◆原寿雄氏陳述書 抄録     

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陳述書 

原寿雄

2015年12月11日

 

 

1 私の経歴(略)

 

2 ジャーナリズムにおける「捏造」の意味

 ジャーナリズムの世界では、「誤報」「盗用」「捏造」がよく問題になります。「誤報」はある程度やむを得ない面がありますが、「盗用」と「誤報」は犯罪であり、真実追及を掲げるジャーナリズムの世界では許されないものです。


(1)「誤報」について(略)


(2)「盗用」と「捏造」について

 「盗用」と「捏造」は、ジャーナリズムとしての「犯罪」だと思っています。「盗用」は著作権の問題がありますから、刑事告訴されてもやむを得ない。

 「捏造」も(刑事罰はないとしても)、ジャーナリストとしては「犯罪」視すべきものです。「捏造」は「誤報」と違い、意図的に行われるものです。「捏造」の「捏」は捏ねる(こねる)という意味です。粘土をこねて何かを作りだすというのが「捏造」の意味なのです。

 捏造記事といって、まず思い出すのは、伊藤律会見捏造事件(1950年9月27日付け朝日新聞夕刊)です。朝日新聞としては恥ずべき歴史的不祥事です。

 消息を絶った日航機が三原山に衝突した事件で、事実は乗客30人全員が犠牲となったのに、長崎民友新聞は、「漂流して全員救助」の誤情報を受けて、「危うく助かった大辻伺郎」の見出しをつけて、乗客だった漫談家の話として「漫談の材料が増えたよ」という談話を掲載したということもあります(1952年4月10日付け長崎民友新聞)。

 共同通信社でも、セイロン(現スリランカ)で失敗に終わった皆既日食観測を成功と報道してしまった例がありました。(1955年6月20日)。これは成功の場合と失敗の場合の予定稿を用意していたのですが、確認がとれず、英国観測隊が成功したとのセイロン放送に依拠して、英国隊から僅か12キロの距離にいる日本観測隊も成功したはずだという在京の本社デスクの判断で記事を出してしまったというものです。記事の中には「喜びの瞬間、観測隊長は胸から手帳が落ちたが拾おうとしない」云々と、あたかも見てきて記事を書いたような脚色があるので、これは「捏造の一種」でしょう。捏造は意図的である点で悪質です。

 「捏造」を行った記者は、読者、視聴者への背信として、懲戒処分(場合により懲戒解雇)を免れません。それほど「捏造」の罪は重いのです。

 

3 植村さんの問題について

 「捏造」は犯罪であり、「捏造記者」と言われることは、ジャーナリストとしての「全人格の否定」です。最大最高級の侮蔑、と言ってもいいでしょう。

 ジャーナリズムの使命は、真実の報道ということです。「捏造」は意図的に真実でないことを報道するのですから、ジャーナリズムの使命を真正面から否定することです。

 「捏造記者と呼ばれるより三流記者とか御用記者のほうが、名誉毀損度は高い」と言う人もいるそうですが、そうではありません。「三流」とか「御用」というのは評価の問題です。「捏造記者」というのは、嘘を書くのが平気な人ということで、ジャーナリズムの世界では、最大の侮蔑的な言葉です。

 

4 まとめ

 植村隆さんが、「捏造」記者と報道されたのは、新聞記者として致命的な名誉毀損だと考えます。裁判所はこのことをご理解いただき、公正な裁判をして頂きますようお願いいたします。

 

以上