法廷ドキュメント 傍聴席から見た植村裁判 

東京訴訟 全傍聴記録

 

 

 

東京地裁 第1回口頭弁論 2015年4月27日

植村氏が意見陳述、西岡氏は「論評・意見」と主張

 

「私は、ねつ造記者ではない」と主張する元朝日新聞記者の植村隆さんが、西岡力・東京基督教大学教授と株式会社文藝春秋を相手取った名誉棄損裁判が4月27日、東京地裁民事33部で開かれた。

開廷は午後3時だったが、早くも1時半には裁判所の玄関前に最初の傍聴者が並び(私だが)、開廷の30分前には100人をかなり超えて抽選となった。そこに植村氏が姿を見せた。重い書類のバッグを肩から下げたまま、支援者たちに笑顔で声をかける。緊張した様子がなくリラックスしている。抽選による当選番号がボードに張り出された。

傍聴者が裁判所に続々と入り、定員91人の103号大法廷は満員となった。テレビカメラも入り、報道関係者用の13席も埋まった。

原告席の前面中央では植村隆氏が正面の被告席を見据える。そのかたわらに弁護団長の中山武敏弁護士、さらに原告代理人の神原元(かんばら・はじめ)弁護士が最も裁判官席の近くに座った。3人の横と後ろには、総勢170人から成る大弁護団から20人近い弁護士が陣取った。

埋まらないのは、被告席だ。カラである。開廷しても、誰一人、出廷しなかった。メディアによる2分間の撮影のあと、審理が始まった。裁判官は3人とも男性だ。うち裁判長と左陪席の二人は慰安婦問題での吉見義明教授の裁判と同じ構成だ。裁判長が手続きを説明し、被告側については「答弁書が出されているので、陳述したものとみなします」と述べた。

 

原告側の意見陳述となり、はじけるように立ち上がったのが原告代理人の神原弁護士だ。長身で48歳になったばかりの働き盛り。高い声でやや早口に、畳み掛けるように話した。

西岡氏の論文は、いわゆる従軍慰安婦の金学順氏の経歴について本人が言っていない経歴を原告が勝手に作ったなどと書いた。文春は、原告が親族の利益を図る動機ででっちあげの記事を書き、「とんでもない売国行為」の講義をしたという記事を書いた。同弁護士はそうした事実を指摘したうえで、

「新聞記者が、利己的な動機で事実を改ざんしたとすれば、直ちに懲戒解雇事由に相当する重大な背信行為です。そうすると、『捏造』という事実の摘示は、報道人としての原告が社会から受ける客観的評価を著しく低下させるものであり、名誉棄損に該当すると言わざるを得ません」

と主張した。

 

さらに神原弁護士は、被告側の答弁書の主張に反論した。被告側は「捏造」という表現は、事実を摘示するものではなく論評だ、と主張するが、捏造とは福岡高裁の判決にもあるように「意図的な事実の改ざん、でっち上げ」を言うもので、被告の西岡氏は「紙面を使って意図的なウソを書いた」と明確に書いている。挺身隊という表現を植村氏が勝手に書いたというが、当時の産経新聞も読売新聞も同じように書いており、それが当時は一般的だった、など一つ一つ反論した。

植村氏が裁判に踏み切らざるを得なかった動機として、インターネットで「売国奴」という人格攻撃を受け、勤務先に脅迫状を送られ、高校生の娘まで殺人予告を受けたことを挙げた。このように言論で反論したにもかかわらず、文春は「被害者ぶるのはおやめなさい」という態度をとり、原告と家族を救済するには「捏造記者」という言われなきレッテルを司法手続きによって取り除くしかないと述べた。

陳述の最後を神原弁護士は「裁判所の公正な審理をお願いしたい」と締めくくった。畳み掛けるような早口のため6分だった。

 

続いてグレーのブレザー姿の植村氏本人が証人席に立った。

用意した意見陳述書を読み上げた。最初に述べたのは、この2月にまたしても北星学園大学に送られてきた脅迫状のことだ。その最後には植村氏の娘の実名をあげて殺人予告を繰り返した。 <必ず殺す。何年かかっても殺す。何処へ逃げても殺す。絶対にコロス>。 この文面を植村氏はゆっくりと、苦いものをかみ殺すかのように述べた。この脅迫状のことを植村氏は娘に言えずにいたという。娘がどんなに恐れるかが怖かったからだ。しかし、やがて娘が「何か、おかしい」と気づいた。ここで植村氏は声を詰まらせた。眼鏡をはずして額に乗せた。 「もう隠せませんでした。脅迫状が来ていることを正直に伝えました。娘は黙って聞いていました」。 

 

そのあと、植村氏は顔を上げ、怒りを込め、絞り出すような声で言った。

「私はいま、24年前に書いた記事で激しいバッシングを受けています。しかし、そのときには生まれてもいなかった17歳の娘が、なぜこんな目にあわなければならないのでしょうか。私には愚痴をこぼさなかった娘が、地元札幌の弁護士さんに事情を聴かれ、ポロポロと涙をこぼすのを見たとき、私は胸がはりさける思いでした」

植村氏はさらに「週刊文春」の記事によって大学教員になる夢を破られたこと、そのさい「週刊文春」は大学側にわざわざ植村氏が「捏造記者」だと印象付ける質問をしたこと、そして西岡氏は植村氏を狙い撃ちして著書で攻撃したことを述べた。一連の名誉棄損の行為を挙げたあとに胸を張って言った。

「私は捏造などしていません」

 

植村氏はさらに「週刊文春」が遺跡捏造疑惑を記事にしたため名誉教授が自殺し、遺書に「死をもって抗議します」と書かれていたことをあげた。遺族は名誉棄損で訴え、文藝春秋側は敗訴した。「あの事件で亡くなった名誉教授の無念が、痛いほどわかりました」と述べたあと、植村氏は

「私の記事が捏造でないことを司法の場で証明したいと思います。今回の裁判は私の汚名を晴らし、報道の自由、学問の自由を守るための闘いでもあります。裁判長、裁判官のみなさま、ぜひ、正しい司法判断によって、私を、私の家族を、そして北星学園大学を救ってください。どうぞよろしくお願いします」

と締めくくった。証人席に立ってから、一礼して席に戻るまで12分。その目は赤かった。終始、声を詰まらせた植村氏にとっては長い時間だったろう。聴いている傍聴席の人々にとっても、ことに長く感じられた。傍聴席の100人近くは、身じろぎもせずに聴いていた。

 

裁判長は、次回の口頭弁論は6月29日午後3時からと告げた。被告が初めて出廷して答弁書について説明し、原告側の申し立てに対して認否を主張する場となる。これまでに出された以外に提出したいものがあれば、その1週間前に出すように、とも述べた。神原弁護士は立ち上がって「被告側の主張に対しては次々回に反論します」と述べた。

閉廷は3時21分。第1回の口頭弁論は、わずか20分ほどで終わった。

 

意見を述べ終えてホッとしている植村氏に「泣いていたよね」と声をかけた。彼は「いや、僕は昔から蓄膿症なんです。慢性鼻炎で、3日前に声が出なくなってしまって焦りました。2年位に1度くらい、疲れたときに出る症状なんです。病院で薬をもらって飲んだら、今日、奇跡的に声が出ました」と話す。昔からシャイな性格で、涙をこらえながら述べたことを鼻炎のせいにした。

 

ところで、出廷しなかった相手方はどうなのだろうか。神原弁護士に聞くと、相手の代理人の喜田村洋一氏は「大物で有能な弁護士」だという。自由人権協会の代表理事であり報道問題に詳しく、あのロス疑惑の三浦和義氏の無罪を勝ち取った「やり手」である。人権派の弁護士がなぜ人権を奪った側に立つかと言えば、彼が文藝春秋の顧問弁護士をしているからだ。

手ごわい相手に対する勝算を聞くと、神原弁護士は「負けない」と一言、語った。このあと、司法記者クラブで記者会見が行われ、さらに参議院議員会館で報告集会が開かれた。

                                        (以上 C.I 記)

 

東京地裁 第2回口頭弁論 2015年6月29日

小林節氏が意見陳述、「匿名の陰湿で危険な攻撃、見過ごせない」

 

植村隆さん名誉棄損裁判の東京訴訟第2回口頭弁論が6月29日(月)午後3時から東京地裁103号法廷で開かれた。

廷内の傍聴席から見て左側の原告・弁護団席。開廷の15分前には、最前列に植村さんはじめ、中山武敏、穂積剛、小林節、神原元の各弁護士が着席し、後ろの列にも黒岩哲彦弁護士、角田由紀子弁護士らが陣取った。宇都宮健児弁護士らも続々駆けつけ、この日顔を見せた弁護団は18人となった。

対する右側の被告・弁護団席には、喜田村洋一弁護士ら2人の代理人が席に着いた。喜田村弁護士は、ぽっちゃりした体格。やや伸びた白いあごひげをなでて悠然と構える。98の傍聴席は、第1回に続きこの日も満席となった。

 

午後3時、裁判官3人が入廷した。「それでは手続きを始めます」と裁判長。まず準備書面や書証の提出を確認した。

すぐに原告弁護団の小林節弁護士(慶応大名誉教授・憲法)が立ちあがり、「本件訴訟の意義」を、口頭で要旨次のように述べた。じゅんじゅんと説く静かな口調だった。

「私が植村さんの弁護団に加わり会見にも出たところ、旧知の右翼団体幹部から電話があって『植村という売国奴といつから友達になった』と言われた。そこで彼ら数人に会い、この裁判の書面を渡して『ともかく10分間読んでほしい。そのあとディスカッションしよう』と読んでもらった。半分は知的に納得してくれた。半分は『お前が言うなら信じる』ということで終わった」

「私たちは歴史的問題としての慰安婦について論争する意図はありません。私どもがここにいるのは、植村隆さんへの名誉毀損、それにご家族に対する人格侵害のことに関心があるからです。論点は、事実認識の問題として、植村さんは捏造記者であるか否かの一点です。つまり、ありもしない事実を作り上げて報道したのか否かだけです。私が資料を読む限り、植村さんが記事を執筆した当時、韓国において『挺身隊』と『慰安婦』は混用されていた。植村さんも混用したが、我が国の他の複数のマスコミも混用していた。それが後に峻別されるようになって、立証もせず「捏造だった」と決めつける。イデオロギー論争で勝手に相手を決めつけるのは、むなしい論争だ。そういう決めつけがなされていたと確認した。決めつけた側に悪意があり、植村さんの名誉が傷ついた典型的な名誉棄損です」

「『植村記者は捏造記者呼ばわりにも反論しなかったじゃないか』」という主張もあるが、私どもは他者から突然いわれなき批判を受けたとき、いちいち反論する義務はない。反論しないから『捏造』などと決めつけられるいわれもない」 「植村さんが『捏造記者』と言いつのられた結果、匿名の陰湿で危険な攻撃が、植村さんの家族や、息子の同姓の同級生にまで行われる。『捏造記者の娘だから』として、10代の女の子までが『自殺させる』などという攻撃をされた。私は、それを見過ごせません」

「したがって、今は何よりも、植村さんに『捏造記者』とレッテルを張った原点を糺さなければならない。そうしてレッテルを取り除いた後にこそ、公平な歴史論争ができる。でなければ、歴史論争ではなくただの集団いじめになってしまう。被告には、植村さんが捏造記者だというなら証明していただき、証明ができないなら責任をとっていただく。そういう意図で弁護団に入りました。以上です」

 

続いて原告側の穂積弁護士が立ち上がり、被告側が提出した準備書面について、3点の釈明を求めた。

第1点として、被告側の準備書面に被告の記述は「推論である」という表現がいくつもある点を指摘し、「推論とは、事実摘示か論評か」とただした。つまり、植村さんの記事を「捏造」などと記した西岡氏が、それを事実として書いたのならそれが真実であることなどを立証しなければならない。そうではなく、西岡被告は単なる論評、意見として書いたということにしようとするのか。そのどちらなのか、という点の確かめである。

被告側の喜田村弁護士は、「私は原告側の求釈明の書面をけさ見たばかり。必要があれば改めて書面で回答したい」と、座ったままで答えた。これに対し穂積弁護士は、「平成10年の最高裁判決を喜田村弁護士はよくご存じのはず。ここで答えられるのでは」とたたみかけた。

平成10年1月30日に最高裁第二小法廷は、三浦和義氏の朝日新聞社に対する名誉棄損訴訟で、「読書歴等から犯行動機を推論した記事は、推論結果を事実として摘示したものというべきだ」と判断している。この時の三浦氏の代理人が喜田村洋一弁護士である。(判決、http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=63041) しかし喜田村弁護士は「平成9年と10年に最高裁判断が出ている。ここで話しても生産的ではないので、書面でやりたい」と即答を避けた。裁判長も「(即答は)無理だと思いますよ」と述べ、後日書面で答えることになった。

求釈明の第2点として、穂積弁護士は西岡論文の他のいくつかの部分を挙げ、これらについては「捏造したのは事実である」と主張するということか、と質問。これについても喜田村弁護は「検討したい」と、座ったままかわした。

求釈明の第3点として、穂積弁護士は「被告は、真実性の抗弁あるいは真実相当性の抗弁を主張しないのか」と問うた。西岡氏が「捏造」と書いたことがもし「事実の摘示」であるのなら、西岡氏が責任を免れるためには、そのことが真実であったか、真実と信じるに足りる相当性があったことを立証しなければならない。そういう主張をするのか否か、と迫ったのである。

喜田村弁護士は、「その部分については、もちろん対応いたします。ただ時間はかかります」と答えた。裁判長が「次回期日までは4カ月あるが、書面はいつになるか」と聞き、喜田村弁護士は「きょうはどういう順番で進むのか分からなかった。8月末くらいには(釈明等の)書面を出したい」と述べた。裁判長の「次回は10月26日午後3時から、この法廷で行います」との確認で、午後3時15分に閉廷した。

 

終了後、午後4時から参議院議員会館の講堂で報告集会が持たれた。ここにも100人を超える人が参加、報告集会だけに駆けつけた学生もいた。

報告集会で神原元弁護士は、第2回口頭弁論での主な手続きは、被告側の準備書面が出て来たこと、それにより被告側の主張が見えて来たことだ、として、簡明に法的な解説をした。

何かを書いて人の社会的評価を低下させたという名誉棄損訴訟でポイントとなるのは、被告が書いたことが事実なのか論評なのかだということだ。「誰誰はこういう嘘をついた」と書けば、それは事実。「誰誰は悪いやつだ」と書けば論評(評論)しただけ、つまり事実の摘示ではなく意見を述べたにすぎないこととなる。今回、被告が主に主張してきたのは、「『捏造』と書いたのは事実でなく論評だ」という主張だった。

一般的には「意見」を言うことは名誉棄損になりにくい。いま入口で、まさにそこが問題となっていると、神原弁護士は言った。

しかし続けて神原弁護士は、「被告側は『論評だ』と言うが、西岡氏は『植村さんは義理のお母さんを有利にする目的で、意図的な嘘を書いた』と書いている。『嘘つきだ』でなく、『嘘を書いた』とまで書いているのだ。その記述について被告側は「西岡氏は推論を書いたのだ」と抗弁して来ているため、きょうの法廷で「推論とは事実か論評か」などの求釈明をしたのだ、とした。

求釈明の最後に「そもそも被告側は、真実性の主張をするのかしないのか、次回までに回答せよ」と迫り、次回の書面で回答しますという答えだったことも紹介した。仮に西岡氏が書いたものが「事実の摘示」だったとするのなら、西岡氏は「植村さんが捏造した」ということが真実であり、あるいは真実だと西岡氏が信じる相当の理由があったことを証明しなければならない。さらに書いたことが公共の利害にかかわり、公益が目的だったとして、違法性阻却を主張することになる、という。

神原弁護士は、「きょうのやり取りは、いわば前哨戦。次回10月26日に双方の主張が出そろい、証拠調べについてもどこまで出て来るかがわかるだろう。次回の第3回口頭弁論が注目だ」とまとめた。

 

東京地裁 第3回口頭弁論 2015年10月26日

「意見・論評」ではなく「事実の摘示」と強く主張

 

植村隆さんが西岡力氏と文藝春秋を相手取って起こした名誉棄損訴訟の第3回口頭弁論が、2015年10月26日午後3時から東京地裁民事33部で開かれた。

この日は植村さん側の弁護団が詳細な第2準備書面を陳述。被告西岡氏側の弁解を逐一論破していく形で原告側の主張を全面的に展開し、傍聴席を埋めた植村さん支援の市民たちには胸のすくような弁論となった。続いて午後4時から参議院議員会館講堂で開かれた報告集会では、上智大学教授の中野晃一さんが「右傾化する日本政治と植村さんへの攻撃」と題して講演。植村さんの韓国訪問の特別報告に続き、韓国に同行した学生たちもそれぞれに思いの込もった発言をして大きな拍手を浴びた。

 

この日の東京地裁前は晴れ。抽選予定の開廷20分前までに並んだ人数(82人)が席数(89人)にわずかに満たず、初めて傍聴券の抽選なしで全員が入廷できた。しかし、弁論が始まる午後3時には、広い103号法廷はいつもの通り傍聴者でほぼ満席となった。

傍聴席から向かって左の原告側の席に、植村さんと中山武敏弁護士をはじめ代理人弁護士たち10数人が着席。対する右の被告側の席には、喜田村洋一弁護士のほかは若い弁護士が1人のみ。

裁判官3人が入廷し、まず原告側弁護団事務局長の神原元弁護士との間で、損害賠償請求額の内訳についてのやりとりがあった。植村さん側は、被告から受けた不法行為として、名誉棄損、プライバシー侵害だけでなく、生活権の侵害も主張したため、裁判所側は、それぞれに対する請求をいくらずつと主張するのかを質問。神原弁護士は「一つの行為によるので合算しての請求になる」と答えたが、裁判所は「一つひとつがいくらか特定できないか」と重ねて求めた。結局、原告側が次回に請求の内訳を述べることになり、第2準備書面のうち関連部分だけ陳述は保留となった。

今回の東京訴訟での損害賠償請求額は、計1650万円である。西岡氏に500万円、文春に500万円、両者共同で500万円という内容で、他に弁護士費用が150万円。裁判所がこの日求めたのは、500万円のうち、名誉棄損でいくら、といった内訳である。

法廷では、続いて原告側が文書送付嘱託、調査嘱託の申し立てをした。これは、脅しなどのファクスやメールを受けて植村さんの雇用を撤回してしまった神戸松蔭女子学院大学、および脅しに屈せずに植村さんを今春も非常勤講師として雇用継続した北星学園大学に対し、これまでに寄せられたファクスやメールを送ってもらうことなどを裁判所が求めるように、という申し立てだ。これらを夕方の報告集会で説明した角田由紀子弁護士は、「裁判官には、植村さんたち当事者が受けた被害がどれほど大変なことだったか、その被害の質を理解してもらうことが大事だ」と強調した。

これらの手続きが終わり、神原弁護士が立ち、全体で70ページ近い原告側第2準備書面のうち、ポイントとなる部分を述べた。西岡氏が用いた「ねつ造」という言葉は、被告側が弁解するような「意見、論評」ではなく、名誉棄損の成立要件である「事実の摘示」というべきだ、などとするもので、準備書面ではふんだんに判例を引用して裏付けている主張だ。以下、神原弁護士による要旨陳述の原稿を、ほぼそのまま借用して紹介する。

 

要旨陳述・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本件の争点は、名誉毀損の成否(4頁)、真実性抗弁の成否(34頁)、その他の不法行為の成否(50頁)損害論(58頁)、の4点である。

  <1 名誉棄損の成否>

第1の論点について述べます。書面では第2章、4頁以下になります。

問題の各記載は、「原告が記事を捏造した」とするものであります。被告らは、「捏造」とは「意見ないし論評」であると主張しておりますので、反論します。

辞書によれば、「捏造」とは「事実でない事を事実のようにこしらえること」、「本当はない事を、事実であるかのように作り上げること。でっちあげ。」を意味する言葉です。

ジャーナリズムにおいて、「捏造」は、「意図的に」事実をでっち上げることであって、意図的でない「誤報」とは明確に区別されています。 捏造記事の例としては、サンゴ損傷捏造記事事件(1989年)、伊藤律会見報道捏造事件(同1950年)、「あるある大事典」データ捏造事件(2007年)が挙げられる。①②の事件について、朝日新聞社がそれぞれ社告で「ねつ造でした 深くお詫びします」と発表している点が重要である。「捏造」は、サンゴ損傷捏造記事事件のようなケースを連想させる言葉なのである。

 

裁判例においても、「捏造」は意図的に事実をねじ曲げるという意味に理解されている。遺跡から発見された石器が捏造と報道されたケースで、福岡高裁平成16年は、「『捏造』とは、『ないことをあるかのように偽って作りあげること、でっちあげること』を意味する言葉である」と定義した上で、原告の請求を容認している。また、研究論文にねつ造があるとされた事件で、仙台高裁平成27年は、以下のように認定しています。「本件各記事は,いずれも,『この論文には捏造ないし改竄があると断定せざるを得ません。』という記述があるものであるところ,一般の読者の普通の注意と読み方を基準として,その文言の通常の意味に従って理解した場合に,論文のねつ造ないし改ざんという証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を主張していることは明らかであるから,本件各記事は事実を摘示するものである」(9頁)

 

本件各記事の文脈に照らしても、「捏造」は「でっち上げ」の意味で用いられています。西岡論文Aは、「捏造」を「誤報」と区別し、故意による捏造事件の典型である「サンゴ損傷捏造事件」を引き合いに出し、「都合が悪いので意図的に書かなかった」「義理のお母さんの起こした裁判を有利にするために、紙面を使って意図的なウソをついた」「意図的捏造」等と強調しています。

西岡論文Bも、「朝日記者の裏の顔」「単独インタビューがとれたというカラクリ」等と悪しきイメージを強調し、「あるある大辞典」の事件をひきあいにして「意図的に身売りの事実を報じなかった」と強調しています。

論文CとDは、朝日検証記事に対する反論です。朝日検証記事とは「植村氏の記事には、意図的な事実のねじ曲げなどはありません」というものです。そして、論文Cは「この朝日の検証は間違っている。植村記者は意図的な事実の捏造を行い」とし、論文Dは「誤報というよりも、あきらかに捏造である」と断じています。

また、文春記事Aは、「捏造と言っても過言ではありません」とした上で、原告の親族に慰安婦支援団体の幹部がいることを明らかにしています。この記載は、原告が記事を捏造した動機を示すものと読むほかありません。

 このように、「捏造」は、辞書的意味においても、実際社会においても、裁判例においても、そして、本件の文脈上も「故意に事実をねじ曲げること、でっち上げ」を意味しております。原告が利己的動機で事実をでっち上げたというのは、証拠により認定可能な事実ですから、事実を摘示したものというべきです。

そして、それは、真実を報道すべき新聞記者としての原告の社会的評価を低下させるものですから、名誉毀損が成立します。

<2 真実性抗弁の成否> 

第2の論点について述べます。34頁以下です。

「捏造」が故意に事実をでっちあげることだとすれば、真実性の抗弁が成立しないことは明白です。金学順氏は自ら「私は挺身隊だった」と述べていたし(甲21の2本文2行目、甲50)、慰安婦を挺身隊と呼ぶ記事は原告の記事の以前にも以後にもありました。さらに、同じ時期の新聞各紙は金学順氏が妓生学校にいた事実に触れていないし、そもそも原告は会社の上司の指示や示唆に基づいて記事を執筆したに過ぎない。

そうすると、原告が悪意で事実をでっち上げた等とは到底いえないことは明白なのであります。

<3 その他の不法行為の成否> 

その他の不法行為についても述べます。これは、「第4」50頁以下のとおりです。

文春記事Aは、「慰安婦捏造朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」というタイトルからして、慰安婦問題を誠実に議論しようというものではない。原告の記事ではなく、原告が「お嬢様女子大教授に」なったことを攻撃の対象とし、その実現を阻止したいとの意欲を読者に抱かせようとするのがこの記事の目的である。

文春記事Bは、さらに悪質である。この記事が掲載された当時、被告文春は、文春記事Aを読んだ人々が松蔭に抗議を集中させ内定が取り消されたことを知っていた。そして、自社の記事がそのような効果を生じることを承知の上で、むしろ同じ効果が生じることを強く意欲して、北星学園の名称を明らかにして記事Bを発表したのである。

その結果、原告は、職場や自宅に対し、家族特に娘に対するものも含め、様々な脅迫や嫌がらせを受けた。これらの嫌がらせが原告の平穏な生活を侵害したことは明白である。

 

論述は以上ですが、裁判所には、本件で原告が受けた被害の深刻さに、是非、向き合って頂きたいと考えます。原告は、自身が名誉権や名誉感情を毀損されただけでなく、激しいバッシングと迫害により雇用を脅かされて生存の危険に晒されました。くわえて、家族、とりわけ、本件記事当時は生まれてもいなかった娘さんまでもが、父親の20年以上の前の新聞記事を理由に、「ころす、どこまで行っても殺す」などと脅迫状を送られているのです。原告が本件で請求している金額は実に控えめなものです。

以上の次第ですから、原告の請求を速やかに認容して頂きたく、陳述と致します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・要旨陳述(以上)

 

この日の法廷では、最後に今後の進行について簡単なやりとりがあった。被告側の喜田村弁護士は、この日は座ったままでなく一回一回立ち上がって意見を述べたが、いかんせん声が小さく聞き取りにくかったのは、控えめな人柄のためなのか、この件で法律家として自信がないためか。

いずれにしても、決まったのは以下のとおりだ。

1.    原告側が11月末までに、補充的な陳述書を提出する

2.    それらを前提に、被告側が2月5日までに反論を提出する

3.    第4回の次回口頭弁論を、2016年2月17日午後3時から、東京地裁103号法廷で開く

この日は、3時18分にあっさりと閉廷した。                 (K.F記)

 

 

東京地裁 第4回口頭弁論 2016年2月17日

朝日新聞元社員(元ソウル支局長)らの陳述書を提出

 

第4回口頭弁論は2016年2月17日に開かれた。

午後3時の開廷前、午後2時40分で締め切られた傍聴整理券の申し込みは定員に満たず、抽選なしとなった。締め切り時点で行列に並んでいたのは82人。103号大法廷は96席で、この日は10席弱の空席があったので、抽選後に入廷した人も含め傍聴者は90人弱といったところ。

午後3時に開廷した。

 

【原克也裁判長】裁判官が交代したので、弁論を更新します。

<左陪席裁判官が小久保珠美裁判官に交代した。他の裁判官は変わらない。小久保裁判官は同地裁に着任したばかりで、まだ極めて若い。裁判体の議論にどんな変化が生まれるのか、あるいは、裁判長の事実上の発言力の強さから変化は全くないのか……>

【裁判長】原告の請求の変更、被告は2月5日付準備書面の陳述。

【被告側・喜田村洋一弁護士】陳述します。

<「陳述します」のひとことで、すべて内容を陳述したことにする便法。2月5日付準備書面は、「捏造」とした記述が事実摘示か意見・論評かの点、および請求の拡張の点について、被告側の主張を改めて述べたもの。新味は乏しい>

【裁判長】原告の求釈明書。証拠は甲号証57号から63号、乙号証は8号と9号。 

【吉村功志弁護士】本日は甲号証57号、60号、61号を説明します。それぞれ原告が1991年8月の記事を執筆した当時のソウル支局長の小田川興さん、支局員の波佐場清さん、大阪企画報道部次長だった柳博雄さんの陳述書です。

被告は真実性、相当性の抗弁として、(1)原告は、金学順さんが述べていない経歴を勝手に付け加えた、(2)原告は金学順さんが述べた経歴を意図的に欠落させた、(3)原告は記事に利害関係があった、の3点を主張しています。このうち(3)への反論とします。

小田川さんは、原告が金学順さんのテープを取材した事情について、小田川さんが(韓国挺身隊問題対策協議会の)尹貞玉さんから元従軍慰安婦の証言テープの話を聞き、そこにちょうど植村さんが電話をしてきた。「大変なことになっているぞ、植村君、取材に来たらどうか」と述べた。

義母の梁順任さんが幹部を務める太平洋戦争犠牲者遺族会の裁判を有利にしようとして記事を書いたのではない。なぜ小田川さんがその情報を原告に伝えたかというと、

① 原告は前年にも韓国に来て熱心に取材していた

② 当時のソウル支局は、冷戦崩壊により激動する東アジア情勢の取材のために多忙で、慰安婦問題を取材する余裕がなかった

③ 梁順任さんが義母だと知っていたが、熱意ある記者こそいちばんいい記事を書くという小田川さんの信念に合致した

波佐場さんは、当時ソウル支局員で、大変多忙だった。日朝国交正常化交渉や、南北の国連同時加盟の問題をかかえ、慰安婦問題を取材に来てくれるのは大歓迎だった。波佐場さんも原告の義母のことを知っていたが、慰安婦問題の取材の障害となるとは思わなかった。

柳デスク。被告らは前川惠司・元朝日記者の記事を引用し、1991年12月25日の本件記事について、「原告が義母のことを言わなかったし、言っていたら使わなかった」と柳さんが言ったかのように述べている。しかし今回、柳さんの陳述書によって、その主張は崩れた。

 「原告の義母が遺族会幹部だと知っていたら原稿は使わなかった」と述べたという前川さんの記事について、柳さんは明確に否定した。「金学順さんは初めて名乗り出た慰安婦だったから使った。私は強い人がのさばる社会は好きではない。この記事を載せないと記者になった価値がない」と述べた。

前川氏は柳さん宅に2回訪れたが、SAPIOの取材だということは柳さんに告げなかった。一般論として聞かれたことに「それは使わない」と柳さんが答えただけなのに、その言葉尻をとらえて前川氏は記事を書いた。

柳さんはパーキンソン病で、この陳述書は完成までに2回、郵便で往復して書き直され、署名された。

それから、乙1号証から3号証について。私は1988年から2005年まで朝日新聞に勤めていました。このうち朝日新聞の綱領は社員手帳にも記載され、よく知っている。しかし朝日新聞記者行動規範は2006年以前の社員手帳には載っていない。記者行動基準は06年制定であり、1991年に原告が記事を書いた当時は関係のないものです。

【裁判長】陳述書5ページの「私」とは。

【吉村】私、吉村のことです。

【裁判長】調査嘱託の申し立てがありますが、甲27号証、乙9号証はすでにあるから必要ないと。

【神原元弁護士】おっしゃる通りです。

【裁判長】進行状況は。

【神原】松蔭女子学院は話ができており、そのまま調査嘱託は取り下げます。北星学園は少し時間をいただいて、1週間から10日間調整して、結果を報告します。

【裁判長】取り下げも書面で提出してください。被告側の対応は。

【喜田村】内容を見て、2週間程度で。

【裁判長】求釈明書についてはどう対応するか。

【喜田村】追って書面で3週間程度で。

【神原】文書が出てから書面提出までにさらに1月半くらい。

【裁判長】次回は5月連休明けとします。次回期日は5月18日でいいですか。

【神原】問題ありません。

【裁判長】では5月18日、時間は同じ午後3時。書類はその1週間前、5月11日までに提出を。

<この日の口頭弁論は、17分間であっさり終わった>

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集会後に開かれた報告集会で、吉村弁護士は弁論内容を詳細に説明した。

 【吉村功志弁護士の説明】

具体的に3人の陳述書について述べました。

小田川興・元ソウル支局長、羽佐場清・元ソウル支局員と大阪企画報道室の柳博雄さん。

名誉毀損の裁判の場合は、表現が事実にもとづいているか、事実でなくても真実と信じたことに相当な理由がある場合は免責される。被告側は真実性や相当性の抗弁を述べる。

 (1)原告が金学順さんの述べていない経歴を付加した

 (2)原告が金学順の述べた経歴を意図的に欠落させた

 (3)原告が本件記事に関して利害関係、動機を有していた

本日はこのうち(3)に対する反論。

小田川さんは、植村さんが金学順さんの証言テープを取材するきっかけを話しています。小田川さんは、尹貞玉さんに取材に行った際、尹さんから「元慰安婦が話している証言テープがある」と言われた。それを聞いた小田川さんがソウル支局に戻ったら、ちょうど植村さんから電話があった。前の年も来ていた植村さんに「大変なことになったぞ。ソウルにいる元従軍慰安婦が語り始めたらしい。録音テープがあるから取材に来たらどうかね」と話したという。

梁順任さんの裁判を有利にしようと書いたのではないということがこれによって明らかになります。小田川さんの陳述書は「義母の裁判を有利にする動機も利害関係もなかった」ことを証明する。

特ダネを植村さんに教えた理由。

 (1)前の年も熱心に取材し、すばらしい若手記者と評価していた。

 (2)激動する東アジア情勢取材のため多忙で慰安婦問題を紙面化する余裕がなかった。

 (3)植村記者の義母については知っていたが、あるイシューに関して熱心に追究する記者がもっともよい記事を書く--という信念にかなうものだった。

当時ソウル支局員だった羽佐場清さんは、当時のソウル支局が大変多忙だったと述べている。日朝国交正常化、南北同時国連加盟などだった。91年は金丸・田辺訪朝の翌年。南北の国連加盟問題が大きな外交的問題で、9月に電撃的に同時加盟することが発表された。歴史の転換点という激動の時期。植村さんが大阪から来て取材してくれたのは波佐場さんとしても「大歓迎だった」。

波佐場さんは、桜井よしこ氏、阿比留記者らの鼎談で、「当時大阪から出向いたのは不自然ではないか。わざわざ大阪から呼びつけるのか」と桜井さんが尋ね、阿比留さんは「通常はあり得ません。支局長やソウル支局の別の記者に書かせるでしょう。日本から呼び寄せるのはまったく意味がわからない」と答えていることについて、「(あり得ることは)ソウルにいた記者に聞けばすぐわかることなのに、あまりに取材不足だ」と憤慨していた。

原告の義母が遺族会幹部だとは知っていたが、そのことが取材の障害になるとは思っていなかった。

3人目、大阪の柳博雄さんの陳述書。これはA3資料にまとめてあります。柳さんはパーキンソン病で寝たきり。手紙を2往復くらいした。約2時間弱、お話を聞いた。波佐場さんと2人で話を聞いた。

先ほどの小田川さんと波佐場さんの陳述書で、太平洋戦争犠牲者遺族会の梁さんが義母だということが動機ではないことが明らかになったが、今回被告らは、準備書面の16ページで、前川さんのSAPIO記事を引用し、91年12月の紙面に掲載された経緯について、

この記事を紙面化した当時のデスクは「植村記者からの売り込みで、母親が関係者だった」「知っていたら使わなかった」と言っている、と書いている。

しかし今回、(「当時のデスク」である)柳さんの陳述書によると、重大な問題のある記事は、植村さんではなく前川さんの記事だった。

前川さんは「原告の義母が遺族会と知っていたら記事を使わなかったか」ということを聞いていない。SAPIOの記事を読んだ柳さんは「私が答えた趣旨とまったく違う」と次のように語った。

前川さんはもともとの知り合いだった。大阪の府庁担当をしていたときに前川さんは写真記者で一緒に仕事をした。ひょっこり訪ねて2回来てくれた。そのなかで話をして、このようなSAPIOで植村さんの記事を書くとは聞いていなかった。一般論で、重要なことを隠して記者が売り込んできたらデスクとしてどうしますかとは聞かれたので「それは使わないね」と一般論で話をした。

この植村さんの金学順さんの記事について答えたのではない。そのことについて訪ねられたのではなかった。陳述書をまとめた内容では「金学順さんは実名で名乗り出た初めての慰安婦であり、植村さんの義母のことを知っていても使った。強い人がのさばる社会は好きではないと思って記者になった私にとって、この記事を使わなければ記者になった価値がないと思ったからです」と柳さんは述べている。

■パーキンソン病と闘う栁博雄さんの胸に迫る言葉

柳さんは中国大連で生まれ、思えば生家の近くに慰安所があり、そこにいた女性からかわいがられて一緒に遊んだ。そこが慰安所とは知らなかったが、大きくなってから慰安婦だったと聞いた。慰安婦問題には関心があり、「女たちの太平洋戦争」という紙面は、慰安婦に限らず当時の女性の戦争中の話、日本、アジア、米国など投書を載せる欄で、単行本にも文庫本にもなっている。金学順さんの記事は、直感的にニュースだと思い、自分が担当していたページで最大限の扱いをするように面の担当者に指示した、と語っています。

柳さんは、プロの社会部記者が書いた原稿は何重ものチェックをしたものとして掲載するので、いちいち記者の経歴を確認して掲載することは有り得ない、とも述べています。

私も個人的に、1988年10月から2005年3月まで朝日にいました。16年半勤務して弁護士になりました。妻も同期入社で読書面編集長です。私と植村さんは朝日時代から韓国取材で顔見知りでした。W杯のときは日韓友好面というページができ、私は東亜日報の記者交流で、韓国側写真記者の現地キャップとして植村さんと電話でやりとりした。

前川さんは植村さんのソウル支局の先輩。写真記者として入社して川崎支局から外報部、ソウル支局員となった。会社をやめてから写真部OB会でお会いした。

顔見知りの先輩なので悪口はいいたくないが、外報部時代は上司とそりが合わず希望通りの仕事ができず恨みをいだいているのではないかという分析をする人もいますが、個人的うらみからでっち上げ記事を書くのは許されるものではない。

長谷川煕さんという記者は「崩壊」という本を書いたが、60歳の定年から嘱託で2014年まで書いてこられた。82歳で本を書いたというが、80歳を超えてから朝日を批判するような本をなんで書かれるのかよく理由が分かりません。この本には朝日新聞がマルクス主義者ばかりであるように書かれているが、お名前を聞いたこともありますが、そういう方もいらしたかもしれないが、みながみなそうだったとは思えない。

私は大学がマルクス主義系の多いところだったが、私の妻をはじめ友人や仲の良い先輩後輩にマルクス主義者は見たことがありません。学生運動をしていた人もいますがマルクス主義ではない。

柳さんは紳士で、鉛筆書きで細かく手直しを入れて送ってきた。郵送すると、ずいぶんかかりました。すぐではなかった。奥さんが出て「最近は具合がわるい」ということで3週間くらいかかり、鉛筆で直しを入れてあった。私は柳さんの思いを反映して、署名をし直していただきました。

まじめに直してくださる方で、弁護士としては、裁判に提出する陳述書は必要な範囲で短くまとめてしまいがち。柳さんの朱直しを見てふつふつ涙がこみあげた。

柳さんは投稿を引用し「いつまで過去の負の遺産にこだわるのか。一方的に日本軍を悪とするのは自虐的」という意見があれば「日本国民は被害者でもあり加害者でもあった。それを認めないと平和は達成できない」という意見もあった。大変すばらしい先輩がいたことを誇らしく思いました。

私も自らが犯した事実にほっかむりせず反省することが愛国的態度だと思っています。歴史修正主義者の主張は恥知らずだと思っています。

■不意打ちをやってのけた原克也裁判長

本題の裁判に戻ります。

最後に厳しいことも言うと、楽観ばかりはしていられません。吉見教授の名誉棄損裁判を担当したのは同じ原克也裁判長で、吉見教授は負けてしまいました。私のボスである高木健一先生が藤岡信勝先生を訴えたが、同じ原克也裁判長で負けてしまいました。

こちらが名誉毀損だとしてきた記事を組み直して判断するという不意打ちをやってのけたのがこの裁判長。東京高裁で継続中だが、高裁裁判官も不意打ちだというのには理由があると思っているようで、主張整理をおこなっている。

原告の主張、被告の主張、双方が言っていないことを判決が認定していることを記していた。

一部は事実であり一部は意見ないし論評であると原裁判長は言っていたということなので、そのような裁判長なので、気を緩めることなく主張して勝訴を勝ち取りたい。

 

東京地裁 第5回口頭弁論 2016年5月18日

「捏造」決めつけの根拠となる事実は存在しない、と主張

 

植村隆さんが、西岡力氏と文芸春秋を名誉棄損で訴えている裁判の第5回口頭弁論が、2016年5月18日午後3時から、東京地裁103号法廷で開かれた。

傍聴券を得るために並んだのは約100人。前回2月17日の第四回期日では103号法廷の96席に傍聴希望者が満たず抽選はなしになったが、今回は再び抽選が復活した。

法廷内、傍聴席から見て左側に原告の植村さんや中山武敏弁護士ら14人が並ぶ。対面する被告側の席には喜田村洋一弁護士ら2人。相変わらず西岡氏の姿はない。

定時開廷。まず、右陪席が高橋祐子裁判官に交代したのに伴う更新手続きが行われた。これで原克也裁判長をはさみ、両側の右、左の陪席裁判官はいずれも女性となった。

審理は、陳述省略の擬制により、どんどん進んだ。

最初に、原告側の求釈明への被告側の釈明(回答)がなされた。喜田村弁護士の「陳述します」のひとことで、陳述したこととされる。

続いて原告側が第3準備書面を提出し、これも全文を陳述したことに。ただ、これについては、要旨を後に原告側代理人が朗読した。

原告側の追加証拠の取り調べが行われ、調査嘱託による北星学園からの文書も証拠となる。これは、植村さんや北星学園大学に対して来た脅しや嫌がらせの手紙、メール等で、約3500枚にのぼるという。

ここで裁判長に促され、原告側の神原元・弁護士が立ち、この日に提出した第3準備書面の要旨を読み上げた。

読み上げられた第3準備書面による、いわば念のための原告側の主張は、次のような内容だ。

――被告の西岡氏らは、金学順さんが『女子挺身隊』の名で連行され(慰安婦にされ)たとの経歴を、本人は言っていないのに植村さんが記事に付加した、と問題にしている。しかし、1991年8月の北海道新聞記事には、「ハルモニ(金学順さん)が前触れもなく訪れた。(中略)『私は女子挺身隊だった』と切り出した言葉に、思わず息をのんだ」と書かれている。同年8月14日の最初の記者会見でも「挺身隊慰安婦として苦痛を受けた」と金さんが述べたと韓国紙『東亜日報』に書かれている。金さんは、名乗り出た時から女子挺身隊として連行されたと述べていたのは明らかだ。

次に被告の西岡氏らは、金学順氏がキーセンの検番に売られたなどの経歴を、植村さんが意図的に記事で欠落させた、として問題にしている。しかし、金さんは91年11月のソウルでの弁護士の聞き取りに「私は平壌にあったキーセンを養成する芸能学校に入り、将来は芸人になっていこうと決心したのでした」と述べている。妓生学校に通ったと証言しているのであり、金さんが身売りされたと原告が考えた可能性はない。他のいくつかの点でも、証拠を見れば、植村さんが意図的に重要な事実を欠落させたという事実はない。

また、被告の西岡氏らは、植村さんの義母が支援した金さんらの裁判に有利になることを予測する状況で、植村さんは当該記事を書いたと主張している。しかし、1991年8月に記事を書いた当時、金学順さんは裁判に訴え出る予定はなく、義母に会ったことすらなかった。金学順氏のことを植村さんに紹介したのは挺身隊問題対策協議会(挺対協)であり、義母が幹部だった太平洋戦争犠牲者遺族会(遺族会)とは別の団体である。

1991年12月の記事は、すでに各紙が金さんについての記事を書いた後であり、記事内容によっても、それが裁判を有利になるというものではない。そもそも、裁判所は訴状を読んで判決を書くのであり、朝日新聞を読んで判決を書くのではない。
被告の西岡氏らによる批判の根拠となる事実は、存在しないのである。裁判所は、原告の悲痛な訴えに耳を傾けてほしい――

 

裁判は今後、北星学園大学などに来た脅しの手紙などを踏まえ、原告側が、週刊文春の記事と「植村バッシング」の関係などを主張していくことになる。

次回の口頭弁論は、8月3日15時からと決まった。

text by K.F

 

 

東京地裁 第6回口頭弁論 2016年8月3日

法廷で初めて示された誹謗中傷の全容。文春側の「積極的な害意」を厳しく追及

 

第6回口頭弁論は、8月3日午後3時から東京地裁民事33部で開かれた。96席ある大きな103号法廷の傍聴席はこの日ほぼ満席。傍聴席から見て左側の原告席に、韓国から帰国中の植村隆さんと、弁護団が10余人。対する被告席には、相変わらず喜田村洋一弁護士ら代理人だけが2人。

裁判官が定刻に入廷した。陪席裁判官の交代によって、原克也裁判長の両側は前回からいずれも女性裁判官となっている。

まず、原告側代理人が準備書面と証拠多数を提出した。

提出証拠の主なものは、神戸松蔭女子学院大学と北星学園大学に殺到した、植村さんを非難し大学を脅す匿名のメールやはがきのたぐいだ。段ボール箱2箱にもなったという誹謗中傷の全容が、初めて法廷で白日の下にさらされた。

植村弁護団の永田亮弁護士はこれらの証拠を出した理由として、「原告の植村さんに向けられた苛烈なバッシングの内容を明らかにし、それが週刊文春の記事に起因していること、及び被告文藝春秋にバッシングを発生させようとの積極的な『害意』があったことを主張・立証する」として、準備書面要旨を朗読した。その要点は次の通りだ。

 

■主張・立証---バッシングは週刊文春の記事に起因している

1. 植村さんは2014年4月から神戸松蔭女子学院大学で教鞭をとることになっていた。ところが同年1月30日、被告文藝春秋発行の週刊文春に「”慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢さま女子大教授に」という記事が掲載されると、記事は瞬く間にインターネット上に拡散し、同大学への激しいバッシングが始まった。

2.  1月30日のうちに、ブログに同大学の電話、ファクス番号などが載り、「本日、神戸松蔭女子学院大学の方に電凸(電話での抗議)してみました」というコメントが付された。「週刊文春、読みました。みなさんの声が大きければ、採用取り消し、ということになるかも……楽観的すぎるかな?」などの投稿がなされた。メール、ファクスは、1月30日から2月5日までに計247件に及んだ。「貴学は朝日新聞記者・植村隆氏を教授として迎へられるといふ週刊誌報道がありましたが、それは事実でせうか。植村氏は……所謂『従軍慰安婦』問題の禍根を捏造した人物の一人です。いはば彼は証明書付き、正真正銘の『国賊』『売国奴』です」といった内容だ。これらのメールやファクスは、週刊文春の記事を引用していることなどの点で共通する。

3.  同大学は、「週刊文春の記事が出てからは抗議の電話、メールなどが毎日数十本来ている。学校前で右翼の行動も危惧される。マイナスイメージが出たら存亡の危機にかかわる」などとして、植村さんに雇用契約の解除を申し出た。植村さんは、同大学も被害者と考え契約解除に応じざるを得なかった。

4.  2014年8月1日、文藝春秋は今度は、植村さんが以前から非常勤講師を続けていた北星学園大学に対し、取材と称して「大学教員としての適性には問題ないとお考えでしょうか」とする文書を送り付け、植村さんとの雇用契約の解除を迫った。同月6日には週刊文春に「慰安婦火付け役朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ」と題する記事を掲載し、「韓国人留学生に対し、自らの捏造記事を用いて再び”誤った日本の姿”を刷り込んでいたとしたら、とんでもない売国行為だ」などと書いた。

5. 8月6日当日のうちに、「『韓国人留学生に対し、自らの捏造記事を用いて再び誤った日本の姿を刷り込んでいたとしたら、とんでもない売国行為だ』と文春。つまり貴校にはねつ造を教え込まれ『日本人には何をしても無罪』と思い込んだ韓国人学生がいる可能性があると言う事?」などといった攻撃メールが、同大学に相次いだ。みるみるエスカレートし、「くぎ入りガスボンベ爆弾を仕掛ける」などの脅迫状も届いた。この記事が載る前の7月に北星学園大学に送られた抗議のメールは19件、電話は7件だったが、記事掲載のあった8月には、メールが530件、電話が160件に激増した。

6. さらに植村さんの高校生の娘さんの写真をブログに掲載し、「晒し支持!断固支持!」「こいつの父親のせいでどれだけの日本人が苦労したことか。親父が超絶反日活動で何も稼いだで贅沢三昧で育ったのだろう。自殺するまで追い込むしかない」などと記すものもあった。

7. バッシングが少しずつ社会問題化すると、2014年10月23日付け週刊文春は、「朝日新聞よ、被害者ぶるのはお止めなさい~”OB記者脅迫”を錦の御旗にする姑息」と題する記事を載せ、その記事の中で櫻井よしこ氏は「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」と述べ、西岡力氏は「脅迫事件とは別に、記者としての捏造の有無を大学は本来きちんと調査する必要がある」と発言。文藝春秋は、植村さんとその家族の受けた被害を知ってもなお、その被害を嘲笑って、さらなるバッシングを扇動した。

8. 2015年2月には、北星学園大学に「6会場で実施される一般入学試験会場とその周辺において、その場にいる教職員及び受験生、関係者を無差別に殺傷する」「『国賊』植村隆の娘である〇〇(実名)を必ず殺す。期限は設けない。何年かかっても殺す。何処へ逃げても殺す。地の果てまで追い詰めて殺す。絶対にコロス」という殺害予告状まで届いた。

9. 北星学園大学は度重なる脅迫などへの対応の為、警備費用として2年間で5千万円近くの負担を余儀なくされた。同大学は植村さんとの契約更新を躊躇せざるを得ず、植村さんは大学への影響も踏まえて苦渋の決断をし、韓国のカトリック大学の客員教授に就任することになった。

10. 以上の経緯に照らせば、週刊文春の記事により、植村さんへのバッシングが引き起こされ、植村さんの名誉と生活の平穏が害されたことは明らかだ。植村さんがこの裁判を起こさざるを得なかったのは、被告文藝春秋によって引き起こされた激しいバッシング、中傷、脅迫が、植村さんとその職場、そして愛する娘さんにまで及んだからである。

 

永田弁護士の陳述で改めて聞くバッシングのひどさに、廷内は水を打ったように静まった。果たして裁判官たちの胸には、どの程度届いたか。

裁判の今後の進行予定は、被告側が反論を11月末までに提出することになった。次回口頭弁論は、12月14日の午後3時から開くことも決まった。

法廷は3時18分で終了。閉廷直後に、傍聴していた男性1人が立ちあがって声をあげ「週刊文春は正しい」などと二言、三言口走ったが、誰も相手にすることはなかった。

text by K.F.

 

東京地裁 第7回口頭弁論 2016年12月14日

「平穏な生活を営む権利」と「共同不法行為」を主張

 

植村裁判の東京訴訟第7回口頭弁論が12月14日午後3時から東京地裁103号法廷で開かれた。この日の傍聴券行列は50人。いつもの抽選はなく、抽選後に来た人も含め全員(65人)が傍聴した。

原告席には植村さんのほか中山武敏、神原元、宇都宮健児、黒岩哲彦、穂積剛、泉澤章、吉村功志、秀嶋かおり各弁護士ら11人が着席、いっぽう被告席はいつものように喜田村洋一弁護士ともうひとり若い弁護士の2人だけ。原克也裁判長が定刻より2分早く入廷したため、開廷時刻まで法廷には奇妙な沈黙の時間が流れたが、午後3時、「閉めてください」と法廷のドアを閉めさせて開廷した。

 

冒頭、まず被告側の準備書面陳述手続き。いつものように要旨朗読はなく、被告側の音無しの構えはこの日も続いた。原告側は第5準備書面を提出し、その要旨を神原弁護士が陳述した。

これまでの裁判で、原告側は、「週刊文春」と西岡力氏による名誉棄損表現は、植村さんの名誉とプライバシーを侵害する不法行為であることを具体的に論証してきたが、今回はその論証に加え、①植村さんは「平穏な生活を営む権利」を侵害された、②その侵害行為は文春と一部勢力の「共同不法行為」であり、文春はその責を負わなけれならない、と主張した。

「平穏な生活を営む権利」と「共同不法行為」は原告側のこれまでの主張を法理論的に補強するもの。

この日提出された第5準備書面によれば、「平穏な生活を営むことについての人格的利益」は、受忍限度を超える態様で侵害された場合には民法上不法行為として損害賠償の対象になる。判例では、たとえば工場の操業による騒音粉塵被害や飛行場の騒音被害から、犬の鳴き声の放置や隣人による布団たたきの音などまで、幅広く認められている。サラ金業者が債権取り立てのために債務者の自宅の近隣に張り紙をしたり、勤務先や家族に連絡を入れて精神的に追い込む行為も、一連のサラ金訴訟で不法行為とされている。「植村さんが勤務先や自宅へ受けた嫌がらせや脅迫は、サラ金取り立て業者の行為と極めて類似しているが、侵害の程度ははるかに大きい」。陳述で神原弁護士はそう主張した。

「共同不法行為」とは別々の行為の間に因果関係や共謀がなくても、客観的にみて関連性が認められれば成立する。植村裁判では、週刊文春とネトウヨ勢力が行った①ブログでの大学攻撃の扇動②インターネットテレビ「チャンネル桜」での攻撃③神戸松蔭女学院大学へのメールとFAXによる中傷④北星学園大学へのメールとFAXによる中傷、がそれにあたる。

「いずれも文春記事を引用しており、時期も近接すること、植村さんから大学の職を奪うという共通の目的を有している」と、神原弁護士は「共同不法行為」成立の要件を説明し、さらに「次回弁論では、成蹊大学渡辺知行教授の意見書を提出する」と述べた。

意見書提出期限を3月22日とし、午後3時10分に閉廷した。次回期日は4月12日(水)午後3時と決まった。

 

 

東京地裁 第8回口頭弁論 2017年4月12日

「平穏な生活権」侵害を鋭く突いた梓沢弁護士の論述

 

植村裁判東京訴訟(被告西岡力氏、文藝春秋)の第8回口頭弁論が4月12日、東京地裁103号法廷で開かれた。

昨年12月の第7回以来4カ月ぶり。今回から傍聴券の抽選はなくなり、先着順に傍聴ができるようになった。定員90ほどの傍聴席には70人ほどが座った。弁護団席には中山武敏弁護団長のほか角田由紀子、宇都宮健児、穂積剛、神原元弁護士ら14人が着席し、いつもながらの重厚な布陣となった。対する被告側はいつものように喜田村洋一氏と若い弁護士のふたりだけ。裁判官は右陪席が女性から男性にかわった。

 

午後3時開廷。はじめに植村弁護団がこの日提出した第6準備書面を陳述し、その要旨を梓沢和幸弁護士が読み上げた。梓沢弁護士は、週刊文春の記事が植村さんと大学、家族に対するバッシング、脅迫などを誘発したことについて、「文春には故意があり、被害が及ぶことを欲していたとさえいえる」と厳しく批判し、「植村さんに加えられた人格攻撃は、平穏な生活を営む権利、プライバシー権への侵害でもある」と述べた。

平穏な生活を営む権利は、判例と学説によって、広義のプライバシー権とされ、私法上の権利を超えて拡大する現象をみせている。最近の名誉棄損訴訟でも、プライバシー権の侵害として損害賠償請求を認容するものがある。

梓沢弁護士は、そのような潮流を指摘した上で、

被告(文春)による報道によって侵害される原告(植村)の私生活の平穏が、被告を含むマスメディアの表現の自由ないし報道の自由に優越することはいうまでもない

紙媒体(文春)における人格糾弾がその後のインターネット上の攻撃につながり、原告のみならず家族と勤務先の学園までも恐怖のどん底に陥れたという点で注目すべき事案である

と述べ、論述を締めくくった。梓沢弁護士の歯切れの良い弁舌は力強く法廷に響きわたり、中盤戦を迎えた植村裁判のハイライト場面となった。

なお、平穏な生活権=プライバシー権について、植村弁護団はすでに成蹊大学法科大学院教授・渡邊知行氏の意見書(3月13日付)を提出している。梓沢弁護士の弁論は渡邊教授の意見と同じ論理構成となっている。

 

このあと、今後の進行について原克也裁判長が、原告と被告双方に意見を求めた。その中で、原告側は神原元弁護団事務局長が、第6準備書面に記載した「求釈明」について説明した。

「求釈明」は文字通り、被告に詳しい説明を求めるもので、①被告西岡は1992年ごろに訪韓し、梁順任氏と面談したというが、いかなる質問を発し、いかなる情報を得たのか(注=梁氏は韓国太平洋戦争犠牲者遺族会幹部で植村氏の義母)、②被告西岡は、金学順氏や尹貞玉氏に取材したか。取材しなかった場合、その理由はなにか(注=金氏は植村氏が初めて記事で紹介した元慰安婦女性、尹氏は慰安婦支援運動者で当時梨花女子大教授)、③そもそも、被告西岡は本件各記事を執筆中、原告に取材をしたことがあったか、④1992年当時、原告の記事を「重大な事実誤認」と指摘していた被告西岡が、「重大なる事実誤認」との認識を「捏造」と改め、本件記事を執筆するに際し、いかなる(追加)取材・調査を行ったか、など全14項目に及ぶ(法廷では①②に言及した)。

すべてが西岡氏と週刊文春の取材の経過と基本的な取材姿勢にかかわるものである。被告側の喜田村弁護士は「すべてに回答するとは限らないが、必要な範囲で回答します」と答えた。次回弁論でその内容が明らかにされる。

閉廷は午後3時15分。次回期日は7月12日(水)に決まった。

 

「第6準備書面要旨」と「14項目の求釈明」は次のとおり。

 

■第6準備書面 弁論要旨  

2017年4月12日 原告訴訟代理人弁護士  梓澤和幸

第一 第6準備書面 4 本件の特殊性

本件では、被告文藝春秋は、原告に攻撃が集中することについて「故意」があり、原告に被害が生じることを積極的に欲していたと認定されるべき事案である。これは「第三者からの嫌がらせを当然予期していた、あるいはむしろそれを積極的に意図したものと言えるように思われる」と評価され得る。(松井茂記「判批」民商法雑誌103巻2号290頁注(17)(1990年))。本件をめぐるさまざまの「事情を比較考量すれば、被告による報道によって侵害される原告の私生活の平穏が、被告を含むマスメディアの表現の自由ないし報道の自由に優越することはいうまでもな」い。

第二 4項で述べた本件の特殊性に関する主張をさらに法的に根拠づける意味でこの項を述べる。

 紙媒体による名誉棄損、プライバシーの侵害をきっかけとするインターネットの世界でのブログ炎上事件や特定の人物への執拗な攻撃が最近頻繁に伝えられるようになったが 本件でも4項で記載したように、被告文春によるA記事をきっかけとして原告においてすでに就職の決まっていた神戸松蔭女子学院大学に抗議が殺到し、その結果原告は右大学における専任教員の地位を失なった。さらに第2の甲8号証の記事がきっかけとなって北星学園大学に脅迫をまじえた電話、ファックス、手紙が殺到し、さらには原告の家族に生命の危険を感じさせる脅迫の手紙も送られ、インターネット上でも脅迫、自殺勧奨などが続けられた。

これらの行為のうち、ある者がツイッターに匿名で投稿し、「朝日新聞従軍慰安婦捏造の植村隆の娘」と記載したうえで原告の娘の写真、その氏名、通学先の高校名および学年を摘示して原告の娘を特定した。

東京地裁は、父親が執筆した従軍慰安婦に関する記事が捏造であるとして不特定多数の者からバッシングを受け、生命に危害を加える脅迫状がその勤務先に送られたことや、インターネット上の同種の書き込みがあったことを認定した。そのような環境のもとで原告の娘を特定して人格攻撃をしたことを原告の娘のプライバシーや肖像権を侵害したものと判断して損害賠償請求を認容した(平成28年6月22日、平成28年(ワ)5885号事件判決)。

この判断はインターネット上の通信手段による特定の人の個人情報の開示を伴う人格攻撃が当該事案の全体の環境を加味したときプライバシー侵害に当たるとの判断を示した点で本件との関係でも注目に値すると考える。

 

 「忘れられる権利」に関連する最高裁判決と判例時報2318号(平成29年3月11日号)掲載の論稿

最高裁第三小法廷平成29年1月31日決定は、検索エンジン上の検索結果表示の削除仮処分を求めた事件の第三審の決定である。この決定は本件との関連で重要な意味を持つ。

第一審はこの仮処分申請を容認したその第三審における最決であるが個人のプライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益を法的保護に値する利益と高裁の判断を是認したうえで検索結果の表示を検索事業者による表現行為とし、両者を比較衡量する判断枠組みを示した。

第1に注目すべきは、長良川事件報道事件判決(最二判平15.3.14)逆転事件判決(最三判平6.2.8)石に泳ぐ魚事件(最三判平14.9.24)と同じくプライバシー侵害の事案をめぐる総合的事情の利益衡量の中で判断していることである。

そこでは記事の目的や意義、公表時の社会的状況、公表する必要性も衡量のファクターに入れている最高裁判断の枠組みが継承されていることである。

第2に、この判例をきっかけとして判例時報に掲載された宮下紘氏の論稿が本件との関連で重要な法学的思索を行っていることである。

この論稿はインターネット技術の高度な発展に伴い、個人の人格の尊厳が危胎にさらされているとの危機感に立ち、「ネットワーク化された自我を造形する権利」への提唱をおこなっている。

本件も紙媒体における人格糾弾がその後のインターネット上の攻撃につながり、原告のみならず家族と勤務先の学園までも恐怖のどん底に陥れたという点で注目すべき事案である。長良川少年報道事件など従来の最高裁判決等の利益衡量の規範枠組みによれば、報道されるものの地位、報道される者の私的事項が伝達される範囲と原告が被る不利益、本件二つの記事の目的、公表当時の社会的状況、本件記事において原告の勤務先を伝える必要性などを比較衡量したときこれほどの恐怖を味わう不利益に記事の表現の利益が優越するとは到底考えることができない。

原告に対する攻撃によって発生した権利侵害と不利益について、原告は詳細な立証を準備していることを述べ陳述を終わります。

 

■14項目の求釈明

    被告西岡は、1992年2月頃に訪韓し、梁順任氏と面談したというが、同氏の娘が原告と婚姻している事実以外にいかなる質問を発し、いかなる情報を得たのか。

    被告西岡は、金学順氏や尹貞玉氏に取材したか。取材しなかった場合、取材しなかった理由は何か。

    そもそも、被告西岡は本件各記事を執筆中、原告に取材をしたことがあったか。

    1992年当時、原告の記事を「重大な事実誤認」(甲62)と指摘していた被告西岡が、「重大な事実誤認」との認識を「捏造」と改め、本件各記事を執筆するに際し、いかなる(追加)取材・調査を行ったか。

    2014年1月23日に,竹中明洋が取材したという「旧知の朝日新聞記者」,及び「函館で勤務している別のメディアの記者」というのが誰であるのか,具体的に明らかにされたい。また各人が原告について,どのように回答したのかを取材メモ等によって明らかにされたい。

    2014年1月27日、竹中記者が、朝日新聞函館支局を訪れた際、インターネット番組「チャンネル桜」に出演するジャーナリスト大高未貴を同伴させたのは何故か。同伴するに至った経緯を、明らかにされたい。

    甲7の記事の本文中にコメントが引用されている「朝日新聞関係者」とは誰か。これは1月23日に取材した「旧知の朝日新聞記者」と同一か。異なる人物であるという場合には,この「朝日新聞関係者」にいつどこで取材し,どのように回答したのかを取材メモ等によって明らかにされたい。

    2014年1月25日の竹中明洋による被告西岡への取材で被告西岡が竹中に伝えた事項が,甲7に被告西岡のコメントとして引用された通りの内容で正しいかどうか,被告文春及び被告西岡のそれぞれにおいて明らかにされたい。

    甲8の本文中コメントが引用されている「朝日新聞関係者」とは誰か。これは上記「旧知の朝日新聞記者」ないし甲7でコメントした「朝日新聞関係者」と同一か。この「朝日新聞関係者」にいつどこで取材し,どのように回答したのかを取材メモ等によって明らかにされたい。

    7月31日、竹中明洋に原告が北星学園大学で非常勤講師を務めているとの情報を与えた「旧知の朝日新聞記者」とは誰か。これは上記「旧知の朝日新聞記者」ないし甲7でコメントした「朝日新聞関係者」と同一か。

    甲7の記事掲載後,神戸松蔭女子学院大学に対してどのような抗議行動が行われたのかについて,被告文春及び被告西岡においてどのように認識していたか。調査や取材をした事実があったか。仮に何らかの手段で情報を得ていたとすれば,いつまでにどのような情報を得ていたのか明らかにされたい。

    甲7の記事掲載後,原告が神戸松蔭女子学院大学教員に就任する予定がなくなったことについて,被告文春及び被告西岡はいつどのようにして知ったか。

    甲8の記事の本文中にコメントが引用されている北星学園大学の「大学関係者」というのが誰であるのか,具体的に明らかにされたい。この人物が原告について,どのように回答したのかを取材メモ等によって明らかにされたい。

    甲8の記事で引用されている「大学関係者」のコメント中に,原告が「非常勤講師をしていると知った保守系団体がキャンパスのそばでビラ配りをした」との記載があるが,このことについて取材をしたか。取材したとすれば誰に取材してどのような情報を得たか。

 

東京地裁 第9回口頭弁論 2017年7月12日

西岡氏が「当事者への取材を一切しなかった」ことが明らかに

 

東京訴訟の第9回口頭弁論が7月12日、東京地裁で開かれた。連日きびしい暑さが続いている東京だが、103号法廷は96席ある傍聴席が支援者でほぼ満席となった。この日初めて傍聴にかけつけた労組、市民運動の関係者や朝日OBも少なくなかった。

 

午後3時開廷。原告と被告の双方が提出した準備書面を確認し合ったあと、原告弁護団事務局長の神原元弁護士が、第7準備書面の要旨を朗読した。第7準備書面は、被告側が「名誉棄損部分等一覧表」に記載した反論と抗弁(3月18日付記載)に対して、24ページにわたって詳細な批判を加えている。その要旨朗読の中で、神原弁護士は、被告側が「植村氏は金学順氏が養父によって身売りされて慰安婦になったことを知っていて書かなかった」としている点に主張をしぼり、「身売りされたという被告西岡の主張は証拠によっては全く証明されていない。金氏が国を訴えた訴状にも、(金氏の記者会見後の)韓国紙の記事にも、そのような記載は一切ない。金学順氏が身売りによって慰安婦にされたという事実は証明されていないと言わざるを得ない」と述べ、さらに「植村氏が意図的に偽りの記事を執筆したと西岡が信じるに足る相当な理由」(いわゆる相当性)についても、西岡氏は直接の当事者に一度も取材していないことを指摘し、「被告西岡の名誉棄損行為は、事実の証明がなく、相当性もない」とあらためて主張した。

西岡氏の取材内容とその問題点については、前回に植村氏側が14点にわたる質問(求釈明)を出していたが、その回答書面がこの日までに出されていた(6月12日付)。被告側はその中で、直接の当事者である金学順氏、尹貞玉氏(挺対協=韓国挺身隊問題対策協議会代表)、植村氏に一度も取材していないことを認めている。そのこと自体が驚きだが、その理由にはさらに驚くほかない。金氏については「入院中とのことで面会取材することはできなかった」「現地在住の在日韓国人に会って話を聞いた」、尹氏については「当事者ではなく研究者と言う立場であり、特段の取材の必要性を感じず、取材をしなかった」、植村氏については「原告が執筆した新聞記事についての批評をしたに過ぎず、同記事の執筆者に取材をしなかったことは問題とされるべきではない」というのである。西岡氏の取材と執筆の姿勢についてはこれまでにも批判が絶えなかったが、植村氏に対する重大な誹謗中傷と名誉棄損行為が、じつは当事者へのひとかけらの取材もなく行われたことが、この日の口頭弁論で明らかになった。

法廷ではこのあと、原克也裁判長が今後の進行について双方の意見を聞き、次回期日と書面提出の締め切り日、進行協議の日時を確認した。午後3時7分閉廷。次回(第10回)口頭弁論は10月11日午後3時から開かれる。

神原弁護士の意見陳述要旨は次のとおり。

 

■神原弁護士の意見陳述要旨全文

1 はじめに

本件で、被告らは、要するに、金学順氏が身売りされた(乙10)先の養父は、従軍慰安婦募集の一手を担っていた悪質な仲介業者であり(乙12)、金学順氏は、日本軍によって強制連行されたのではなく、妓生の検番である養父によって、身売りされて慰安婦にされた、との事実を前提とした上で、「金学順氏がキーセンに身売りされたことを、原告が知っていたことは真実であり、少なくとも被告西岡において真実と信じるにつき相当の理由があった」と主張しているものと理解されます。

第7準備書面において、原告は、そのような事実は真実ではなく、また、被告西岡において真実と信じるにつき相当の理由もないと主張しております。以下では、この点を口頭にてご説明します。

2 金学順氏が「身売りされて慰安婦にされた」事実はない

まず、前提として、被告西岡の主張するところは、証拠によっては全く証明されていないことを強調しておかなければならない。この点はすでに第3準備書面で述べたとおりですが、極簡単に述べれば以下のとおりです。

すなわち、金学順氏が国を訴えた訴状(甲16)には、養父の記載はあるものの、「小さな部落で別れた」というだけで、「養父が金学順氏を慰安婦として慰安所に連れて行った」という記載はありません。韓国紙の1991年8月15日の各報道は、いずれも金学順氏と養父は暴力的に引き離されたと報じており(東亜日報 甲20、中央日報 甲21、ハンギョレ新聞 甲67)、養父が金学順氏を慰安所に身売りしたとの記載はありません。

被告西岡が論拠とする月間宝石記事(乙10)にも「サーベルと下げた二人の日本人将校と三人の部下が待っていて、やがて将校と養父との間で喧嘩が始まり、『おかしいな』と思っていると、養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです」とあります。これらの記事から、金学順氏が慰安婦にされた経緯は必ずしも明確ではなく、むしろ日本兵が力ずくで金学順を連行した可能性の方が高いとすらいえるのです。

以上からすれば、金学順氏が身売りによって慰安婦にされたという事実は証明されていないといわざるを得ません。

3 相当性の前提

では、相当性はあるでしょうか。ここが本準備書面の課題です。

くり返し述べるとおり、「捏造」とは、「ないことをあるかのように偽って作りあげること、でっちあげること」(福岡高裁平成16年2月23日判タ1149号224頁 甲44、3頁)です。

中村明『日本語 語感の辞典』(岩波書店、2010年)には、捏造の意味について、以下のとおり説明されています。

「事実であるようにみせかけて偽りのものをつくりあげる意の用語で、やや専門語よりの文章語。「でっち上げる」以上に計画性や悪意が感じられる。「でっち上げる」の用法のうち、形だけつくようにいい加減にやっつけるといった意味合いでは代用できない」

そうすると、事実摘示であれ、論評であれ、「捏造」との表現を用いる前提としては、単に記事に誤りがあったという事実だけでは足りず、記者が意図的に偽りの記事をつくりあげたという事実の存在が必要だというべきです。なぜなら、「捏造」という言葉を使う以上、読者は、前提として「でっちあげ」と記述するに足る具体的事実があるものと考えるからです。本件では、「義母の裁判を有利にするため」という具体的な動機まで記述されているのであるから、なおさらだと言わなければなりません。

そうである以上、事実摘示であれ、論評であれ、「記者が捏造記事を書いた」という記載について相当性があるといえるためには、記者(原告)が故意に事実をねじ曲げて偽りの記事を執筆したとの事実を信じるに足る相当な理由がなければならないというべきです。

4 本件における相当の理由の不存在

本件では、まず、金学順氏は、原告が参加した1991年11月25日の聞き取りの際(甲14)、検番に売られたとか、身売りされたとは証言していないし、養父についてはその存在すら述べてません(甲14)。原告は、金学順氏が妓生学校に通ったというエピソードは慰安婦になった経緯と関連のある事実ではないと考えて、これを記事にしなかったにすぎないのであります。

被告西岡は、金氏が国を訴えた訴状(甲16)や、ハンギョレ新聞(甲67)月間宝石記事(乙10)に目を通しているというのですから、金学順氏の事案は、身売りの事案とは断定できないことを知っていたはずです。

被告西岡は、金学順氏に一度も直接取材をしたことがありません。金学順氏が「身売りによって慰安婦にされた」と主張する以上、直接本人から供述をえるのが当然だったし、そのことが可能であったのに、被告西岡はそのような努力を全くしていません。

また、被告西岡は、挺対協の代表である尹貞玉氏にも取材していません。。被告西岡は原告が金学順氏の情報を義母から入手したと主張し、これが「捏造」の根拠だと主張するのですから、原告の取材源を確認すべきだったのにそれもしておりません。

くわえて、被告西岡は、原告本人にも取材をしていません。被告西岡は、原告に一切の取材をせず、一度も話を聞いていないのに、「植村記者がキーセンへの身売りを知らなかったなどあり得ない。わかっていながら都合が悪いので意図的に書かなかったとしか言いようがない」とまで断定し、原告の記事を捏造だと主張しているのです。

5 結論

以上からすれば、被告西岡において、原告が故意に事実をねじ曲げて記事を書いたと信じたことについて相当な理由は、何ら存在していなかったと断ずべきであります。

早急に、原告の名誉を回復する判決を下されたく、ここにお願いする次第です。

 

東京地裁 第10回口頭弁論 2017年10月11日

なおも「論評」と言い逃れる被告側の逃げ道をふさいだ

 

東京訴訟で今年最後となる第10回口頭弁論が10月11日、東京地裁で開かれた。傍聴の抽選はなかったが、専修大・藤森ゼミの学生など初めて傍聴に参加する人も多く、同地裁で最も大きい103号法廷は満席となった。遅れてきた数人は入場できずに「立ち見はだめですか」と残念がる一幕もあった。次回から抽選が復活する見通しだ。壇上の裁判官たちは、傍聴席を埋め尽くした老若男女が真剣に耳を傾けている姿を目の当たりにして、植村さん支援の熱意が続いていることを実感したはずだ。 

 

午後3時前に開廷。被告の西岡氏・文春側は主任の喜田村洋一弁護士が欠席し、若い弁護士ひとりだけ。原告側弁護団は植村さんを囲むように10人が顔をそろえた。原告が提出した準備書面や証拠説明書を確認したあと、原告弁護団事務局長の神原元弁護士が第9準備書面の要旨を朗読した。

裁判の焦点である「捏造」という表現が名誉棄損にあたるかどうか、をめぐって、被告側は「『捏造』というのは事実の摘示ではなく、意見ないし論評」であると主張している。言い逃れとしか思えないような主張だが、神原弁護士は切れ味のよい2段構えの反論を展開した。「捏造」という表現が「意見ないし論評」にあたるがどうかは別としても、その「論評」の前提になった事実摘示そのものが「不法行為にあたる」という主張だ。

たとえば、「(植村さんが)義理のお母さんの起こした裁判を有利にするために、紙面を使って意図的なウソを書いた」と西岡氏は書いている。「捏造」という言葉こそ使っていないが、「意図的にウソを書いた」という記述は「意見ないし論評」ではなく明らかに事実として書いている。新聞記者が利己的な動機で読者をだます記事を書いた、ということを「事実」として述べているわけだ。

神原弁護士は「これは証拠によって存否を決めることができる問題です」と指摘。被告側が「意見ないし論評」と言い逃れる抜け道をピシャリとふさいだ。

 

ほかにも、「(金学順さんの)キーセンへの身売りを知らなかったなどあり得ない。分かっていながら都合が悪いので意図的に書かなかったとしか言いようがない。」などという西岡氏の記述を取り上げて、これは植村記者の社会的評価を低下させることを狙っており、「それ自体が不法行為にあたる」と断言した。

もう一つの論点は、西岡氏と文春側は何を、どこまで立証するつもりなのか、という点だ。

週刊文春の記事は、植村さんが就任先の大学で「慰安婦問題について取り組みたい」と述べたと書いているが、被告側はこの点を立証していく意思を示した。神原弁護士は「この点は、被告・週刊文春が植村さんに対するバッシングを故意にあおった部分であり、重要な意味を持ちます」と指摘。取材にあたった週刊文春のT記者の取材メモの提出を求めた。植村さんは当時そのような言動をしていないので、いったいどうやって「立証」するつもりか、被告側のお手並み拝見というところだ。

この「立証」の要求に対して、被告側弁護士は「持ちかえって検討します」と答えただけ。原裁判長は被告側に11月13日までに回答を提出するよう求めた。今度は被告側が、どんな「取材」をしたのか、しなかったのか、その手の内を明らかにする番だ。

 

神原弁護士が陳述した書面は次のとおり。

第9準備書面要旨

はじめに

本日提出の第9準備書面の要旨は以下のとおりです。

1 「捏造」以外に事実摘示による名誉棄損に該当する部分

これまで原告は、本件各記載中「捏造」という表現が「事実をねじ曲げて記事を書いた」という事実を摘示するものとして構成してきました。被告は、「捏造」は事実摘示ではなく「意見ないし論評」であると主張している。

ところで、本件各記載には、「捏造」以外にも、「捏造」という記載の前提として記載された部分が「事実摘示」といえる部分がある。仮に「捏造」が論評だとしても、論評の前提となる部分が独立に事実摘示による名誉毀損を構成するのであれば、「捏造」という記載を一旦脇におくとしても、これ自体不法行為を構成する場合にあたる。

これは、たとえば、「あいつは人の奥さんに手を出すような奴だから、女たらしだ」と言う場合、「女たらし」という論評が名誉毀損に当たるかどうかという検討とは別に、「人の奥さんに手を出した」という事実摘示が名誉毀損の対象にならないか、検討を要するのと同様である。

たとえば、「義理のお母さんの起こした裁判を有利にするために、紙面を使って意図的なウソを書いた」(記事A⑤ 甲3号証47頁)という部分は、原告が義理の母親の起こした裁判を有利にするために新聞の紙面に意図的な嘘を書いたという事実を摘示しています。これは、真実を追求すべき新聞記者である原告が、利己的な動機で読者をだまして意図的に事実に反する記事を書いたとの印象を持たせる記載ですから、仮に「捏造」という記載を一旦脇におくとしても、原告の社会的評価を低下させます。「ウソ」とは「真実に反すること」であり、「意図的なウソを書く」とは「知っていながら意図的に真実に反することを書く」ことです。原告が「知っていながら意図的に真実に反することを書いた」かどうかは、「証拠によってその存否を決することができる」ものであることが明らかであるから、これを「論評である」等と認定することはできません。

ほかにも、「植村記者がキーセンへの身売りを知らなかったなどあり得ない。わかっていながら都合が悪いので意図的に書かなかったとしか言いようがない。」「記者が自分の義母の裁判を有利にするために、意図的に『キーセンに身売りした』という事実を報じなかった」「本人が語っていない経歴を勝手に作って記事に書く」等、本件各記載には、本件各記載には、「捏造」という記載の前提として記載された部分が「事実摘示」といえる部分があり、これらは、「捏造」という記載を一旦脇におくとしても、これ自体不法行為を構成することが明らかです。

2 関連事件の分析

歴史学者吉見義明氏を原告とする東京地方裁判所平成25年(ワ)第19679号損害賠償事件は、本件と同じくいわゆる従軍慰安婦問題に関連し、「捏造」という表現が争われたものであることから、本件との関係が問題となります。

当該判決は、的確にも、『捏造』の「本来の語法」が、「事実でないことを事実のように拵えて言うこと」であることを認めています。その上で、「そもそも本件発言は,司会者発言部分②にその場で直ちに対応するために口頭で述べられた短いコメント」であることや、翻訳者が、本件発言中の「捏造」という言葉を,「誤り」あるいは「不適当な」という意味を表す「incorrect」と英訳している」ことを挙げています。

しかし、本件では、西岡論文や文春記事は、「口頭でなされた短いコメント」ではなく、報道記事ないし論文であり、とりわけ西岡論文については、20年以上にわたり同趣旨で繰り返し執拗に書き続けられている。また、被告西岡の著作 英文冊子『The Comfort Women Issue in Sharper Focus』(『慰安婦問題―さらに問題の核心に迫る』)では、「捏造記事」が「fabricated article」と翻訳されている。これは、そのまま日本語にいう「捏造」の意味であります。

そうすると、別事件判決の論理は本件には該当せず、「捏造」は本来の意味である『事実でないことを事実のように拵えて言うこと』の意味に理解されるべきであり、本件で「捏造」は事実の摘示であると理解されるべきです。

3 被告準備書面について

被告準備書面は、原告が松陰女子学園大学において「慰安婦問題について取組みたい」と述べた事実をあくまで立証する旨述べています。当該事実の有無は、被告文藝春秋が原告に対するバッシングを故意に煽った事実の核心をなす部分であり、訴訟上重要な意味を占めます。

そこで、原告は、当該事実を取材した被告文藝春秋の竹中記者が保有する、当該事実に関する取材メモの証拠提出を求めるものであります。

 

東京地裁 第11回口頭弁論 2018年1月31日

「捏造」決めつけには「真実性」も「相当性」もない

 

第11回口頭弁論は1月31日午後3時30分から、東京地裁で開かれた。今回も傍聴券交付の抽選はなかったが、3時すぎから103号法廷前の廊下には傍聴者の長い列ができた。

定刻に開廷。弁護団は植村氏を囲むようにして中山武敏弁護団長ほか11人が着席、札幌弁護団の大賀浩一弁護士も後列に座った。被告側はいつものように、喜田村洋一弁護士と若い男性弁護士のふたりだけ。法廷正面には、原克也裁判長の左右に女性、男性裁判官が座り、前回と変わらない。定員が90人ほどの傍聴席はほぼ満席となった。

 

最初に書面の確認が行われた。提出されたのは植村弁護団の第10準備書面。穂積剛弁護士がすぐに立ち上がって、その要旨を読み上げた。穂積弁護士の陳述は第2回(2015年6月29日)以来、2年半ぶりだ。自信と信念にあふれた力強い弁論が法廷に響いた。

植村弁護団は第1回弁論以来、西岡氏の「捏造決めつけ」にはまったく根拠がないことを繰り返し主張してきたが、第10準備書面はその主張をあらためて整理し、西岡氏の「悪質性」追及の決定打となる内容だ。

西岡氏による「名誉棄損」表現のうち、「捏造」という字句を明記している部分16カ所だけについて、

①西岡氏が「捏造だ」と決めつける根拠はなにか

②西岡氏のその根拠は正しいのかどうか

③西岡氏が「捏造だ」と信じる理由はあるのかどうか

を詳細に検討している(法廷と書面では①前提事実②真実性③相当性の検討、という)。

 

A4判で30枚を超える書面は、西岡氏を厳しく糾弾し、こう結論づけている。

「被告西岡が捏造だとする根拠はすべて真実ではなく、また誤信したというレベルでもない。被告西岡は確信犯として、植村氏を捏造記者に仕立てあげようとしたとしか思われない。本書面の検討によって、その悪質性が浮き彫りになったというべきである」

この書面が対象とした記事の掲載媒体は、❶草思社「増補新版よくわかる慰安婦問題」、❷インターネット(「いわゆる従軍慰安婦について歴史の真実から再考するサイト」、❸雑誌「正論」2014年10月号、❹雑誌「中央公論」2014年10月号、❺「週刊文春」2014年2月6日号、同8月14・21日号だ。

この日の弁論で穂積弁護士は、❸の「正論」に絞って、次のように論述した。

 

西岡氏は、植村記者の記事について、2点捏造があるとしている。

まず第1点。「女子挺身隊の名で」という表現について、「本人が語っていない経歴を勝手に作って書いた。これこそが捏造だ」としている。西岡氏は、植村記者が取材した金学順さんのテープや記者会見で、「挺身隊の名で」とは述べていない、とも主張している。しかし、テープ(のその後の所在)は原告側も確認していない。西岡氏はどうやって確認したのか。金さんが「挺身隊」と言っていない、という証拠などもない。金さんの記者会見の記事では、韓国の東亜日報や中央日報も「挺身隊慰安婦」「私は挺身隊だった」と書いている。金さん自身が挺身隊と言っていたという可能性が高い。西岡氏は自著「よくわかる慰安婦問題」で、「韓国では挺身隊は慰安婦のことだと誤解されていた」とも書いている。金さんが自分のことを「挺身隊」と述べたとしてもおかしくない。それなのに、西岡氏はなぜ、金さんが「挺身隊」とは言わなかったということを断言できるのか。支離滅裂だ。

2点目。金さんは「そこに行けば金儲けができる、と言われた」とされている。西岡氏は植村記者のこの記事について「義父を登場させず、地区の仕事をしている人という正体不明の人を出してきた」と指摘し、「キーセンとして売られたという事実を隠した」と主張している。しかし金さんに聞き取りをした団体の記録によると、このとき金さんは「里長に勧められた」と語っている。また金さんの弁護団の記録では「区長に説得された」とある。植村記者は、金さんがこのように言及したことを表現したのにすぎない。西岡氏は、「地区の仕事をしている人」という表現は植村記者の「創作だ」と断定しているが、断定するからにはその根拠が求められる。ところが西岡氏は、根拠を示していない。周辺取材もない。西岡氏が「創作」と信じる相当の理由がない。

事実は、西岡氏が主張することと正反対なのであり、西岡氏は確信犯なのではないか。「捏造」という指摘が妥当しないことを知っていて、「捏造記者」扱いしていたとしか思えない。

  

穂積弁護士の熱弁は10分間にわたった。この間、正面の裁判官全員が書面に目を落としているのとは対照的に、被告側の喜田村弁護士はメモすらも取らずにじっと座っていたのが印象的だった。

このあと、今後の進行日程について意見が交わされ、植村氏側弁護団と裁判長の間でやりとりがあった。次回(第12回)期日は4月25日と決まったが、証人尋問も含めた次々回については、植村氏側は9月以降の開催を求めた。その理由として、「西岡氏が札幌訴訟の証人尋問に関して提出した書面についても法廷できちんと議論すべきだ」と主張した。これに対して、裁判長は7月開催を提案し、被告側も同調したが、結論は出なかった。閉廷は午後3時48分だった。

 

口頭弁論終了後、報告集会が国会議事堂近くの参議院議員会館で午後4時半から開かれた。参加者は約100人。弁護団報告(順に穂積剛、神原元、大賀浩一弁護士)と福島瑞穂参院議員のあいさつの後、東京新聞の望月衣塑子記者が「記者への攻撃と報道の自由」と題して講演し、最後に植村氏が近況と今年の抱負、決意を語った。

 

東京地裁 第12回口頭弁論 2018年4月25日

金学順さんがはっきりと「強制的に連行」と語っていた証拠を提出

 

この日、植村弁護団は、金学順さん自身が記者会見で「強制的に連行された」と語った重要な証拠を初めて提出し、被告側の「捏造」決めつけ根拠が崩れていることを、あらためてきびしく指摘した。

3時30分、103号法廷で開廷。植村弁護団は中山武敏弁護団長ほか12人が着席、札幌弁護団の小野寺信勝弁護士も後列に座った。被告側は喜田村洋一弁護士と若い男性弁護士のふたりだけ、法廷正面の裁判官席の原克也裁判長と左右陪席も、前回と変わりはない。定員が90人ほどの傍聴席はほぼ満席となった。

提出書面の確認のあと、植村弁護団の吉村功志弁護士が、提出証拠のうち金学順さんの発言に関わる4点の要旨を読み上げた。証拠4点は次の通り。

①1991年8月14日にソウル市で行った記者会見を報じた韓国KBSテレビのニュース映像と、その発言を正確に起こした反訳書、②その記者会見に出席した韓国紙ハンギョレの元記者金ミギョン氏の陳述書、③同じく韓国紙東亜日報の元記者李英伊氏の陳述書、④同日、記者会見に先立って単独インタビューをした元北海道新聞記者喜多義憲氏の陳述書

このうち、②③は植村弁護団が韓国での調査活動を重ねて手に入れた貴重で重要な証言だ。また④はすでに札幌訴訟第11回(2月16日)で陳述されているが、同様に重要な意味をもつために提出された。

吉村弁護士は、それぞれの証拠が持つ意味を、つぎのように説明した。

①韓国・KBSテレビのニュース映像とその反訳書では、金学順さんが「16歳ちょっと過ぎたくらいのを引っ張って行って。強制的に。」「逃げ出したら、捕まって、離してくれないんです。」と語っていることがわかる。金学順さんは、韓国語で「끌고 가서」(クルゴカソ)と述べているが、これは「引っ張って行って」、「引きずって行って」といった意味の韓国語だ。韓日辞書にも「泥棒を交番へ引っ張って行った」との例文があげられている言葉だから、文字数が限られており同義であればより短い言葉を使う新聞用語としては「連行して」と訳することが多い。また「 강제로」(カンジェロ)という韓国語は漢字で書けば「強制」という熟語に副詞化する「」(ロ)という接尾辞が付いたものであり、「強制的に」という意味だ。【反訳全文は記事末に収録】

②ハンギョレ新聞元記者の金ミギョン氏は、この記者会見を現地で実際に取材した記者の一人だ。陳述書のなかで金記者は「金学順さんは会見で自己の経歴を示す言葉として『挺身隊』という言葉を使用しました」とはっきりと述べている。金記者が書いたハンギョレ新聞の記事には、「挺身隊」という記載はないが、その理由について金記者は陳述書で「挺身隊」と「従軍慰安婦」が違う意味であることを当時から知っていたため、「挺身隊」の代わりに「従軍慰安婦」という単語を使うべきだと考え「意図的に変えて書いた。」と証言している。

③東亜日報元記者の李英伊氏も記者会見を取材した記者の一人だ。赤い服を着て金学順さんの隣の席に座っているところがKBSニュース映像に映っている。陳述書のなかで李記者も「当時、金学順さんが記者会見で『挺身隊』という言葉を使ったのは間違いないことです。」と証言している。また当時の韓国では、「挺身隊」と「慰安婦」は一般的には同じ意味の言葉として使われており、自らも「挺身隊」という言葉は「従軍慰安婦」の意味だと思って使っていたと、証言している。

④北海道新聞元記者の喜多義憲氏は当時ソウル支局駐在記者で、記者会見の同日に金学順さんの単独インタビューをした。喜多記者は1991年8月15日付北海道新聞朝刊社会面記事で、金学順さんのことを「戦前、女子挺(てい)身隊の美名のもとに従軍慰安婦として戦地で日本軍将兵たちに凌辱されたソウルに住む韓国人女性」と紹介している。喜多記者は陳述書でも「金氏は私とのインタビューの冒頭、『私が挺身隊であったことを…』と言っていました」と明確に述べている。

▽以上の3人の記者の陳述書から、当時、金学順さんが自分自身のことを指して、従軍慰安婦という意味で「挺身隊」であったと述べていたことが明らかになった。またKBSニュース映像及び同反訳書により、金学順さん自身が、当時、強制連行されたとの事実を述べていたことも明らかになった。そうすると、植村さんが1991年8月11日付の記事で「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」との記述は、金学順さん自身が述べた経歴を記事の前文として簡潔にまとめた記述ということになる。植村さんが、「金学順さんの述べていない経歴を付加したこと」、との被告らの抗弁は成り立たないことが明白となる。

以上が吉村弁護士の陳述要旨である。

この裁判で被告西岡氏は、植村さんの記事を「捏造」と決めつけた根拠として、「①金学順さんの述べていない経歴を付加した、②金学順さんの述べた経歴を意図的に欠落させ適切に報じなかった、③原告が本件各記事に関して利害関係ないし動機を有していた」と主張してきた。植村弁護団はそのすべてについて繰り返し反論をしてきたが、この日の陳述は①に絞り込んで、あらためて西岡氏の論拠の一角を根本から突き崩す重要なものとなった。

法廷ではこの後、今後の進行について原裁判長が双方の予定と希望を聞き、裁判官合議のためいったん閉廷。3分後に再開し、原裁判長は9月5日(水)に証人尋問を行うと述べた。

当日は午前10時半から正午まで、週刊文春竹中明洋記者の証人尋問、休憩をはさんで、午後1時半から4時半まで植村、西岡両氏の順で本人尋問が行われる。竹中氏は週刊文春の取材記者。「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」(2014年2月)と「慰安婦火付け役朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ」(同8月)を書いた。

植村弁護団は竹中氏のほかに2人の証人尋問を申請しているが、裁判長は採否を明確にしなかった。

閉廷は午後3時50分だった。

 

金学順さんの発言反訳全文=吉村弁護士作成

16 조금 넘은 것을 引っ張って って강제로強制的に 울고서

 나갈라고 쫓아나오면 붙잡고  놔줘요한번 분풀이  말이라도 분풀이 하고 싶어요.

16歳ちょっと過ぎたくらいの(私)を引っ張って行って(連行して)。強制的に。泣いて。出て行くまいと(連れて行かれまいと)逃げ出したら,捕まって,離してくれないんです。一度憤りを鎮めることを,必ず,言葉だけでも憤りを鎮めたいんです(恨みを晴らしたいんです)。」

 

吉村弁護士の意見陳述要旨(全文)

1 はじめに

本日は,今回原告が提出した甲号証のうち甲第109号証から甲第113号証,つまり1991年8月の本件記事A(甲1)が執筆された直後である同年8月14日に,元慰安婦の金(キム)(ハク)(スン)さんがソウル市内で初めて行った記者会見を報じたKBSテレビのニュース映像(甲109)及び同反訳書(甲110),同記者会見を実際に取材した韓国・元ハンギョレ新聞記者金(キム)ミギョンさんの陳述書(甲111),韓国・元東亜日報記者李()(ヨン)()さんの陳述書(甲112)並びに同記者会見と同じ日に金学順さんの単独インタビューを行った元北海道新聞記者喜多義憲さんの陳述書(甲113)に関する意見陳述を行います。

2 これらの証拠と主張との関連性

まず,これらの証拠について,本件における主張との関連性を説明しておきます。被告らは,この裁判で,真実性及び相当性の抗弁として,①原告が金学順さんの述べていない経歴を付加したこと,②原告が金学順さんの述べた経歴を意図的に欠落させ適切に報じなかったこと,③原告が本件各記事に関して利害関係ないし動機を有していたこと,の3点を主張してきましたが,これらの証拠は,このうち,①原告が金学順さんの述べていない経歴を付加したこと,に対する反論を裏付けるための重要な証拠となります。

3 韓国・KBSテレビのニュース映像(甲109)及び同反訳書(甲110)

反訳書(甲110)を見ていただきたいのですが,記者会見の中で金学順さんが「16歳ちょっと過ぎたくらいのを引っ張って行って。強制的に。」「逃げ出したら,捕まって,離してくれないんです。」と語っていることがわかります。

(反訳書でハングルに日本語のルビを振った部分を見て下さい。)この会見で金学順さんは,韓国語で「끌고(クルゴ가서(カソ)」と述べていますが,「끌고(クルゴ가서(カソ)」は「引っ張って行って」,「引きずって行って」といった意味の韓国語です。韓日辞書にも「泥棒を交番へ引っ張って行った」との例文があげられている言葉ですから,文字数が限られており同義であればより短い言葉を使う新聞用語としては「連行して」と訳することが多いと思います。

また「 (カン)(ジェ)()」という韓国語は漢字で書けば「 強制(カンジェ)」という熟語に副詞化する「()」という接尾辞が付いたものであり,「強制的に」という意味です。

したがって,1991年8月の本件記事A(甲1)が書かれた直後の記者会見において,金学順さん自身が「私を連行して。強制的に。」つまり私は強制的に連行されたと明確に述べていたことになります。

4 韓国・元ハンギョレ新聞記者の金(キム)ミギョンさん(以下「金記者」という。)の陳述書(甲111)

金記者は韓国紙ハンギョレ新聞の元記者で,金学順さんの上記記者会見を現地で実際に取材した記者の一人です。

陳述書のなかで金記者は「金学順さんは会見で自己の経歴を示す言葉として『挺身隊』という言葉を使用しました。」とはっきりと述べています。金記者が書いたハンギョレ新聞の記事(甲67)には,「挺身隊」という記載はないのですが,その理由について金記者は陳述書で「挺身隊」と「従軍慰安婦」が違う意味であることを当時から知っていたため,「挺身隊」の代わりに「従軍慰安婦」という単語を使うべきだと考え「意図的に変えて書いた。」と証言しています。

5 韓国・元東亜日報記者の李()(ヨン)()さん(以下「李記者」という。)の陳述書(甲112)

李記者は韓国紙東亜日報の元記者で,やはり金学順さんの上記記者会見を現地で実際に取材した記者の一人です。赤い服を着て金学順さんの隣の席に座っているところがKBSニュース映像(甲109)に映っています。

陳述書のなかで李記者も「当時,金学順さんが記者会見で『挺身隊』という言葉を使ったのは間違いないことです。」と証言しています。また当時の韓国では,「挺身隊」と「慰安婦」は一般的には同じ意味の言葉として使われており,自らも「挺身隊」という言葉は「従軍慰安婦」の意味だと思って使っていた旨証言しています。

6 元北海道新聞記者の喜多義憲さん(以下「喜多記者」という。)の陳述書(甲113)

喜多記者は元北海道新聞記者で,金学順さんが初めて記者会見した同じ日に金学順さんの単独インタビューをした記者です。当時,ソウル支局駐在記者でした。喜多記者は,このときのインタビューを報じた1991年8月15日付(つまり原告が書いた本件記事Aが大阪本社発行の朝刊に掲載された4日後,東京本社発行の朝刊では掲載3日後)の北海道新聞朝刊社会面記事で,金学順さんのことを「戦前,女子挺(てい)身隊の美名のもとに従軍慰安婦として戦地で日本軍将兵たちに凌(りょう)辱されたソウルに住む韓国人女性」と紹介しています。

喜多記者は陳述書の6ページ2段落目で「金氏は私とのインタビューの冒頭,『私が挺身隊であったことを・・・』と言っていました」と明確に述べています。

7 まとめ

今回3人の記者の陳述書から,当時,金学順さんが自分自身のことを指して,従軍慰安婦という意味で「挺身隊」であったと述べていたことが明らかになりました。

またKBSニュース映像及び同反訳書により,金学順さん自身が,当時,強制連行されたとの事実を述べていたことも明らかになりました。

そうすると1991年8月の本件記事A(甲1)で原告が書いた「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」との記述は,金学順さん自身が述べた経歴を記事の前文として簡潔にまとめた記述ということになります。

この点,当時,原告と面識のない北海道新聞の喜多記者も同様の趣旨で「女子挺(てい)身隊の美名のもとに従軍慰安婦として戦地で日本軍将兵たちに凌(りょう)辱されたソウルに住む韓国人女性」と金学順さんの経歴をまとめているのですから,原告は新聞記者として常識に適(かな)ったまとめ方をしたものと言えます。

最後に付け加えますと,以上の証拠から,①原告が金学順さんの述べていない経歴を付加したこと,との被告らの抗弁は成り立たないことが明白となるわけですから,この論点における重要な証人である金記者の証人尋問を行うことが必要不可欠であると考えます。

以上

 

東京地裁 第13回口頭弁論 2018年9月5日

西岡氏、本人尋問で重要な誤りと証言改変を認める 

 

東京訴訟の第13回口頭弁論は9月5日、東京地裁で開かれ、原告植村隆氏(元朝日新聞記者)と被告西岡力氏(元東京基督教大学教授)、証人の竹中明洋氏(元週刊文春契約記者)に対する人証調べ(本人および証人の尋問)が行われた。午前10時30分に始まった尋問は、竹中、植村、西岡氏の順に行われ、午後5時過ぎ終了した。

裁判の核心にかかわる重大事態

西岡氏は、自身の記述に重要な誤りがあることを認め、韓国人元慰安婦・金学順さんの証言の重要な部分を削除したり、韓国紙の引用としてもとの記事にない記述を付け加えたりして「捏造」決めつけの根拠としたことも認めた。いずれも、この裁判の核心にかかわる重大な事態である。先の札幌訴訟・櫻井尋問と同じように、「捏造」決めつけの根拠は完全に崩壊した。植村氏への「名誉毀損」攻撃の違法性は法廷で明白になった。もはや西岡、櫻井両氏の抗弁は成立しないことを、両氏が認めたということである。

 

尋問後に今後の進行について意見交換と裁判官合議があり、植村弁護団が求めていた2人の証人尋問は不採用となった。このため、次回で審理は終了することになった。次回第14回口頭弁論は11月28日(水)午後2時から同法廷で開かれる。

 

この日の東京は、前日に関西を直撃した台風21号の余波の強風が吹いたが、初秋の強い日差しの下、最高気温は34度となり、きびしい残暑の1日となった。

裁判所が103号法廷に用意した傍聴席は94席。抽選予定の午前10時10分までに整列した人は84人だった。定員にわずかに満たなかったため抽選は行われず、全員が入廷できた。

 

午前10時27分、原克也裁判長と2人の裁判官が法廷に入った。弁護団席は植村氏側が14人、西岡氏側は2人が座っている。植村氏側には、中山武敏(団長)、宇都宮健児、黒岩哲彦弁護士や、札幌弁護団の渡辺達生、大賀浩一弁護士の姿もあり、午後には札幌から秀嶋ゆかり、小野寺信勝両弁護士も加わった。

「少し早いですが始めます」と原裁判長が宣言し、証拠に関する弁論手続きを終えて本人尋問が始まった。法廷全体に緊張した空気が張りりつめる中、本人尋問は淡々と進んだ。尋問内容を巡る異議の発出や、裁判長の注意や発言制止はほとんどなかった。午前10時半から午後5時過ぎまで、2回の途中休憩をはさんで尋問は正味4時間40分。東京訴訟では初めての長丁場となった。

西岡氏、意図的な証言改ざん

もっとも注目されたのは西岡氏の尋問だった。西岡氏は、植村氏の記事を「捏造」と決めつける根拠としている重要な事実について、訴状に書かれていないことを「訴状に書き」と紹介するなどの記述の誤りを認めた。さらに、穂積剛弁護士の追及により、韓国紙記事からの引用として金さんの証言を記述した論文で、もとの記事にない「40円で売られた」という記述を付け加えていたことを認め、「間違いです。気づいて訂正した」と述べた。さらに金さんの証言のうち、強制連行を裏付ける重要な部分を引用してこなかったことも認めた。「意図的な証言改ざん」ともいうべき記述について、穂積弁護士は「あなたは植村さんに対して、事案の全体像を正確に伝え読者の判断に委ねるべきだった、と批判するが、それは逆にあなたに向けれられるべきだ」と迫った。西岡氏は「批判はあり得るが、(その部分は)必要ないと思って書かなかった」と普通の口調で答えた。無責任で不誠実な答えではないか。廷内はざわつき、「それこそが捏造だ」と声を出す人もいた。

西岡氏は「金学順さんは人身売買によって慰安婦にさせられた」との従来の主張も繰り返し、植村さんの記事については、「いまも捏造だと思っている」とも述べた。植村氏への批判を「事実誤認」から「捏造」へとエスカレートさせた点については、「捏造とは、誤りようのない事実誤認のことを意味する」との新しい解釈を明かし、「私の植村批判は一貫している」と答えた。

4年前の記憶失った?元文春記者

吉村功志弁護士による竹中氏の尋問は、同氏が2014年1月と8月に書いた週刊文春の記事の取材意図と社会に与えた影響に絞られた。植村氏の大学教授就任内定(神戸松蔭女子学院大)と非常勤講師継続(北星学園大)にニュース価値があるのか、との問いに竹中氏は、「編集部デスクの指示によるものだった。指示に従うのは当然だった」と答えた。記事の重要な骨格となった秦郁彦氏と西岡氏への談話(コメント)取材の経緯については、「覚えてません」「記憶にありません」と繰り返した。
意味不明の答弁に廷内に失笑がもれる場面もあった。記事中にある「朝日新聞関係者」の発言について、今回提出した陳述書では「朝日新聞とは別のメディアの記者」から聞いた、と書いていることについて説明を求められると、「広い意味での朝日新聞関係者だが、必ずしも社員ではない」などと、しどろもどろな口調で答えていた。
尋問が終わった後、小久保珠美裁判官と原克也裁判長からも、デスクの取材指示の内容や秦、西岡両氏の関連文献を読んだ時期などについて、詳細な質問が飛んでいた。

「不当なレッテルをはがして」と植村氏

植村氏の尋問は、主尋問を神原弁護士と永田亮弁護士が担当した。神原弁護士は、1991年8月と12月に植村氏が書いた記事について、西岡氏が「捏造」と決めつける根拠(①金さんは「女子挺身隊の名で連行された」とは言っていない②金さんはキーセン学校に通っていた③義母が幹部を務める団体の裁判を有利に進める動機があった、など)への反論を求めた。植村さんは3年8カ月前に提訴して以来、法廷と講演、執筆などで繰り返してきた説明を簡潔にまとめる形で答えた。裁判官席で背をきちんと伸ばし、植村氏の話に聴き入る小久保裁判官の表情が印象的だった。

永田弁護士は植村氏が受けた被害と損害を詳しく語るように求めた。本人、家族、大学への脅迫やいやがらせの実態も、提訴以来同じように語り続けられてきたことだが、植村氏は最近の動きとして、国内の大学教員への公募にはいまも応募しているがすべて書類選考ではねられていることを明かし、「私の生活はずたずたにされ、私の夢は断たれたままだ」と訴えた。

そして最後に裁判官席に向かって、「私は捏造記者ではありません。私は当時、被害者やその支援者団体の人々から聞き取った話を正確に記事にしたに過ぎません。裁判所に提出した証拠資料を精査していただければ、私が捏造記者ではない、ということは明らかだろうと思います。私にかけられた不当なレッテルをはがしてください。そのような判決を望みます」と語りかけた。

枝葉末節な記憶はない

植村氏への反対尋問は、喜田村洋一弁護士が48分にわたって行った。喜田村弁護士の口調はいつものように静かで穏やか。しかし、声が小さくて聞き取れないこともあり、尋問の冒頭、傍聴席から「マイクの音量を上げるように」との声が飛んだ。

尋問は、植村さんが記事の前文で書いた「女子挺身隊の名で戦場に連行され」と、本文で書いた「(金さんは)だまされて慰安婦にさせられた」とのふたつの記述について、取材で聞いた証言テープの内容の詳細な記憶を含め、同じ質問が行きつ戻りつ、繰り返された。時折、喜田村弁護士の声が苛立ちで震えているように聞こえた。

植村氏は、「先ほどの竹中さんは4年前のことも良く知らないという。私が記事を書いたのは27年前。枝葉末節にかかわる記憶はまったくないが」と答え、記事はテープの聴き取りとその前日の取材、そしてそれまでの取材で得た知見に基づいていることを説明した。尋問の後、裁判官からの質問はなかった。

 

西岡氏と竹中氏の尋問の様子を「植村裁判を支える市民の会」ブログは次のように伝えた。

 

西岡氏尋問、重要な証拠記事の改ざんを認める

慰安婦記事を「捏造」したと攻撃された元朝日新聞記者の植村隆さん(60)が名誉回復を求めている訴訟の本人尋問が95日、東京地裁で開かれ、被告の西岡力氏(元東京基督教大学教授)が初めて証言した。西岡氏は「捏造」と決めつけた根拠として元慰安婦の訴状と韓国紙の記事を証拠にあげていたが、そのいずれも引用を誤り、記事には原文にない文章を加えていたことを認めた。「捏造」という西岡氏の主張は、法廷に提出された証拠によって大きく揺らいだ。

植村さんは1991年に韓国で初めて元慰安婦として名乗り出た金学順さんについて記事を書いた。それらの記事について、西岡氏は①「女子挺身隊の名で戦場に連行され」という本人が述べていない経歴を加えた②本人が述べた「親に40円でキーセンに売られた」という経歴を書かなかった、などを理由に「ねつ造」と主張。論拠として、同年8月の韓国紙ハンギョレ新聞の記事や同12月に日本政府を提訴した際の訴状で、金さん本人が「親に身売りされて慰安婦になった」と述べていると指摘していた。

西岡氏は2014年2月6日号の『週刊文春』に掲載された「”慰安婦捏造“朝日新聞記者」という見出しの記事にコメントを寄せた。その中で、植村さんの記事について、金さんが「親に身売りされて慰安婦になった」ことを知りながら、「そうした事実に触れずに、強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事と言っても過言ではありません」と断言した。この記事がきっかけで、植村さんが同年4月から赴任するはずだった女子大に250通もの抗議メールや電話が殺到。再就職をあきらめざるを得ない立場に追い込まれた。

西岡氏は、植村さんの義母が日本政府を訴えた韓国の団体の幹部だったことも指摘して、「義母の裁判を有利にするために、紙面を使って意図的にウソを書いた」とも主張。そのため、植村さんとその家族はネット上に顔写真や住所などを公開され、「殺す」などと脅迫が相次ぎ、高校生の娘に警察の警護がつく事態になった。その攻撃がピークに達していた141023日号の『週刊文春』で、櫻井よしこ氏と対談して「被害者ぶるのはお止めなさい」と追い打ちをかけた。植村さんは結局、日本の大学では転職先が見つからず、現在は韓国の大学に客員で勤めている。

ところが法廷の尋問で、金さんの訴状にも、韓国紙の記事にも、西岡氏が書いたような記述はないことが明らかになった。それどころか、金さんの記者会見を報じた韓国各紙によると、金さんは自らを「挺身隊」だったと話していた。また、会見を伝えたニュース映像で、本人が「強制的に引っ張っていかれた」と述べていたことが確認された。

訴状に「親に40円でキーセンに売られた」という記載がなかったことについて、西岡氏は「記憶違いだった」と認め、訂正について「裁判が終わってから必要があれば考える」と述べた。

もうひとつの論拠だったハンギョレ新聞についても、「私は四〇円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」という核心となる部分の記述が、元の記事にはないことが明らかになった。

西岡氏は「間違いです」と認めたが、「なぜ付け加えたのですか?」「どこからこの文章を持ってきたのですか?」という弁護団の追及には、「覚えていないです」「確認していなかった」と小声で繰り返すばかりで、詳しい説明を避けた。

このハンギョレ新聞の西岡訳は、主著『よくわかる慰安婦問題』や雑誌『正論』などで「捏造」の証拠として繰り返し引用されてきたものだ。西岡氏は、その翻訳に際して「捏造」説に都合のよい文章を自分で挿入していた、と法廷ではっきり認めたのだ。傍聴席もどよめいた。

ハンギョレ新聞の記事は後半で、金さんの言葉として「私を連れて行った義父も当時、日本軍人にカネをもらえず武力で私をそのまま奪われたようでした」と報じている。だが、西岡氏はこの部分は一度として引用していない。

つまり、記事の翻訳に元の記事に書いていない文章を挿入する一方で、元の記事が書いていた「強制連行の被害者としての証言」の部分は無視してきたわけだ。

植村さんが提訴した後も、西岡氏は、「(金さん)本人が話していた貧困のため母親にキーセンとして置屋に売られ、置屋の主人に日本軍慰安所に連れていかれたという重大な事実を書かなかった」として、植村さんの「捏造」を非難している(「私を訴えた植村隆・元朝日新聞記者へ」『正論』15年3月号)。

しかし法廷で明らかになったように、「キーセン置屋の主人に日本軍慰安所に連れていかれた」とは、金さんは一度も語ったことがないのだ。西岡氏が法廷に提出した証拠でも、金さんは「姉さんと私は別の軍人たちに連行されました」「養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです」と明言している。

本人が語った「日本軍に連行された」という証言は無視して、本人が言ってない「親に四十円でキーセンの置屋に身売りされた」「置屋の主人に日本軍慰安所に連れていかれた」という経歴を書き加えてきたのが西岡力氏である。これこそ「捏造」ではないだろうか。

「義母から便宜をうけて記事を書いた」という主張も、当時のソウル支局長が植村さんとの電話で情報を提供して「取材にこないか」と誘ったことが立証されている。

植村さんと西岡氏のどちらが「捏造」したのか、その問いに対する答えが浮き彫りになった法廷のドラマだった。              

text by 水野孝昭(神田外語大学教授、朝日新聞OB)

 

竹中氏尋問、あぶり出された「植村バッシング」の構図と背景

週刊文春で植村バッシングを煽る記事を書いた元記者、竹中明洋氏に対する証人尋問は、原告植村隆氏と被告西岡力氏の本人尋問に先立って行われた(第13回口頭弁論、9月5日東京地裁)。

植村弁護団はこの日の尋問で、記事の意図と取材の経緯、記事がもたらした影響、被害とその責任について、具体的に明らかにするように強く迫った。竹中氏は取材の意図については「デスクの指示に従って取材した」と答え、被害をもたらした責任については「脅迫などを煽ってはいない。大学に向けて抗議が起こることは予見もしなかった」と述べ、責任を否定した。その一方で、詳細については語ることを避け、「覚えていません」「記憶がありません」などと逃げの姿勢に終始した。

植村弁護団の持ち時間は25分だった。時間の制約と竹中氏の逃げの答弁によって、尋問は真相解明の入り口にさしかかったところで終わった。しかし、重要な事実関係を語ろうとしない証人の不誠実さと無責任な態度は法廷で際立つ結果となった。植村氏と家族の人権、名誉、プライバシーを踏みにじっていまも平然とする記者の取材姿勢もはっきりと浮かび上がった。

竹中氏は白いシャツ姿の軽装で出廷し証言台に立った。「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず偽りを述べないことを誓います」と型通りの宣誓文を読み上げて、午前10時30分すぎ、尋問は始まった。

最初に被告側代理人の藤原大輔弁護士が25分間、主尋問をした。竹中氏はすでに取材の経緯や所感を綴った陳述書を法廷に提出していた(3月20日付)。主尋問はその書面をなぞる形で進行した。
主尋問で竹中氏は、

▽取材は週刊文春編集部デスクの指示で行った。西岡力氏には会って取材した。植村氏には取材を申し入れたが、朝日新聞の広報を通してといわれた。広報には質問書を送り回答を得た。▽2つの大学には質問メールを送ったが、その内容に問題はない。植村氏の職を奪い社会から抹殺しようとしたことはない。あくまでも記者として指示に従い、適正な取材をした。▽脅迫行為は断じてあってはならないと思う

などと語った。

竹中氏のよどみない口調は、植村弁護団の反対尋問になって一転、あいまいな部分が多いものになった。担当したのは吉村功志弁護士。朝日新聞記者から転じた気鋭の法曹である。吉村弁護士は、陳述書で書かれていることの矛盾点や、たったいま竹中氏が滔々と述べた答弁の詳細に次々と迫った。以下、尋問の流れを整理して、主なやりとりを再現する。(いずれも要約。一部、順の入れ替えがある)

竹中氏は週刊文春2014年2月6日号で、「朝日新聞関係者」の談話として「本人は『ライフワークである日韓関係や慰安婦問題に取り組みたい』と言っているようです」と書いている。ところが、竹中氏は陳述書の中で、談話の主を「別のメディア記者」と書いた。そもそも、植村氏は記事が出た直後から、「そのようなことは言っていない、当時は慰安婦問題とは距離を置いていた」と強く否定し続けている。そうすると、竹中氏は談話をもっともらしいものに仕立てるために「朝日新聞関係者」と書いたが、植村氏の追及を免れるために、陳述書では「別のメディア記者」と書いたのではないか。吉村弁護士は、尋問の冒頭にこの点を追及した。

吉村弁護士 記事と陳述書では矛盾してますね。

竹中証人 取材源に関わる部分なので詳しくは説明できないが、別のメディアの記者というのは、広い意味で朝日新聞に関係している人で、陳述書の通りだ。

吉村弁護士 朝日新聞関係者と書いたのは誤りではないか。          

竹中証人 朝日新聞に関係されている方だ。関係しているという意味は広い意味で関係しているという意味だ。

吉村弁護士 朝日新聞関係者というのは朝日新聞の社員とかそこで働いている契約社員とかをいうのではないのか。

竹中証人 必ずしも社員であるという場合だけではないというふうに思う。

吉村弁護士 朝日新聞の関係者であるならば、朝日新聞に関係のある別のメディアの記者と書くべきではないか。

竹中証人 ただ、その方は、繰り返しになって恐縮だが、朝日新聞に関係のある方でもありますし。

吉村弁護士 関係者というのはどういう関係か。

竹中証人 それは取材源の秘匿にかかわる部分なので詳しくは申し上げられない。

吉村弁護士 朝日新聞の記者ではない、朝日新聞で働いている人でもないということですね。

竹中証人 いま現在は朝日新聞記者ではありません、取材した当時、朝日新聞の記者ではありません。

冒頭から不意打ちを食らわされたような気分だったのだろう。竹中氏の答えは理解不能領域で行きつ戻りつしている。竹中氏はこのあとにつづく尋問で、防御姿勢を強め、殻を固くしていった。

竹中氏は2014年2月と8月、週刊文春で植村氏の実名をあげて「捏造」記者と決めつけ、神戸松蔭女子学院大学の教授就任予定(2月の記事)と札幌の北星学園大学で非常勤講師をつとめていること(8月)を、大学の実名をあげて書いた。

この結果、両大学に抗議やいやがらせの電話やメールが殺到し、植村氏はふたつの大学での職を失うこととなった。「捏造」記者との表現は、2月の記事中、西岡力氏の談話で用いられた。

2014年当時、週刊文春は嫌韓、反朝日キャンペーンを連発し、部数を伸ばしていた。当時の編集長は新谷学氏。文春のスクープは「文春砲」の異名でもてはやされ、新谷氏は「週刊文春編集長の仕事術」というドヤ本をダイヤモンド社から発行している。その中では同誌の取材体制も得意げに明かされているが、毎週木曜日に開くプラン会議に出席する記者には、5本の記事プラン提出がノルマとして課せられていたという。竹中氏は正社員でなく特派記者と呼ばれる契約社員だった。だからスクープ競争の激しい週刊誌業界の最前線にあって、スクープには人一倍の執念を燃やしていたのではないか。ところが、2つの記事とも、自分のプランではないという。

吉村弁護士 記者には5本のノルマがあったそうですね

竹中証人 おっしゃる通りです

吉村弁護士 陳述書では、デスクに指示を受けて取材を開始した、とあるが、あなたのプランではないのか。

竹中証人 そのような事実はない。

吉村弁護士 このプランをデスクはどうやってみつけたのか。

竹中証人 わからない。デスクが自分でネタをみつける場合もあるので、なんとも申し上げようがない。

吉村弁護士 デスクから指示があったということか。

竹中証人 おっしゃる通りだ。

吉村弁護士 秦郁彦氏や西岡力氏に会ったのもデスクの指示か。

竹中証人 デスクの指示だったか私が思いついたのか、記憶が定かではない。

竹中氏はこの取材の過程で、神戸松蔭女子学院大学に植村氏の教授採用予定があるかどうかを質問している(2014年1月27日)。そのメール文面には、「この記事をめぐっては現在までにさまざまな研究者やメディアによって重大な誤り、あるいは意図的な捏造があり、日本の国際的イメージを大きく傷つけたとの指摘がかさねて提起されています。貴大学は採用にあたってそのようなな事情を考慮されたのでしょうか」とある。

吉村弁護士 質問状を出す前にあなたは大学に電話して、「植村さんが教授になるのは本当か、捏造記事を書いた人ですよ」と言ってますね。

竹中証人 記憶にない。

吉村弁護士 この記事が出て、神戸松蔭には抗議があって、植村さんの採用は取り消された。抗議があったことは知ってるか。

竹中証人 伝聞で聞いた。

吉村弁護士 どういう伝聞か。

竹中証人 覚えていない。

竹中氏は朝日新聞社にもファックスで質問を送った。陳述書によると、質問は3点あり、①植村氏の神戸松蔭女子学院大学の教授に就任予定の有無、②植村氏の記事が誤りだとする指摘への見解、③前主筆・若宮啓文氏の「吉田証言」関連記述についての見解、を求めている。ファックスで送ったのは1月28日午前中、朝日新聞社から回答があったのは同日午後、とも書いている。

このうち②の内容は次のようなものだった。

<植村氏の署名入りの1991年8月11日付の記事について、これまでに西岡力氏や秦郁彦氏から、事実関係に誤りがあるとの指摘がなされているほか、2013年5月15日付け読売新聞4面の「Q&A従軍慰安婦問題とは」と題する記事には、「朝日新聞が『日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた』と報じたことがきっかけで、政治問題化した。特に『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した』と事実関係を誤って報じた部分があり、韓国の反発をあおった」とあるが、これら指摘に対する見解を聞かせてほしい>

吉村弁護士 朝日新聞社から回答がありましたね。

竹中証人 詳細は覚えていない。

吉村弁護士 (②の回答を読み上げて)このような回答でしたね。

竹中証人 正確な記憶がないのでなんともお答えのしようがない。

吉村弁護士 あなたはこの回答をあえて紙面に載せていませんね。

竹中証人 あえて、ではなく、結果として載せていない。

脅迫状まがいの質問状は、8月に北星学園大学にも送りつけられた。その文面には、「植村氏をめぐっては、慰安婦問題の記事をめぐって重大な誤りがあったとの指摘がなされていますが、大学教員としての適性に問題ないとお考えでしょうか」とある。

吉村弁護士 あなたが植村さんには大学教員の適性がないと考えたからですね。

竹中証人 たしかに適性という言葉を使っているが、私が植村さんに適性がないなんていうことを思ったことはない。

吉村弁護士 じゃあ、どうして訊いたのか。

竹中証人 ほかに表現を知らなかったからだ。(傍聴席に笑いとざわめきが起きる)

吉村弁護士 疑問を感じたから訊いたんでしょう。

竹中証人 ですから、ここに書いてあるように指摘されていると。

吉村弁護士 だれが、適性がないと指摘しているのか。

竹中証人 巷間、一般的にです。

吉村弁護士 ネットで見たのか。

竹中証人 ネットであるのか記事であるのかわからない。そのような言い方をされていたので、どこにどう書いてあったのかは覚えていないが。

吉村弁護士 あなたが取材した西岡さん、秦さんに言われたのか。

竹中証人 うーん、誰と言われても、それは記憶していない。

吉村弁護士 少なくとも疑問は持っていたわけですよね。

竹中証人 私は識者である西岡さんが書いたものをそのまま記事にしただけだ。そのような先入観を持っていたわけではない。

吉村弁護士 そうですか。あなたは、週刊文春の8月の記事の地の文で「今ではこの記事には捏造と言えるほどの重大な誤りがあることが明らかになっている」と書いている。

竹中証人 言えるほどの、と書いていて、断定はしていない。(傍聴席、笑い声)

吉村弁護士 あなたは同じ記事の文末で、「韓国人留学生に対して自らの捏造記事を用いて再び“誤った日本の姿”を刷り込んでいたとしたら、とんでもない売国行為だ」と書いている

竹中証人 いたとしたら、と仮定の話として書いている。断定はしていません。 

 

西岡氏の「捏造」決めつけ攻撃は、2014年当時、たくさんの雑誌、新聞を舞台に繰り広げられたが、最も影響力を持った媒体は週刊文春だった。事実、週刊文春の発行日に符合するかのように、植村バッシングは勢いを増していた。しかし、竹中氏はそのような事実に正面から向き合う説明はしなかった。

吉村弁護士 この記事が出た後、松陰には次々と抗議が殺到したんですが、ご存じない。

竹中証人 伝聞では聞いた。

吉村弁護士 植村を辞めさせろという抗議ですよ。

竹中証人 くわしくは存じ上げない。

吉村弁護士 文春には反響が来たんですか。

竹中証人 来たかどうかも存じ上げない。

吉村弁護士 あなたは、2月の記事で神戸松蔭に抗議が殺到したことを知っていた。8月に同じような記事を書くとき、同じように北星にも抗議が殺到することを予見していましたね。

竹中証人 同じようなことが起きるとは思いません。

吉村弁護士 期待していましたね。

竹中証人 とんでもない。そんなことを期待していたことはない。

 

週刊文春は、2月の記事の1カ月後にも朝日新聞の慰安婦報道を批判する特集記事を掲載している(3月13日号)。その中で、植村氏が神戸松蔭の採用を取り消されたことを報じ、同時に文春側が朝日新聞社から受けた回答を16行にわたって掲載している。「91年8月11日付朝刊記事を書いた当時、韓国では『女子挺身隊』と『従軍慰安婦』が同義語として使われていました」という内容だ。朝日新聞社は2月6日号用の竹中氏の取材に対しても、同趣旨の回答をしている。この朝日の回答が2月の記事に載っていれば、「捏造ではない」とする朝日新聞社の見解が神戸松蔭にもきちんと伝わっていたのではないか、と植村氏は憤っている。

竹中氏はこの3月の特集には関わらず、記事も書いていない。読んでもいないという。自分の記事によって起きたことを書いている記事、しかも自分が所属する雑誌の記事を読んでいないということがあるのだろうか。あまりにも不自然である。植村弁護団の穂積剛弁護士は、吉村弁護士の尋問が終わったあと、補充質問を行った。

穂積弁護士 あなたはこの記事を読んでいないとおっしゃいましたね。ただ、この記事が出た当時、編集長やデスク、同僚から、植村の神戸松蔭への就職はなくなったらしいぞ、というような話は聞いたことがありますか。

竹中証人 えーと、聞いたことがあったか、なかったか、記憶は正直ありません。

穂積弁護士 自分の書いた記事の反響だから、聞いてたら覚えているのではないか。

竹中証人 あのー、ほんと、私たちの仕事は毎日毎日取材してるもんですから、覚えておりません。

穂積弁護士 神戸松蔭のほうに反響があったことは伝聞で聞いたと先ほどおっしゃったがどのようなことを聞いたか。具体的に言ってください。

竹中証人 神戸松蔭の先生になる予定だったのが、なれなくなったという感じです。

穂積弁護士 その理由については、どういうふうにか。

竹中証人 そこまではよく覚えていない。

穂積弁護士 自動的に採用がなくなるわけがないから、たぶん抗議か何かがあってなくなったんだろうと。

竹中証人 たぶん、そうなんだろうなあと思ったかどうか、ちょっとそこまでは、詳細に記憶しておりません。

 

吉村、穂積両弁護士による反対尋問は、予定通り25分で終わった。この後、尋問を経ても明確な答えが得られなかったポイントを、裁判官と裁判長が問い質した。主なやりとり。

小久保裁判官 西岡さんと秦さんの取材についてデスクからはどういう指示があったのか。

竹中証人 よく覚えていない。

小久保裁判官 慰安婦問題で以前に書いたり取材したことはあったか。

竹中証人 記憶の限りでは、ない。

小久保裁判官 慰安婦問題のようにいろいろな考えや意見がある問題で、だれにコメントを求めるかは、相談して決めるのか。

竹中証人 することもあり、なかったり、とケースバイケースだ。この場合は記憶が定かではない。

原裁判長 朝日新聞社への質問②の、記事には誤りがあるとの指摘は、媒体あるいはものといってよいのか、具体的になんなのか、今の時点で特定できますか。

竹中証人 記憶が定かではない。

原裁判長 文面だったり記事だと思うが、それえは読んでいたんですか。

竹中証人 質問するときには読んでいた。

原裁判長 西岡さんの本は取材するさいに読んでいましたか。

竹中証人 はい、取材する前か後かに読んでいた。

原裁判長 その本はなんですか。

竹中証人 4年前のことなので覚えていない。

原裁判長 甲3号証から6号証は、西岡さんが書いたもので、原告から(名誉毀損だと)指摘されているものですが、これらは読んだことはありますね。

竹中証人 えーと、4号証はサイトの記事ですね、記憶がない、いや読んだか、あとは読んだか読んでないかわかりません。

原裁判長 そうすると、読んだか読んでないかわからない、ということですね。

竹中証人 そうです。

原裁判長 わかりました。終わります。

 

裁判官の質問は約15分。この間、竹中氏の緊張はピークに達していたようだ。ここでも理解不能の答えが目立った。質問で深入りされるのを防ぐためにとぼけているのか、ほんとうに記憶がないのか。たぶん、その両方だろう。

原裁判長の最後の質問は、証人尋問に臨むにあたって竹中氏が重要な書面をきちんと読み込んだかどうかを問うもののようにも聞こえた。そして、竹中氏は予想に反して、まったく読んでいないことを白状した。


その竹中氏は、その後、週刊文春を去り、フリーのジャーナリストとして沖縄をめぐるヘイトスピーチ行動に加わり、沖縄紙批判などの記事を書いている。現在は沖縄県知事選の保守候補の選対に入り込んでいるという。

植村バッシングに加担した週刊誌記者がじつは、歴史修正勢力と深くつながっていたということである。植村バッシングの構図と背景を、竹中氏は法廷と沖縄で自ら、さらけ出すことになった。

このような記者を重用し、「朝日・植村バッシング」を先導かつ扇動した文藝春秋の責任も厳しく問われるべきだ。

 

東京地裁 第14回口頭弁論 2018年11月28日

最終準備書面を提出し結審

 

第14回口頭弁論は午後2時から、東京地裁103号法廷であり、原告被告双方が最終準備書面の陳述(提出)を行って、すべての審理を終了した。判決言い渡しは2019年3月20日午前11時に行われる。2015年4月27日に始まった東京訴訟は、3年7カ月の時間を費やして結審し、判決を待つことになった。

この日の法廷に、植村弁護団は中山武敏団長はじめ17人が出廷した。被告側席には、いつものように西岡氏の姿はなく、喜田村洋一、藤原大輔の2弁護士が座った。ふたりの席のテーブルには青と黄の10冊のファイルが積み上げられていた。傍聴抽選はなかったが、傍聴席はほぼ満席となった。

植村弁護団は、神原元・事務局長が最終準備書面の要旨を次のように口頭で補足した。

①被告西岡氏の「捏造」決めつけは、論評・意見ではなく、事実の摘示である。

②「捏造」は、意図的に事実をねじ曲げることであるから、被告西岡氏は植村氏に故意があったことを立証しなければならないが、できていない

③植村氏の記事にある「女子挺身隊として送られた」は、地の文として書かれており、金学順さんの発言をそのまま引用したものではなく、金さんの立場や境遇を植村氏が要約して表現したものだから、金さんが録音テープの中でそのように語ったかふどうかを被告側が問題とするのはナンセンス(誤り)だ、

④被告西岡氏は、金さんのキーセン学校の経歴を書かなかったことを「捏造」決めつけの根拠のひとつとしているが、植村氏はそれがどうしても書かなければならない重要なことだとは考えていなかったのだから、その決めつけはあたらない。1991年当時、他紙の報道もキーセン学校の経歴は書いておらず、それが一般的な解釈であったことは、西岡氏も本人尋問で認めていることではないか

④西岡氏の植村氏に対するバッシングはあまりにも理不尽で、根拠がない

続いて植村氏が最後の意見陳述を約10分にわたって行った。「弁護団が積み重ねてきた、植村が捏造記事を書いていない、という事実の一つ一つを詳細に見ていただき、私の名誉が回復し、言論の自由が守られ、正義が実現するような判決を出していただきたいと思います」と述べて陳述を終えると、傍聴席の3、4人が拍手をした。法廷で拍手が起きたのは東京、札幌訴訟を通じて初めてだった。原克也裁判長は「これで弁論は終了します」と宣言し、判決言い渡しを2019年3月20日(水)午前11時に行う、と述べ、午後2時20分閉廷した。

 

最終準備書面の要旨

原告代理人弁護士 神 原    元

1 結審を迎えるにあたり、特にご指摘しておきたい点を3点に絞って述べさせて頂きます。

2 第1に、本件で「捏造」とは事実の摘示であり、意見なり論評なりということはあり得ないということであります。

本件における「捏造」の意味について、被告西岡は、著作(甲3号証47頁、記載A⑤)で、極めて明快に定義しております。

植村記者の捏造は(中略)、義理のお母さんの起こした裁判を有利にするために、紙面を使って意図的なウソを書いたということだ

ここまで明確に定義されているのですから、誤解の余地などあるはずがありません。ここで「捏造」とは「意図的なウソを書いた」という意味であり、被告西岡は、一貫して、「原告は義母の裁判を有利にするという悪しき動機をもって金学順の証言を意図的にねじ曲げてこれと異なる記事を書いた」と述べているのです。「意図的なウソをついたかどうか」が証拠等をもって存否を決することができる事項であることも明らかであります。

ここでの「捏造」は、「意図的なウソ」ですから、故意によるものであることが必要です。したがって、本件で、被告らは、単に①原告の記事が金学順の証言と異なることを立証したのでは足りず、②原告がそのことを知りつつあえて記事を書いたこと、そして、③原告が義母の裁判を有利にするという悪しき動機に基づいて記事を書いたこと、を立証しなければならないと言うべきであります。

3 第2に、「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され」という記載についてです。

そもそも当該記載には、括弧書きのない、いわゆる「地の文」(会話以外の説明や叙述の部分)であり、金学順の発言をそのまま引用した記述でないことは文面上明らかです。この記載は、金学順の立場なり境遇なりを、原告が、原告なりに要約して表現したものに過ぎないのです。ですから、金学順がテープの中で「挺身隊の名で戦場に連行され」というそのままの文章を話したかどうかを問題とするのは全くナンセンスであります。

そして、金学順が「自分は挺身隊だった」と明確に述べており(甲50、甲21)、自己の体験について「連行された」、「強制連行された」(甲110、23)という趣旨の説明していることも事実であります。そうであれば、金学順の立場なり境遇なりを、原告が、原告なりに要約して「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され」と表現したとしても、それをもって金学順の証言をねじ曲げた等といえるはずがありません。

被告西岡は、この表記は国家総動員法に基づく強制連行のことを指すと主張しています。この点は、本日提出の甲168号証(1943年3月16日当時のニュース映像「第145号」)をご覧下さい。これは、女子挺身勤労令公布以前の映像であるにも拘わらず、「女子挺身隊、前線へ」という記載がはっきり見て取れます。「女子挺身隊」という語は、女子挺身勤労令の公布以前から、自主的に編成される動員形態を示す語として国民に定着していたのであります。被告西岡の主張は前提を欠くものというほかありません。

さらにいえば、「女子挺身隊として戦場に送られた」とか「女性挺身隊として強制連行された」といった表現は91年当時の新聞に数多く見られます。他の記者とほとんど変わらない表現を使っているのに、なにゆえ、原告についてのみ、捏造の故意を認定できるのでしょうか。もはや、邪推、言いがかり以外に何物でもないのではないでしょうか。

4 第3に、「キーセン」の問題について述べます。

被告西岡は、原告がキーセン学校について記事に書かなかったことを「捏造」だと言っています。しかし、ウソを書いたというのであれば別論、「書かなかった」ことを「捏造」だというのであれば、それがどうしても書かなければならないほど重要な事項であり、かつ記者もそのように認識していた、ということが前提なのではないでしょうか。

この点、91年当時、原告だけではなく、読売新聞も産経新聞もどの新聞もキーセンについて書いてないのです(甲22乃至24)。被告西岡も認めるとおり(被告西岡本人調書41頁)、それが当時の「一般的な解釈」であり「多数派」だったからです。だから、原告もそれが重要な事項だと考えませんでした。それでなぜ「意図的な捏造」等と言えるのでしょうか。

被告西岡は「キーセンは公娼制度の一環である」と主張しています。これが極めて偏った見方であることは準備書面に詳述しました(最終準備書面56頁以下)。問題はそれだけではありません。これについて被告西岡が出してきた文献(乙12)は1995年のものです。それで、91年当時、原告が西岡と同じ認識に達した等と、なぜ決めつけることができるのでしょうか。

5 原告に対するバッシングはあまりにも理不尽であり、あまりにも根拠がないものであります。裁判所の速やかな救済を求めるものであります。

 

東京地裁 第15回口頭弁論 2019年2月22日

訴訟指揮に抗議し退席、裁判官を忌避申し立て

 

15回口頭弁論は2月22日午後4時から東京地裁705号法廷で開かれた。

開廷してすぐに原裁判長が、被告側に提出させた証拠乙27号の弁論手続きを始めようとした。植村弁護団の神原事務局長は、「すでに結審したのに新証拠を提出させた裁判長の訴訟指揮は不公正だ」と抗議し、原告と弁護団全員が退席した。

その後、植村弁護団は抗議声明を発表した。 

忌避申立書は2月27日付で東京地裁に提出された。

 

 

東京地裁 第16回口頭弁論 2019年5月10日

異例事態のまま再結審

 

植村裁判東京訴訟(被告西岡力、文藝春秋)の口頭弁論は5月10日午後、東京地裁で再開され、原克也裁判長は審理の終結を宣言した。判決は6月26日午前11時30分から言い渡されることになった。

開廷は午後3時。冒頭、植村弁護団は「進行意見書」を提出し、神原元弁護士が7分間にわたって要旨を読み上げた。主張の要点は、被告側が結審後に追加提出した新証拠(朝日新聞社第三者委員会報告書全文)について植村側が反論するための期間を裁判所は設けよ、というもの。読み上げが終わると、原裁判長は被告側の喜田村洋一弁護士に意見を求めた。喜田村弁護士は「植村側は第三者委報告書の全文を精査して2016年にその抜粋版5ページ分を証拠提出しているのだから、全文が証拠採用されても不意打ちにはならないし、期間が延びるだけだから、本日結審が相当と考える」と述べた。これに対し、植村弁護団の穂積剛弁護士が、「読んだかどうかが問題なのではない。裁判所が重要だと考えたその部分はどこなのかを明らかにし、主張と立証を尽くさせるべきだ」と反論したが、裁判長は応じることなく、「それでは弁論を終結する」と述べた。有無を言わさぬ事務的な口調の再結審宣言だった。植村弁護団の梓澤和幸弁護士は「先ほどの主張に応答はないのか」と裁判長に迫った。裁判長は「何かおっしゃりたいことがあれば書面で」と述べて、やりとりを打ち切った。

閉廷は午後3時10分だった。 

この日の法廷はいつもよりも小さな706号が使われた。開廷前に傍聴抽選の整理券は発行されたが、整列者が定員にわずかに満たなかったため、抽選は行われなかった。48席の傍聴席はほぼ埋まった。植村弁護団は20人が席に着き、被告弁護団はいつものように2人だった。西岡氏の姿もいつものように、なかった。裁判官席の3人はこれまでと同じ顔ぶれだった。しかし、原裁判長と佐古陪席裁判官は4月1日付で東京地裁から転出している(東京高裁と鹿児島地裁へ)。にもかかわらず担当を続けているのは、裁判所内で特例措置がとられたためとみられる。

法廷では裁判官の入退廷時に全員が起立する慣例がある。しかし、この日、裁判官が立ち去る時に起立する人は少なく、表情を曇らせて座ったままの人が多かった。

昨年11月にいったん結審した後に再開され、証拠の追加提出、裁判官の忌避申し立て、弁論の中断、そして再開という展開をたどった東京訴訟は、異例事態が続く重苦しい空気の中で再結審した。

報告集会は午後5時から、参議院議員会館101会議室で開かれた。

 

 

東京地裁 判決言い渡し 2019年6月26日

植村氏の請求をすべて棄却

 

植村裁判東京訴訟の判決言い渡しが6月26日、東京地裁であり、原告植村隆氏の請求はすべて棄却された。

 

主文

1 原告の請求をいずれも棄却する

2 訴訟費用は原告の負担とする

 

被告西岡力氏と文藝春秋の表現と記事は「名誉毀損に該当する」とされたが、その責は免ぜられた。

法廷で読み上げられた「理由の要旨」はこうである。

「しかしながら、各表現は、公共の利害に関する事実について専ら公益を図る目的で行われたものであり、摘示事実または意見論評の前提としている各事実について、その重要な部分が真実であること、または真実であると信ずるにつき相当の理由があること、についての証明がある。かつ、意見ないし論評の域を逸脱したものでもないから、被告は免責される」

開廷前に傍聴券を希望して整列した人は82人。使用された法廷は定員85人の103号室に事前に替えられていたため、抽選はなく全員が傍聴できた。

定刻午前11時30分に開廷。第1回の口頭弁論から担当してきた原克也裁判長の姿はなく、大濱寿美裁判長が主文と理由要旨を4分にわたって代読し、11時35分閉廷した。裁判が退廷すると法廷はざわつき、「恥を知れ」「ひどい」などのつぶやきが聞こえた。

地裁前の路上に大勢のカメラマンが待機する中、永田亮弁護士が「不当判決」の旗を掲げた。その旗を取り囲んだ20人を超える支援者が「#捏造ではない」のメッセージボードをかざし続けた。

 

植村隆氏は弁護団とともに午後2時から司法クラブで記者会見し、「植村捏造バッシングは、植村だけをバッシングしているのではない。真実を伝えても標的になるような時代はやめませんか。高裁でも、言論の場でも、不当な言いがかりを覆すべくたたかっていきたい」と語り、控訴の意向を示した。植村氏と弁護団はそれぞれ、不当判決に抗議する声明を発表した。

 

 

 

東京高裁 控訴審第1回口頭弁論 2019年10月29日

金学順さん証言テープなど新証拠37点を提出

 

植村裁判東京訴訟控訴審の第1回口頭弁論は29日午前、東京高裁で開かれた。

植村弁護団は、控訴審の開始にあたり、一審判決後に新たに発見、発掘した37点の証拠を提出した(甲176~212号証)。その中には、植村氏の記事が「捏造」ではないことを証明する具体的で決定的な証拠がある。西岡力氏が植村氏の記事を「捏造」ときめつけた根拠は完全に崩れたといっていいだろう。書面に基づく意見陳述では、一審判決には法理論と判例に照らして重大な誤りがあり、異常な判決であることを具体的に指摘した。

法廷は午前10時30分に開廷した。この日、東京は朝から晩秋の冷たい雨が降っていた。

開廷に先立って傍聴するための抽選が予想されたが、整列した希望者は101号法廷の定員(90人)に満たなかったため、約60人が無抽選で傍聴席に座った。

定刻に裁判官3人が入廷した。中央の裁判長は白石史子・高裁民事第2部総括判事。左右に角井俊文、大垣貴清両判事が陪席した。白石裁判長は、さいたま市の公民館が憲法九条について詠んだ俳句の月報掲載を拒否したことをめぐる損害賠償訴訟で、掲載拒否に正当な理由はないとして表現の自由の侵害を認めた一審判決を支持し、さいたま市に賠償を命じている(昨年5月。賠償額は5万円から5千円に減額)。また、日本郵便の契約社員3人が手当てや休暇付与で正社員と格差があるのは不当だと訴えた裁判では、損害賠償を命じた一審判決を変更し、賠償額を増額した(昨年12月)。

弁護団は、中山武敏弁護団長はじめ、宇都宮健児、梓澤和幸、黒岩哲彦弁護士ら17人が勢ぞろいし、札幌弁護団からも秀嶋ゆかり弁護士が参加した。一方、西岡氏・文春側は喜田村洋一弁護士ともうひとりの計2人。いつものように西岡氏の姿はなかった。

植村弁護団の意見陳述は、穂積剛弁護士、神原元弁護士、植村氏の順で行われた。穂積弁護士は、一審判決に欠落している重大な問題点を中心に、控訴理由の骨子の核心部分を約10分にわたって論述した。神原弁護士と植村氏は、金学順さんの証言録音テープがきわめて重要であることを中心に陳述した(神原弁護士4分、植村氏7分)。西岡弁護団からは意見の開陳はなかった。

この後、裁判官はいったん退廷して合議に入ったが、1分後に戻り、次回期日について協議をした。結果、第2回口頭弁論は12月16日(月)午後3時30分から開くことになった。白石裁判長は、「書面は11月中に提出して下さい。次回で結審することもあり得ます」と述べ、午前11時ちょうどに閉廷した。

 

西岡力氏の責任を免じた東京地裁判決から4カ月。舞台を高裁に移した東京訴訟は、決定的な証拠が提出されたことで、大きな転機を迎え新しいフェーズに入った。

決定的な証拠は、金学順さんの証言が録音されたテープである。

 

「キーセン」に一言もふれなかった金さんの証言

さんは1991年11月、日本政府に補償と謝罪を求めた戦後補償裁判の原告に加わり、その裁判の弁護団の聞き取りに応じて証言をした。録音テープはそのときのものである。金さんは約2時間にわたり、弁護団長の高木健一弁護士の質問に対して、時に口ごもりながら、怒りと悔恨の気持ちを交え、慰安婦とされた経緯、慰安所での生活、性暴力被害を語っている。植村氏はこの時、取材記者として弁護団に同行していた。録音は植村氏がした。高木弁護士と金さんの一問一答が終わった後の最後の約5分間には、植村氏が金学順さんと韓国語で直接交わしたやりとりも収められている。

植村氏はこの録音テープをもとに、金さんの半生を紹介する記事を書いた。91年12月25日付の朝日新聞大阪本社版「語りあうページ」の記事で、見出しは「かえらぬ青春 恨の反省――日本政府を提訴した元従軍慰安婦・金学順さん」、前文には「弁護士らの元慰安婦からの聞き取りに同行し、金さんから詳しい話を聞いた。恨(ハン)の半生を語るその証言テープを再現する」とある。

この記事を、西岡氏は「捏造」と決めつけた。西岡氏は「この12月の記事でも、金学順さんの履歴のうち、事柄の本質に関するキーセンに売られたという事実を意図的にカットしている」「都合が悪いので意図的に書かなかったとしか言いようがない」と断定している(『増補新版 よくわかる慰安婦問題』草思社)。この記事が、植村記事の捏造決めつけの重要な根拠とされているのである。

ところが、このテープで金さんは「キーセン」という履歴を語っていない。いや、それどころか、「キーセン」という言葉すらひとことも発していない。金さんが言わなかったことを植村氏は書かなかった。それがどうして捏造とされるのか。

植村弁護団の事務局長、神原元弁護士は、法廷でこう陳述した。「植村さんは取材相手が話さなかった事実を記事にしなかったに過ぎない。それが捏造といえるはずがないではないか。それだけではない。証言テープの内容は記事の内容と詳細に一致している。これは、植村さんには事実をねじ曲げる意図がなかったことの端的な証であり、記事が捏造ではないことの具体的かつ決定的な証拠である」。植村氏の怒りも大きい。植村氏はこう述べた。「金学順さんがテープの中で語っていないことを、書かないのは当たりまえのことです。本人が語っていないことを書かなかっただけで、捏造だと言えるはずがないではありませんか」。

※神原弁護士と植村氏の陳述全文 こちら

 

金さんの遺族会入会の日付

決定的な証拠はまだある。金さんは、戦後補償裁判に原告として参加する際に、植村さんの義母が役員を務める韓国太平洋戦争犠牲者遺族会に入会した。その時に提出した入会願書も今回、証拠として提出された。重要なのはその日付である。日付欄には1991年11月とある(日にちの記載はない)。西岡氏は植村氏が同年8月に書いた記事について、「義母の裁判を有利にする意図があった」とし、それも捏造決めつけの根拠とした。しかし、植村氏は義母から取材の便宜を受けたことはなく、金学順さんを取材したのは朝日新聞ソウル支局からの情報によってだった。入会願書の日付からみて、植村氏が記事を書いた時、金学順さんは義母の裁判にかかわっていなかったことも明らかであり、西岡氏の主張はここでも崩れるのである。

このほか、キーセンという職業が戦前の朝鮮でどのように見られていたかがわかる資料(雑誌、報告書、取締規則など7点)も証拠提出された。キーセンは、戦前の韓国社会では歌舞音曲に秀で、教養も備えた女性が就く職業(芸妓)として認められていた。売春を業とした娼妓とは異なっていた。証拠資料はそのことを具体的に示している。西岡氏は金学順さんが「キーセン学校に通っていた」「キーセンに身売りされた」などと語ったということにこだわり、慰安婦になった売春婦、という言説を執拗に繰り返している。これらの証拠は、そのような偏見に満ちた差別意識を否定するものである。

 

 

東京高裁 控訴審第2回口頭弁論 2019年12月16日

書面8通を追加提出、植村氏が陳述し結審

 

第2回口頭弁論は、植村氏側、西岡氏・文春側がそれぞれ最終書面を陳述(提出)して、すべての審理を終えた。白石史子裁判長は判決言い渡し日時を2020年3月3日()午後2時と指定した。

この日の口頭弁論は午後3時30分に開廷。植村弁護団は13人が、西岡・文春側はいつものように2人が席に着いた。西岡氏の姿は今回もなかった。定員90人の101号法廷は70人ほどの傍聴者でほぼ席が埋まった。

開廷してすぐに、植村弁護団事務局長の神原元弁護士が立って、意見陳述(読み上げ)を行った。神原弁護士は、「本件の真相」として、植村氏の記事が捏造だとは到底言えないこと、植村氏が記事を捏造する意図も動機、目的もまた到底あり得ないことを挙げて、一審判決を強い口調で批判した。控訴審の締め括りにふさわしい、簡にして要を得た弁論が、法廷に響いた。
西岡氏をはじめ慰安婦問題を否認する人々は、金学順さんの妓生学校の経歴を売春婦に結びつけようとしている。これは裁判でも重要な争点になったことだが、神原弁護士は米国の市議会議員の有名な発言を引いてこう批判した。
――2015年9月、サンフランシスコ市議会の公聴会において、元慰安婦を「売春婦で嘘つきだ」などと攻撃する者に対し、地元のカンポス議員は、こう述べました。
「恥を知りなさい」。
議員は自己のスピーチを、マハトマ・ガンディーの言葉を引用して閉じています。
「真実は正しい目的を損なうことはない」

続いて植村氏が立ち、意見陳述書を読み上げた。法廷での意見陳述は植村氏もこれが最後となる。植村氏が怒りをこめて述べたのは、この裁判の核心となっている次の3つの重要な事実についてである。植村氏と家族、勤務先(北星学園大学)が受けた物心両面での被害は甚大であり、殺害予告の恐怖はまだ続いている。また、1991年に書いた記事で使った「挺身隊」という言葉は当時、韓国では慰安婦の意味で使われており、植村氏だけでなく日韓のメディアもそう書いていた。さらに、金学順さんが慰安婦とされた経緯については金さん自身が「強制連行」と認識していた――。
植村氏は最後に3人の裁判官に向かって、「これまでの証拠や新しい証拠をきちんと検討していただければ、真実は私の側にあることが分かると思います」と訴えた。

今回植村氏側が提出した書面は8通である(準備書面4、反論書1、陳述書3)。対する西岡氏・文春側からは2通(準備書面)にとどまった。しかしその内容は、非を認めず一歩も譲らぬ強硬なものである。新しい証拠(金学順さん証言録音テープ)や「捏造」決めつけの根拠をめぐる双方の主張と反論は激しくぶつかり合ったまま、結審に至った。

神原、植村両氏の陳述が終わると、裁判長は提出書面と証拠の確認手続きを行った。西岡・文春側の喜田村洋一郎弁護士の発言はなかったので、裁判長は「弁論を終結します」と宣言し、判決言い渡し日時を明らかにした。閉廷は3時48分だった。

 

東京高裁 控訴審判決言い渡し 2020年3月3日

西岡力、文春を免責し、植村隆氏の控訴を全面的に棄却

 

判決言い渡しは3月3日午後2時から東京高裁であり、白石史子裁判長は、西岡力氏と文藝春秋を免責した一審判決を支持し、植村隆氏の控訴をすべて棄却した。

101号法廷の弁護団席には、植村氏側は15人が着席、西岡・文春側は喜田村洋一弁護士ひとりで、西岡氏は今回も出席しなかった。傍聴席最前列には、作家の北原みのりさん、ジャーナリストの伊藤詩織さん、安田浩一さんが座った。新聞労連委員長の南彰さんやジャーナリストの江川紹子さん、ピアニストの崔善愛さんの姿もあった。定員95の一般傍聴席には70人が着席した(開廷前の傍聴抽選には47人が並んだが、抽選はなかった)。集まりが少なかったのは、折からの新型肺炎流行の影響だろう。

白石裁判長は主文を読んだだけで退廷した。裁判はわずか10秒ほどで終わった。札幌高裁に続いて、またも敗訴判決である。法廷内から驚きの声はあがらず、淡々としているように見えた。一審からすべての弁論を傍聴してきた元高校教師の安達洋子さんは「不当判決。安倍最高裁だから」とつぶやいた。写真家のT.Sさんは、「裁判長はコロナから逃げるようにして出て行った」と憤った。

午後2時20分ごろから、裁判所の前の歩道で抗議行動が始まった。「不当判決」の掲示をかざす原告弁護団の永田亮弁護士を囲むようにして、「#捏造ではない」のメッセージボードを掲げた支援者が並ぶ。韓国の支援団体が用意した横断幕も広げられた。

支援者に向かって、神原元・弁護団事務局長、作家の北原みのりさん、植村さんが順に、次のように語りかけた。植村さんは「上告して闘う」と決意を明らかにした。

神原弁護士 控訴審で私たちは元慰安婦の金学順さんの聞き取りテープを提出した。このテープで金学順さんは「キーセン」とは言っていない。だから、証言していないことは書けない、と主張した。これに対して裁判官は、「提出されたテープが金学順の証言のすべてなのかどうかわからない」「聞き取り調査すべてを記録したとは認め難い」と、勝手に決めつけた。また、西岡氏がウェブサイトに間違った文章をいまだに削除せず掲載していることについては、「西岡が削除権限を持っているかわからない」などと述べた。これは、裁判では議論にもなっていない理由で棄却したことになる。植村裁判を通して、金学順さんの証言に対する攻撃は不当であり、キーセンにいたのだから被害者ではない、といっている。中身への判断がなく、揚げ足取りに終始している。きわめていい加減、結論ありきの、あら探しをした判決と言わざるを得ない。

北原みのりさん 先月にあった札幌高裁判決の「単なる慰安婦」という表現に傷つき、怒りがわいた。植村さんのことは応援していたが、行動を起こせなかった。嫌韓や慰安婦問題で2014~15年、言論が暴力化し、闘う気力がそがれていた。植村さんに敬意を表したい。いま「慰安婦はなかった」ことにされている世論ができあがっている。ネトウヨ女性に取材したが、みな「慰安婦は噓」といっていた。それをあおったのが文春であり、西岡、櫻井氏らの大きな罪だ。昨年、金福童さんが亡くなり、ほとんどの「慰安婦」被害者が亡くなる中、それでも未来を変えて希望をもとうという動きがでている。だまっているわけにはいかない。日本のひどい状況を変える空気をつくっていきたい。一緒に社会を変える。人権から言論が発展するように、ともに闘いたい。

 

植村隆さん 主文を読み上げただけで裁判長は逃げました。金学順さんの話を聞いたテープが見つかったので、それを全部起こして裁判所に提出した。ところが裁判長は「全部録音されているのかわからない」と言って、最大の証拠を正当に評価しなかった。このような判決が認められたら、ジャーナリズムの危機だ。私だけの問題ではない。金学順さんの証言を伝えただけで、 なぜ私がここまで言われるのか。ほかのだれも攻撃されないのに、ずっと攻撃されたのは、慰安婦をなきものにしようという大きな狙いがあるからだ。裁判所も、慰安婦の証言を伝える者には厳しい。なきものにしようという人をほったらかして、罪はないという。2014年の文春の記事で、激しい攻撃が大学や私に及んだ。バッシングについては、被告側の喜田村弁護士も批判していた。私は救済を求めたが、過去に向き合う者には厳しく、否定する者には寛大な判決が下された。しかし最高裁が残っている。上告して闘いたい。

 

 

最高裁決定 上告を棄却 2021年3月11日付け

東京訴訟 植村氏の敗訴が確定

 

最高裁判所(第一小法廷、小林裕裁判長)は、3月11日、東京訴訟の植村隆氏の上告を棄却した。この決定により、植村氏敗訴が札幌訴訟とともに確定し、植村裁判はすべて終結した。

最高裁の決定通知書 PDF

 

朝日新聞の記事(朝日デジタル2021年3月12日)

慰安婦報道訴訟、元朝日記者の敗訴確定 最高裁 

韓国人元慰安婦の証言を書いた1991年の朝日新聞記事を「捏造」と記述され名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者で「週刊金曜日」発行人兼社長・植村隆氏が、西岡力・麗沢大客員教授と「週刊文春」発行元の文芸春秋に賠償などを求めた裁判で、最高裁第一小法廷(小池裕裁判長)は植村氏の上告を退けた。名誉毀損の成立を否定した一、二審判決が確定した。11日付の決定。

東京地裁は、日本軍や政府による女子挺身(ていしん)隊の動員と人身売買を混同した同記事を意図的な「捏造」と評した西岡氏らの指摘について、重要な部分は真実だと認定。東京高裁は指摘にも不正確な部分があると認めつつ、真実相当性があるとして結論は支持していた。(阿部峻介)

北海道新聞電子版

元朝日記者敗訴確定 慰安婦報道訴訟 上告棄却

朝日新聞元記者の植村隆氏(62)が、自身の従軍慰安婦関連の記事について「捏造」と批判され名誉を傷つけられたとして、麗沢大の西岡力客員教授(64)と文芸春秋(東京)に計2750万円の損害賠償などを求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は植村氏の上告を退ける決定をした。請求を棄却した一、二審判決が確定した。

決定は11日付で裁判官5人全員一致の結論。判決によると、植村氏は1991年、元慰安婦と名乗り出た女性の証言を2本の記事にした。西岡氏は2012~14年に捏造と指摘する論文を発表、週刊文春も14年に西岡氏の発言を紹介した。

19年6月の東京地裁判決は、西岡氏と文春側が植村氏の社会的評価を低下させたとして名誉毀損を認めた。ただ、植村氏が女性への取材で「自分はだまされて従軍慰安婦になった」と聞きながら「日本軍により戦場に連行された」と報じたと認定。「意図的に事実と異なる記事を書いたと認められ、西岡氏の論文は重要な部分で真実性の証明がある」と判断し、論文などは公益を図る目的があったとして被告側の賠償責任を否定した。昨年3月の二審東京高裁判決も追認した。

植村氏は東京都内で記者会見し「通常の取材で書いた問題のない記事だと思っている。なぜこのような司法判断になるのか」と話した。西岡氏は「主張が認められたのは当然。今後は言論で論争できればと思う」、文芸春秋は「当然の決定だ」とのコメントを発表した。(田口博久)

 読売新聞オンライン

慰安婦報道巡る訴訟、元朝日記者・植村隆氏の敗訴確定 

朝日新聞社のいわゆる従軍慰安婦問題の報道を巡り、元朝日記者の植村隆氏(62)が、自身の執筆記事を「悪質な「捏造」」などと批判した西岡力・麗沢大客員教授の論文や週刊文春の記事は名誉毀損だとして、西岡教授と文春側に損害賠償と謝罪広告の掲載などを求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は11日付の決定で原告側の上告を棄却した。

記述の重要部分の真実性や真実相当性を認め、原告側の請求を棄却した1審・東京地裁と2審・東京高裁の判決が確定した。

 時事通信

元朝日記者の敗訴確定 慰安婦報道訴訟 最高裁

元朝日新聞記者の植村隆氏が、自身の従軍慰安婦問題に関する記事について「捏造報道」などと書かれ、名誉を毀損されたとして、研究者の西岡力氏と文芸春秋に損害賠償などを求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は12日までに、植村氏側の上告を退ける決定をした。

11日付。植村氏の請求を棄却した一、二審判決が確定した。西岡氏は週刊文春などで、植村氏が1991年の新聞記事で元慰安婦の女性の経歴などを適切に報じなかったとし、「捏造記事と言っても過言ではない」などと批判。植村氏は名誉を傷つけられたとして、記事取り消しや慰謝料を求めていた。

一審東京地裁は2019年6月、植村氏は女性が日本軍に強制連行された認識がなかったのに「戦場に連行された」と報じたとし、「意図的に事実と異なる記事を書いた」と認定。「従軍慰安婦は国際的な問題となっており、(西岡氏の)表現の目的は公益を図ることにある」として、賠償責任を否定した。二審東京高裁も20年3月、地裁の判断を追認した。 

産経ニュース

元朝日の植村隆氏、敗訴確定 慰安婦記事への批判めぐり

「慰安婦記事を捏造した」などと指摘する記事や論文で名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者の植村隆氏が、文芸春秋と麗澤大学の西岡力客員教授に損害賠償と謝罪記事の掲載などを求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は植村氏の上告を退ける決定をした。11日付。植村氏の請求を棄却した1、2審判決が確定した。

判決によると、植村氏は平成3年、韓国の元慰安婦の証言を取り上げた2本の記事を執筆した。西岡氏は「捏造」と指摘する論文を発表し、週刊文春も26年、西岡氏の発言を取り上げて報じた。

1審東京地裁判決は、植村氏が取材で、女性がだまされて慰安婦になったと聞きながら「日本軍により戦場に連行され、慰安婦にさせられた」と報じたと認定。「意図的に事実と異なる記事を書いたと認められ、西岡氏の論文の記述は重要な部分について真実性の証明がある」と指摘した。論文や週刊誌報道には公益を図る目的があったとして、賠償責任を否定した。2審東京高裁判決も支持した。