東京訴訟の植村尋問

植村裁判の核心である植村記事の意味、当時の認識、取材経緯について、植村氏は詳細に説明した

 

植村氏の本人尋問は第13回口頭弁論で行われた(東京地裁、2018年9月5日)。

植村氏の尋問は、主尋問を神原弁護士と永田亮弁護士が担当した。

神原弁護士は、1991年8月と12月に植村氏が書いた記事について、西岡氏が「捏造」と決めつける根拠(①金さんは「女子挺身隊の名で連行された」とは言っていない②金さんはキーセン学校に通っていた③義母が幹部を務める団体の裁判を有利に進める動機があった、など)について、質問した。植村氏は、提訴以来、法廷と講演、執筆などで繰り返してきた説明を簡潔にまとめる形で答えた。

永田弁護士は植村氏が受けた被害と損害を詳しく語るように求めた。本人、家族、大学への脅迫やいやがらせの実態も、提訴以来同じように語り続けられてきたことだが、植村氏は最近の動きとして、国内の大学教員への公募にはいまも応募しているがすべて書類選考ではねられていることを明かし、「私の生活はずたずたにされ、私の夢は断たれたままだ」と語った。

植村氏は最後に裁判官席に向かって、「私は捏造記者ではありません。私は当時、被害者やその支援者団体の人々から聞き取った話を正確に記事にしたに過ぎません。裁判所に提出した証拠資料を精査していただければ、私が捏造記者ではない、ということは明らかだろうと思います。私にかけられた不当なレッテルをはがしてください。そのような判決を望みます」と訴えた。

 

植村氏への反対尋問は、喜田村洋一弁護士が約50分にわたって行った。喜田村弁護士の口調はいつものように静かで穏やかだが、声が小さくて聞き取れないこともあり、尋問の冒頭、傍聴席から「マイクの音量を上げるように」との声が飛んだ。

尋問は、植村さんが記事の前文で書いた「女子挺身隊の名で戦場に連行され」と、本文で書いた「(金さんは)だまされて慰安婦にさせられた」とのふたつの記述について、取材で聞いた証言テープの内容の詳細な記憶を含め、同じ質問が行きつ戻りつ、繰り返された。

植村氏は、「私が記事を書いたのは27年前。枝葉末節にかかわる記憶はまったくないが、記事は証言テープを聞く前後に挺対協で取材してたこともふまえており、金学順さん自身がその後の記者会見で同じことを語っているから、記事に誤りはない」と応じた。

尋問の後、裁判官からの質問はなかった。

 

この日は、植村氏のほかに西岡力氏の本人尋問、竹中明洋氏(元週刊文春記者)の証人尋問も行われた。尋問は午前10時30分に始まり、竹中、植村、西岡の順で進められ、午後5時前に終わった。

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以下は主尋問と反対尋問の重要な部分。

 


神原元弁護士による主尋問 

 神原 この1991年の取材については、まずソウルに着いてあなたは挺対協の尹貞玉先生のご自宅に行ったと、そういうことですね。

 植村 はい、そうです。

 神原 尹先生からどんな話を聞いたんですか。

 植村 この後に金学順さんと名乗る方ですが、元慰安婦の女性がどういうふうにして慰安婦になったかというような挺対協の聞き取りの内容をまず聞いておりました。

 神原 その翌日にこの女性の証言テープを聞かせてもらったということですね。

 植村 はい、そうです。

 神原 そうすると、この記事のソースとしてはどういうものがあるということになりますか。

 植村 尹貞玉先生の挺対協の聞き取り結果及び聞き取りの証拠としてのテープ、その2つであります。

 神原 ご本人に会って直接話を聞こうとは思わなかったんですか。

 植村 プライバシー保護のため、本人には直接取材しないという約束で調査結果を聞き、テープを聞かせていただきました。私は、本人に会えなくても取材結果聞ければ、そしてテープの内容が聞ければ戦後46年たって、その証言が出るということを、しているということを伝えることがニュースだと思いました。

 神原 (甲第1号証を示す) この記事の最初の行で「女子挺身隊の名で戦場に連行され」という表現がありますが、あなたはなぜこの表現を使ったのですか。

 植村 この表現は、当時日本でも韓国でも慰安婦の境遇を説明する定着した表現でありました。当時朝日新聞だけでなく、ほかの新聞にもこういうふうな表現がありました。また、私の記事の直前にソウル支局長が書かれた記事にも同じような表現がありました。

 神原 だとしても、この「女子挺身隊の名で戦場に連行され」というのはどういう意味のものとしてあなた書いたんですか。

 植村 これは、戦場に連れていかれて、いわゆる挺身隊と呼ばれているところの慰安婦にされたという意味で書きました。

 神原 後に金学順さんとわかる女性ですが、金学順さんはテープの中で挺身隊の名で連行されたと話していましたか。

 植村 今はっきり記憶がありません。しかし、現時点では当時の金学順さんの証言、私は挺身隊だった、あるいは強制連行されたという証言から見て、そのテープの中にもその趣旨が入っていたのではないかというふうに思っております。

 神原 今言われたのは、例えば甲第50号証、北海道新聞、19991年8月18日付けの記事であるとか、あるいは8月14日の金学順さんの記者会見での発言をまとめた甲110号証、これらのものをおっしゃっているのですね。

 植村 はいそうです。

 神原 それにしても、挺身隊の名で連行という表現をとれば女子挺身勤労令など、法令によって強制的に連行されたものであるとの誤解を生むのではないですか。

 植村 いいえ、誤解はされないと思います。私は、本文ではっきりとだまされて慰安婦にされたというふうに書いてあるからです。

 神原 金学順さんは、だまされて慰安婦にされたんですか。

 植村 ええ、私の当時の認識はそうでした

 神原 それは、誰からそういうふうに聞いたんですか。

 植村 尹貞玉先生からです。

 神原 そうすると、あなたはまずこの前のほうで女子挺身隊の名で戦場に連行されと書き、あとこの本文の上から3段目の真ん中辺で「だまされて慰安婦にされた」と書いているわけですが、この2つはどういう関係になっていますか。

 植村 まず、女子挺身隊と言われているところの慰安婦の話なんだよと、戦場に連れていかれ、女子挺身隊という名で呼ばれている慰安婦にされた女性の話なんだよということを前文で読者にまず説明して、本文ではこの女性がなぜ直接慰安婦になったかという理由として、だまされて慰安婦にされたと書いたわけです。

 神原 西岡さんは、今回裁判で提出した陳述書の中で、「あなたは、職業としての慰安婦と連行方式としての挺身隊を使い分け、ここで言っている挺身隊というのは連行方式のほうの意味で使っているんではないか」というふうに批判しているわけですが、この点についてはいかがですか。

 植村 いえ、慰安婦というのは職業ではありません。慰安婦、あるいは挺身隊と呼ばれた女性たちはその戦場で人権被害を受けたわけです。そういうふうな被害者を指す言葉であります。

 神原 朝日第三者委員会報告書によりますと1992年1月以降、慰安婦と挺身隊とを区別すべきであるとの認識が急速に高まってきたとされておるわけなんですが、あなたは1991年8月当時そのような認識は持たなかったということですか。

 植村 はい、当時はそういう認識はありませんでした。

 神原 朝日新聞は、2014年12月23日付けで、この女性は挺身隊の名で連行された事実はありませんという訂正記事を出しておりますが、この点についてあなたはどぅ思っておられますか。

 植村 朝日新聞は訂正を出す必要はなかったというふうに考えております。なぜならば、金学順さん白身が自分は挺身隊であったと述べておりますし、また強制連行されたということを記者会見等で述べているわけです。

 神原 このテープの中で金さんは自分はキーセンだったとか、自分は売られて慰安婦にされたなどと話していましたか。

 植村 いえ、そういう記憶はありません。30分ぐらいの短いテープでして、そしてこれには主慰安婦になったときの被害状況、それからそれに対する本人の思い、感情などが込められていたのが中心でした。

=第13回口頭弁論「本人調書」1~4ページ

 


喜田村洋一弁護士による反対尋問 

 喜田村 私の質問は前文のところ、女子挺身隊の名で戦場に連行されたというこれに相当するものとして、その女性はテープの中でどのように言っていたのですか。

 植村 テープの中は、先ほど言いましたように主にこの戦場での被害体験、それに対する思い、監禁されて逃げ出したいという思いしかなかったとか、相手が来ないように思い続けたとか、何とか忘れて過ごしたいが、忘れられない、こういうふうにかぎ括弧のところが感情の部分は私は聞き取って、当時メモしていたという記憶があります。

 喜田村 もう一遍質問します。女子挺身隊の名で戦場に連行されという、これに相当する文章、言葉としてそのテープの中でその女性はどういうふうに言っていたのですか。

 植村 テープの中ではっきりと記憶はしていませんが、前の日に尹貞玉先生がこの女性が女子挺身隊であるというふうに言っているということを私に説明しておりました。それは、当然この女性が私は女子挺身隊だったということで挺対協に名乗り出たということも、当時の記録を後で見ると出ておりましたんで、一貫してこの女性は自分のことを女子挺身隊だというふうに言っていたと思います。テープの30分の取材は記憶はっきりしておりませんが、当然そういうふうな内容のことは言っておったと僕は思っています。

喜田村 あなたの記憶しているところを言ってくださいと言っているのですから……。

植村 だから、はっきりと記憶していませんが、当時の前後の話なんで、先ほどの主尋問で答えたようなことしか答えられませんが、言っておっただろうと思います。

 喜田村 言っていただろうと思うということだけ、具体的なこんな言葉がありましたよとか、そういう言葉もないんですか。

植村 何せ27年前のテープを1回聞いただけですけれども、その前にも後にもこの女性が女子挺身隊であったということは、女子挺身隊というのはこれは慰安婦の意味だって説明されたんですが、それを尹貞玉先生から繰り返し聞いておりましたんで、当然このテープの中でもそれと同じような趣旨のことを言っていたではないかというふうに今は考えております。

喜田村 じゃ、もっと端的に聞きましょう。連行されという部分について、この女性はテープの中でどういうふうに言っていましたか。

植村 連行されというふうに言っていたかどうかはわかりません。これは、なぜなら記憶がはっきりしていないのと、もう先ほど言いましたように自分は女子挺身隊だったということで名乗り出た女性の被害体験を中心に聞き取った30分のテープなので、その中の記憶は定かではあ   りません。しかし、先ほど主尋問で答えたように本人がその前後の記者会見で挺身隊であった、あるいは強制連行されたと言っておるわけですから、このテープの中にも同趣旨のことがあったとは思えます。

喜田村 だまされてという部分について、その女性はテープの中でどういうふうに言っていたんですか。

植村 これは、まず先はども説明しました……。

喜田村 テープの中でどういうふうに……。

植村 テープの中ではっきりどういうふうに言っていたか記憶しておりませんけれども、自分の身の上話の中で、これはそもそもテープの中でそういうふうな話を聞いておったのを尹貞玉先生たちが聞いて、私に事前に説明してくれてテープも聞きましたから、どっちにどれが出ていたかわかりませんけれども、だまされたという趣旨のことはあったと思います。

喜田村 具体的な中身として、事実経過としてこういうふうにだまされたという説明はテープの中であったんですか。

植村 元慰安婦の女性が証言を始めたというのがとても大きなニュースでした。私は、だまされたのか、強制連行されたのか、あるいは人身売買されたのか、それは慰安婦になる経緯であったかもわかりませんけれども、戦場で繰り返し繰り返し日本軍人相手に性の相手をさせられた、レイプをさせられた、その事実が問題なのでありまして、私はそこでどういうふうにこの女性が連行されたのかというのは、この記事から見る限り詳しく当時聞いていなかったということは言えます。

喜田村 だまされたということを聞いただけなんですか。

植村 はい、聞いただけです。

喜田村 具体的にごんなふうにとか、誰から言われたとか、そういう話はなかった……。

植村 はい、当時はなかったです。あれば書いていますけれども、それともう一つ、この記事は元慰安婦の女性が自分の被害体験を証言し始めたということでありまして、どういうふうな経緯で慰安婦になったのかということにポイントが置かれていません。それは、この記事を見ればはっきりとわかります。そういうふうな点で書いた記事なので、これはだまされた人であるということで、それは調査の人たちが自信持って言ってくれたので、私はその女性の被害体験、そしてその思いを書いたわけであります。

喜田村 テープの中でだまされたというそれに相当する言葉を聞いたろうという程度の記憶しかないということですか。

植村 この記事を見る限り、この記事は先ほど言いましたようにまず尹代表らによるとこの女性は68歳で、ソウル市内で一人で住んでいる。最近になって知人から体験を伝えるべきだと勧められ、対策協議会を訪れた、メンバーが聞き始めるとしばらく泣いた後で話し始めた、つまりしぱらく泣いた後で話し始めたという内容がだまされたということだと私は当時理解しましたんで、どういうふうに誰にだまされたかということを当然記者ですから、聞いたかもわかりませんけれども、これは第1回目の聞き取りでありますので、詳しいものではなかったと思います。その被害体験を中心に私は挺対協から話を聞き、その女性の被害の声を訴える声を聞いたわけであります。                          

=第13回口頭弁論「本人調書」30~33ページ