裁判経過と判決 東京地裁の審理

 

記事内容

1 口頭弁論の経過

2 最大の争点、西岡氏の「捏造」決めつけの根拠

3 植村隆氏の本人尋問

4 西岡力氏の本人尋問

5 週刊文春の害意

6 植村氏の長女を中傷した男に賠償命令判決

7 異例の訴訟指揮に裁判官を忌避申立

8 東京地裁判決

9 東京地裁判決に批判

 

 

1 口頭弁論の経過

第1回2015年4月27日 植村氏が意見陳述、西岡氏は「論評・意見」と主張

第2回 同年6月29日 小林節氏が意見陳述

第3回 同年10月26日 「事実の摘示」について再主張

第4回2016年2月17日 朝日新聞元社員(元ソウル支局長ら)の陳述書提出

第5回 同年5月18日 西岡氏側の「真実性」抗弁に反論

第6回 同年8月3日 植村氏が受けた被害の証拠を多数提出

第7回 同年12月14日 「平穏な生活を営む権利」「共同不法行為」を主張

第8回2017年4月12日 「平穏な生活を営む権利」の主張を補充

第9回 同年7月12日 西岡氏「直接当事者の取材していない」と書面で回答

第10回 同年10月11日 西岡氏側の「論評」主張にあらためて反論

第11回2018年1月13日 「論評」主張に「それでも名誉毀損成立」と反論

第12回 同年4月25日 金学順氏の記者会見に関する陳述書4通を提出

第13回 同年9月5日 植村氏と西岡氏の本人尋問、竹中明洋氏の証人尋問

第14回 同年11月28日 最終準備書面を提出し結審

第15回2019年2月22日 弁論再開し、裁判長職権で証拠追加採用、裁判官忌避申立

第16回 同年5月10日 再結審

判決 同年6月26日 植村氏の請求をすべて棄却

 

 口頭弁論は2015年4月に始まり、16回開かれた。2019年6月に一審判決が出るまでに要した時間は4年2カ月だった(札幌訴訟は2年7カ月)。途中、いったん結審した後に訴訟指揮をめぐり裁判官忌避の申し立てが出され審理が中断、さらに裁判長ら全員が再結審前に東京地裁から転出しながら交代しないという異例の展開となった。

法廷はほとんどの回で103号法廷が使われ、毎回ほぼ満席となった(第15回は705号、16回は706号を使用)。103号法廷は席数が多いため傍聴希望者の抽選が行われたのは2回(第1、第5回)だけで、ほかの回は先着順での入場となった。

植村氏はすべての口頭弁論に出廷した。植村弁護団は毎回10~20人が出廷し、神原元・事務局長と穂積剛、吉村功志、殷勇基、永田亮弁護士の5人は皆勤した。中山武敏弁護団長、小林節、海渡雄一、角田由紀子、黒岩哲彦、宇都宮健児、梓澤和幸、泉澤章、中川重徳弁護士らは交互に頻繁に出廷した。

対する西岡氏は本人尋問があった第13回だけに出廷した。被告人(西岡氏)と被告会社(文藝春秋)は喜田村洋一弁護士を双方の代理人弁護士とした。喜田村弁護士はほとんどの回に出廷し、同席したのは藤原大輔弁護士ひとりだけという回が多かった。

喜田村弁護士は、メディア関係の訴訟や報道の自由、プライバシー侵害問題を数多く手がけている。自由人権協会代表理事として社会問題でリベラルな発言をしていることでも知られている。2014年秋、植村バッシングのピーク時には声明を発表し、脅迫によって言論を封じ込めようとする行為をきびしく批判した。今回は文藝春秋の会社顧問弁護士としての職務をこなした、ということのようだが、植村氏にとっては、「昨日の友は今日の敵」というつらい立場となった。

裁判長は東京地裁民事第32部総括判事の原克也氏がつとめた。原裁判長は口頭弁論開始時に、吉見義明・中央大教授(当時)が提訴した名誉毀損訴訟も担当していた。この訴訟は「吉見裁判」といわれ、同教授の著書をめぐって「これは捏造だということが明らか」などと東京の外国特派員協会のスピーチで発言したとして桜内文城・前衆院議員を相手取ったものだった。原裁判長は2016年1月、吉見教授の請求を棄却する判決を出した。「捏造だという発言は、不適当とか誤りだという意味ととらえられ、意見・論評の域を出ず、公益性もある」として、慰安婦問題に取り組む歴史学者の訴えをあっさりと退けた。この判決が出たのは、植村裁判東京訴訟の第4回口頭弁論の直前で、審理が本格化しようとする時期だった。原裁判長への不信感と警戒感はこの時以来徐々に高まり、終盤では忌避申し立てへと発展した。

民事裁判の口頭弁論は、原告と被告が書面のやりとりを行うことで意見陳述が行われたとされる。したがって、双方が法廷で意見を述べ合うことは、証人尋問時を除き原則として必要とされないが、植村氏側は毎回、提出書面の趣旨を補足説明をする形で意見と主張を述べた。西岡・文春側は一度も行わなかった。

西岡氏と週刊文春は植村バッシングの「震源」である。西岡氏は1992年から月刊「文藝春秋」や「正論」で植村氏を批判してきた。週刊文春は西岡氏らの批判をもとに2014年1月、植村氏への攻撃を始めた。つまり、植村バッシングは西岡氏によって端緒が開かれ、週刊文春によって火をつけられたのである。東京訴訟の重要な意味は、損害賠償の請求にとどまらず、「震源」の重大責任を問い、植村氏の名誉を回復することにあった。

最大の争点となったのは、西岡氏の名誉棄損表現に根拠があるのかどうか、ということだった。また、西岡氏と週刊文春の取材態度や執筆姿勢と記事掲載の意図についても、検討が加えられた。 

 

2 最大の争点 西岡氏の「捏造」決めつけの根拠

 

名誉毀損の民事訴訟では、表現された内容に違法性があるかどうかが審理され、違法性があると判断されれば、不法行為責任が生じる。違法性の審理は、表現された内容について、

論評・意見か、あるいは事実を摘示するものか、

表現された者の社会的評価を低下させるか、

公共の利害に関わることか、公益を図る目的か

それは真実か、または真実と信じる理由があるか

の4点の検討が行われる。東京訴訟では、原告と被告の主張はすべての点で隔たり、とくにでの対立が大きかった。

で西岡・文春側は、表現内容は「論評・意見」であり、憲法が保障する「言論の自由」の域を越えないと主張し、「事実の摘示」であることを認めようとしなかった。これに対して植村氏側は「事実の摘示」だと主張したうえで、の「真実性」「真実相当性」を立証するように迫った。しかし、西岡・文春側はの主張を最後まで繰り返し、を積極的には立証しようとしなかった。そのため、植村氏側は逆に、西岡・文春側には「真実性」「真実相当性」が認められないことの論証に注力することになった。

  西岡氏が植村氏の記事を「捏造」だと決めつける根拠は次の3点だった。

金学順氏が述べていない経歴を意図的に付加したこと

金学順氏が述べた経歴に関する重要な事実を意図的に欠落したこと

日本軍による強制連行があったと誤解させる記事を報じる動機があったこと

これらについては、第13回口頭弁論(2018年8月3日)で行われた植村氏の尋問で、植村氏本人がすべてを否定した。

植村氏は神原元弁護士による主尋問で、「挺身隊の名で戦場に連行され」と「だまされて慰安婦になった」の記述のじっさいの意味を説明した。また、取材の目的は、慰安婦にされた経緯や被害状況を詳細に書くことではなく、元慰安婦だった女性が被害体験を語り始めたことをまず報じることだった、とも語った。喜田村洋一弁護士による反対尋問では、記事を書くために元慰安婦の証言テープを聞いた時の記憶を呼び戻すようにと執拗に求められた。植村氏は、「27年前の記憶は確かではないが、記事は証言テープを聞く前後に挺対協で取材してたこともふまえており、金学順さん自身がその後の記者会見で同じことを語っているから、記事に誤りはない」と応じた。

 植村氏の尋問があった日には、西岡氏の本人尋問も行われた。反対尋問は穂積剛弁護士が行った。穂積弁護士は、西岡氏が著作やコメントの中で、金学順さんのキーセン経歴についての引用を誤ったり、加工を加えるなど、「捏造」ともいえる操作を繰り返していたことを取り上げて追及した。西岡氏は誤りを全面的に認めた。札幌訴訟の櫻井氏のケースと同じように、「捏造」決めつけの重要な根拠が法廷で崩れ、西岡氏の表現に「真実相当性」は認められないことを植村氏側は論証した。

植村、西岡両氏の本人尋問は、東京訴訟の一連の口頭弁論の中でもっとも緊迫し、法廷ドラマを思わせるやりとりとなった。その部分を以下に再現する。 

 

3 植村隆氏の本人尋問

 

神原元弁護士による主尋問

神原 この1991年の取材については、まずソウルに着いてあなたは挺対協の尹貞玉先生のご自宅に行ったと、そういうことですね。

植村 はい、そうです。

神原 尹先生からどんな話を聞いたんですか。

植村 この後に金学順さんと名乗る方ですが、元慰安婦の女性がどういうふうにして慰安婦になったかというような挺対協の聞き取りの内容をまず聞いておりました。

神原 その翌日にこの女性の証言テープを聞かせてもらったということですね。

植村 はい、そうです。

神原 そうすると、この記事のソースとしてはどういうものがあるということになりますか。

植村 尹貞玉先生の挺対協の聞き取り結果及び聞き取りの証拠としてのテープ、その2つであります。

神原 ご本人に会って直接話を聞こうとは思わなかったんですか。

植村 プライバシー保護のため、本人には直接取材しないという約束で調査結果を聞き、テープを聞かせていただきました。私は、本人に会えなくても取材結果聞ければ、そしてテープの内容が聞ければ戦後46年たって、その証言が出るということを、しているということを伝えることがニュースだと思いました。

神原 (甲第1号証を示す) この記事の最初の行で「女子挺身隊の名で戦場に連行され」という表現がありますが、あなたはなぜこの表現を使ったのですか。

植村 この表現は、当時日本でも韓国でも慰安婦の境遇を説明する定着した表現でありました。当時朝日新聞だけでなく、ほかの新聞にもこういうふうな表現がありました。また、私の記事の直前にソウル支局長が書かれた記事にも同じような表現がありました。

神原 だとしても、この「女子挺身隊の名で戦場に連行され」というのはどういう意味のものとしてあなた書いたんですか。

植村 これは、戦場に連れていかれて、いわゆる挺身隊と呼ばれているところの慰安婦にされたという意味で書きました。

神原 後に金学順さんとわかる女性ですが、金学順さんはテープの中で挺身隊の名で連行されたと話していましたか。

植村 今はっきり記憶がありません。しかし、現時点では当時の金学順さんの証言、私は挺身隊だった、あるいは強制連行されたという証言から見て、そのテープの中にもその趣旨が入っていたのではないかというふうに思っております。

神原 今言われたのは、例えば甲第50号証、北海道新聞、19991年8月18日付けの記事であるとか、あるいは8月14日の金学順さんの記者会見での発言をまとめた甲110号証、これらのものをおっしゃっているのですね。

植村 はいそうです。

神原 それにしても、挺身隊の名で連行という表現をとれば女子挺身勤労令など、法令によって強制的に連行されたものであるとの誤解を生むのではないですか。

植村 いいえ、誤解はされないと思います。私は、本文ではっきりとだまされて慰安婦にされたというふうに書いてあるからです。

神原 金学順さんは、だまされて慰安婦にされたんですか。

植村 ええ、私の当時の認識はそうでした

神原 それは、誰からそういうふうに聞いたんですか。

植村 尹貞玉先生からです。

神原 そうすると、あなたはまずこの前のほうで女子挺身隊の名で戦場に連行されと書き、あとこの本文の上から3段目の真ん中辺で「だまされて慰安婦にされた」と書いているわけですが、この2つはどういう関係になっていますか。

植村 まず、女子挺身隊と言われているところの慰安婦の話なんだよと、戦場に連れていかれ、女子挺身隊という名で呼ばれている慰安婦にされた女性の話なんだよということを前文で読者にまず説明して、本文ではこの女性がなぜ直接慰安婦になったかという理由として、だまされて慰安婦にされたと書いたわけです。

神原 西岡さんは、今回裁判で提出した陳述書の中で、「あなたは、職業としての慰安婦と連行方式としての挺身隊を使い分け、ここで言っている挺身隊というのは連行方式のほうの意味で使っているんではないか」というふうに批判しているわけですが、この点についてはいかがですか。

植村 いえ、慰安婦というのは職業ではありません。慰安婦、あるいは挺身隊と呼ばれた女性たちはその戦場で人権被害を受けたわけです。そういうふうな被害者を指す言葉であります。

神原 朝日第三者委員会報告書によりますと1992年1月以降、慰安婦と挺身隊とを区別すべきであるとの認識が急速に高まってきたとされておるわけなんですが、あなたは1991年8月当時そのような認識は持たなかったということですか。

植村 はい、当時はそういう認識はありませんでした。

神原 朝日新聞は、2014年12月23日付けで、この女性は挺身隊の名で連行された事実はありませんという訂正記事を出しておりますが、この点についてあなたはどぅ思っておられますか。

植村 朝日新聞は訂正を出す必要はなかったというふうに考えております。なぜならば、金学順さん白身が自分は挺身隊であったと述べておりますし、また強制連行されたということを記者会見等で述べているわけです。

神原 このテープの中で金さんは自分はキーセンだったとか、自分は売られて慰安婦にされたなどと話していましたか。

植村 いえ、そういう記憶はありません。30分ぐらいの短いテープでして、そしてこれには主に慰安婦になったときの被害状況、それからそれに対する本人の思い、感情などが込められていたのが中心でした。

=第13回口頭弁論「本人調書」1~4ページ

 

喜田村洋一弁護士による反対尋問

喜田村 私の質問は前文のところ、女子挺身隊の名で戦場に連行されたというこれに相当するものとして、その女性はテープの中でどのように言っていたのですか。

植村 テープの中は、先ほど言いましたように主にこの戦場での被害体験、それに対する思い、監禁されて逃げ出したいという思いしかなかったとか、相手が来ないように思い続けたとか、何とか忘れて過ごしたいが、忘れられない、こういうふうにかぎ括弧のところが感情の部分は私は聞き取って、当時メモしていたという記憶があります。

喜田村 もう一遍質問します。女子挺身隊の名で戦場に連行されという、これに相当する文章、言葉としてそのテープの中でその女性はどういうふうに言っていたのですか。

植村 テープの中ではっきりと記憶はしていませんが、前の日に尹貞玉先生がこの女性が女子挺身隊であるというふうに言っているということを私に説明しておりました。それは、当然この女性が私は女子挺身隊だったということで挺対協に名乗り出たということも、当時の記録を後で見ると出ておりましたんで、一貫してこの女性は自分のことを女子挺身隊だというふうに言っていたと思います。テープの30分の取材は記憶はっきりしておりませんが、当然そういうふうな内容のことは言っておったと僕は思っています。

喜田村 あなたの記憶しているところを言ってくださいと言っているのですから……

植村 だから、はっきりと記憶していませんが、当時の前後の話なんで、先ほどの主尋問で答えたようなことしか答えられませんが、言っておっただろうと思います。

喜田村 言っていただろうと思うということだけ、具体的なこんな言葉がありましたよとか、そういう言葉もないんですか。

植村 何せ27年前のテープを1回聞いただけですけれども、その前にも後にもこの女性が女子挺身隊であったということは、女子挺身隊というのはこれは慰安婦の意味だって説明されたんですが、それを尹貞玉先生から繰り返し聞いておりましたんで、当然このテープの中でもそれと同じような趣旨のことを言っていたではないかというふうに今は考えております。

喜田村 じゃ、もっと端的に聞きましょう。連行されという部分について、この女性はテープの中でどういうふうに言っていましたか。

植村 連行されというふうに言っていたかどうかはわかりません。これは、なぜなら記憶がはっきりしていないのと、もう先ほど言いましたように自分は女子挺身隊だったということで名乗り出た女性の被害体験を中心に聞き取った30分のテープなので、その中の記憶は定かではあ   りません。しかし、先ほど主尋問で答えたように本人がその前後の記者会見で挺身隊であった、あるいは強制連行されたと言っておるわけですから、このテープの中にも同趣旨のことがあったとは思えます。

喜田村 だまされてという部分について、その女性はテープの中でどういうふうに言っていたんですか。

植村 これは、まず先はども説明しました……

喜田村 テープの中でどういうふうに……

植村 テープの中ではっきりどういうふうに言っていたか記憶しておりませんけれども、自分の身の上話の中で、これはそもそもテープの中でそういうふうな話を聞いておったのを尹貞玉先生たちが聞いて、私に事前に説明してくれてテープも聞きましたから、どっちにどれが出ていたかわかりませんけれども、だまされたという趣旨のことはあったと思います。

喜田村 具体的な中身として、事実経過としてこういうふうにだまされたという説明はテープの中であったんですか。

植村 元慰安婦の女性が証言を始めたというのがとても大きなニュースでした。私は、だまされたのか、強制連行されたのか、あるいは人身売買されたのか、それは慰安婦になる経緯であったかもわかりませんけれども、戦場で繰り返し繰り返し日本軍人相手に性の相手をさせられた、レイプをさせられた、その事実が問題なのでありまして、私はそこでどういうふうにこの女性が連行されたのかというのは、この記事から見る限り詳しく当時聞いていなかったということは言えます。

喜田村 だまされたということを聞いただけなんですか。

植村 はい、聞いただけです。

喜田村 具体的にごんなふうにとか、誰から言われたとか、そういう話はなかった……

植村 はい、当時はなかったです。あれば書いていますけれども、それともう一つ、この記事は元慰安婦の女性が自分の被害体験を証言し始めたということでありまして、どういうふうな経緯で慰安婦になったのかということにポイントが置かれていません。それは、この記事を見ればはっきりとわかります。そういうふうな点で書いた記事なので、これはだまされた人であるということで、それは調査の人たちが自信持って言ってくれたので、私はその女性の被害体験、そしてその思いを書いたわけであります。

喜田村 テープの中でだまされたというそれに相当する言葉を聞いたろうという程度の記憶しかないということですか。

植村 この記事を見る限り、この記事は先ほど言いましたようにまず尹代表らによるとこの女性は68歳で、ソウル市内で一人で住んでいる。最近になって知人から体験を伝えるべきだと勧められ、対策協議会を訪れた、メンバーが聞き始めるとしばらく泣いた後で話し始めた、つまりしぱらく泣いた後で話し始めたという内容がだまされたということだと私は当時理解しましたんで、どういうふうに誰にだまされたかということを当然記者ですから、聞いたかもわかりませんけれども、これは第1回目の聞き取りでありますので、詳しいものではなかったと思います。その被害体験を中心に私は挺対協から話を聞き、その女性の被害の声を訴える声を聞いたわけであります。                       =第13回口頭弁論「本人調書」30~33ページ

 

4 西岡力氏の本人尋問

 

西岡氏は「金学順さんはキーセンに売られて慰安婦になった」と主張しつづけてきた。この「キーセン身売り説」は、ハンギョレ新聞の記事と、金さんの平成3年訴状、臼杵敬子氏の月刊「宝石」記事を根拠としている、という。しかし、ハンギョレ新聞と月刊「宝石」には「日本軍の武力で奪い取られた」との金さんの談話もある。「キーセン身売り説」は成り立たないのではないか、と穂積弁護士は西岡氏に質した。

 

穂積 (甲第67号証の2を示す)これは、あなたはよくご存じですよね。今さら見せるまでもないと思うけれども、この甲第67号証の2はハンギョレ新聞記事をあなた自身が訳された文ですね。

西岡 そうです。

穂積 その一番後ろのページ目ですけれども、この赤のマーカーしてあるとこ。

西岡 植村さんの陳述書にも書いてある。

穂積 「私を連れていった義父も当時日本軍人にカネももらえず、武力で私をそのまま奪われたようでした」となっていますね。

西岡 はい。

穂積 (乙第10号証を示す)乙第10号証、月刊宝石の記事ですから、これもあなたよく御存じですよね。

西岡 はい。

穂積 278ページの下段を示します。一番下の「ところが」の後の3行日から「着いたところは満州のどこかの駅でした。サーベルを下げた日本人将校2人と3人の部下が待っていて、やがて将校と養父との間でけんかが始まり、おかしいなと思っていると養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられた後どこかに連れ去られてしまったのです」となっていますね。

西岡 なっています。

穂積 これらからすると義父が金学順さんを日本軍に売り飛ばしたんじやなくて、日本軍が義父から金学順さんを武力で奪い取ったんではないですか。

西岡 そのように金さんは証言しています。

穂積 そうすると、金さんにとっては日本軍に武力で奪い取られたということこそが慰安婦にされた本質だというふうに金学順さんは思っているんじゃないんですか。

西岡 そのように主張していました。だけど、さまざまな状況から私はその部分については裏づけをとらないと信憑性が大変小さいと思っています。

穂積 こういう証言があること自体はいいですよね。

西岡 もちろんそうです。

穂積 その上でちょっとお伺いするんですけれども、私が、これはあくまでも私の見解です。これらの記事なりを見る限りでは、むしろ日本軍が金学順さんを武力で奪ったことこそが金学順さんが慰安婦にされた本質だというふうに私は思うわけです。それって全くあり得ない解釈ですか、それとも金学順さんは日本軍に武力で奪い取られたんだという、そのことこそが問題の本質だというふうに理解する考え方、そういう考え方もあり得る解釈ですというふうにあなたは言えますか、どっちですか。

西岡 というか、私の解釈はそうだということですけど、先生の解釈を私が何か批評する立場じゃありませんけれども。

穂積 あなたの認識をお伺いしたい、私のような解釈はあり得ない解釈だと……

西岡 いや、だからあるじゃないですか。あり得ないなんて思っていない。そういう解釈が当時は一般的だったです。

穂積 その解釈は当時は一般的だった。

西岡 一般と言ったら言い方、多数派だったかもしれない、そういう解釈たくさんありました。

穂積 だとすると、キーセンへの身売りについては問題の本質ではないからというふうに原告が判断をして、そのことを記事に書かなかったとしてもそれもあり得る解釈だということでいいですね。

西岡 だから、それについて私の解釈では本質を書かなかったから、批判するというのが私の解釈です。

穂積 今あなたおっしゃっているように、私が言ったような解釈が一般的な解釈だったんでしょう。その一般的な解釈に基づいて原告がキーセンへの身売りを記事に書かなかったとしても、それは一般的な解釈だということでよろしいですね。

西岡 だから、それは朝日新聞が作っていた間違った多数派の解釈だからです。それを朝日新聞の人が書くということ自体が私は捏造だと言っているんで、堂々めぐりになりますが、本人は女子挺身隊という制度で連行されたと言っていないことを書かなかったということをセットで考えるとそれはそういう解釈があったということを認めますが、私の立場ではそれは本質にかかわることを書かなかったと今でも思っています。私は考え変えません。

=第13回口頭弁論「本人調書」39~42ページ

 

植村バッシングの端緒となった「週刊文春」でのコメントで西岡氏は、「金さんは、親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙にもそう答えている」と語っている。しかし、訴状にも韓国紙にもそのような記述はない。穂積弁護士は質問を続けた。

 

穂積 (甲第7号証を示す)冒頭確認した週刊文春の記事で、先ほど確認したとおりここに出されたコメント自体は、あなたとしては別に間違いではないということでいいですよね。

西岡 ここの……

穂積 コメントは。

西岡 はい、ここのコメントに限定すれば。

穂積 そこに3段目の後ろから2行目からです。「このとき名乗り出た女性は、親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている」とあなたコメントしていますね。

西岡 はい。

穂積 まず、この韓国紙の取材と言っている韓国紙ってどこのことですか。

西岡 ハンギョレ新聞だと。

穂積 (甲第16号証を示す)じゃまず、最初の訴状のほうを確認しますけれども、これが訴状の105ページから106ページあたりの記載なんだけど、ここには金学順さんが親に身売りされて慰安婦になったとの記述はありませんよね。

西岡 それは、だから私の言葉で要約して言っているんで、この記述を見て私はそういう判断したということ。

穂積 ただ、金学順さんが親に身売りされて慰安婦になったという記述は、この訴状にはないということでいいですね。

西岡 いや、そういうふうに思いません。

穂積 この訴状にはないんでしょう。どこにあるの。あるんだったら示してください。

西岡 そのかぎ括弧の中でそういう記述はないです。

穂積 ないですね。

西岡 その記述はないです。かぎ括弧として。

穂積 (甲第67号証の2を示す)先ほどの8月15日のハンギョレ新聞です。2枚目のほうを見てもらったほうがいいと思うんだけれども、一番後ろ、この新聞記事に親に身売りされて慰安婦になったと金学順さんが答えている箇所はありませんね。

西岡 親に身売りされたという場所……

穂積 親に身売りされて慰安婦になったと金学順さんが答えている場所はありませんね。

西岡 その引用形ではないです。

穂積 ここではむしろ金学順さん本人の発言として、「私を連れていった義父も当時日本軍人にカネももらえず、武力で私をそのまま奪われたようでした」とあって、すぐに続けて本人の発言ですが、「その後5か月間の生活はほとんど毎日4、5名の日本軍人を相手にすることが全部でした」と答えていますね。

西岡 そうです。

穂積 つまり日本軍が武力で金学順さんを義父から奪い取ってすぐに慰安婦生活が始まったというふうに金学順さんは言っているわけですから、慰安婦生活の直接の原因になったのは、日本軍の武力のほうだったというふうに金学順さんは答えていたのではありませんか。

西岡 金学順さんはそう答え……

穂積 そうですよね。

西岡 はい。

穂積 そうすると、金学順さんは親に身売りされて慰安婦になったなんていうふうに韓国紙の取材に答えたという事実はありませんね。

西岡 それを丸めて言って、私はそういうふうに学者として判断したので、当時の生きていた人の常識から言ったら親に身売りをされて……

穂積 それは、あなたの解釈なんでしょう。

西岡 そうです。それで……

穂積 だから、あなたのコメントは金学順さんは韓国紙の取材にそう答えていると言っているから、聞いているんです。金学順さんは、そう答えていないですね。

西岡 週刊誌の談話では短いので、私の解釈を答えたんです。だから、実証論文と一緒です。

穂積 じゃ、あれは聞違いということですね。

西岡 間違いではありません。

穂積 間違っていないの。

西岡 縮めて書いている、私はかぎ括弧の中で金さんがこう言ったとは言っていませんから。談話というのはそういうもの。

=第13回口頭弁論「本人調書」42~44ページ

  西岡氏は2007年に出版した「よくわかる慰安婦問題」でも、ハンギョレ新聞からの金さんの談話の引用として「私は、40円で売られて、キーセンの修行を何年かして、その後日本の軍隊のあるところに行きました」と書いている。しかし、ハンギョレ新聞にはそのような記述はない。2008年にも「正論」で同じことを書いている。穂積弁護士は、勝手に作って付け足した言葉ではないのか、と追及した。

穂積 (甲第126号証を示す)これ一番後ろの奥付を見てもらったほうがいいと思うんだけど、あなたが一番最初にお書きになった「よくわかる慰安婦問題」の旧版の初刷り、2007年6月28日、第1刷発行って書いてある。

西岡 文庫本じゃないやつ。

穂積 文庫本じゃないやつです。旧版です。そこの42ページを示します。42ぺージの冒頭から2行目から今のハンギョレ新聞、1991年8月15日の記事の引用がありますね。

西岡 はい。

穂積 この引用部分の3行目まで「華北の日本軍300名余りがいる部隊だった」、ここまでは原文のハンギョレ新聞にあるんですけども、その次の1行、「私は、40円で売られて、キーセンの修行を何年かして、その後日本の軍隊のあるところに行きました」という記述がありますよね。

西岡 はい。

穂積 この引用部分は、今言ったようにハンギョレ新聞記事には全くないんです。いかにも、金学順さん本人の発言であるようなこの最後の文章をあなたどこから持ってきたんですか。

西岡 覚えていないです。間違い……

穂積 覚えていない。

西岡 間違いです。

穂積 これ間違いですよね。

西岡 そう、間違いです。

穂積 あなたこれどこから持ってきたんですか、覚えていない。

西岡 うん。

穂積 これ記事の引用なんだから、もとの文章がどこかにないとおかしいですよね。

西岡 そうです。

穂積 今見てこれどこから持ってきたのかなって全然覚えていないですか。

西岡 うん。

穂積 それともこれは月刊宝石の記事か何かをもとにして、あなたが勝手に作って書き足した言葉ですか、そうではないですか。

西岡 いや、覚えていないですけど、これ間違いです。

穂積 この最後の1文、これがもとのハンギョレ新聞の記事には一切ないという事実にあなたいつ気がつきましたか。

西岡 何か新しい版を出すときに、だから気づいて訂正した記憶ありますけど。

穂積 訂正したんですね。

西岡 という記憶が、ちょっとよく覚えていない。これはまずいです。

穂積 まずいですよね。

西岡 まずいです。だから、そのハンギョレ新聞というところがまずいんで、かぎ括弧をここで閉じるべきです。

穂積 (甲第138号証を示す)これは、正論の3枚目見ると左面に出ているんだけど、平成20年、2008年11月号にあなたが書いた従軍慰安婦を捏造した……

西岡 ちょっと日付もう一回言ってください。

穂積 平成20年、2008年11月号、これのあなたが書いた従軍慰安婦を捏造した朝日記者の素顔という、そういう記事です。266ページの下段を示します。2行目からハンギョレ新聞の引用があって、ここにも「日本軍300名余りがいる部隊だった」の後に「私は、40円で売られて、キーセンの修行(ママ)を何年かして、その後日本の軍隊のあるところに行きました」というのがハンギョレ新聞の記事の引用として書かれていますよね。

西岡 これ間違いです。

穂積 あなたこの記事を書くに当たって、ハンギョレ新聞の原典を確認しなかったんですか。             

西岡 ここでは確認していないとしか思えないです。

穂積 だけど、じゃさっきの「よくわかる慰安婦問題」と全く同じ文章が、原文にない文章がどうして入っているんですか。

西岡 だから、自分で本を点検して書いちゃったんじゃないですか。

穂積 じゃ、原典も確認しないで自分の本をもとに書いちゃったって、そういうことですか。

西岡 そうだと思います。ただ、かぎ括弧を外に出せばよかったと思います。

=第13回口頭弁論「本人調書」44~46ページ

 

5 週刊文春の害意

 

第6回口頭弁論(2018年8月3日)で、永田亮弁護士は「原告の植村さんに向けられた苛烈なバッシングの内容を明らかにし、それが週刊文春の記事に起因していること、及び被告文藝春秋にバッシングを発生させようとの積極的な『害意』があったことを主張・立証する」と述べ、書面(第4準備書面)の要旨を朗読した。

 

植村バッシングの原因 

1. 植村氏は2014年4月から神戸松蔭女子学院大学で教鞭をとることになっていた。ところが同年1月30日、週刊文春に「慰安婦捏造朝日新聞記者がお嬢さま女子大教授に」という記事が掲載されると、記事は瞬く間にインターネット上に拡散し、同大学への激しいバッシングが始まった。

2.  1月30日のうちに、ブログに同大学の電話、ファクス番号などが載り、「本日、神戸松蔭女子学院大学の方に電凸(電話での抗議)してみました」というコメントが付された。「週刊文春、読みました。みなさんの声が大きければ、採用取り消し、ということになるかも……楽観的すぎるかな?」などの投稿がなされた。メール、ファクスは、1月30日から2月5日までに計247件に及んだ。「貴学は朝日新聞記者・植村隆氏を教授として迎へられるといふ週刊誌報道がありましたが、それは事実でせうか。植村氏は……所謂『従軍慰安婦』問題の禍根を捏造した人物の一人です。いはば彼は証明書付き、正真正銘の『国賊』『売国奴』です」といった内容だ。これらのメールやファクスは、週刊文春の記事を引用していることなどの点で共通する。

3.  同大学は、「週刊文春の記事が出てからは抗議の電話、メールなどが毎日数十本来ている。学校前で右翼の行動も危惧される。マイナスイメージが出たら存亡の危機にかかわる」などとして、植村氏に雇用契約の解除を申し出た。植村氏は、同大学も被害者と考え契約解除に応じざるを得なかった。

4.  2014年8月1日、週刊文春は今度は、植村氏が以前から非常勤講師を続けていた北星学園大学に対し、取材と称して「大学教員としての適性には問題ないとお考えでしょうか」とする文書を送り付け、植村氏との雇用契約の解除を迫った。同月6日には週刊文春に「慰安婦火付け役朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ」と題する記事を掲載し、「韓国人留学生に対し、自らの捏造記事を用いて再び誤った日本の姿を刷り込んでいたとしたら、とんでもない売国行為だ」などと書いた。

5. 8月6日当日のうちに、「『韓国人留学生に対し、自らの捏造記事を用いて再び誤った日本の姿を刷り込んでいたとしたら、とんでもない売国行為だ』と文春。つまり貴校にはねつ造を教え込まれ『日本人には何をしても無罪』と思い込んだ韓国人学生がいる可能性があると言う事?」などといった攻撃メールが、同大学に相次いだ。みるみるエスカレートし、「くぎ入りガスボンベ爆弾を仕掛ける」などの脅迫状も届いた。この記事が載る前の7月に北星学園大学に送られた抗議のメールは19件、電話は7件だったが、記事掲載のあった8月には、メールが530件、電話が160件に激増した。

6. さらに植村氏の高校生の娘さんの写真をブログに掲載し、「晒し支持!断固支持!」「こいつの父親のせいでどれだけの日本人が苦労したことか。親父が超絶反日活動で何も稼いだで贅沢三昧で育ったのだろう。自殺するまで追い込むしかない」などと記すものもあった。

7. バッシングが少しずつ社会問題化すると、2014年10月23日付け週刊文春は、「朝日新聞よ、被害者ぶるのはお止めなさい~OB記者脅迫を錦の御旗にする姑息」と題する記事を載せ、その記事の中で櫻井よしこ氏は「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」と述べ、西岡力氏は「脅迫事件とは別に、記者としての捏造の有無を大学は本来きちんと調査する必要がある」と発言。文藝春秋は、植村氏とその家族の受けた被害を知ってもなお、その被害を嘲笑って、さらなるバッシングを扇動した。

8. 2015年2月には、北星学園大学に「6会場で実施される一般入学試験会場とその周辺において、その場にいる教職員及び受験生、関係者を無差別に殺傷する」「『国賊』植村隆の娘である〇〇(実名)を必ず殺す。期限は設けない。何年かかっても殺す。何処へ逃げても殺す。地の果てまで追い詰めて殺す。絶対にコロス」という殺害予告状まで届いた。

9. 北星学園大学は度重なる脅迫などへの対応の為、警備費用として2年間で5千万円近くの負担を余儀なくされた。同大学は植村氏との契約更新を躊躇せざるを得ず、植村氏は大学への影響も踏まえて苦渋の決断をし、韓国のカトリック大学の客員教授に就任することになった。

10. 以上の経緯に照らせば、週刊文春の記事により、植村氏へのバッシングが引き起こされ、植村氏の名誉と生活の平穏が害されたことは明らかだ。植村氏がこの裁判を起こさざるを得なかったのは、被告文藝春秋によって引き起こされた激しいバッシング、中傷、脅迫が、植村氏とその職場、そして愛する娘さんにまで及んだからである。

 

これに対して文春側は、「記事には植村氏への誹謗中傷、脅迫などを扇動したり教唆する記述や表現を含んでいない」として、「害意」を否定し、文春記事と植村バッシングとの因果関係も否定した。文春側の主張は、判決書では次のようにまとめられている。

 

文春側の主張 

 原告は 被告会社が文春記事A及びBを掲載した行為につき 原告から職を奪い 社会から抹殺しようとする強い「害意」に基づき、原告の「平穏な生活を営む法的利益」を侵害する不法行為が成立する旨主張する。しかし、被告会社は、原告各記事が、新聞記事として求められる中立性、公正性、正確性等の倫理を著しく欠いているのではないかという点を問題視し、その問題を指摘することは、市民が新聞記事及び新聞記者に関する意見を形成するにあたり有益であると判断し文春記事A及びBの執筆 掲載に至った。被告会社が文春記事A及びBによって提起した問題は 公共の利害に関する事実に係るものであり  事の掲載は、公益を図る目的に基づくことは明らかである。また、被告会社は、原告とは何らの個人的関係はなく、原告に対する「害意」を有していないことは自明である。

 そして、文春記事A及びBの掲載の前提となる取材行為は、報道機関として必要かつ相当な範囲にとどまっており、記事の内容そのものも、読者に対し、原告への誹謗中傷、脅迫等を扇動ないし教唆したりする記述や表現を含んでいない。

そもそも、被告会社による文春記事A及びBの掲載と 第三者による原告に対する誹謗中傷、脅迫等の行為との間に因果関係はない。

したがって いずれにせよ 被告会社が 文春記事A及びBの執筆 掲載により 原告の「平穏な生活を営む法的利益」の侵害に対する不法行為責任を負うことはない。

=東京地裁判決書11~12ページ

 

6 植村氏の長女を中傷した男に賠償命令判決

 

第6回口頭弁論が開かれた2016年8月3日、東京地裁の別の法廷では、植村氏の長女をネット上で中傷していた関東在住の40代の男性に対して170万円の損害賠償を支払うよう命じた判決が言い渡された。

この訴訟は植村裁判とは別の弁護団(坂口徳雄氏ら6弁護士)が担当し、長女のプライバシーや安全を配慮し、判決が出るまでは公表されなかった。長女側は、米ツイッター社や男性が使ったプロバイダーに対し、発信元の情報を開示するよう求める訴訟などで男性を特定し、2016年2月に提訴していた。

判決によると、男性は2014年9月、ツイッターで、当時高校2年生だった長女の氏名や写真とともに中傷する内容の投稿をした。男性は事実関係を争わずに認めた。朝倉佳秀裁判長(地裁民事第24部)は「植村氏が朝日新聞記者時代の慰安婦報道をめぐってバッシングを受けている中で、長女の氏名などを投稿した」と認定。ツイッタの拡散性の高さなども考慮し、「高校生だった長女の恐怖と不安は耐えがたいものだった」として、慰謝料は長女側の請求分を上回る200万円に相当する、と述べた。

判決について長女は「ネット空間で利己的な欲求のために誰かを攻撃し、プライバシーをさらすようなことをやめさせる契機になってほしい」とのコメントを出した。長女側の弁護団は「無関係な家族へのネット上の攻撃が許されないことや、匿名の投稿でも特定できるケースがあることが、改めて示された」と判決を評価した。

男性からの控訴はなく、一審判決が確定した。

判決書全文 PDF

 

7 異例の訴訟指揮に裁判官忌避申し立て

 

口頭弁論は2018年11月28日の第14回でいったん結審し、判決言い渡しが2019年3月20日に指定されていた。ところが、東京地裁は判決直前の2月に弁論を再開し、西岡・文春側に「朝日新聞社第三者委員会報告書」の全文提出を求めた。

植村氏側は、「第三者委員会報告書はすでに要約版が被告側から、植村氏の関係箇所の抜粋が原告側からそれぞれ提出されており、判決期日が迫る中、150ページにわたる報告書を十分吟味する時間がない」として弁論再開に反対した。しかし裁判所の指示で弁論期日は2月22日に指定され、報告書全文が証拠として採用された。これに対し植村氏側は2月22日に再開された口頭弁論で、原克也裁判長ら3人の裁判官の忌避を申し立てた。理由として以下のように述べた。

 

本件審理においては、専ら「金学順が『挺身隊の名で連行された』と証言したか否か」のみが争点とされ、吉田証言の真偽については全く争点になっておらず、これに関する証拠も提出されていなかった。(中略)

 それにもかかわらず、これに関する150頁に亘る証拠が、判決のわずか1ヶ月前に採用され判決の基礎となることは、当事者の攻撃防御権を著しく侵害するものであることが明らかであるとともに、そのような手続き進行を裁判所が主導した点において弁論主義・当事者主義という訴訟法の根本理念に反する。(中略)

以上のとおり、合議体の先入見に基づく訴訟運営からすれば、原克也裁判官及び他の2名(砂古剛、小久保珠美)の裁判官には、いずれも公正な判断の能力ないし資格に欠けるものがあると合理的に判断せざるをえないから、民訴法24条「裁判の公正を妨げるべき事情」が存在すると考え、忌避を申し立てた次第である。

 

東京地裁は忌避申し立て5日後の2月27日付で申し立てを却下した。原告側は3月11日付で抗告を申し立てたのに対し、東京高裁は26日付で棄却した。最高裁への特別抗告も却下された。東京地裁は5月10日に口頭弁論を開き、再び結審した。

東京地裁でこの訴訟を担当した原克也裁判長と、砂古剛、小久保珠美各裁判官はいずれも4月に人事異動で地裁外に転出していた。しかし新年度に入った後の5月10日には、東京地裁外に異動したはずの3人とも交代することなく結審に立ち会うという、異例の対応がとられた。結審前に裁判官が交代した場合は、弁論が更新され、判決も新しい裁判官の名で書かれることが予想されたが、転出にもかかわらず異動前の3裁判官の名で判決が書かれた。6月26日の判決言い渡しの際は、裁判官は3人とも交代し、新たな裁判長のもとで判決文が代読された。 

 

8 東京地裁判決

注:この項は北野隆一「朝日新聞の慰安婦報道と裁判」(朝日選書)486~494ページに拠っている

 

判決は2019年6月26日、東京地裁103号法廷で言い渡された。植村氏の請求はいずれも棄却された。植村氏は控訴した。原克也裁判長(大濱寿美裁判長代読)は、植村氏の記事について、「金さんが日本軍により、女子挺身隊の名で戦場に連行され、従軍慰安婦にさせられた」という内容を伝えていると認定。植村氏の取材の経緯などを踏まえ、「意図的に事実と異なる記事を書いた」として、西岡氏の記述には真実性がある、などと判断した。また、慰安婦問題は「日韓関係にとどまらず、国際的な問題となっていた」として表現の公益性も認め、賠償責任を否定した。

 

 キーセン身売り説に相当性認める 

判決は、「原告が、金学順のキーセンに身売りされたとの経歴を認識しながらあえて記事に記載しなかったという意味において、意図的に事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実1)」とする西岡氏の主張について検討。1991年8月15日ハンギョレ新聞記事、金学順氏の訴状、臼杵敬子氏の月刊「宝石」1992年2月号記事を根拠に、 

 

被告西岡が、金学順について、キーセンに身売りされたものと信じたことについて相当の理由があると認められる。 

 =地裁判決書40ページ

 

 と認定した。そのうえで、

 

被告西岡が、原告も、原告各記事の執筆当時、金学順の上記経歴を認識していたと考えたこと、そのため、原告が、上記経歴を認識していたにもかかわらず、原告各記事に上記経歴を記載しなかったものと考えて、原告が、原告各記事の読者に対し、金学順が日本軍に強制連行されたとの印象を与えるために、あえて上記経歴を記載しなかったものと考えたことのいずれについても、推論として一定の合理性があると認められる。 =地裁判決書40ページ

 

 と、「真実相当性」を認定。さらに、朝日新聞社と植村氏が長年反論しなかったことを根拠に、西岡氏が持論を真実と信じるのは「もっともなこと」と認めた。

 

  被告西岡は、1998年頃から繰り返し、公刊物において、裁判所認定摘示事実1を摘示した上で、朝日新聞社の記者である原告を名指しで批判していたにもかかわらず、朝日新聞社及び原告は、2014年8月に本件検証記事を掲載するまでの問、一切反論又は原告各記事についての説明をしてこなかった。そのため、被告西岡が、被告西岡による各表現をするに当たり、自身の主張が真実であると信じるのはもっともなことといえる。

 

=地裁判決書40ページ

 

 縁故利用説にも合理性認める 

判決はさらに、西岡氏の主張のうち「原告が、義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実2)」について検討した。前提として、西岡氏が植村氏を批判する際に「植村氏が義母の縁故を利用して記事を書いた」と指摘している点をめぐり、以下のように述べ、植村氏の記事執筆については「何ら非難されることではない」との判断を示した。 

 

西岡論文Aは、原告が義母の縁故を利用して原告記事Aを書いたとの事実を摘示するものと解されるが、新聞記者が様々な縁故を利用して記事を書いたとしても、そのこと自体何ら非難されることではないから、上記事実が原告の社会的評価を低下させるものとは認められない。=地裁判決書33ページ

 

そのうえで判決は、以下のように認定し、被告側の「真実相当性」を認めた。 

 

原告の義母が幹部を務める遺族会の会員らが平成3年訴訟を提起したこと、平成3年訴訟の原告らは日本軍が従軍慰安婦を強制連行したと主張していたこと、原告記事Aは平成3年訴訟提起の約4か月前に掲載され、原告記事Bは平成3年訴訟提起の約20日後に掲載されており、いずれも平成3年訴訟の提起と比較的近い時期に掲載されたとの各事情に加えて、裁判所認定摘示事実Iについて真実相当性が認められることによれば、被告西岡が、原告が義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いたと考えたことについて、推論として一定の合理性があるものと認められる。=地裁判決書41ページ

 

「原告記事A」、つまり1991年8月11日の植村氏の記事は、情報源が韓国挺身隊問題対策協議会によるものであり、植村氏の義母が幹部を務める「遺族会」、つまり太平洋戦争犠牲者遺族会とは関係のない別の団体である、ということは今回の訴訟でも原告側によって指摘されている。西岡氏も「原告のリーダーが義理の母であったために、金学順さんの単独インタビューがとれたというカラクリです」などとしていた記述が誤りだったと認めて訂正したことを明らかにしていた。

しかし、こうした経緯にもかかわらず、判決は情報源が別の団体であることを問わずに、西岡氏の記述について「推論として一定の合理性がある」との上記判断を示した。

さらに判決は、「裁判所認定摘示事実1」と同様、朝日新聞社と原告が1998年以降、2014年まで一切反論や説明をしなかったことを理由に「被告西岡が、被告西岡による各表現をするに当たり、自身の主張が真実であると信じるのはもっともなことといえる」との判断を繰り返した。

 

 「意図的に事実と異なる記事を書いた」に真実性 

判決はまた「原告が、意図的に、金学順が女子挺身隊として日本軍によって戦場に強制連行されたとの、事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実3)」との西岡氏の主張について検討。この点については、西岡氏の記述について「真実相当性」ではなく「真実性」を認める判断を示した。 

 

 原告は、原告記事A執筆前の取材において、金学順につき、同人はだまされて従軍慰安婦になったものと聞いており、金学順が日本軍に強制連行されたとの認識を有してはいなかったのであるから、記事Aが報道する内容は、事実と異なるものであることが認められる。この点については、朝日新聞社も、この女性(金学順)が「挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません。」として、原告記事Aに対するおわびと訂正の記事を掲載している。

そして、原告は、日本政府による従軍慰安婦の強制連行の有無に関する国会質疑をきっかけに従軍慰安婦問題について関心を持ち、原告記事Aを執筆したこと、原告は、原告記事Aを執筆した当時、朝日新聞社の吉田供述を紹介する記事の存在を知っていたと優に推察されることからすれば、原告は、 原告記事Aを執筆した当時、日本軍が従軍慰安婦を戦場に強制連行したと報道するのとしないのとでは、報道の意味内容やその位置づけが変わり得ることを十分に認識していたものといえる。これに加えて、原告は、一般に記事中の言葉の選択には細心の注意を払うであろう新聞記者として、原告記事Aを執筆しているところ、問題となっている原告記事A中の文言は、一読して原告記事Aの全体像を読者に強く印象付けることとなる前文中の「日中戦争や第2次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり」との文言であることを考慮すると、原告記事A中の上記文言は、原告が意識的に言葉を選択して記載したものであり、原告は、原告記事Aにおいて、意識的に、金学順を日本軍(又は日本の政府関係機関)により戦場に強制連行された従軍慰安婦として紹介したものと認めるのが相当である。すなわち、原告は、意図的に、事実と異なる原告記事Aを書いたことが認められ、裁判所認定摘示事実3は、その重要な部分について真実性の証明があるといえる。 =地裁判決書43~44ページ

 

 植村記事の意図を否定 

判決はさらに、植村氏側の反論について検討。「韓国では、一般的に、女子挺身隊と従軍慰安婦が同じ意味で理解されており、日本国内においても、原告記事Aが掲載された当時は、上記の混同をした報道がされることが多かった」とする植村氏側の主張を、「原告記事Aが、金学順が日本軍により強制連行されたと報道するものではなく、少なくとも、原告にそのような報道の意図はなかった」と要約した。そのうえで、記事の書き換え文案を示しながら、原告側の主張を退けた。 

 

しかしながら、仮に、原告が、女子挺身隊につき、従軍慰安婦を指す用語と誤解していたとしても、金学順を単に従軍慰安婦として紹介するのであれば、例えば、「女子挺身隊であった」とか、「従軍慰安婦(女子挺身隊)であった」とか、「女子挺身隊の名で従軍慰安婦をしていた」などと記載すればよいのであって、「女子挺身隊の名で戦場に連行された」と記載すべき理由はないと考えられる。仮に、原告が女子挺身隊と従軍慰安婦を混同していたとの前提に立ったとしても、「女子挺身隊の名で戦場に連行された」と記載すれば、当該記載が専ら日本軍(又は日本の政府関係機関)による強制連行を想起させるのは上記aで説示したとおりであり、原告の上記主張は、真実性の証明についての上記認定判断を覆すものとはいえない。=地裁判決書44ページ

 

 慰安婦について札幌地裁判決と同じ定義 

なお、判決は「認定事実」の冒頭で「女子挺身隊」や「慰安婦」について、西岡・文春側が証拠として提出した札幌地裁判決(乙23号証)を援用して、以下のように定義した。札幌地裁判決では被告側が提出した秦郁彦、西岡力両氏の著書を引用する形で「女子挺身隊」「慰安婦」を定義していたので、結局、西岡氏の定義が、回り回って東京地裁で西岡氏を勝たせる判決にも使われたことになる。

 

  昭和19年の女子挺身勤労令により、法的強制力のある女子挺身隊制度が設けられたが、同令において「女子挺身隊」とは「勤労常時要員としての女子(学徒勤労令の適用を受くべき者を除く)の隊組織(以下女子挺身隊と称す)」と定義され(同令1条)、国家総動員法5条の規定による命令により女子が女子挺身隊として行う勤労協力は、国等が指定する者の行う命令によって定められる総動員業務についてこれを行わせると規定されている(同令2条)。このように、女子挺身隊とは、これらの勤労動員制度に基づき、国家総動員法5条が規定する「総動員業務」(総動員物資の生産、修理、配給、輸出、輸入又は保管に関する業務等をいう。同法2条、3条参照)について工場などで労働に従事する女性のことを指すものである。=地裁判決書15ページ

 

 

 これに対し、慰安婦ないし従軍慰安婦とは、太平洋戦争終結前の公娼制度の下で戦地において売春に従事していた女性などの呼称の一つであり、上記でいうところの「女子挺身隊」とは明らかに異なるものであって、この点は、朝日新聞社の訂正記事においても、明確に指摘されている。=地裁判決書16ページ

 

9 東京地裁判決に批判

 

植村氏は判決後に会見し、「裁判所は私の意図を曲解し、西岡氏らの責任を不問にした。ひるむことなく言論人として闘いを続けていきたい」と述べ、控訴の意向を明らかにした。

判決後の報告集会で神原元、穂積剛両弁護士と札幌弁護団の小野寺信勝氏が判決の問題点を解説し、批判した。リレートークでは南彰(新聞労連委員長)、北岡和義(ジャーナリスト)、崔善愛(ピアニスト)、安田浩一(ジャーナリスト)、西嶋真司(映像ジャーナリスト)、豊秀一(朝日新聞編集委員)、姜明錫(留学生)の各氏が発言した


神原元弁護士 「従来の判例を逸脱する暴挙だ」 

判決は西岡と文藝春秋の名誉棄損は認めたが、相当性と真実性によって免責した。これは名誉棄損の判断基準を逸脱し、さらに歴史の真実を歪めてしまった言語道断の不当判決だ。判決によると、西岡の名誉毀損表現は次の3つの事実を摘示したとされる。

原告が、金学順のキーセンに身売りされたとの経歴を認識しながらあえて記事にしなかったという意味において、意図的に事実と異なる記事を書いた

原告が、義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いた

原告が、意図的に、金学順が女子挺身隊として日本軍によって戦場に強制連行されたとの、事実と異なる事を書いた

判決は、このうち①②は相当性を認め、は真実性まで認めた。の相当性の理由は、西岡の推論に一定の合理性があるというのだが、それ以上の根拠は示していない。とくにについてはひどい。私たちは、植村さんは義母の裁判を有利にするために記事を書いたのではない、と反証をたくさん提出したが、判決はそれらを一切無視した。
 相手を捏造などと激しく非難した場合に相当性を認めるには、それを裏付ける取材とそこで得られた確実な資料が必要だというのがこれまでの裁判例だ。この判決が、西岡の勝手な決めつけを認めたことは、これまでの判例を逸脱した暴挙に近いものだろう。

相当性というのは、(真実かどうかはわからないが)真実と信ずるに足る理由があるということ。札幌判決はすべての点で相当性を認めて櫻井を免責した。ところがこの判決はで相当性ではなく、真実性を認めている。これは札幌判決よりもっと悪い。真実性は、それが真実だということ。重要な免責条件だ。判決は、「挺身隊の名で連行」は「強制連行を意味する」と決めつけ、植村さんは「だまされて」と認識があったのに「強制連行」との印象を与える記事を書いたのだから、には真実性がある、というのだ。しかし、金学順さんはだまされて中国に行き、そこで慰安婦にさせられた、と繰り返し証言している。だから、植村さんが書いた「だまされて」と、「強制連行」は矛盾せず、両立する。

「植村さんが読者をあざむくために強制連行でないのに強制連行だと書いた」といわんばかりの認定は、真実を捻じ曲げるものだ。同時に、慰安婦制度の被害者の尊厳をも傷つけるのものだ。安倍政権の慰安婦問題への姿勢を忖度したような不当判決であり、控訴し、全力でたたかう。

 穂積剛弁護士 「推論に合理性認める根拠示さず」 

名誉毀損の訴訟構造というのは、最高裁のこれまでの判決の積み重ねでほぼ確立している。いままでの判例をきちんと解釈して適用すれば間違いようがないのだ。だから、本件も勝てると思っていたし、みなさんも、法律論の難しいところはわからなくても、おかしいと確信を持っていると思う。法律論としてもできあがっている訴訟の結論を正反対にしてしまうのだから、この判決はおかしいに決まっている。

判決は西岡の表現について、「被告西岡が、原告が義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いたことについて、推論として一定の合理性があるものと認められる」と言っている。しかし、「一定の合理性」を認める根拠は示していない。ひとつのものごとの解釈について、いろいろな推論があることはわかるが、A、B、C、Dという推論があって、B、C、Dは検討せずにAだけは認める、というのであれば、どんな表現をしても相当性があり、セーフになるではないか。

これほどにメチャクチャな判決が通れば、この世の中に名誉毀損は成立しなくなる。この異常性をぜひ認識してもらいたい。こんな判決を維持していくのは日本の司法の名折れだ。絶対に許さないという決意を持って控訴し、やっていく。

 小野寺信勝弁護士 「札幌判決の劣化コピーだ」

ある程度覚悟はしていたが、結論もさることながら、想像以上に内容がひどい。札幌判決の劣化コピーだ。札幌判決の悪いところばかりを抽出したような内容だ。

じつは裁判所は基本的なこと、イロハのイがわかっていないのではないか、という危機感を私たちは持っている。法曹ならだれでも知っている名誉毀損裁判の判例の枠組みを、もしかしたら裁判官はわかっていないのではないか。私たちが最初から主張しなければ裁判所は分からないのではないか、という危機感だ。

 

 リレートーク                      

新崎盛吾氏(共同通信記者)の司会で行われたリレートークでは、南彰(新聞労連委員長)、北岡和義(ジャーナリスト)、崔善愛(ピアニスト)、安田浩一(ジャーナリスト)、西嶋真司(映像ジャーナリスト)、豊秀一(朝日新聞編集委員)、姜明錫(留学生)の各氏が、判決を批判した。

集会の最後に、植村氏は、「私が闘っている相手は一個人ではなく巨大な敵だ。ちょっとやそっとでは勝てない敵だが、これまでの成果はある。もう捏造とは言わなくなった、バッシングがとまった。塗炭の苦しみの中で、たくさんの人との出会いがあり、その恵みの中で希望も感じてきた。私の夢は崩されていない。高裁では逆転をしたい。これからも闘いを続け、歩み続けたい」と語った。