが言っていない「挺身隊」という経歴を書いている 

2、キーセンにいたという重要な事実について触れていない 

3、植村さんは義母が起こした裁判を有利にするため強制連行を捏造する動機があった。

と主張している。

これに対しておおざっぱに反論した。

1、「捏造」とは意図的に事実を改ざんするということ。単なる評論ではない。西岡さんは自分の本で「捏造は紙面を使って意図的なウソを書いた」と主張している。間違いではなく意図的なウソをつくと。これは評論ではなく事実摘示であると主張した。

2、金学順さんが言っていない経歴だというが、これは91年8月の韓国東亜日報。「挺身隊」という字が見える。金さん本人が挺身隊といっていた。当時は慰安婦のことを挺身隊というのは当たり前だった。

3、キーセンに触れていないというが、産経新聞は金学順さんの裁判について触れている。91年8月の読売新聞も触れていない。自分たちだって書いていない。他の人も同じように書いているのになぜ植村さんだけ捏造なのか。読売新聞は植村さんとまったく同じ記事を書いているのに。

4、強制連行を捏造する動機があったという主張。そもそも植村さんが取材を始めたのは記事が出る1年以上前。植村さんが強制連行とは書いていない。産経新聞は「中国・北京で強制連行された」と書いている。なぜ植村さんについてだけ強制連行を捏造する動機があるといえるのか。

大枠でそのように反論したが、被告側はさらに次回の6月29日の法廷で詳細な主張をしてくるので、それに反論する。現時点では全然話にならないという感じかなと思っています。今日の裁判長は植村さんの話は一生懸命に聞いていたな、とも感じた。

 

上田絵理弁護士の話

櫻井よしこさんと出版3社に対する札幌の訴訟は2月10日に提訴し、4月17日に第1回期日がある予定だったが、被告から「東京への移送」という申し立てがなされ、ストップしている。札幌の訴訟は櫻井さんの言説なので東京と一緒にやる必要はない。植村さんが住んでいて、北星学園大がある札幌でやることに意味がある。5月初めに裁判所の判断が出ると思う。きょうの植村さんの意見陳述にも感動したので、共有していきたい。

 

大森典子弁護士の話

吉見事件との共通点は、捏造という言葉、慰安婦問題に関しての発言が問題になっているということ。吉見裁判も民事33部という同じ裁判体です。たぶん右陪席の方が違うが、裁判長と左陪席が一緒なら、先行するこの裁判で植村裁判も占えるということで責任を感じています。吉見裁判で負けてはならない。変な裁判にしたら大変なことになる、と身の引き締まる思いで植村さんの陳述を聞いていた。

いま日本社会は「ウソも100回言えば本当になる」とでたらめの発言が繰り返し飛び交っている。日本の社会は言葉の重みが軽んぜられている。捏造だと言いまくったり、ウソでも週刊誌でも馬鹿馬鹿しくなるようなことが出ているが、あほらしいとほっておけない。吉見さんも学者で忙しいところを膨大な時間を取られている。一人ひとりが立ち上がって許してはならないとやっていかなければならない。産経新聞がでたらめな記事を出しているのを抗議したり訂正を申し入れるのはエネルギーがかかるが、やらないといけない。植村さんも大変だと思いますが、徹底的に相手を打ちのめさなければいけない。

 

山口二郎・法政大教授の講演(要約)

▽ジョージ・オーウェル「1984年」、清沢洌「暗黒日記」などを引きながら、マッカーシズムやスターリン主義にみられる全体主義的支配の時代と、植村バッシングを生んだ現在の日本を対比する。

▽現在を支配する者は過去も支配する。支配者は過去を支配し歴史を作り替え、そのことによって権力の持続をはかり未来まで支配するという全体主義。これは冗談ではない。2015年の日本でオーウェルのいう現象が起こっている。非が理を圧倒し曲が直をけちらかしている。

▽安倍晋三という人はデマゴーグであり、慰安婦問題でも「日本の名誉が傷つけられて多くの人が苦しんだ」と言っている。欧米での関心の高まりは、2007年、自民党右派政治家と知識人が「日本が悪くない」という意見広告を載せたのがきっかけで米国の人が目を向けた。日本の名誉を損なったのは慰安婦問題において日本の責任を否定しようとした右翼的な連中だ。

▽安倍は主観と事実の区別がつかない。事実命題と感情の区別がつかない。日本が美しくあってほしいという彼の主観的願望と、日本が美しいという事実命題は違う。しかし彼は主観的願望を吐露すれば他人にも理解されると思っている。

▽この間の歴史教科書における負の部分の抹殺は教育をあげて自己愛を増幅し子どもに押しつけるキャンペーン。自分が良く思われたいと思っていても、それしかないと馬鹿にされるというのは普通の大人にはわかる。謙遜したり自分の悪いところは反省するという内省、自己省察を持つのが大人なんですね。それは安倍談話の核心にかかわる。あの人が内省という核心をもっているか。

▽日本版マッカーシイズムが広がり,その根底には安倍という政治家の存在がマッカーシイズムを促進してきた。言論における魔女狩りという現象が広がっている。「木を見せて森を隠す」という論法。原発における朝日新聞の「誤報」。吉田調書について、現場の人が命令に反して撤退したという見出しが誤報として大騒ぎになった。見出しが的確かという議論はあるが、吉田調書のスクープには大きな意味がある。東日本壊滅を覚悟したというのが核心だった。そこまで福島第一原発はぎりぎりの紙一重で日本は助かったというのがあの調書のポイントだった。朝日の記者が見出しをどうつけたかという部分をフレームアップして否定する。歴史教科書、従軍慰安婦に関して強制性を証明するドキュメントがないという論法も同じ。実証を恣意的に拡大する。証拠はといって、関東大震災の朝鮮人虐殺は何人かという記録があるわけはない。南京事件しかり。戦争に関する事実の報道は、実証が恣意的に特定の問題に当てはめて厳格に求めていく。ここにおいて実証主義は歴史学の手法ではなくプロパガンダになっている。

▽オーウェルの世界では矛盾と思う人が孤立していった。矛盾だと思った人が抵抗を始めるが、まわりの人間が受け入れているなかで矛盾だと言い続けることは難しい。矛盾だよねと言う空間を保持することが必要。きょうのこの場もそういう場だと思います。

▽とんでもない時代だが、そういう時代を変えるのも私たちの力。政治状況は一発逆転という状況ではない。シングルヒットやフォアボールでバントするような取り組みをしていくしかない。植村さんの裁判闘争を支援するのもそういうたたかいであり意味がある。お互いに確認して今後の闘いを続けたい。

 

水岡参院議員の話

立憲フォーラムというグループで表現の自由についてがんばっている。植村裁判について聞きたいと思っていた。

 

中山武敏弁護士の話

山口先生の「権利のための闘争が必要だ」とのお話に感動しました。植村さんが「捏造などしていない」という思いに答えるため弁護を引き受けました。名誉を回復し、不当な人権侵害を許さない。日本の民主主義がゆがめられてはならないと思っています。「不当なバッシングに屈しない。私は一人ではない」。自戒し大切にしていきたい。

 

 (以上、R.K作成メモによる)

 

東京第2回報告集会  2015年6月29日午後4時~、参院議員会館講堂

 

元読売新聞記者で「人権と報道・連絡会」世話人の山口正紀さんの講演と弁護団報告があり、植村さんが米国講演ツアーの報告をした。100人を超える人が参加、報告集会だけに駆けつけた学生もいた。

 

山口正紀さんの講演(要点)

▽かつて読売新聞記者として「週刊金曜日」にメディア批判を書いたところ、社外の「救う会」などから「山口記者に書かせていいのか」とのクレームが来て、読売社内で何度も配転され、結局辞めた。自分も91年12月に従軍慰安婦の記事を書いたが、植村さんの91年8月の記事は加害の歴史を見つめ直す流れの中で高く評価される。西岡さんたちにはきちんと謝罪してもらわないといけない。
▽朝日新聞社の慰安婦報道についての第三者委員会が、植村さんの記事について、捏造については否定する一方で、「誤解を招くようなところがあった」「不用意」などした。執筆当時の韓日における挺身隊と慰安婦についての認識を考えれば、今になって「誤解を招く」とか「不用意だった」と言うことは、許し難い。慰安婦たちが戦場を連れ回され、逃げ出せなかった。一人の女性としての尊厳を日本政府が奪ったことは、間違いない。

▽安倍政権によるメディアに対するアメとムチ。メディア幹部を料亭などに呼び、飲み食いしつつ安倍さんが直接、秘密法や靖国について話す。渡辺恒雄さんは8回くらい、産経も。朝日も3回くらい行っている。飼いならされている。他方で、気に入らないメディアは呼び出したりする。先日の自民党若手勉強会の『マスコミを懲らしめる』などの言いたい放題はその延長にある。イスラム国人質事件での政府の対応のおかしさや、それを利用しての憲法破壊など、安倍政権下ではさまざまな危険な動きがある。
▽植村さんは、そうした流れを押し返し、彼らを追いつめるところまで進んできた。日本社会を変えるために植村さんを孤立させてはいけない。私たちのやっている秘密保護法に対する裁判と植村さんの裁判は、権力にとっては困ったことなのだ。この闘いは、委縮攻撃を受けている大手メディアの若い記者にも、頑張れることを示すことができる、大きな意味がある。

 

神原元弁護士の話

「きょうのやり取りは、いわば前哨戦。次回10月26日に双方の主張が出そろい、証拠調べについてもどこまで出て来るかがわかるだろう。次回の第3回口頭弁論が注目だ。

 

植村隆さんの話

米国の大学の招きで訪米し、4月29日から5月8日まで6つの大学で8回の講演等をした。招いてくれたアメリカの研究者たちは、嫌がらせに近い圧力に抗して、勇敢に植村講演を成功させた。話を聞いた学生らの感想には、「植村さんは世界の女性のために闘ってくれているのです。ありがとう」など、「ありがとう」という言葉が目立った。取材に来た産経新聞記者は比較的客観的な記事を送稿していた。

 

長谷川綾さんの話(植村さんの訪米に同行したジャーナリスト)

コロンビア大の歴史学者キャロル・グラックさんをはじめ何人もの人が植村さんに『ありがとう』と言った。民主主義への攻撃、不正義に対して闘っている植村さんは、私たちのために代表して闘ってくれているのですから、と言った。帰国して植村さんは『人生は捨てたもんじゃない。脅迫され、仕事を失った。でも世界中に友達が出来た』と話した。きょうこの会場にもこれだけの人が集まっている。日本の民主主義社会も捨てたもんじゃないと思う。

(以上 K.F記)

 

東京第3回報告集会  2015年10月26日午後4時~、参院議員会館講堂

 

弁護団と植村さんの報告と中野晃一上智大教授の講演があった。

 

中野晃一上智大教授の講演

中野晃一さんは、「99年に6年ぶりに帰国してみたら、本屋にヘイト本が平積みになっている。ずいぶん変わったなと感じた」と自身の体験から説き起こし、右傾化する日本政治と社会の変化と、その中で起きた植村さんへの攻撃との連関を語った。中野さんの講演レジュメの「まとめ」部分を、以下に再録する。

. ポスト冷戦世代の政治家、右派メディア・知識人、右派団体・運動体との連携で1990年代後半から始まったバックラッシュの流れが小泉政権期に主流化していった

. 自民党内の穏健保守、そして民主党の崩壊を経て、第2次安倍政権でついに歴史修正主義は、政権与党の公式な政策となってしまった

. オルタナティブとなる野党のない政党システムの下、自民党による国内メディアの統制・抑圧には相当程度成功してしまった

. アメリカを中心とした海外キャンペーンの展開が始まった

.  当面は、アメリカの顔色をうかがいつつ、許される範囲での歴史の書き換えを推進しよう.とするものとみられる

. 安保や経済面での対米追随政策とのバーターで、歴史修正主義のお目こぼしをしてもらう方針も、いずれ破綻する可能性

. 海外では、「慰安婦」問題は、女性の人権問題や軍事性暴力の問題と捉えられており、植村さんへの攻撃も同じく言論や学問の自由など人権問題と深刻に受け止められている

 

植村隆さんの話

植村さんは「vs産経新聞 韓国訪問を終えて」と題して特別報告。韓国でナヌムの家を訪問した折に元慰安婦のおばあさんと抱き合ったが、彼女の体は本当に小さかった。「慰安婦問題とは、歴史資料などではなく、一人ひとりのおばあさんの悲しみだと小さい体を抱いて知った」と植村さんは語った。

その訪韓前の7月末に植村さんを取材に来た産経新聞の阿比留記者は、「強制連行」とかつて書いていた産経新聞の記事を植村さんに示されると、「間違ってますね」と何度も繰り返すばかり。さらに植村さんが、慰安婦のおばあさんを取材したことは?と聞くと、阿比留記者は「ありません」と答えたという。これらの経緯も含め、植村さんは「週刊金曜日」10月30日号から、5回の連載をする予定だ。

 

学生たちの発言

植村さんの韓国の旅に同行した明治学院大学の学生たちもそれぞれに思いを語った。

「祖先の関わった侵略戦争。それを清算しなかった戦後。その上に私たちは在る」(1年の殿垣くるみさん)

「ハルモニの方々と手を握った。言葉につまった末、『私たちの歴史の中で、日本はひどいことをしました』と言うと、ハルモニから『そのことを日本の教科書に残しておくれ』と言われた」(4年の中村充孝さん)

北星学園大学で植村さんの教え子だった韓国人学生姜明錫(カン・ミョンソク)さんはソウルから自費で駆けつけ、「植村先生のバッシングはあまりに非常識なのに、日本言論はなぜ扱わないのか」と語った。

 

弁護団からの報告

札幌弁護団の渡辺達生弁護士が、札幌訴訟の移送問題について、「櫻井氏の東京地裁へ審理を移すようとの求めは札幌高裁に退けられ。櫻井氏側は最高裁に特別抗告という不服申し立てを行った」と説明し、「その結果待ちで長引いているが、おそらく年明けには札幌地裁で第1回弁論が行われることになるのではないか」との見通しを語った。この日の東京地裁での第3回弁論の中身については、角田由紀子弁護士が説明した。

(F記)

 

東京訴訟第4回報告集会 2016年2月17日午後4時~6時15分 参議院議員会館会議室

 

弁護団報告の後、青木理さん(ジャーナリスト、元共同通信記者)と植村隆さんが「朝日叩きと植村バッシングの深層」と題して対談した。青木さんは著書「抵抗の拠点から 朝日新聞「慰安婦報道」の核心」で、植村バッシングについて植村さんの長時間インタビューを紹介している。青木さんは同書出版の動機を「だれを守ろうとか救おうとかじゃなくて、自分がまずいと思ったから書いた」と語り、植村さんは「インタビューは突然だったのでちょっと震えた。本を手にした時は、百万の援軍を得た思いだった」と応じていた。

青木・植村対談録はこちら

 

 

東京訴訟第5回報告集会 2016年5月18日午後4時~6時30分 衆議院第二議員会館第3会議室

 

会場には定員いっぱいの約60人が集まり、補助椅子もすべて埋まった。集会は、植村応援隊の今川かおるさんが司会して行われた。弁護団報告の後、札幌で結成された「植村裁判を支える市民の会」の七尾事務局長と崔共同代表があいさつ、佐高信さんの講演などをはさんで、最後に植村隆さんが韓国での生活と最近の著作活動について報告した。

発言者は順に、角田由紀子弁護士(東京)*、神原元弁護士(同)*、上田絵理弁護士(札幌)*、七尾寿子さん(植村裁判を支える市民の会事務局長)*、崔善愛さん(同会共同代表、ピアニスト)*、近藤昭一さん(民進党衆院議員)、徳島県教組元書記長(在特会を訴えた損害賠償請求訴訟の原告女性、匿名)、佐高信さん(評論家、「櫻井よしこ氏と背後勢力」と題して約50分間講演)、植村隆さん*の9人。以下は*6人の発言要旨。

 

角田由紀子弁護士

この裁判は、スタートのときは裁判官は男性3人だったが、今回から両脇が女性2人になった。裁判官は圧倒的に男性が多く、女性はまだ24%しかいない。それでも裁判官はまだ女性の割合が高く、弁護士は18%しかいない。両脇が女性になったことは、この裁判にとって喜ばしいことになるんだろう、と考えた人もいるかもしれないが、そこは何とも言えない。でも、もしうまくいけば、この裁判のテーマは名誉毀損ではあるが、根底の事実関係には慰安婦問題があり、女性の裁判官がそれをどう理解するかという点が大事だと思う。もう一つ法曹の問題として、法学教育ではジェンダー認識を持たせる教育をしていない。教える人も、教科書を書く人もほとんど男性だ。女性裁判官が、男の先生に教わるその影響をどこまで排していくかということでいうと、傍聴の問題が大きい。女の人の目が光っているのがとても大事。裁判官はみなに見られている、聞かれているのがとても大事です。若い女の人にたくさん傍聴参加してもらうのは難しいかもしれないが、そうすることで女性裁判官にエールを送れたらと思う。

 

神原元弁護士

今回、第3準備書面を提出した。すでに第2準備書面で大事なことは言っているので付け足しといえるが、なぜ付け足したか。

この裁判は、西岡が植村さんを「捏造記者」と決めつけたことが名誉毀損にあたるということが裁判の争点になっている。西岡はその理由として、植村さんが、女子挺身隊の名で連行された、と書いたこと、キーセン学校、キーセンに身売りされたと触れなかったこと、植村さんの義母が遺族会の幹部だったこと、の3つをあげている。

2つ目の件、「キーセン」と書かないことが捏造というのは常識としてもおかしい。キーセンに触れないからというのは日本語としてもおかしい。

女子挺身隊の名で、というのも、当時の新聞を見ればそう書いてある。最近、新たに提出したなかでは、読売新聞が91年12月に、「女性挺身隊として強制連行され」と書いている。当時は挺身隊という言葉は慰安婦という言葉と同義に扱われていた。これだけ証明すれば、植村さんが捏造したということにはならず、それだけで裁判が終わっちゃうところだが、向こうが言ってくるので、あえてそれに対して反論したのが今回の書面です。

被告は、挺身隊というのは当時は確かに一般的に使われていたかもしれないが金学順さんはそう言っていない、と主張している。しかし、金学順さんもそう言っている。名乗り出た瞬間から「私は女子挺身隊だった」と切り出したという記事が北海道新聞にある。

それから、キーセンの検番に身売りされたという件。養父に連れて行かれた、とハンギョレ新聞8月15日付に書いてある。植村さんの聞きとりでは、金学順さんはキーセン学校に通ったが、身売りとは言っていない。養父とは言わず、友だち2人で行こうと決めた、と言っている。

植村さんの義母は遺族会の理事だった、だから植村さんは裁判を支援するため記事を書いた、と被告は言っている。しかし記事が最初に出たのは8月11日。金さんは原告ではないどころか、義母に会ったことすらない。これは朝日の検証紙面でも言っているのに、被告はいまだにこういうことを言っている。完全な事実誤認だ。

それから、12月25日の記事。この記事は、裁判が起きた後に出ている。キーセン学校に通ったとか、養父が行ったとか、すでに出ている訴状に書いてある内容を書かないことが裁判に有利になる、という被告の理屈が裁判で通りますか。

向こうは論評だと主張しているが、だとしても、意見を言う前提となっている事実が一つもない。あるとすればキーセン学校に通ったということを書かなかった程度。「捏造だ」と言っている根拠が一個もないことが問題です。

まったく事実にもとづかないバッシングで植村さんは、事実上、北星にもいるのが大変だということで今回、韓国カトリック大学に移らざるを得なかった。こんなことがあっていいのか。北星と松蔭にどんな批判のファクスやメールが来たのかについて、裁判所に書類が届いている。北星からは3500枚来ている。次回8月3日には、文春記事と植村さんバッシングの関係を立証する「損害論」の主張をする。それに対してさらなる反論が被告側から来るというのが、次回以降の流れです。

 

上田絵理弁護士

訴訟提起から1年2カ月もたって、ようやく札幌でも第1回口頭弁論が開かれた。時間もたってしまい、傍聴人が集まるのか、弁護士が結束できるのか不安もあったが、当日は57人の傍聴席に198人が並んで3・5倍の抽選。多くの方に傍聴していただいた。弁護団109人のうち28人が出席し、札幌の法廷は一回り小さいが、弁護団の席が真ん中まで出てきてしまうほどだった。

被告側も計6人。櫻井さんも意見陳述、植村さんも陳述し、最初から最大のクライマックスを迎えるという、双方が裁判に向かっていく気迫のある法廷になった。

最初に手続きがあったのち、意見陳述を始めますというときに、「ここは裁判所なので、拍手やヤジを飛ばしたくなっても、心の中にとどめてください」と裁判長がおっしゃった。どちらに偏るでもなく、司法としてどう判断するかを見きわめていきますよ、とのメッセージ。われわれも闘いやすいという雰囲気だった。双方が主張をたたかわせようという空気が感じられる法廷だった。

植村さんからの意見陳述は、堂々と落ち着いていた。内容は大きく分けて2点。被害の実態、裁判を訴えるまでにどれほどの状況があったのか、娘さんに攻撃の矛先が向いていった経過。「千枚通しで胸を刺されるような痛みを感じた」と聞いたときは、当時、いっしょにやらなければならないという気持ちになったことをあらためて実感した。もうひとつは、言論の場で植村さんが伝えても、バッシングが止まらない、脅迫が止まらないという中、裁判で闘わざるを得ないということ。植村さんには、裁判所も事実に向き合ってもらいたい、と訴えていただいた。

弁護団の共同代表の一人である伊藤誠一弁護士も陳述した。伊藤弁護士は、われわれがなぜ裁判を起こしたのか、どういった訴訟進行をしてほしいか、について述べた。植村さんと朝日新聞だけが特定されて激しく攻撃され、マスメディア全体が萎縮している状況であり、その結果、言論空間が狭められている、と。原告の権利や自由だけでなく、自由な言論の交換によって成り立つ民主主義の危機的状況について、正面から向き合っていただきたいと、訴えた。

これから戦いに突入していくわけです。争点は名誉毀損だが、民主主義とは何か、言論のありかたはどういうものかという大きなテーマを抱えている。東京訴訟はかなり進んでおり、札幌にもいい影響をもたらしている。連携して闘いに臨んで行けたらと思っている。

 

七尾寿子さん(植村裁判を支える市民の会事務局長)

「植村裁判を支える市民の会」は4月22日の裁判に向けて4月12日に立ち上がった。裁判というのは裁判所の中で内向きになるが、傍聴者がいないとダメだよね、ということで集まって、支える会ができた。労組や市民団体、宗教関係、大学もまわって、傍聴の協力をお願いした。57席に198人が駆けつけて並び、裁判のあとの報告集会も220席びっちり集まった。

札幌で裁判をしたかった。札幌に北星学園大があり、私の娘も女子高校にお世話になった。地域に根ざした卒業生も多い。地域が萎縮した状況を打破したいという思いもあった。それと、マケルナ会が活動を開始した当初、植村さんは毎日無言電話が鳴り続けるということで、顔が真っ白で、そのつらさも目にしていて、札幌での裁判が大事と思っていた。

植村さんとともにさらに前へということで、共同代表に上田前札幌市長、さきほどの上田弁護士のお父さまです、ほかに小野有五さん、神沼公三郎さん、結城洋一郎さん、東京からも崔善愛さん、香山リカさん、北岡和義さんで計7人です。

次回は6月10日に札幌の第2回口頭弁論、12日にマケルナ会の総括シンポジウム、7月29日に第3回弁論がある。「支える会」にもご参加いただけたらと思っています。

 

崔善愛さん(ピアニスト、「支える会」共同代表

この1年、植村さんのすさまじい力強さに引っ張られ、ここまで来たという気がしている。私は30年前に指紋押捺反対のデモをしていて、右翼に取り囲まれたが、新聞記事にもならず、だれも守ってくれなかった。国家を相手に声をあげれば右翼が出てくるというのがこの国のありよう。声を上げるのが命がけという状況は今に始まったわけではない。右翼の街宣車に「やめてください」とも言えず、ただ体がこわばるばかりだった。

そのなかで、この国を代表する朝日新聞が、長年にわたって右翼の標的にされ、銃弾の銃撃もされている。ガードマンが本社の玄関に立っていて、いいなあ、ガードマンがいて。私たちはガードマンをやとうこともできない。朝日新聞社は大きな新聞社だから右翼とたたかえるだろうと思っていた。

しかしそんな意識を変えたのは、29年前に朝日新聞の記者2人が銃撃された事件だった。当時29歳の小尻さんと植村さんは同期だった。私ともほぼ同じ年代。植村さんは慰安婦問題を書いたということで攻撃されている。小尻さんは在日コリアンの指紋押捺問題を書いていた。そのことで「国賊」と呼ばれ、殺されたのであれば、それは「わたし」に向けられた銃弾ではなかったのか。小尻さんのことと植村さんとご家族への暴力、朝日新聞社への襲撃は、わたしたちへの暴力と感じる。朝日新聞は植村さんを守るために何かしらの手をつくすだろうと思ったが、何も動きは見えないままだ。

新聞は国家権力を監視する。だから国家権力は新聞に圧力を与え、何とか書かせないようにする。新聞はだれのものなのか。わたしは、はじめて在日であることの苦悩を話せたのは新聞記者だった。学校でもだれにも話せず小さくなって生きていた時代があった。しかし自分が在日であることで受ける恐怖を話したのは、何人かの新聞記者だった。そこから闘いがはじまり、20年以上わたしはふたつの裁判を最高裁まで新聞記者と闘い抜き、ときに導かれ、同志のような友人を得ることができた。

私にとって新聞記者は市民の代弁者です。朝日新聞社のような大きなところだから、やられても大丈夫だと思っちゃうが、そうではない。私たちを代弁する新聞社を、私たちが一緒に守る、一緒に声をあげる、この裁判がそんな機会になればと思ってかかわっています。

札幌地裁の弁論も聞きに行ってきました。すごいものでした。櫻井氏が法廷で、「ここに立っていることは感慨深い」と言っていました。彼女にとっても信念をかけた闘いがここにきたという思いがあふれていた。

この札幌と東京のふたつの裁判を支えるために、「植村裁判を支える市民の会」がたちあがりました。支援サイトはよくできていますので、ご覧ください。

 

植村隆さん

ソウルに行く前に「真実」という本を岩波書店から出したところ、岩波の読者センターにメールで感想が寄せられた。ある弁護士は、感銘を受けた、一緒に闘いたい、市民運動のレベルで勉強会をやろうと。東京でやってくれることになり、大集会も考えている。

もう一つ、朝日新聞の販売店さんから、「植村さんの本を読んで、植村さんのような記者がいる朝日新聞を配ることに誇りを感じている」と岩波を通じてメールをいただいた。涙が出た。朝日新聞が吉田清治証言を取り消したときに、私もバッシングを受けた。読売は当時「朝日をやめて読売にしろ」といって販売キャンペーンをした。朝日新聞のなかでも誤解している人もいたし、販売店は防戦一方で大変だったと思う。

試練があったが、その試練からさまざまな出会いがあった。その出会いがなければ私は二流の記者のままだった。みなさんと出会えて世界が広がった。一冊の本がさまざまな出会いをつくってくれた。

私が直面している問題は私だけの問題ではない。4月には国連人権理事会から「表現の自由」調査官が来て、私の名を出して暫定報告を出した。世界も注目しているということが分かった。

西岡さんが「捏造」と言ったのは1998年からだが、最初は「誤報」とか「重大な間違いがある」といっていた。その前年、97年2月27日、安倍晋三氏らが「日本の前途を考える若手議員の会」を作った。中川昭一代表、安倍事務局長、90年代後半のバックラッシュの代表だ。安倍さんの登場の次の年に西岡さんは私の記事を「捏造報道」とエスカレートさせた。

97年と98年の関係をもっと考えなければならないと私は思っている。「真実」には私の体験はある程度書いたが、日本の現代史の大きな流れに巻き込まれたということが明らかになっている。97年の安倍さんらの登場、98年の西岡さんの変化。ある意味、日本版のマッカーシイズム、歴史を変えようとしている。こういう動きについての調査報道を始めたいと思っている。

「週刊金曜日」(5月13日号)に、櫻井さんと私の対決の記事が出ている。札幌の裁判で私は、はじめて櫻井さんと対面した。本人が来ると聞いて、意見陳述書を書き換えた。彼女は産経のコラムの中でウソを書いている。私は金学順さんのことを、記事では強制連行と書いていない。読売や産経は強制連行と書いている。それを抜きにして櫻井さんは「訴状で14歳で継父に売られたとあるのに、植村は書いていない」と主張しているが、真っ赤なウソで、そんなことは訴状に書かれていない。産経新聞は訴状を読まず、櫻井さんの言う通りに出している。

櫻井さんは「間違っていたら訂正します」と言っているが、結局、私を標的にした罠は、日本を変えて戦前に戻そう、日本を美しい国にして、日本は悪いことをしていないということを一般化したい、という流れ。その流れの中で標的にされているのではないかと思っている。

去年は産経、読売とやりあって、記事を週刊金曜日に載せた。能川元一さんは私をバッシングしている人を批判してくれた。暗闇に光を見た思い。それらの記事を集刷して、週刊金曜日の別冊が5月末に発行されることになり、きょうゲラ刷りが出てきた。能川さんのほかに、道新の徃住記者、北大の中島岳志さん、辛淑玉さん、神原元弁護士。私の連載もある。

われわれが負けたら、植村は捏造記者、朝日は捏造新聞、慰安婦問題はなかった、ということになってしまう。そういう流れを止めたい。みなさんに勇気をいただいている。どうもありがとうございます。

 

 

東京訴訟第6回報告集会 2016年8月3日午後4時10分開始 弁護士会館5階会議室

 

口頭弁論が終わって、100人近い傍聴者のほとんどが、そのまま東京地裁に隣接する弁護士会館へ移動し、報告集会が同会館5階会議室で開かれた。会場には、いつもの「植村隆裁判報告集会 『私は捏造記者ではありません』」の横断幕に並んで、「ネット中傷訴訟判決 勝訴」という新しい垂れ幕が掲げられた。この日に判決があったばかりの勝訴の速報である。

実は、植村さんが起こした東京、札幌の名誉棄損訴訟のほかに、植村さんの娘さんが、ツイッターに自身の顔写真や誹謗中傷の投稿をされたとして、投稿主の中年男性に損害賠償を求めた「ネット中傷訴訟」が水面下で進められていた。植村さん側からのいわば「第三の訴訟」と言えるが、匿名の投稿者をIPアドレス、プロバイダーから割り出し追及する上で仮処分などを繰り返す難しい過程を辿り、プライバシーにも配慮して、これまでは公にされてこなかった。

奇しくも、植村さんの名誉棄損裁判の弁論で、娘さんが受けた人身攻撃が法廷に引き出された8月3日に、その娘さんが原告の「第三の訴訟」の判決が、東京地裁の別の部で言い渡されたのだ。

「長女のネット中傷訴訟」詳細はこちら

判決は、「投稿は、プライバシー、肖像権を侵害する違法なもの。未成年の高校生に対する人格攻撃であり、悪質だ」として、投稿した男性に原告の請求通りの170万円を支払うように命じた。植村さんの娘さんの全面勝訴である。この日、判決後の記者会見で娘さんの次のようなコメントが読み上げられた。「匿名の不特定多数からのいわれのない誹謗中傷は、まるではかり知れない『闇』のようなものでした」「こうしたことは他の人にも起こりうる出来事。こうした攻撃にさらされることのない社会になってほしい。今回の判決が、そのきっかけになってほしいと思います」

思いがけない娘さんの「第三の訴訟」の勝訴の報告に会場は沸いた。

植村弁護団事務局長の神原弁護士が立ち、「この種事案で認められた慰謝料としては、きわめて高い」と、娘さんが勝ち取った判決の意義の大きさを補足説明した。その後、永田亮弁護士が、植村裁判第6回口頭弁論についての報告をした。「植村さんは名誉のみならず、生活の平穏も破壊された。植村さんの損害の中核にバッシングがある。裁判官に損害に向き合ってもらうよう、きょうの書面を出した」と語った。

一連の報告の後、シンポジウムに移った。テーマは「メディアの委縮を打ち破れ」。新聞労連前委員長でマスコミ文化情報労組会議議長の新崎盛吾さん、放送レポート編集長の岩崎貞明さん、放送倫理・番組向上機構(BPO)前委員で精神科医の香山リカさんがパネリストだった。3人は、みな植村裁判支援に中心的に加わってきた人でもある。司会は、やはり東京の支援の中心を務めている朝日OBの佐藤和雄さん。

放送界の現状について、岩崎さんは「現場の委縮は深刻だという声がある。ただ、それを言う記者はまだ自覚的であり、考える時間さえないという人たちもいる」と話した。また、「放送界への政府の圧迫は、振り返れば93年の椿発言問題のころからすでに始まっていたことがわかる」と指摘した。

新崎さんは、新聞界の現状を「委縮している」と断じたうえで、その要因について、会社の管理強化で行儀がよくなってしまったネットで記事が攻撃されやすくなった現在の政権の問題。特に取材先が委縮して情報を得にくくなっている状況がある、と説明した。

香山さんはまず、「植村裁判を支援する市民の会」の共同代表の一人になった理由に触れ、北海道出身であること、発言すると自身も誹謗に遭ったため他人事ではないと思ったと話した。さらに現在のメディアの委縮をつくっているものとして、3つのレイヤー(層)がある、と指摘。権力の介入スポンサー(広告代理店)ネットの無数の匿名者を挙げた。

こうした委縮状況を打破するためにはどうしたらよいのか。

新崎さんは、例として、朝日新聞社が福島原発の吉田調書記事を取り消したのは行きすぎだとし、調書を取ってきたこと自体は十分評価されるべきだと述べて、新聞労連があえてこのチームに労連特別賞を贈ったことを報告。「応援」の大切さを強調した。

岩崎さんは、「首相との会食などから、メディアは権力の一角のように思われている。これを自ら打破しないと、市民からの信頼回復はおぼつかない。とくに幹部が委縮している」。

香山さんは「1000通も誹謗メールが来ると、『こんなに来てしまって』と委縮しがちだが、実際には10人くらいが何度もメールしているだけなのかもしれない。実態をよく知って、そういう攻撃に対しては、もっとタフになるべきだ」と話した。また、「ヘイトスピーチなどを支持する人はいわば集団催眠にかかっている。『事実を見ろ』と言ってもなかなか通じないかもしれない。そういう人には別の夢を見せることも大事だ」と、精神科医らしい見方を語った。

集会の最後に植村隆さんがあいさつに立ち、「娘の圧勝でますます元気になった。産経が嘘を書いたのでいま訂正要求も突き付けている。この闘いをがんばり、産経も我々の側に立つようになるといい。ジャーナリズムの再生を目指す」と、決意を語った。

text by K.F.

 

 

東京訴訟第7回報告集会 2016年12月14日午後4時15分~6時 参議院議員会館101会議室

 

弁護団からは神原元、秀嶋ゆかり弁護士の説明と報告があった。そのあと、川崎市でヘイトスピーチデモ反対運動の先頭に立ち、反ヘイト法成立の世論と行政当局を動かした崔江以子(ちぇ・かんいぢゃ)さんが報告をした。最後に植村隆さんが自身の2016年の活動を報告。「来年度もカトリック大学で勤務を続けることになりました」と語り、大きな拍手を浴びた。

 

神原元弁護士(東京訴訟弁護団事務局長)

この裁判で訴えているのは名誉毀損です。名誉毀損とは、その人の社会的評価を低下させる行為、とりわけ「あいつは噓つきだ」「犯罪を犯した」と事実をあげて社会的評価を低下させる行為です。他方、植村さんが受けた被害はそれだけではない。大学にたくさんの嫌がらせのメールやファクスが来る。娘さんの写真がネットにさらされ誹謗中傷される。学生を痛めつけると脅迫状が送りつけられるという被害です。これは犯罪行為であり、社会的評価を下げるわけではないが、文藝春秋は「それはうちのやったことではない。因果関係がない」といっている。

こういうやり方、攻撃は非常に増えています。私は在特会との訴訟もやっているが、「電凸」というのがある。電話突撃の略称で、プライバシーをネットでさらして嫌がらせを集中させ、その人を社会的に葬るというやり方です。「電凸」とか「炎上」とか「燃料投下」ともいう。彼らは「言論活動だ」「抗議活動だ」「因果関係はない」と言う。文藝春秋の手口もよく似ている。慰安婦問題は議論しましょう、と言いながら、20何年か前に朝日で記事を書いた記者がいまどこに勤めているか、を書く必要があるのか。個人を社会的に抹殺するために有効なのは勤務先を攻撃することなのです。その個人は確信がもっているから、本人を攻撃しても痛めつけられない。そこで、職場を攻撃し、家族を攻撃する。そうやって本人を痛めつける。

きょうの弁論では、名誉毀損とは別に、「平穏な生活に対する侵害である」という理論構成を主張しました。これは、提訴当時から弁護団内部で議論をしてことですが、きょう初めてクリアにして主張をしました。裁判例では、平穏な生活の侵害であるといろんなことを取り込んでいますが、わかりやすいのは空港の騒音被害、あるいは工場による粉じん被害。犬の鳴き声とかピアノの音とか、近くに葬儀場ができたとかというのも、平穏な生活の侵害だとしている。植村さんへの攻撃がこれにあたらないわけがない。

もうひとつ新たに主張したのは、共同不法行為です。大学に対してファクスやメールで嫌がらせしたり脅迫状尾を送るのは不法行為であり、文春の記事も不法行為であり、この二つは共同不法行為であるという主張です。共同不法行為は裁判ではかなり広く認められていて、あっちの工場とこっちの工場の煙突からそれぞれ煙が出た、どっちの煙で被害を受けたか分からない、そんなときにどっちの責任も認める。刑法の共犯よりも幅広く認める。本件でのメールやファクスはみな文春の記事を引用している。文春の記事が出たとたんにメールやファクスが殺到したのだから、共同不法行為を構成するとして文春に責任を負わせる。責任がないというわけにはいかないでしょう。

準備書面はこちらが毎回50ページから80ページのものを提出しているが、向こうは5ページから10ページで、やる気がない。これまでの到達点として申し上げると、「捏造記者ではない」との論証は尽きている。さらに「生活への侵害」という主張も始めており、これも主張としては完成しつつある段階です。この共同不法行為を中心とした法律理論は、大学の先生に意見書をお願いした。これが認められるとほかにも応用が利く理屈、理論になるので、新たな判例を作るくらいの勢いでしっかり論証したい。 

 

秀嶋ゆかり弁護士(札幌訴訟弁護団)

札幌訴訟は、櫻井よしこ氏、新潮社、ダイヤモンド、ワックを被告に提訴し、ことし4月に第1回弁論、あさって16日に第5回弁論が予定されています。札幌の裁判長は「みなさん、拍手は心のなかでしてください」などと言い、ざっくばらんです。心証もストレートに言いますし、詰めるところは詰めるという裁判長です。この裁判長のもとで、判断まで行きたいと考えています。

被告側の主張がようやく整ったところです。こちらが、どこが名誉毀損表現なのかという特定をやって、9月30日までに被告が反論をするということでした。ところが櫻井さんが書面を出してこない。他の被告の書面を援用するという意味か、と聞いたら、そうだ、という。ワックのは意味がよくわからない書面だったので、裁判所が「整理します」と表にした。それも含めて櫻井さんは「援用する」という。ある意味、やる気がない。裁判所の判断に強い信頼を置いているというか……。そういう対応ならこちらの主張を組み立てて出そうと準備しています。きょうの裁判で神原弁護士は損害論についての主張を補充していましたが、私たちも損害論については年度内に間に合わせる形で準備しています。

名誉毀損の訴訟は、どこまでが事実摘示でどこからかが論評か、というやりとりに圧縮される傾向があります。いまの裁判体も、どこまでが事実でどこからが論評かと整理して表にまとめようとしています。 しかしジャーナリストと銘打った櫻井さんが表現したことの意味、表現の自由の範疇といっていることの違法性をきちんと主張しなければならないし、裁判所に理解してもらって判断してもらおうと考えています。東京と平仄(ひょうそく)をあわせて連携し、進めていきます。

 

 崔江以子(ちぇ・かんいぢゃ)さん

川崎の桜本からまいりました。先日、ほかのシンポジウムで今日の会のことを知り、お礼を伝えたいと思ってまいりました。私がたたかっているヘイトスピーチと、植村さんのたたかいは、いわれなき被害に遭っているという点では同じです。植村さんのたたかいから勇気をいただいていたので、お礼を伝えたいと思っていました。

私の暮らす桜本では2013年から13回、ヘイトデモが行われました。参加者が、「ゴキブリ、たたき出せ、死ね、殺せ」といってデモをする。大変おそろしくて、ずっと回避していた。ところが昨年11月、私たちの暮らす桜本に来るという予告がありました。桜本でともに暮らすという共生の町を破壊する行為だということで、路上に立ちました。大変つらい、ひどい思いをしました。中学生の息子の前で「死ね、殺せ」といわれました。息子は、母親が大人から死ね、殺せといわれて、それを警察から守ってもらえない、という体験をしました。行政機関に対応を訴えました。ところが行政は、根拠法がないから具体的な対策を講じられない、と助けてくれませんでした。

死ね、死ね、とあまりいわれると、生きるのをあきらめたくなってしまうことがあります。息を吸って暮らしていることをあまりに攻撃されると、そうなのかと思ってしまう。このままでは、在日1世のこれまで苦労をしていまようやく豊かな生を送っているハルモニを、そして子どもたちを、守れない。神原先生に代理人になってもらって国に人権侵害の申告をしました。国会に参考人として呼ばれました。被害を語り届けました。その思いが届き、国会議員が桜本にやって来ました。この町での大変な人権侵害を現場で聞き、何とかしなければと言うことになって、法律ができました。

法律ができたことで、川崎市長はヘイトデモに対して公園使用を不許可としました。その法律を根拠に、裁判所で仮処分決定が出た。法律の実効性が示され、司法や行政判断でヘイトデモから守られました。ところが被害を訴えた結果、ネット上でたくさんの攻撃を受けました。先週末、ネットで私の名を検索したら110万件とヒットした。ネット上の攻撃で、1件1件しっかり傷つきました。子どもは写真を用いられ、名前をさらされ、中学校名もさらされ、異常な攻撃をうけました。日本から出て行けとか民族のルーツを否定するような。ツイッター、ユーチューブ。ネット社会で彼の学校のみなが知る。ネットでどんどん拡散します。

ネットのヘイトに対しては、しかたがないとか見ないほうがいいとかどうにもならないという考え方がありました。そんな苦しい夏のとき、うれしいニュースがあった。植村さんの娘さんの裁判の勝利でした。娘さんが裁判でたたかって、2年費やして勝った。娘さんのコメントに「ネット上の闇のなかの希望になりたい」とありました。娘さんの裁判の勝利に勇気づけられ、勇気をもらって、法務局に人権侵犯の申告をしました、行政機関に助けてくださいと、ネット上で人権侵害を受けていると。法務局がインターネットの運営会社に削除要請し、削除されました。

被害を受けて、たたかいのステージに立ち、負けないというのは厳しい。でも、当事者が負けない社会がある。その社会を支えるみなさんがいる。植村さんのことをシンポジウムで聞いたとき、植村さんが攻撃を受け、大学で守る会の活動が始まり声を発するまでの孤独や孤立、厳しい日々を思い、想像し、胸が張り裂けそうでした。私も負けないことで支えたい。植村さんは司法で、私たちは行政できちんと勝って、声をあげたものが負けないんだということを示して喜び合えることを信じて、たたかいたいと思います。

 

植村隆さん

きょうは、ことしこれまでに私がやってきたことを中心にお話しします。

きのう夕方、大学で「東アジアの平和と文化」という講義を終え、午後11時発の最終の飛行機で羽田に着きました。ベンチで休むわけにもいかないのでカプセルホテルに泊まり、きょうは朝からこの集会用にパワポでレジュメをつくっていましたが、最後のスイッチを押したところで全部消えてしまった。神様が「植村、調子に乗るな」ということだと勝手に解釈しました。大きな被害でしたが、なんとか復旧しました。

岩波書店から2月に出した「真実 私は捏造記者ではない」は韓国で翻訳本も出ました。韓国では私を捏造記者という人はおらず、むしろ「韓国人の代わりにやってくれて申し訳ない」と言われます。韓国で本が出たことで、多数のメディアが報道してくれました。ジャーナリズムスクールの学生の取材、「支える会」のブログの紹介、 「時事IN」というサイト、そしてテレビニュース、週刊雑誌「スクープ」。いろんなメディアが好意的に伝えてくれました。地方の大学の学生が来て、研究室でインタビューしていったこともあります。

どこに行っても歓迎されています。聖公会大学という大学で、学生がシンポジウムを開いて私を呼んでくれた。老若男女に呼ばれ、学生、社会人、研究者、さまざまな人が声をかけてくれている。市役所職員に公演をする予定もあります。大学での授業は、東アジアの平和と文化をテーマとしています。金大中氏の生涯、南北交流、南北共同宣言、そして詩人尹東柱。日本留学中に投獄され亡くなった悲劇の詩人の詩を読む。それと布施辰治さん。戦前の人権派弁護士で朝鮮人のためたたかった弁護士、自由法曹団のルーツを作った人です。この人が植民地時代に迫害を受けた人の弁護のために朝鮮まで行ったドキュメンタリー番組を見せたりもしています。いま日韓関係で日本の歴史認識問題がいわれて、日本からの留学生は元気をなくしている。しかし布施辰治のような日本人がいたことを話すと、日本人学生は元気になるのです。 

しかし、教えるということは、学生たちからいろんなことを教わるということでもあります。いま、スマホを2つ使っています。ガラケーを日本で使っていて、韓国では使っていなかった。スマホは電話を受けるだけに使っていた。そうしたら、学生がそれじゃダメだ、と。それでいろいろいじってくれて、世界中のネットラジオが聴けるようにしてくれたり、スマホで写真をとってネットで送れるようになった。圧倒的に早い。スマホっていうのは電話じゃない。パソコンだということにやっと気づいた。スマホの二丁拳銃で私の発信力は高まりました。教えるということは学生から学ぶということです。

私は朝日新聞の記者になって5年目の1987年、韓国の延世大学に語学留学生として1年間派遣されました。人生で最良の時期でした。いろんな人と会って韓国語を学びました。87年は軍事政権から民主化へと大きく変わった年でした。民主化の柱は3つあった。1つは大統領を直接選ぶこと。17、8年間、朴正熙時代には直接選挙をやめていた。それを直接選挙にした。2つ目は言論の自由。3番目が金大中さんの権利回復でした。

その10年後、私は特派員として韓国に行っていた。そして、金大中さんに会い、金大中さんが大統領に当選した記事を書いた。日韓首脳会談で小渕さんが過去の植民地支配をわびて、未来志向の流れをつくった。金大中さんは日本の大衆文化を開放した。それまでは認められなかった日本の映画が入って、そこから韓国の映画が発展して冬ソナブームが起きた。そして、朴槿恵さん。当時、日本の記者で私が最初にインタビューしたと思う。父だけでなく政治家としての彼女が問われている、と書いた。朴槿恵大統領はカリスマで人気があったが孤独な人です。父も母も暗殺され、人を信じない。しかしいま、国政のかじ取りができなくなって、こうなっている。

毎週、ロウソクデモに行っています。国会前のデモの最前線、昔なら催涙弾が飛んできましたが、いま警察は、催涙弾も水鉄砲も撃てない。人々はロウソクの力だけで世の中を変えている。私は大変な現代史の現場に今、ジャーナリストとして立っています。出会いがあって、カトリック大に呼ばれて、また新たな出会いがあって、時代を見ることができる。いい機会を得たと思っています。カトリック大学は1年契約でしたが来年もやれということになり、来年も勤めることになりました。来年は2017年、また7の年です。来年も忙しいですが、ぜひみなさんの力を借りてたたかい抜いていきたい。

 

 

東京訴訟第8回報告集会 2017年4月12日午後4時~6時 参議院議員会館101会議室

 

集会発言者は順に、神原元弁護士、梓沢和幸弁護士、渡辺知行氏(成蹊大学教授)、香山リカ氏、デイビッド・マクニール氏(ジャーナリスト)、植村氏の6人。80人が参加した。

 

 

東京訴訟第9回報告集会 2017年7月12日午後4時~5時30分 参議院議員会館101会議室

 

弁護団報告は神原弁護士と、札幌訴訟弁護団の川上麻里江弁護士が行った。講演は、元共同通信特派員の菱木一美氏が約50分、報告は植村隆さんが約15分行った。参加者は約80人。

 

神原弁護士

名誉毀損は、間違った記事を書いて、だれか名誉を毀損したときでも、ただちに損害賠償義務を負うわけではない。ちゃんと誠実に取材をつくした場合は成立しない。本件で西岡さんが植村さんの記事を書くときどんな調査をしたか。求釈明を出し、回答が来た。それを受けてこちらが、「そんなのはダメだろう」と主張した。被告西岡は、金学順さんや尹貞玉さんに取材したか。取材していない。「当時は病気で会えなかった」というが、その後もご存命なので会う機会はあった。「日本のマスコミ取材の手配をした在日韓国人女性と会って経緯について確認した」という。現地のホテルや通訳の手配を手伝っている女性から「また聞き」したというのが取材だという。彼は植村さんに対して「金学順さんに会わずテープだけで取材したからけしからん」といった。そういうことを言って捏造記者だと批判している西岡さんも、金学順さんについては、植村さんは肉声のテープを聴いたのに対して、西岡さんは会ってもいない。現地手配を手伝った女性から「また聞き」した。それだけで「植村さんは、金学順さんが身売りされたと書かなかったから捏造だ」という。とんでもない。

次回の裁判は10月11日ですね。お互いに書面を出し尽くしており、このあたりで主張は尽きてくる。 その後、年明けに証人申請を出し、春には証人尋問。夏か秋には判決をめざす。

 

川上麻利江弁護士(札幌弁護団)

札幌弁護団からの報告をします。櫻井よしこ、新潮社、ダイヤモンド社、ワック社を相手に提訴しています。札幌には北星学園大があります。大学への圧力の現場で訴訟を起こすことに意義を感じ、1年かけて、裁判管轄についての訴訟をやり、それから本題に入った。

きょうは東京の期日に初めて出席した。札幌の裁判長はやる気で指揮をしており、法廷でも「この後、報告集会をやるんでしょう」と言ったりする。裁判所自らが争点表をまとめて整理をしながら進めている。それは裁判長のキャラクターということだろうが、相手方代理人は趣旨のよくわからない主張をしてくる。これは私の論評ですが、よくわからない証拠も出してくる。そんな感想を個人的に抱くような状況です。

櫻井がやった名誉毀損、「捏造記者」という主張への反論とともに、その結果として発生した損害について、北星学園大に対して送られたメール、電凸といわれる大学に電話を掛けて困らせようという攻撃、それらも名誉毀損から生まれた行為と主張している。

札幌の支援者のみなさんにもご尽力をいただいて主張をまとめている。市民も立ち上がって訴訟を支えて、一緒にたたかっていくという姿勢でおります。そろそろ証人尋問準備に入ろうというところで、順調に進んでいる。東京のみなさんも、札幌にも目線を向けていただき、いっしょに勝訴に向けて進んでいきたい。

 

 

東京訴訟第10回報告集会 2017年10月11日午後4時開会 参議院議員会館101会議室

 

神原弁護士と植村さんが報告、楊井人文氏(弁護士、日本報道検証機構代表理事)が「フェイクニュースにどう向き合うか」と題して講演した。

 

 

東京訴訟支援 新春トークコンサート  2018年1月6日午後1時開会 東京・成城ホール

 

植村訴訟東京支援チームが半年間準備を重ね、開催にこぎつけた。年明けの催しにふさわしく、会場にはなごやかな空気と笑顔があふれ、約400人の観客(参加者)が松元ヒロさんのソロライブと崔善愛さんのピアノ独奏を楽しんだ。植村隆さんは、「2018年の私の決意は植村裁判勝利河野談話の継承ヘイトスピーチのない社会づくりに尽力」と語り、支援を訴えた。

会場はほぼ満席だった。前売りチケットが予想以上に売れたため舞台の手前にも臨時席を設けた。それでも当日売りを一時ストップするほどの盛況で、松元さんと崔さんの人気と植村さん支援の広がりをあらためて実感させる会となった。

 

当日来場した澤藤統一郎さん(弁護士)と前田朗さん(東京造形大教授)は、ブログに感想を書いている。

澤藤統一郎ブログ 「植村隆バッシング反撃訴訟支援の今日的な意義」  

前田blog 「立ち上がる勇気をくれた人々」

 

コンサートには地元世田谷区の保坂展人区長からメッセージが寄せられた。自治体の現職首長からの植村支援メッセージは、上田文雄札幌市長(当時)に次いで2人目。配布プログラムに掲載した主催者「ごあいさつ」ととともに、以下に掲載する。

 

 世田谷区長メッセージ 
本日は、植村隆さんの裁判を支援する2018新春トークコンサートの盛会を心よりお祝い申し上げます。本日のトークコンサートから、植村隆さんの裁判の支援の輪がさらにひろがるようご祈念いたします。
取材をした事実を報道したことを「捏造」と決めつけ、報道した記者の家族まで巻き込み、インターネット上で家族のプライバシーもさらし、匿名による「脅迫」をはじめとする陰湿で激しい攻撃と迫害をする行為が許される訳がありません。しかしながら、いまも陰湿で激しい攻撃と迫害は止んでいません。一刻も早い司法による救済が必要です。
これからも、報道の自由、言論の自由が保障され、市民、メディアが委縮しない寛容な社会のために、私も市民の一人として、皆様とともに声をあげていきたいと思います。
結びにここにご参集の皆様のご健康とご多幸を祈念いたしまして、連帯のメッセージとさせていただきます。報道の自由、言論の自由、民主主義を守るためにともに頑張りましょう。
201816

世田谷区長 保坂展人

 

 主催者ごあいさつ 

元慰安婦の記事を「捏造」と攻撃されて職を失い、家族も脅迫された植村隆さんが名誉回復の裁判を起こして3年余りになりました。皆さまのご支援を受けて、植村さんは言論でも法廷でも反論を繰り広げており、支援の輪は全国に広がっています。

法廷では「(韓国人の)義母のお母さんの起こした裁判を有利にするために紙面を使って意図的なウソを書いた」(西岡力氏)、「真実を隠して捏造記事を報じたのは、義母の訴訟を支援する目的だった」(櫻井よしこ氏)などという被告の主張が、まったく根拠がないことが立証されました。

しかし裁判は長期化が予想されます。

「言論テロ」の標的にされてきた植村さんが勝たなければ、日本の言論は萎縮して、慰安婦問題もタブーにされてしまいます。

この危うい時代の空気を、笑い飛ばし、聴き倒しましょう。

201816

植村訴訟東京支援チーム

 

 

東京訴訟第11回報告集会 2016年1月31日午後4時30分開会 参議院議員会館101会議室

 

はじめに弁護団報告が3人の弁護士によって行われた。穂積剛弁護士はこの日の弁論について、神原元弁護士は今後の日程と展開の見通しを、大賀浩一弁護士は札幌訴訟の経過と証人・本人尋問の予定について、それぞれ報告と解説をした。続いて、福島瑞穂参議院議員があいさつした。

メーンの講演は東京新聞の望月衣塑子記者が「記者への攻撃と報道の自由」と題して60分行った。

望月氏は、検察取材のエピソードや最近の官邸取材にかかわる自身へのバッシングなどをリアルに語った。官邸会見の再現場面では女流講釈師ふうの口調になり、官房長官のセリフの声色も飛び出した。

集会の最後に植村氏が、近況とことしの抱負、決意を熱く語った。

出席者は約100人。会場には補助椅子も用意され、ほぼ満席となった。

 

大賀浩一弁護士(札幌弁護団)

▽札幌訴訟は、移送問題でもめ、東京訴訟よりも1年遅れて始まったが、争点整理がハイペースで進んだため、東京訴訟より先に証人・本人尋問が行われることとなった。2月16日には喜多義憲さんという、植村さんの記事の直後に、北海道新聞で金学順さんの単独インタビュー記事を書いた元記者の証人尋問が行われ、3月23日には、植村さんと櫻井さんの本人尋問と、いよいよ天王山を迎える。通常の民事事件ならその場で結審することが多いが、本件ではその後に双方から最終準備書面を出して、2か月くらい後に結審となるだろう。裁判所は法廷が「夏休み」となる期間をはさんで判決文を書き、早ければ9月にも判決が出るのではないか、という見通しを持っている。

▽証人尋問の人選では、かなりの攻防があった。まず、昨年9月8日の弁論期日で、2月16日の尋問期日が事実上決まった。われわれ原告側は、喜多さんのほかに吉方べきさん(ソウル在住の言語学者)と北星学園大の田村信一学長を証人申請し、被告側は西岡力さんと秦郁彦さんを申請してきた。西岡さんの証人申請に当たっては、実に29ページもの陳述書を出してきた。ところが裁判所は、学者の主張は陳述書を読めばわかるから証人尋問の必要はない、という理由で却下し、田村さんの陳述書に対しては、被告側が反対尋問権を放棄するのなら証人尋問の必要はないということで、証人尋問は喜多さん1人だけとなった。被告側の証人申請は2人とも却下、つまり、櫻井さんは自分の書いたものが真実であるか、少なくとも真実と信じたことにつき相当の理由があるということを、自分で証明しなさい、ということだ。

▽これまでのところ、訴訟は順調に進んでいると思うが、かつて櫻井さんが薬害エイズ事件で安部英氏から名誉毀損で訴えられたとき、最終的には「真実相当性」で勝っているから、まだまだ予断は許されないと思う。

 

福島瑞穂さん(社民党参議院議員)

裁判が札幌と東京で行われ、慰安婦バッシングや歴史捏造を許さない、とみなさんが駆けつけていることに敬意を表します。「否定と肯定」は予告編しか見ていないが、歴史にきちんと向き合うということが日本では必要だし、そのようなこと言った人や記者が叩かれる日本をかえていきたい。性暴力を告発した人が叩かれるという構図も同じだ。たたかっている人たちを応援して、真実は何かを共有したい。一緒にがんばりましょう。

 

望月衣塑子さん(東京新聞記者)

▽きょうは裁判を傍聴した。弁護士の巧みな攻めのやりとりがあって裁判は楽勝かと思ったが、いまの報告で、裁判長は「捏造」を「論評だ」という判決を出したことがあると知った。これはあなどれない、と思った。西岡氏が確信犯的に「捏造」決めつけをしたこともわかった。安倍政権下、歴史修正主義の流れを受けると、西岡氏のような「論評」がまかり通るのかな、とも思う。しかし、植村さんは明るい。私も楽しそうですね、とよく言われる。おたがい、悲痛にやるんじゃないところは共通している。

<望月記者はこの後、首都圏支局と社会部、経済部で取材した事件のエピソードや教訓を語った。主な事件は、日歯連の政治献金事件、検事の暴力団組長との裏取引(さいたま地検熊谷支部)、陸山会事件、武器輸出問題、前川前文科次官へのバッシング報道、準強姦容疑記者をめぐる疑惑、記者クラブ制度の弊害、官房長官会見質問への圧力と脅迫など。最近の安倍政権によるメディア支配の現状については、「メディアの役割は権力を監視することだが、越えてはいけない一線を超えた新聞社があり、権力の道具になっている新聞社もある」と指摘した>

▽慰安婦は戦時性暴力だ、戦争のあるところに慰安婦があった。戦争をしないことが女性の人権を重視することにつながる。歴史をふりかえっても、カントの平和論やパリ不戦条約など、平和を追求するには軍備がないことが必要だといっている。ところがいま、改憲や加憲で交戦権否認や戦力不保持を無力化していこうという動きがある。日本のメディアは再び戦争を許すのだろうか。

▽憲法九条をマッカーサーに提唱したといわれる人物、幣原喜重郎さんの言葉をぜひ伝えたい。「正気の沙汰とは何か。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は考え抜いた結果出ている。世界はいま一人の狂人を必要としている。自ら買って出て狂人とならない限り世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことはできまい。これは素晴しい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ」と。戦争を知らない世代にどうやって伝えていけるか。これをメディアは問いかけ続けなければならない、と思う。

▽北星学園大バッシングを記録した「市民はかく闘った」を読んで、私は元気になった。市民や弁護士が結集して、バッシングと闘った。歴史修正主義の流れをくい止めようという流れが結集した。萎縮することなく、立ち向かっている、という動きを植村裁判は象徴していると思った。

 

植村隆さんの話

▽日本のジャーナリズムについて重い気持ちになっていたが、望月さんの話を聞いて、希望が見えてきた。きょうは若い人も聞きに来ている。望月さんの後にどんどん続けば日本は変わっていく。望月さんを孤立させず、私は望月スピリットを学んで、がんばりたい。

▽4年前の1月30日、私を捏造記者と決めつけた週刊文春2014年2月6日号が出た日だ。「”慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」という見出しでレッテル貼りをされた。バッシングの中心が西岡力さん、それに櫻井よしこさんが便乗して、植村は捏造記者だと言いふらした。当時私は、函館支局長だった。真冬の空の色はどんよりしていた。私の心も暗くどんよりして、これからどうなるのかという心境だった。

▽朝日新聞が検証記事で「植村の記事は捏造ではない」と書いた後、この2人は、「朝日よ、被害者ぶるのはおやめなさい」という対談で「社会の怒りを惹起しているのは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」と言い放った。これでますますバッシングが燃えさかり、北星学園あてに「娘を殺す」と手紙が来た。しかし、たくさんの人が応援してくれて、私はこの2人を訴え、裁判が始まった。

▽1990年代後半に始まった慰安婦問題のバックラッシュによって、慰安婦の記述は教科書からほとんど消えた。主導したのは、当時若手議員だった安倍首相らだ。ところが2016年、慰安婦の記述がある教科書を使っている灘中学校に抗議や問い合わせがあった。この教科書には河野談話が載っているが、一部要約だけで、軍や官憲による強制連行を示す資料はないとする政府見解も付け加えられている。その程度の記述なのに、攻撃が加えられる時代になった。同年秋には「朝日赤報隊」を名乗って、「女たちの戦争と平和資料館」に爆破を予告する脅迫状が送られた。歴史に向き合い反省する動きへの攻撃はやまない。記憶へのテロリズムだ、と私は思う。

▽お正月に早稲田界隈を歩いた時、穴八幡神社や隣のお寺の境内の大きな看板に「一陽来復」という文字があった。この言葉を私は、裁判がいよいよヤマ場にさしかかる今年の合言葉にしたい。冬が去り春が来る、そして悪いことが続いた後に物事がよい方向に向かう。力をお貸しください。

 

 

東京訴訟第12回報告集会 2018年4月25日午後4時30分~6時 参議院議員会館第1会議室

 

最初に神原元弁護士がこの日の弁論について報告。「きょう陳述した金学順さんの記者会見の発言は、初めての発言という意味でも重要だ。ふつう、事件や体験などを最初に語る時にこそ、ことの核心が簡潔に表現されるものだからだ」と語り、東京訴訟の見通しについては、「年内には結審し、来春には判決か」と語った。

つづいて、3月23日にあった札幌訴訟第11回口頭弁論について、傍聴したジャーナリストの安田浩一氏と札幌弁護団事務局長の小野寺信勝弁護士が、「櫻井よしこ氏が認めた自らの謝り」と題して、対談形式で報告した。小野寺弁護士は「この日の裁判ではふたつの大きな成果があった。ひとつは櫻井よしこ氏に間違った記事の訂正を約束させたこと。もうひとつは、ネット世論が変わったこと。ネットで植村、櫻井のキーワード検索をすると、その9割が櫻井氏がウソを書いていた、などと出るようになった」と語った。

最後に報告した植村さんも、札幌での本人尋問を振り返り、「緊張したけれど、金学順さんの言葉と思いを胸に刻んで臨んだ。相手側弁護士は悪意に満ちていて私のことをズサンなどと言ったが、きちんと反論し、抗議した。裁判長も私の反論、抗議を制止しなかったのが印象的だった」と語った。

参加者は約120人。会場はほぼ満員となった。

全編動画 こちら

 

東京訴訟第13回報告集会 2018年9月5日午後6時~8時 日比谷プレスセンター10階ホール

 

プレスセンターでの開催は初めて。出席者は130人。初めて来場したジャーナリストの姿が目立った。

弁護団報告は、東京の神原、永田、穂積弁護士と札幌の小野寺信勝、渡辺達生弁護士からあった。香山リカ氏と崔善愛氏の対談「慰安婦報道の真実とは」は新崎盛吾氏の司会で行われた。

あいさつした植村氏は、「週刊文春に書いた記事によって(神戸松蔭で)起こったことを、風の便りに聞いた、と言うような記者にこんなにも貶められたが、(裁判で)不正確なインチキがぼろぼろ出てきている。まさにオセロゲームみたいに黒いものが一気に白いものになるように、いっしょに闘いましょう」と呼びかけた。

 

 

東京訴訟第14回報告集会 2018年11月28日午後3時開会 日比谷図書文化館4階ホール

 

3年7カ月を費やした口頭弁論はこの日、結審した。報告集会は、約80人の参加者で満員となった。

集会では、神原弁護士の報告の後、札幌弁護団の渡辺達生弁護士が札幌判決の問題点を説明し、控訴審で争点になるポイントを解説した。続いて東京弁護団の穂積剛、泉澤章、角田由紀子、梓沢和幸、宇都宮健児、吉村功志、殷勇基、永田亮弁護士が、西岡尋問の要点、判決の見通しや、司法を取り巻く最近の状況、植村裁判と支援の意味、などについて、語った。

後半では、北星バッシングのころから植村氏を支援してきた内海愛子氏(恵泉女学園大学名誉教授)が挨拶し、植村氏を励ました後、12月5日に発売されるブックレット「慰安婦報道「捏造」の真実」(花伝社、120ページ、1000円)の執筆陣4人が、発行のねらいや内容の紹介をした。

集会の最後に植村氏はこう語った。「この本(花伝社ブックレット)にも記録されているが、櫻井さんや西岡さんの誤りは札幌と東京の裁判で明らかになっている。私たちのたたかいは正しいたたかいであったことが現代史の中で記録され続けている。私は(札幌敗訴に)失望していない。これから東京の判決、札幌の控訴審と続くが、常識があれば、常識が通じれば、勝てる、それを信じてたたかい続ける」

 

※第14回口頭弁論で判決言い渡しは2019年3月20日と指定された。ところが、原裁判長は年が明けた2月8日に弁論再開を通告した。口頭弁論は再開され、第15回期日は2019年2月22日に開かれたが、植村弁護団は裁判所の訴訟指揮に抗議し退席し、即日、原裁判長らの忌避申立書を提出した。第15回期日は実質的に開催されなかったため、報告集会も開催されなかった。

 

東京訴訟 裁判官忌避報告集会 2019年3月20日午後2時~4時15分 日比谷図書文化館

 

この日に予定されていた東京訴訟判決は延期となり、弁論も開かれなかった。集会では最初に、東京訴訟の判決延期の背景にある裁判所の異例な対応について弁護団から詳しい説明があり、さらに、札幌で4月25日に始まる札幌訴訟控訴審についての報告があった。対談では、青木理氏(ジャーナリスト)と中島岳志氏(東京工業大教授)が「植村裁判をめぐる日本社会の底流」を1時間、語り合った。この後、植村氏の近況報告、映像ドキュメント「標的」短縮版の上映、訴訟費用カンパの呼びかけがあった。平日午後の開催にもかかわらず会場(同館地階小ホール)には130人ほどの市民、支援者らが集まった。この日の集会は通算で第15回目となる。

 

穂積剛弁護士=東京訴訟「裁判官忌避」について

原克也裁判長ら3裁判官の審理には「公正な裁判が妨げられる事情」がある、として忌避申し立て手続きを進めている。東京に先がけて出された札幌訴訟の判決は、櫻井よしこを免責する理由の中で吉田清治証言を使っている。裁判所はそれを東京訴訟でも使おうとして、弁論再開までして被告側に新証拠を出させようとしたのではないかと、弁護団は疑っている。忌避には十分な理由がある。忌避の主な理由は次の4点だ。

①すでに結審し、判決言い渡しが迫っているのに、弁論を再開したことはきわめて異例だ。結審後の弁論再開が認められるのは、当事者(原告と被告)が、判決に重大な影響を及ぼす証拠を提出したいと申し入れ、裁判所が認めた場合が通常である

②今回は当事者からの申し出ではなく、裁判所から被告側に要請して新証拠を提出させた。これは、民事訴訟の基本的な大原則である「弁論主義」に反する。裁判所は当事者が提出した証拠事実のみを基礎としなければならない

③その新証拠は、「慰安婦報道に関する朝日新聞社第三者委員会報告書の全文」である。しかし、その要約版はすでに被告側が証拠提出している。また、植村側も、植村記事にかかわる部分の抜粋は証拠提出している

④裁判所はなぜこのようなことをするのか。新証拠「第三者委員会報告書全文」の重要なテーマである「吉田清治証言」の経緯や影響は、東京訴訟の弁論では原告、被告側双方とも争点にすることなく結審した。それなのに、あえて新証拠として採用するのは、報告書全文のうち当事者が提出した植村記事関連部分以外の個所に被告側に有利と思われる部分があり、それを材料として判決を導き出すため、と疑わざるを得ない

東京高裁への抗告は3月28日却下された。弁護団は同日、最高裁に特別抗告状を提出した。

 

小野寺信勝弁護士=札幌訴訟「控訴審開始」について

控訴理由書は1月10日に提出した。総ページ数は100を超える。さらに控訴理由補充書を2通用意している。控訴理由のポイントはふたつある。

①櫻井を免責した札幌地裁の「真実相当性」の判断は、これまで最高裁が積み上げてきた判断の枠組みから大きく外れている。「真実だと信じるにやむを得ない事情」の「やむを得ない事情」を認めるには高いハードルがある。真実相当性を認めなかった代表的な判例としては、警察がリークした事件が冤罪だった事案や、やロス疑惑報道の名誉毀損などがある。ところが札幌地裁判決は、ハードルを軽々と越えてしまった。

②櫻井の慰安婦についての表現が大きく変遷していることが、その後の調べでわかった。櫻井は1992年に「週刊時事」コラムで「強制徴用された従軍慰安婦」などと書き、慰安婦問題に同情的だった。「強制連行」は否定していなかった。92年というのは、植村さんが金学順についての記事を書いた翌年だ。櫻井はその後、「強制連行」に否定的になり、2014年には植村記事を「捏造」と決めつけるまでになった。しかし、櫻井はこの変遷の理由をはっきり説明していない。札幌地裁判決は、櫻井の「真実相当性」の根拠として韓国紙ハンギョレの記事などの資料をあげているが、これらは92年当時に櫻井が読んでいたものである。同じ資料をもとに「強制連行」について真逆のことを言っていることになり、「真実相当性」が崩れることになる。

札幌訴訟と高裁とのかかわりでいうと、地裁の裁判が始まる前、櫻井側が申し立てた東京への移送を地裁が認めたが、その決定を高裁は逆転却下した。また、地裁判決は櫻井の名誉毀損表現の多くを「論評・意見」ではなく「事実の摘示」と認定しており、この点でも「真実相当性」で免責するためのハードルは高くなっている。これらは、控訴審での好材料だと思う。

 

秀嶋ゆかり弁護士=札幌訴訟「控訴審開始」について

札幌地裁判決には、従軍慰安婦を「公娼制度の下での売春婦」と認定する記述がある。裁判官のこのような歴史認識と人権感覚の欠落を、控訴理由補充書では厳しく批判している。また、「捏造」決めつけにより植村氏が大学での教育研究者の道を閉ざされたことは重大な人権侵害だ、との主張を盛り込んだ憲法学者の意見書も準備している。高裁の審理は1回では結審させない、という考えで進める。

 

対談 東京工大教授中島岳志氏、ジャーナリスト青木理氏

植村バッシングとの関わりを振り返ったあと、①植村氏が書いた記事と吉田清治証言記事の社会的影響、②植村氏と朝日新聞だけが標的にされた理由、③日本社会のバックラッシュ(反動、逆流)と自民党政治との関係、④植村裁判が問うことの意味、について意見を交わした。

対談録は こちら

植村隆さんの話

私は吉田清治さんを取材したこともないし記事を書いたこともない。その吉田証言が亡霊のように出てきた。結審したらもう証拠は出せないのに裁判所は吉田証言を証拠に出させ、それ使って判決を書くのではないか。

私はいまも、巨大な敵と闘っている。私のほかにも、攻撃を受けている人がいる。根っこでは、戦争中の人権侵害の記憶を抹殺しようというテロリズム、記憶を継承しようという作業に対するテロリズムが起きている。裁判の勝訴をめざし、そのような時代の風潮とも闘っていく。

 

 

東京訴訟第16回報告集会 2019年5月10日午後5時~6時50分 参議院議員会館101会議室

 

東京の口頭弁論はこの日、結審した。最初に神原弁護士が、裁判所は「朝日新聞社第三者委員会報告書」をどのように使おうとしているのか、なぜそれが植村側に不利なのか、などについて予測を交えて解説をした。続いて札幌弁護団の小野寺信勝弁護士が、札幌控訴審の重要な論点と裁判所の訴訟指揮ぶりについて説明をした。

このあと、徃住嘉文さん(元北海道新聞記者)、西嶋真司さん(映像ジャーナリスト)、植村隆さんが順に話した。

徃住さんは、櫻井よしこ氏の言説の重大な変遷を詳細に読み解いて、ジャーナリストとしての揺れと乱れを厳しく批判した。西嶋さんは、制作中の映画「標的」のクラウドファンディングへの支援と協力を呼びかけた。植村さんは、「裁判が進むにつれて、私への捏造批判がデタラメだったという証拠が次々に出てくる。多くの人と一緒にたたかう充実感がある」と語った。参加者は50人ほどだった。

 

 

東京訴訟 一審判決報告集会 2016年5月18日午後4時~6時30分 参議院議員会館で

 

判決を受けた後、報告集会は午後4時から開かれた。参加者は約80人。裁判報告では、東京弁護団の神原元、穂積剛氏と札幌弁護団の小野寺信勝氏が判決の問題点を解説し、不当判決をきびしい口調で批判した。

弁護団報告の前後に、新崎盛吾氏(共同通信記者)が司会し、リレートークを行った。南彰(新聞労連委員長)、北岡和義(ジャーナリスト、植村裁判を支える市民の会共同代表)、崔善愛(ピアニスト、同)、安田浩一(ジャーナリスト)、西嶋真司(映像ジャーナリスト)、豊秀一(朝日新聞編集委員)、姜明錫(留学生)の各氏が、判決に対する批判、裁判の意味、植村さんへの激励などを語った。

集会の最後に、植村さんは、「私が闘っている相手は一個人ではなく巨大な敵だ。ちょっとやそっとでは勝てない敵だが、これまでの成果はある。もう捏造とは言わなくなった、バッシングがとまった。塗炭の苦しみの中で、たくさんの人との出会いがあり、その恵みの中で希望も感じてきた。私の夢は崩されていない。高裁では逆転をしたい。これからも闘いを続け、歩み続けたい」と語った。


神原元弁護士

▽判決は西岡と文藝春秋の名誉棄損は認めたが、相当性と真実性によって免責した。これは名誉棄損の判断基準を逸脱し、さらに歴史の真実を歪めてしまった言語道断の不当判決だ。

▽判決によると、西岡の名誉毀損表現は次の3つの事実を摘示したとされる。

①原告が、金学順のキーセンに身売りされたとの経歴を認識しながらあえて記事にしなかったという意味において、意図的に事実と異なる記事を書いた

②原告が、義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いた

③原告が、意図的に、金学順が女子挺身隊として日本軍によって戦場に強制連行されたとの、事実と異なる事を書いた

▽判決は、このうち①②は相当性を認め、③は真実性まで認めた。①と②の相当性の理由は、西岡の推論に一定の合理性があるというのだが、それ以上の根拠は示していない。とくに②についてはひどい。私たちは、植村さんは義母の裁判を有利にするために記事を書いたのではない、と反証をたくさん提出したが、判決はそれらを一切無視した。
▽相手を捏造などと激しく非難した場合に相当性を認めるには、それを裏付ける取材とそこで得られた確実な資料が必要だというのがこれまでの裁判例だ。この判決が、西岡の勝手な決めつけを認めたことは、これまでの判例を逸脱した暴挙に近いものだろう。

▽相当性というのは、(真実かどうかはわからないが)真実と信ずるに足る理由があるということ。札幌判決はすべての点で相当性を認めて櫻井を免責した。ところがこの判決は③で相当性ではなく、真実性を認めている。これは札幌判決よりもっと悪い。真実性は、それが真実だということ。重要な免責条件だ。判決は、「挺身隊の名で連行」は「強制連行を意味する」と決めつけ、植村さんは「だまされて」と認識があったのに「強制連行」との印象を与える記事を書いたのだから、③には真実性がある、というのだ。しかし、金学順さんはだまされて中国に行き、そこで慰安婦にさせられた、と繰り返し証言している。だから、植村さんが書いた「だまされて」と、「強制連行」は矛盾せず、両立する。

▽「植村さんが読者をあざむくために強制連行でないのに強制連行だと書いた」といわんばかりの認定は、真実を捻じ曲げるのものだ。同時に、慰安婦制度の被害者の尊厳をも傷つけるのものだ。安倍政権の慰安婦問題への姿勢を忖度したような不当判決であり、控訴し、全力でたたかう。

 

穂積剛弁護士

▽判決は不当だが、裁判所に正しい判断をさせるという弁護士としての責務を果たすことができなかった。私自身に責任の一端がある。支援者の皆さんと原告の植村さんに深くお詫び申し上げます。

▽名誉毀損の訴訟構造というのは、最高裁のこれまでの判決の積み重ねでほぼ確立している。いままでの判例をきちんと解釈して適用すれば間違いようがないのだ。だから、本件も勝てると思っていたし、みなさんも、法律論の難しいところはわからなくても、おかしいと確信を持っていると思う。法律論としてもできあがっている訴訟の結論を正反対にしてしまうのだから、この判決はおかしいに決まっている。

▽判決は西岡の表現について、「被告西岡が、原告が義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いたことについて、推論として一定の合理性があるものと認められる」と言っている。しかし、「一定の合理性」を認める根拠は示していない。ひとつのものごとの解釈について、いろいろな推論があることはわかるが、A、B、C、Dという推論があって、B、C、Dは検討せずにAだけは認める、というのであれば、どんな表現をしても相当性があり、セーフになるではないか。

▽これほどにメチャクチャな判決が通れば、この世の中に名誉毀損は成立しなくなる。この異常性をぜひ認識してもらいたい。こんな判決を維持していくのは日本の司法の名折れだ。絶対に許さないという決意を持って控訴し、やっていく。

 

小野寺信勝弁護士

▽ある程度覚悟はしていたが、結論もさることながら、想像以上に内容がひどい。札幌判決の劣化コピーだ。札幌判決の悪いところばかりを抽出したような内容だ。

▽じつは裁判所は基本的なこと、イロハのイがわかっていないのではないか、という危機感を私たちは持っている。法曹ならだれでも知っている名誉毀損裁判の判例の枠組みを、もしかしたら裁判官はわかっていないのではないか。私たちが最初から主張しなければ裁判所は分からないではないか、という危機感だ。

▽そのために、札幌控訴審では憲法学者2人の意見書を提出した。言論の自由の観点からみても札幌判決はひどいものであること、また名誉毀損の被害が大きい場合には相当性のハードルはどんどん上がること、を意見書で主張している。

▽7月2日に札幌控訴審第2回口頭弁論がある。相手方がどう出るかによって今後の展開や日程が決まることになる。

全編動画 こちら

  

東京訴訟控訴審第1回報告集会 2019年10月29日午後2時開会 参議院議員会館会議室

 

神原、穂積両弁護士が解説をまじえて報告し、札幌の秀嶋弁護士は札幌訴訟の結審までの足取りを報告した。控訴審で新たに提出された証拠の重要な意味については、ジャーナリストの長谷川綾氏が解説した。映画「標的」の短縮版も上映され、西嶋真司監督が解説トークを行った。午後4時過ぎに閉会。雨の平日の午後、参加者は約60人だった。

全編動画 こちら

  

東京訴訟控訴審第2回報告集会 2019年12月28日 参議院議員会館101会議室

 

控訴審はこの日、結審した。弁護団報告の後、ジャーナリストの江川紹子さんが「金学順さんテープの意味するもの」と題して講演した。

 

江川紹子さんの講演

今回の裁判で植村さんが訴えたとき、西岡さんは「記者なんだから言論で闘え」と言った。私はこの主張は基本的には正しいと思う。ただそれは、両者の関係が対等な論争であればということであり、当時、植村さんは新聞社をやめて一個人だった。対する西岡さん、文藝春秋とは発信力において著しい非対称の状況にあった。ネット上そのほかでもいろいろなバッシングがあった。

当時は朝日を批判するのが一つのブームのようになっていたところがあり、この慰安婦問題だけでなく、原発の問題でも――これは実際に非常によくない記事だったと思うので批判されるのは仕方ないにしても――これを取り消す問題があり、一気に朝日批判に火がついた。メディアはとにかく朝日をたたいておけば安心という空気があった。その時に朝日がつくった「信頼回復と再生のための委員会」の社外委員になってくれと頼まれて私は引き受けたが、あの時、頼みに来た人は泣いていた。つまり誰も助けてくれる人が期待できないという状況で、とにかく朝日は叩いておけばよいという世の中の雰囲気があった。

そういう中であの記事が出た。植村さん個人を対象にしているが、記事の内容を見ると「朝日は」「朝日は」と書いてあり、植村さんは朝日のシンボルのように扱われて、一番たたかれることになってしまった。朝日を嫌っている人、あるいは慰安婦問題について国の責任をないことにしたい人たちからの憎悪を一身に浴びてしまった、という感じがした。

捏造というのは記者にとって死刑判決に近いものだから、何とか判決によって否定してもらいたい、――そしてきょうの意見陳述でわかったが、植村さんはいまも日本の大学には就職できない――そういう状況を変えたいという気持ちは非常に理解できる。裁判で名誉回復を図りたいという気持ちはもっともなことだと思う。

 

きょうの私のメーンテーマは、控訴審で提出された証拠の意味や意義についてだ。

控訴審で提出された証拠を拝見し、私は、その中でも金学順さんの証言のテープ起こしと和田春樹先生の意見書、この2つが非常に説得力があると思った。

テープ起こしは、弁護士さんが金学順さんに聞き取りをしているところに植村さんが立ち会った形になっている。植村さんを目の前にして申し訳ないが、こういう形をとらざるを得なかったのは、植村さんは当時、金学順さん、もしくは挺対協への食い込みがいま一歩足りなかった、ということだ。ほんとうだったら自分でインタビューしたかったが、それができなかったから、次善の策として、そこに立ち会い、その場で自分の耳で聞くという選択をされた。

西岡さんは「義理の母の伝手でネタを仕入れて裁判を有利にしようという、すごい密な関係でやっている」という趣旨のことを言っているが、義理の母の影響力を行使できるなら直接インタビューしているはずだったと思う。こういう形にせざるを得なかったこと自体が、この取材に義母との関係は影響していなかったことを逆に暗に示している。

きょうの神原弁護士の意見陳述にもあったが、テープ起こしに書かれていることは記事にそのまま出ている。私も対照して読んでみて、その通りだと、植村さんの記事は正確に書かれている、と思った。

西岡さんは、キーセンのことがこのテープに出ているはずだ、と裁判で言っているし、自分の本でも「訴状にも載せていることだから、植村記者が同行した高木弁護士らの聞き取りでも、その事実は語られたはずだ」と書いている。キーセンのことが語られたはずなのに出ていないからおかしい、意図的なんだろう、と言っている。でも、その認識が間違っていたことが今回のテープ起こしでわかったということだ。

よくわからないのは、西岡さんが捏造」という言葉にこだわる点だ。キーセンのことを書かなかったことを捏造だというのが、私にはどうも理解できない。私が裁判の傍聴に行って西岡さんの話を聞きたかったのは、なぜ「捏造」を繰り返したのか、という点だった。

捏造というのは、なかったことをあることにすることで、あったことを書かなかったというのは、捏造という表現にはなじまない。国語辞典を引けば、「事実でないことを事実のようにこしらえること」、これが広辞苑。あるいは、「実際にはありもしない事柄を事実のように作りあげること」、これは大辞林。つまり、サンゴ事件のように、何も書いていなかったサンゴに落書きをした、というのが「捏造」だ。ところが、西岡さんの主張を聞いても、植村さんはなかったことをあったかのように書いたわけではない。

ただ、あえて言えば、本質を歪めるような、これこそが本質だというところを隠してわざと些末なことだけを書いているのであれば、捏造という言葉を使ってもいいのかもしれない。

それでは、慰安婦問題の本質は何なのか。西岡さんはどう考えているのか。西岡さんの本をいくつか読んだが、あまりはっきりわからない。『よくわかる慰安婦問題』という本を読んでもわからない。その本の第1部は「慰安婦問題は何だったのか」というタイトルだが、その問いに答える「こうだった」、というのが私が読んだ限りでははっきり出ていない。問題は、慰安婦問題の本質はなんだったのか、植村さんはどう書いていたのか、ということだろうと思う。

これに関しては、和田先生の意見書がとてもわかりやすい。

 

和田先生の意見書は、慰安婦とは何か、慰安婦問題とは何か、がきちっと定義づけされて書かれている。これは、「アジア女性基金」によってなされた定義で、「いわゆる従軍慰安婦とは、かつての戦争の時代に、一定期間日本軍の慰安所等に集められ、将兵に性的な奉仕を強いられた女性たちのことです」とあり、「この定義で決定的なことは、日本軍の慰安所、日本軍の慰安所等に集められた女性であるという認定である」、そして「軍が戦争遂行のため、軍の将兵の性的欲望を充足させ、一般婦女に対する強姦などの行為を減らす等の目的のために、戦争の現場、軍の駐屯地の内外に設置した設備である」と書かれている。そして、「慰安婦犠牲者はすべて、日本軍との関係で、性的慰安の奉仕を強制され、被害を受け、苦しかったと訴える人々であった。であればこそ、日本国家はこの人々に対し、総理大臣の手紙を送り、次のように、お詫びと反省の気持ちを表明した」と。ここが大事なんだよ、と書かれている。

じっさい、総理の手紙には「いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました」と書かれているし、2015年の日韓合意で当時の岸田外相も同じ認識を述べている。つまりこれが、日本の国家としての正式な慰安婦問題に対する認識、あるいは本質、定義であり、そこのところについてどれだけ本質に迫る記事や論文を書いているかが問われるのだと思う。

 

裁判の一審でキーセン問題について、西岡さんは「本質にかかわる重大事項だ」と言っていたが、果たしてそうなんだろうか。人によってなにが本質かの理解が異なることはあるだろうが、肝心な、慰安婦問題の本質、そこがまず共通の認識としてあったうえで、いろいろな事実についてどこが重要か、ということを論じるべきではないのか。そこのところが、西岡さんの論文や意見、証言に出てきたのだろうかと、私は非常に関心をもった。

和田意見書には、こういう問題も出されている。「日本軍慰安所にはさまざまな方法で女性が集められた」。さまざまな方法、つまり、慰安婦となった経緯はひととおりではなく多様性があった。私がインタビューをした、国際法学者で戦争・戦後責任の研究者であるとともに、サハリン棄民や慰安婦問題に実践的に取り組まれた大沼保昭先生も著書の中で、慰安婦たちの境遇、待遇は多様であり、きっかけも多くの形があった、と述べている。

多様性があったのだから、あまり個々の事情に注目しすぎてことの本質を見失わないようにしなければならない。キーセンの経験者もいる、あるいはキーセンの学校に行った人もいる、そうでない人もいる。しかし、一番大事なことを書いていたのか、どうなのか、が大事じゃないか、と和田意見書は問うていると思う。 

 

そしてもう一つ大事なのは、慰安婦と挺身隊の混同という問題だ。どうしてこういう混同が起きたのか、この意見書は非常に詳しく書いている。この意見書だけではない。秦郁彦先生の「慰安婦と戦場の性」という本がある。秦先生はここにいらっしゃる皆さんとは立場が違うかもしれないが、歴史学者としていろんな事実を調査され、それに基づいて論評している。秦先生も、女子挺身隊と慰安婦の混同については、和田意見書とほぼ同趣旨のことが書かれている。

たとえば韓国の国定教科書でさえも、「女性たちまで挺身隊という名で連行され日本軍の慰安婦として犠牲になった」などと書かれている、混同が起きたことにはそれなりの歴史的背景事情があった、女性たちはパニックになって学校をやめて早く結婚しなければとなった、内地工場向け挺身隊派遣を慰安婦と混同する風聞は当時からかなりひどく流れていた、として、その根拠も書かれている。流言に惑わされた女性や親は学校を中退したり結婚して危険回避をはかったらしい、挺身隊と慰安婦を混同する風説は戦後も継承され、元挺身隊員は慰安婦と間違えられるのを恐れて名乗りたがらぬ傾向が続いた、ということも、1つひとつ根拠を挙げて書かれている。

 

和田先生と秦先生では意見が違うところも多いようだが、立場を超えて歴史学者の認識として、挺身隊と慰安婦との混同があったということは言えると思う。こうしたテープ起こしと意見書によって、西岡さんの言っていることの真実性が、全面的に崩れたんじゃないかと思った。

ただこれで裁判に勝てるかというと、弁護士さんも言うように保証の限りではない。真実性の判断はこれで是正できるだろうし、植村さんが裁判を起こしたかなりの部分は達せられたかもしれないが、判決となると真実相当性の部分で、一審判決のような理屈でいわれるとどうなのか。

たとえば、西岡さんはずっと繰り返し、朝日批判、植村批判をしてきた。にもかかわらず全然反論してこなかった。そういうことだから、西岡さんが自分が書いている主張が真実であると信じるのももっともだという発想で言われると、いくら植村さんの記事が真実であるということを示しても、反論しなかったじゃないかということになりかねない。

ただやっぱり、本来は確認するのは書かれた側ではなく、書く側がしなきゃいけない。私たち書く側はまず事実確認をする、これで本当なのかと裏取りをする。これは、学者でもジャーナリストでも同じだ。それを、植村さんが正さなきゃいけないという発想になると、それは違うんじゃないか。

西岡さんはずっと植村さんに取材をしていない。私たちジャーナリストが取材をせずに相手のことを思い込みで書いて間違っていれば、明らかに損害賠償を命じられる。ところが今回はそれが免責されている。こういうことでは司法のダブルスタンダードということになり、おかしいのではないかと思う。それに、そもそも学者は真実、事実を知ろうとする仕事だと思う。そういう仕事の人がなぜこれを確認しなかったのか。知ろうとしなかったということだと思う。

どうしてかというと、自分の価値観で正しいとか、これこそが正義だ、真実だと思い込んだもの、それが大事で、すべてがそこから出発するので、それに合うものを探すことはしても、自分にとっての正義と矛盾するものは見ようとしない、そもそも本当はどうだったのかを知ろうという態度にはならなかったのだろう。

 

ただ、これは合わせ鏡みたいなもので、私たちも自分の身に引きつけて考える必要がある。最近はしばしば強い言葉で相手を非難したり、揶揄的な表現で他者をあざ笑うという風潮があちこちでみられる。それを見ていると、出発点はこいつ嫌いだとか好きだとか、こいつは自分の価値観に合うとか合わないかという感情的なもの、そこから出発して、それが好き・嫌いのレベルで語られているならまだいいが、そうではなく、正しい・間違っている、という正邪の判断に、いつの間にか脳内変換されていく。そして、嫌いなものは間違っていると決めつけ、さらにはその人を全否定する。あるいは、自分にとって好ましいものは、正しいものとして全肯定する方向につながっていく。背景にはそういう風潮があるのではないか。

これはじつはカルト的な発想だ。自分が信じているもの、これだと思うものに合う以外の情報は得ようとしない、知ろうとしなくなる。極端な例はオウムだが、いったん信じると、物理的には外部のいろんな情報に接することができるのに、わざとしなくなる。悪魔の情報、魂が穢れるからといって知ろうとしなくなる。こういう状況は、カルトだけではなくて、私たちの社会にいま非常に蔓延している。これはネトウヨ系だけでなく、逆の立場の人にも見うけられるというのが私の感想だ。

つまり自分が信じているものこそが真実で、対立しているものは捏造だという思考回路みたいなものが、私たちに巣くっているのではないか。それがいちばん問題ではないか。この裁判を通じて私が感じたのはそういうことです。

【追記】 江川紹子

一点、当日に言い落としたことがあるので付け加える。

集会のはじめに流された、韓国テレビ局による金学順さんのインタビュー映像を、圧倒される思いで見た。本当に、大変な苦難の人生を送ってこられた。慰安婦体験がなければ、まったく別の人生があっただろう。彼女が勇気ある証言で、歴史の蓋を開けてくれたことに、心から感謝したい。できる限り事実を正確に次の世代にも伝えていくことが、今の私たちの世代の役目であり、ジャーナリズムの役割でもあると、改めて思った。

ジャーナリズムは、「主張」の前に「事実」が大事だ。

ただ、歴史認識に関わる問題になると、その点で韓国のメディアには疑問を感じることがある。たとえばアジア女性基金では、国民からの寄付金だけでなく、国庫からの拠出金や「総理の手紙」もあった。この手紙では、慰安婦問題は「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」と認め、謝罪している。このことを、韓国メディアはどの程度報じてきたのだろうか。

女性基金に関し、韓国のNGOなどが強く反発をしているのは知っている。ただ、韓国の中でもこれを受け取る意思表示をした方々はいる。その方々へのバッシングとも言うべき非難がなければ、より多くの方が受け取ることができたのではないか。

また、安倍政権下での日韓外相合意に基づくお金についても、当時存命中の方々の多くは受け入れられた。これで十分などとは全く思わないし、安倍首相の口から謝罪の言葉を述べたらよかったのに、と思う。けれども、若い時に辛い体験をされ、その後も心の傷を抱えて生きてこられた方々が、最晩年の平安な日々のために、このお金を役立てようとされたのも、尊重されるべき被害者の意思だろう。なぜ、これが韓国の中では重んじられないのだろうか。

反発している人がいるのも事実だが、それ以上の人が受け入れたのも事実。その人たちの意思が無視されているように見える。それは、メディアの伝え方にも一因があるのではないか。メディアは、NGOなどの主張を伝えることは必要だけれど、その主張の代弁者になるのは違う、と思う。

植村さんは、韓国でジャーナリズムを教えているということだが、ぜひ「主張より事実」「事実をできる限り正確に伝える」大切さを、若い人たちに伝えて欲しい。

日本でも、「慰安婦問題はなかった」と公言するなど歴史改ざんの動きがある。事実より主張が先行する動きは、強く警戒しなければならない。そんな中、政府も負の歴史を記録し、伝えることに消極的だ。

小渕首相と金大中大統領が発表した日韓共同宣言(1998年)では、「両国国民、特に若い世代が歴史への認識を深めることが重要であることについて見解を共有し、そのために多くの関心と努力が払われる必要がある」と確認された。「総理の手紙」も、「過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝える」と被害者に約束した。

その約束を忘れてはならないし、事実を正確に伝えようと努力をしたジャーナリストが、事実無根の誹謗中傷にさらされ、仕事を奪われ、家族が危険にさらされるようなことが繰り返されてはならない、と思う。

 

 

東京訴訟 控訴審判決報告集会 2020年3月3日午後4時開会 日本教育会館ホール

 

新型コロナウイルスの感染拡大防止のため一般参加者の入場を取りやめ、関係者だけに限定しての開催となった。控訴審判決を受けて植村さんが上告の決意を表明した後、北原みのりさん(作家、フラワーデモ呼びかけ人)が大森典子弁護士と対談した。

 

 

東京訴訟 最終報告会 2021年8月7日午後1時~4時30分 オンラインZOOM配信

 

1991年8月に韓国で初めて元慰安婦婦の金学順(キムハクスン)さんが名乗り出てから30年がたつ。金学順さんの証言は、慰安婦の被害の実態を明らかにし、日本と韓国の社会を大きく揺さぶった。金学順さんの名乗り出を初めて報じた植村隆記者は、その23年後に右派言論人らから捏造記者の烙印を押され、激しいバッシングを浴びた。そして30年後のいま、歴史の記憶を消し去ろうとする勢力がまた息を吹き返そうとしている。敗訴判決が確定して終結した植村裁判は、慰安婦問題の現状を映し出す鏡のように思える。

「金学順さんカミングアウトから30年・記念イベント」は、そのような状況の中、8月7日、東京で開かれた(日比谷の日本プレスセンター大ホールで、午後1時~4時30分)。イベントは植村裁判の最終報告会を兼ね、2部構成で行われた。8月に入ってから東京ではコロナ感染が急拡大していたため、前日に予定を変更し、会場は関係者の感染対策を徹底した上で無観客とし、一般参加予定者にはZOOMでライブ配信をした。また、3人の発言者(東京、札幌、福岡)もZOOMでの参加に切り替えた。ライブ配信は初めての試みだったが、トラブルもなくスムースに行われた。=まとめ文責・HN

 

【第1部】 「標的」上映と裁判報告

第1部では、映画「標的」の短縮版(25分)がリモート配信上映され、続いて、札幌訴訟と東京訴訟の各弁護団事務局長が、判決の問題点と裁判の成果を含む結果について報告をした(要約、両氏ともリモート発言)。

小野寺信勝弁護士(札幌訴訟弁護団)

札幌の裁判では、櫻井氏が慰安婦の取材をしていないこと、また植村さんへの取材の申し込みすらしていないことが明らかになった。櫻井氏には資料の誤読や曲解もあった。しかし、裁判所は「真実相当性」を認めて免責した。これまで、最高裁や多くの下級審の判例では、「真実相当性」を認めるには、確実な資料があることや取材を尽くすことが要求されている。この裁判は、従来の法的枠組みでは櫻井氏の真実相当性が認められる余地がない事案である、と今でも思っている。地裁、高裁、最高裁とも免責のハードルを著しく下げたことには、法的な理屈だけでは説明できない点があるのではないか。

弁護団には100人以上の弁護士が参加した。政治的な立ち位置の違う人もいるが、5年間減ることはなかった。これは稀有なことだと思う。支える会などたくさんの市民の方々の支えも大きかった。とくに、櫻井氏の過去の著作や発言を調べ尽くし、法廷での主張に結びつけることができた。

この裁判は、歴史を書き換えようという流れ、異論に対してバッシングを加える流れ、そのような世の中の空気に抗うたたかいだった。裁判には負けたが、ふたたび同じようなことが起きたら対峙できる、と私たちは確信している。

 

神原元弁護士(東京訴訟弁護団)

人権を侵害されても、不当だと訴えたり、立ち上がることができない人がたくさんいる。しかし植村さんは裁判を起こし、記者会見で自分の顔と名前を出して、私は捏造記者ではない、と訴えた。2015年提訴の時点で、植村さんへの重大な権利侵害のかなり大きな部分は止まった、止めることができた。裁判を起こした時点で裁判の成果の半分くらいは果たしたのでないか、と思う。

裁判の局地的な成果ではあるが、「キーセンの経歴を隠した」「義母の裁判のために書いた」という点は、きっちりと否定できた。判決でもこの点の「真実性」は否定された。金学順さんを直接取材したハンギョレ新聞、東亜日報の記者と北海道新聞の喜多さんの重要な証言を証拠として提出し、裁判記録として残すことができた。金学順さんの1991年11月の証言テープも証拠、記録として残すことができた。西岡氏は著作の中でハンギョレ新聞の記事を捏造し引用していた。裁判でそのことを明らかにし、反対尋問で本人に認めさせた。

しかし、裁判では負けた。負けたことは認めるが、このような記録と成果はなにがしかの形で残して次の世代に伝え、次のたたかいにバトンを移したい。


【第2部】 1991年8月 金学順さんが名乗り出た時 記者たちの証言 

第2部では、金学順さんや元慰安婦の取材を続けてきた記者と、植村裁判にかかわってきた記者が、取材の経過を振り返り、エピソードを交えながら、慰安婦問題の現状について意見を交わした。

発言者は、植村隆、小田川興、喜多義憲、西嶋真司、明珍美紀、池田恵理子の6氏。小田川、喜多、明珍の3氏は、植村裁判関連での集会で発言するのは初めて。西嶋氏はリモートで参加し発言した。

 

以下は、第2部の6人の発言要約(発言順)。

西嶋真司さん(映画「標的」監督、元RKB毎日放送ソウル支局長)

慰安婦問題はテレビ業界ではタブー中のタブーだ。じつはこの映画「標的」は、テレビのドキュメンタリー番組として放送したかったが、会社に何度かけ合っても実現せず、それなら自分たちでやるしかないな、と独立して作ることになった。

1991年当時、金学順さんや慰安婦の方たちを取材した記者たちは、被害者の人間としての尊厳をとても大事にしていた。しかし今の日本では、戦後補償金をもらうためにやっているんじゃないか、日本には都合の悪い人なんじゃないか、という空気が広まっているような気がする。慰安婦の問題は日本の権力によって誤った認識を埋め込まれ、誤った方向に向かっているのではないか。慰安婦問題は人間の尊厳の問題なのだという原点に立ち返って考えるべきだし、メディアももっともっと関心を持たなければならない、と皆さんの話を聞いてあらためて思った。

 

明珍美紀さん(毎日新聞社会部記者)

1週間後の8月14日は金学順さんの名乗り出のメモリアルデーだ。ことしはZOOMでの集まりになるが、30年前、金学順さんが勇気を振りしぼって名乗り出たことに尊敬の念を抱くとともに、いま#MeToo運動などでも訴えていることだが、どんな人間にも尊厳があり、それは守られるべきだということを肝に銘じたい。

LGBTの問題もある、そしてコロナウイルス禍の下で女性の自殺が増えている、それはなぜなのか。もちろん男性も苦しい目にあっているが、この社会の構造が30年前、あるいは半世紀前と変わっているのか、改善されているのか、後退しているのか、考えていかなければならない。30年前の金学順さんの、あの振りしぼるような声、そして涙、それをムダにしないようにしていきたいと思う。

 

喜多義憲さん(植村裁判証人、元北海道新聞ソウル支局長)

91年当時、韓国には日本の新聞、テレビが10数社駐在していたが、植村さんや私の記事に異議や異論をはさむ記者はひとりもいなかった。ところが植村バッシングが始まると、慰安婦問題に関心を持っていなかった記者たちが尻馬に乗って、植村批判や朝日批判を雑誌に書き始めた。若い記者たちに言いたいことだが、自分たちの主人は会社ではなく、読者であり市民であり国民である、ということを忘れないでほしい。

植村裁判でなぜ証言台に立ったかというと、自分に同じような問題がふりかかったらどうするかと考えたからだ。私にもバッシングがくるのではないか、と思うとこわかった。しかし、会社が右であれ左であれ、記者個人としてはきちんとした歴史観を持っていれば、当然あのような行動になる。それが記者、ジャーナリストの共通分母ではないか。

裁判では、キーセンであったとかなかったとか、挺身隊の呼称が慰安婦のことをいうのかどうなのか、が中心になったが、それは慰安婦問題の本質ではない。慰安婦と言われる人たちがどういう状態にあったのかということをジャーナリズムはどう書いたのか、植村が、喜多が、明珍がどう書いたのか、が問われなければならない。歴史修正主義者たちが得意なのは、細部について立証できないような難しい問題についてあげつらい、捏造だというような結論だけを喧伝する。それについてくる人も多い。だから、裁判の成果はあったし批判をするわけではないが、同じ土俵には乗らない、別のやり方を研究する必要があったのではないかとも思う。

 

小田川 興 (元朝日新聞ソウル支局長)

戦後補償問題の運動は「怒りの連帯」のネットワークであり、私もずっと共感しているが、いま、その問題では滔々たる巻き返し、逆流がある。最近もラムザイヤーというハーバード大の教授が証拠も挙げずに、慰安婦は儲かる仕事をしていたみたいなムチャクチャな論文を書いて、国際的な批判にさらされている。こういう外圧で真実を押しつぶすという流れは他にもあり、ますます厳しい状況になっている。

今年は、植民地被害に対する非難と再発防止を確認したダーバン宣言から20年だ。戦後補償問題を放置することを植民地犯罪として追及する事例が相次いでいる。じっさいナチスドイツによる占領虐殺にポーランドやギリシャから賠償請求が起こされている。まさにそういう渦中にあって植村裁判は行われた。この裁判の真実相当性というもののフェイクぶりをもっと鋭くみていきたいと思っているし、世界の政治の流れがおかしな方向に向かっていくことを食い止めるメディアの役割も重要になってくる。

怒りの連帯の根本には、この慰安婦問題についていえば、ハルモニのこころ、そしてハルモニが発してきた言葉がある。私はそこに学びたいと思う。姜徳景(カンドッキョン)さんというハルモニは昭和天皇処刑の絵(「責任者を処罰せよ」)を描いているが、戦争は若者の犠牲を求め、女性とこどもと老人のすべてが被害者になる、という言葉を残している。戦争は絶対にダメなんだ。ハルモニたちのこころ、そして言葉を胸に刻んでこれからも進みたい、進まなければいけない、と思っている。

 

池田恵理子 (wam女たちの戦争と平和資料館名誉館長、元NHKディレクター)

金学順さん、姜徳景さん、裵奉奇(ぺポンギ)さんという3人の慰安婦の方と出会ったことによって私の人生の後半生が定まってきたことを、今になってあらためて思う。私は日本人としてあの戦争の加害を問われている。戦争責任を問う声を受け止め、それを実現するには日本の政治主体が改革されなければならないが、それができていない以上、私たちの責任もあると痛感している。

いまはwam(女たちの戦争と平和資料館)という小さな資料館をやりながら、被害者の声を資料としてきちんと保存し、伝えている。wamでは毎年8月14日に、金学順さんの思いをつなぐという意味で、この1年間に亡くなられたアジアの被害女性たちの名前を読み上げ、エントランスに飾っている顔写真に白い花を添えるセレモニーを続けている。

最近のNHKの劣化、ひどさは言葉で言い尽くせないほどだ。私はNHKを退職した仲間たちと申し入れをしたり、放送センターの前でチラシを配り、現役の社員に声をかけたりしている。こういう行動でも、被害女性たちが力になっていると思う。

ソウルの水曜デモは千数百回を超え、ギネスブックを更新中だ。私たちも毎月第3水曜日に新宿西口で首都圏の諸団体が集まって水曜行動をしている。私はこのプラカードを首から吊るしてスピーチをしたりチラシ配りをしている。このプラカードには「金学順さんの名乗り出から四半世紀」とあるが、四半世紀は30年と書き替えなければならない。30年も経ったのに、と忸怩たる思いだが行動を続けていく。

 

植村隆さん

金学順さんは名乗り出た後の1991年11月に弁護団の聞き取りでこう言っている。「いくらおカネをももらっても捨てられたこの身体、取り返しがつきません。日本政府は歴史的な事実を認めて謝罪すべきです。若い人がこの問題をわかるようにしてほしい。たくさんの犠牲者が出ています。碑を建ててもらいたい」。日本政府の謝罪、若い世代への記憶の継承、そして碑の建立、いまだにどれも実現していない。慰安婦の被害者の女性に納得できるような謝罪はない、若い世代へ記憶を継承しようとするとさまざまな妨害が起きる、そして碑は日本本土にはほとんどないと思う。つまり、この30年間はいったい何だったのか。振り出しに戻っているよりももっと状況は悪くなっていると思う。その中で一体何ができるのか、考えている。

私は金学順さんが亡くなられた時、ソウルの特派員をしていて、死去の記事を書いた。その記事は非常にあっさりとしたものだった。当時、私の結婚のことで批判があったり、また当時は慰安婦報道がたくさんあったので、私自身は少し身を引いているところがあった。しかしいまはそのことをすごく反省している。やはりこの問題は私の人生をかけて取り組むべきことだと思っている。

金学順さんの言っている3つのことがいまだ実現していない。本当におかしい世の中になっている。言論人としてきちんと取り組んで、願いを実現していくこと、そして若い世代への継承もやらなければならない。30年経って状況が悪くなっていることに憤りを感じるが、裁判とは別のたたかい方もある。過去をきちんと記憶して2度と起きないようにしなければならない。それは、慰安婦問題だけでなく、さまざまな問題に続いている。原点には慰安婦問題がある。これからもたたかい続けなければならないと思う。