判決を批判する 終結に当たって
2021年4月10日、札幌訴訟終結報告会で
◆伊藤誠一弁護士
◆植村隆メッセージ
◆植村裁判を支える市民の会最終メッセージ
伊藤誠一弁護士 札幌弁護団共同代表 |
この5年間、止むことなく続けられてきましたみなさんによる裁判の見守り、お力添えに深く感謝申し上げます。ありがとうございました。
この裁判は、北海道内のおよそ100人の弁護士、東京を中心に20人以上の弁護士に加わっていただき、全力投球いたしましたが、また、皆さんの格別のご支援をいただきましたのに、勝利のご報告ができませんことにつきまして、非力を感じております。裁判を担った弁護団の責任者の一人として、植村さん、また皆様に対してお詫びを申し上げたいと思います。
マスコミ報道によって名誉が傷つけられたという言論人が、名誉を回復して挽回するという営みは、言論によってなされるということが期待されております。この裁判の当初、代理人となってほしいとお声がけをした弁護士の何人かは、これは言論の領域の問題ではないか、ということで参加いただけませんでした。これはこれで道理のある態度であったということができます。
ところで、植村さんが朝日新聞の記者であった当時、今から四半世紀以上前に書いた慰安婦記事が、2014年になってから、櫻井よしこ氏によって、その内容が捏造であると断定的に主張され、その内容がネットの上で拡散され、増幅されて、これを受けた者による植村さんとそのご家族に対する脅迫や威力による耐え難い妨害行為を生み出しました。櫻井氏が自らの言説が原因となっていることを知りながら見逃していたというにとどまらず、むしろこれを煽るかのように同種の言説を重ねていた。そういう事態の下では、もはや、言論の世界の問題であると観念的に割り切ることはできないということで、私どもはこの訴えに臨んだわけであります。
植村さんの当時の勤務先の北星学園への加害行為につきましては、これに対する大学の内の抵抗と、マケルナ北星!という外からの取り組みとが相まって、抑えられつつありましたけれど、ネット上の書き込みや郵便、電話などによる攻撃の影響は、まだ、植村さんとご家族の人としての尊厳を傷つけるような状態で続いておりました。多少デフォルメして申し上げますと、この訴訟はいわば緊急避難としての訴えの側面もあったのではないかと考えております。現に、訴え提起後、訴えが広く報道されますと、これら攻撃は目に見えて止んできた、と言うことができました。
この裁判で弁護団は「植村裁判を支える市民の会」のみなさんのご協力、サポートをいただきながら、全力で取り組んだという自負を持っております。あるいはご記憶かと思いますけれども、裁判は東京でやるべきである、という櫻井氏の抵抗を排して、1年間かかりましたけれど、札幌で審理を開始させることができました。法廷での植村さんのお話は、金学順さんの名誉を守るたたかいでもある、という姿勢を貫かれたもので、ご自分の体験とそれに基づいて考えるところをしっかりとお話しいただきました。また極めて困難な中で証人に立っていただいた元北海道新聞記者の喜多さんは、証言に当たって韓国に出向かれて、その当時ご自分がどんなことを考えていたのか、ということを振り返られたといいます。誠実な証人でございました。その証言は裁判所に説得力を持って伝わったのではないかと私は考えております。櫻井氏本人に対する尋問も大きな成果を上げたといえるでしょう。
裁判の外ではどうであったか。植村さんを先頭に「支える会」のみなさんのじつに旺盛な活動が展開され、多くの市民の皆さん、心ある、そして良識ある研究者、学者の方の共感が広がりました。このたび弁護団がまとめた「活動報告書」の56ページに、弁護団の事務局長の手で「植村訴訟を支えた人々と植村氏の活動」ということで整理させていただきましたけれど、これを見ますと、この5年間、ほんとうに大きな量と高い質の活動を続けられたということに驚くばかりです。
しかし、この裁判は、先ほど申し上げましたような、裁判を起こしたことによって植村さんとその家族に対する攻撃が止まった、植村さんの訴えが広まった、ということで良し、とされるべきものではありませんでした。勝たなければならない裁判でありました。
裁判で勝てなかったことによって、櫻井氏をして、大きな声ではなかったようでしたけれども、あの記事は捏造以外の何物でもない、ということを重ねて述べさせております。このようなことを許す結果になりました。
法廷の内と外の取り組みにも拘らず、なによりも、植村さんが、新聞記者として、ジャーナリストの精神に立つ取材をし、それに基づいて、また当時の報道状況をふまえて、良識的であると言える記事を新聞に書いた。その正当性を訴え、裁判ではその立証ができたと思われたのに、どうして勝てなかったのか。これは大きな問題です。この点は真摯に検証し、検討しなければならないと考えています。ただ、弁護団の中の討議のみで検証できる性質のことでもない、と思っております。この裁判を支えて下さった皆さん、また東京で頑張られた皆さんとの共同作業によることが必要なのではないか、そういう裁判ではなかったかと思っております。先ほどご紹介した弁護団の活動報告書も、こうした意味での裁判の検証結果に基づいてレポートしたものではありません。弁護団はこのような活動をした、という外形的な報告にとどまっています。その点はご了解いただきたいと思っています。
さて、裁判は、名誉毀損訴訟における「真実相当性」というテクニカルターム、特別の概念のところで主として争われ、そこで負けたわけですけれども、名誉毀損訴訟の場合、自分の言論によって相手の名誉が傷つくことがあったとして、述べていることは真実であると信じてそう表現した、それには相応の根拠がある、と表現者が裁判で述べて、その点が証拠上認められれば免責される、つまり名誉毀損に一応該当したとしても真実相当性の枠の中にあれば責任は負わない、賠償責任は問われないし刑事責任も問われない、という構造になっているわけです。
この真実相当性という概念は、最高裁判所の判断が重ねられてきて、判例法理と言われているものになっているわけですけれども、それによりますと、表現者が言論を生業としている場合、真実相当性があったと認められるために、表現者が乗り越えなければならないハードルはかなり高く設定されています。札幌の裁判所は、そして東京の裁判所もそうでありましたけれども、このハードルを著しく下げて、ジャーナリストであるという櫻井氏の真実相当性を認めてしまったわけであります。
従いまして、この事件を担当した裁判官が市民社会の視点でなにも問われないということであってはならないと思いますけれども、この問題では、裁判官が全員同じ方向を向いていたという事実について、正確に理解する必要があるのではないかと思います。この事件に関与した裁判官、(最高裁の裁判官は、自らの判断をするについて法律上様々な制約、こういう場合は判断してはいけない、とか制約が加えられていますので、とりあえず最高裁の裁判官を外すとします。)札幌地裁と札幌高裁で合わせて6人、東京地裁と東京高裁で合わせて6人、合計12人の裁判官が、この植村さんの新聞記事が意味するところに直面した、対面したわけですね、その12人の裁判官がみな同じ視線でこれをみた、ということが重要だと思います。この裁判の敗訴の原因について、これら裁判官の慰安婦問題についての理解の深さ、浅さと関連付けて話すことはできないわけではありませんが、その場合、ひとりひとりの裁判官のこの点をめぐる市民感覚、それはここにおられる皆さんの慰安婦問題に対する共通理解を踏まえた良識と言い変えることができると思いますけど、そことのズレを述べる、ズレていると言うだけでは足りない、それだけではこの問題について説明したことにならなのではないかと考えています。
この札幌、東京あわせて12人の裁判官、おひとりひとりを見ますと、私の乏しい経験でも少なくとも2、3人の裁判官は、例えば国家権力による市民の権利侵害の回復を求める別の訴訟ではしっかりとした仕事をされている、という事実があります。ひるがえって、裁判官とて、法の番人であるといっても人の子であります。自らの判断が社会の良識とかけ離れていて、市民社会からは到底受け入れられないという思いが強い場合、もちろん、裁判ですから、証拠あるいは裁判上の主張に基づくわけですけれども、自らの判断が市民社会に受け入れられないとみた場合には、このような結論は簡単には出さないのではないか、ということを考えます。そうしますと、慰安婦の問題では、私どもの主張するような形では、いまだ我が社会の中で裁判官の誤った判断を許さないような強い力、通有力といってよいと思いますが、十分ではない、ということを意味しているという面もあるのではないか、と考えます。
私は弁護士でございますから、この問題を札幌地方裁判所に訴えるという主体的選択をした結果、やはり裁判所の判断を求めることが不可欠であると判断した結果について、一生懸命全力で取り組んだということは申し上げましたけれど、その結果がどうであったかということについて、ある意味で結果責任を負う立場にあることは免れないわけであります。したがいまして、今申し上げましたような検証、検討を加えて、別の機会にでも、皆さんにきちんとお話しができるようにしておかなければいけないと考えております。
それにいたしましても、北海道の弁護士が100人、東京と連帯しながら5年間一丸となって、言論の名による無法、不法は許さない、と法廷で正面から闘い抜いたということは、重要な経験となりました。北海道における「法の支配」を貫く上で極めて大事な取り組みであったと考えております。これからも形を変えて生まれるでありましょう、わが民主主義を傷つけようとする事態に対しては、弁護士が、場合によっては弁護士が集団となって、毅然と立ち向かっていくということについて、皆さんに対して自信を持ってお約束できるのではないかと考えております。
5年間の長きにわたりましてこの裁判をサポートしていただいたこと、そして共同していただいたことに、あらためてお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。
植村隆 メッセージ |
皆様と闘えたことの喜び
2020年11月18日付けの最高裁での上告棄却決定で、櫻井よしこ氏らを名誉毀損で訴えた札幌訴訟での私の敗訴が確定しました。翌日午後に札幌司法記者会で開かれた記者会見に、当時ソウルにいた私はLINE参加し、こういう声明を出しました。「櫻井氏の記事は間違っていると訂正させ、元慰安婦に一人も取材していないことも確認でき、裁判内容では勝ったと思います」。不当判決を確定させた最高裁決定には、非常に悔しい思いをしています。<取材もせずに「捏造」と断定することが自由になる>恐ろしい判例となるかもしれません。最高裁は、歴史に汚点を残したと思います。その後、2021年3月11日付の最高裁決定で、西岡力氏らを訴えた東京訴訟での私の敗訴が確定しました。汚点の繰り返しです。これで、「慰安婦」問題を否定する「アベ友」らを相手にした6年間の裁判が終わりました。
両方の裁判の過程で、櫻井氏や西岡氏がフェイク情報に基づいて、私を非難していたことが確認されました。札幌、東京の両弁護団の皆様のお力のおかげです。また裁判を支えてくださる市民の皆さんの助力の賜物です。判決は極めて不当なものでしたが、裁判の過程で、暴き出した被告らの不正義こそが、私たちの裁判の「勝利」の証拠だと思います。
この「勝利」の自信が、これからの言論人としての私の大きなエネルギーになります。この「勝利」に導いてくださった札幌、東京の弁護団の皆様一人一人に感謝をしております。ありがとうございました。皆様の真摯で懸命なご尽力は、一生忘れません。正義のために闘ってくださっている皆様の姿は、私の目と心に刻み込まれました。皆様と一緒に裁判を闘えたのは、私にとって大いなる喜びでした。この闘いの記憶は、私のこれからの歩みを支えてくれる大きな財産になると思います。何度感謝しても、感謝しきれない思いです。
札幌訴訟での私の敗訴確定の後、驚くべきことがありました。敗訴が確定したと言うことは、裁判に負けたということですが、これは私の記事が「捏造」と認定されたわけではありません。ところが、前首相の安倍晋三氏が2020年11月20日、自身のフェイスブックに私の敗訴を報じた産経新聞の記事を引用して投稿し、翌21日には「植村記者と朝日新聞の捏造が事実として確定したという事ですね」と投稿しました。「アベ友」勝訴の興奮したのでしょうか。これは明らかに間違いでした。早速、小野寺信勝先生と神原元先生のお二人の代理人を通じて、安倍氏側に削除を求める内容証明郵便を送りました。しばらくして、大きな進展がありました。敗訴を報じた産経新聞の記事の引用はそのままでしたが、捏造確定とした投稿を削除したのです。私は同年12月4日、「削除したことは、それが間違っていたことに気づいたからだと思います。これで、私の記事が『捏造』でないことが改めて確認されました」とする声明を発表しました。安倍氏は、こっそり取り消しただけで、何の謝罪もありません。非常に不愉快な出来事ですが、これは歴史修正(歪曲)主義者に対する、新たな闘いの機会と言えると思います。私の支援者の一人がこんなメールをくれました。「最高裁控訴棄却の意味について、改めて、広くわかりやすく伝えるチャンスになることを期待しています」。その通りだと思います。
裁判闘争の間に大きな二つの出来事がありました。一つは、韓国のカトリック大学に招かれ、2016年3月から招聘教授の職を得たことです。5年間、勤めました。講義をしながら、韓国内での言論活動も続けました。2019年12月には、韓国で最も尊敬されているジャーナリスト・李泳禧(リ・ヨンヒ)先生の名を冠した「李泳禧賞」を受賞するなどの栄誉を受けました。もう一つの大きな出来事は、2018年9月末に日本のリベラルな雑誌「週刊金曜日」の発行人兼社長になったことです。激しい「植村バッシング」に関わらず、同誌が招いてくれたのです。こうしたことは、私が「捏造」記者でないということが、歴史的に証明されつつあるということだと思います。これも皆様と共に闘った裁判闘争の成果だと思います。
そして、私は2018年秋からは、格安航空便(LCC)で日韓を往来しながら、教員と言論人の仕事を兼職しました。しかし、2020年春からの新型コロナ危機で、日韓の往来が非常に難しくなり、2021年2月末で、大学の教員をやめました。もともと一年ごとの契約でしたが、好評で毎年、契約がされてきました。後ろ髪を引かれる思いでしたが、コロナ危機下では両立が難しいと判断したのです。
2020年9月末から、「週刊金曜日」の発行人兼社長の二期目に入りました。「週刊金曜日」は、大メディアがどこも、「北星バッシング」「植村バッシング」を報じない中、最初に詳しく報じてくれた雑誌です。いまでも各地で、「北星バッシング」「植村バッシング」と似たような人権侵害などが起きています。「週刊金曜日」は、そうしたことを果敢に報じ、被害に遭っている人々の側に立ちたいと思います。日本に言論の自由や民主主義を根付かせることが、私のすべき仕事だと思うのです。
また朗報がもう一つあります。「植村バッシング」をテーマにしたドキュメンタリー映画『標的』(西嶋真司監督)がこのほど完成し、東京の外国特派員協会、日本記者クラブで相次いで完成記者会見が開かれました。4月10日には札幌で上映会と植村裁判報告会が開かれます。映画チラシでは、こう書いています。「なぜ記事は『捏造』とされたのか?不都合な歴史を消し去ろうとする、日本社会の真相に迫ります」。この中には、札幌訴訟を支えてくださった弁護士の皆様も登場します。この映画を日本中、世界中で上映して、歪んだ判決を告発し続けていきたいと思います。
6年前に比べ、私の世界は大きく広がりました。そして、パワーアップした自分を実感しています。やるべき仕事もたくさんあることに気づきました。大勢の仲間ができました。「試練」はたくさんの「出会い」を与えてくれたのです。その土台に弁護団の皆様や市民の皆様と共に裁判を闘った日々があると思います。ありがとうございました。これからも闘い続けます。
2021年3月30日、記
植村訴訟原告・植村隆
(元朝日新聞記者、元韓国カトリック大学招聘教授、週刊金曜日発行人兼社長)
植村裁判を支える市民の会 最終メッセージ |
社会の動きに、さらに目を凝らそう
植村裁判は敗訴が確定した。市民感覚からかけ離れた司法の姿を目の当たりにし、怒りを禁じ得ない。裁判所は私たちの社会に対し責任ある判断をしたのか、改めて問いたい。判決は「歴史的事実」に向き合わず、「真実相当性」に関する従来の判断基準を大幅に緩和した。これでは歴史修正主義を後押しし、無責任で「フェイク」な言論を野放しにしないか。安倍前首相が自身のフェイスブックに「植村記者と朝日新聞の捏造が事実として確定した」とデマを書き込むなど、既にその兆候が表れている。植村裁判をともに闘った市民として、歴史の歪曲につながる動きに、さらに目を凝らしたい。
日本軍「慰安婦」にされた韓国人女性の証言を報道したことで執拗な〝捏造〟バッシングを受け、名誉回復を司法に求めた朝日新聞元記者、植村隆氏の訴えに対し、最高裁は3月11日、麗澤大学客員教授、西岡力氏を被告にした東京訴訟で、またそれより先の昨年11月18日、自称ジャーナリスト、櫻井よしこ氏らを被告にした札幌訴訟で、植村氏側の上告をそれぞれ棄却した。
札幌、東京の両訴訟を通じて私たちが改めて確認したことは、植村氏の記事に櫻井、西岡両氏が指摘するような〝捏造〟は一切なかったことである。そのうえで明らかになったのは①櫻井、西岡両氏ともに〝捏造〟とした根拠を説明できなかったこと②むしろ両氏ともに資料そのものを誤読・曲解して引用したと認めたこと③両氏ともに報道・研究にあたって最も基本とされる、植村氏への本人取材をしていないこと――などが挙げられる。
にもかかわらず、裁判所は櫻井、西岡両氏の記述には「真実相当性」があるなどとして両氏の法的責任を「免責」し、植村氏の賠償請求を退けた。自らの非を一部認めた櫻井、西岡両氏の法廷証言をはじめ、植村氏側から提出した数々の証言・証拠を十分に吟味した形跡はなく、「思い込んだものは致し方ない」と言わんばかりの判断だったと受け取らざるを得ない
裁判所のこのような乱暴な判断の背景に、櫻井、西岡両氏らが推し進める、慰安所などの存在すら否定する歴史修正主義への同調が感じられる。植村氏の記事は日本軍慰安所で性暴力にさらされた女性の証言にもかかわらず、公娼制度下の「単なる慰安婦」の発言ではないかと問題をすり替えかねない表現すらあった(札幌高裁)。歴史の事実から目をそらそうと常々誘導する櫻井、西岡両氏らの口舌と、先の判示は同様レベルといえないか。
日本軍「慰安婦」をはじめとする戦時性暴力についての内外の実証的な歴史研究は、日本軍が侵略した地域で階級別など様々な慰安所を設置し、「慰安婦」の最前線への派遣、さらに作戦中の「強姦、略奪、放火」を含め、日本兵の〝性〟をめぐる組織的・構造的な特質を明らかにしている。今回の免責判決が、こうした歴史的知見を無視する歴史修正主義に加担すると指摘されるゆえんだ。昨今の日本学術会議問題などにうかがえる、科学者や専門知を軽視する政治のあり方とも通底している。
さらに問題なのは、言論において本来求められる取材・調査、資料チェックなどの徹底で保証される「真実相当性」のハードルを著しく引き下げたことである。事実に基づかない、恣意的な言論が「真実相当性」の名のもとに罷り通れば、情報を基盤にする民主主義の健全さは大きく損なわれるだろう。
植村裁判には札幌地・高裁、東京地・高裁、最高裁の2小法廷で、20人以上の裁判官が関与した。いずれもが同じ方向を示す判決に、政治や社会の思潮を往々にして忖度しがちな一端を垣間見る思いだ。司法の立ち位置は民主主義の成熟度を映し出す鏡でもある。植村裁判の結果は、歴史を直視し、反省を未来へと生かす力の弱さを私たちの社会に突きつけたともいえる。
植村裁判を支えてくれた全国の皆さんとともに、今後も歴史修正主義に毅然として対峙し、歴史の真実を社会に一層広く訴えていきたい
2021年4月10日 植村裁判を支える市民の会
共同代表
上田文雄(弁護士、前札幌市長)
小野有五(北海道大学名誉教授)
神沼公三郎(北海道大学名誉教授)
香山リカ(精神科医、立教大学教授)
北岡和義(ジャーナリスト)
崔善愛(ピアニスト)
本庄十喜(北海道教育大学准教授)
凡例▼人名、企業・組織・団体名はすべて原文の通り実名としている▼敬称は一部で省略した▼PDF文書で個人の住所、年齢がわかる個所はマスキング処理をした▼引用文書の書式は編集の都合上、変更してある▼年号は西暦、数字は洋数字を原則としている▼重要な記事はPARTをまたいであえて重複収録している▼引用文書以外の記事は「植村裁判を支える市民の会ブログ」を基にしている
updated: 2021年8月25日
updated: 2021年10月18日