日本ジャーナリスト会議賞の贈賞式で西嶋真司氏は次のようにあいさつした。

=写真・高波淳(9月25日、東京で)

updated:2021.9.28

 

「JCJ賞 受賞の言葉」 

 西嶋真司です。この度、日本ジャーナリスト会議賞を受賞できたことを大変に光栄に思っています。日本ジャーナリスト会議の皆様に深く感謝いたします。同時に今回の受賞は、度重なるバッシングに怯まなかった元朝日新聞記者の植村隆さんと、植村さんを支えるために、そして日本のジャーナリズムを守るために立ち上がった大勢の市民や弁護士の方々の勇気が高く評価されたものだと思っています。「勇気」という言葉を使ったのは、闘いを挑んだ相手が強大な力を持つ国家権力を後ろ盾にしているためです。

植村さんが朝日新聞の紙面で元朝鮮人慰安婦の金学順さんの証言をスクープして今年で30年になります。当時私は民放のソウル特派員をしていました。同じメディアとして「朝日に抜かれた」ということになりますが、遅ればせながら私も金学順さんの自宅を訪ねて直接話を聞きました。当時の取材メモには、こう書いています。金学順さんは「慰安婦問題の解決を先に延ばそうとする日本の態度にガッカリした。日本政府は私たちが死ぬのを待っているようだ」と答えています。このニュースの中には「挺身隊の事実を明らかに」というプラカードを持ってデモ行進をする人々の姿も映っていました。当時韓国では「慰安婦」と「挺身隊」が同義語として使われていました。私をはじめ、当時韓国に駐在していた日本のメディアの多くが植村さんと同じ論調で、しかも挺身隊という言葉を用いて日本に記事を送っていました。それから20年以上が経ち、「挺身隊」という言葉を使ったという理由で“記事は捏造”だとする理不尽なバッシングを受けたのは朝日新聞の植村さんだけでした。

金学順さんの記事をめぐって朝日の記者がバッシングを受けている、と聞いた時、ものすごい違和感を感じました。なぜ同じ記事を書いた私はバッシングを受けないのか?記事が出た当初は「誤報」とすら言われなかったニュースが、なぜ20年以上が経って「捏造」と呼ばれるようになったのか。そこには記事ができてから今日までの30年間に起きた二つの大きな変化があります。一つは日本の国家権力が、自分たちの都合のいいように歴史を書き換えようとする「歴史修正主義」動きが顕著になったこと、そしてもう一つは歴史の真実を伝えるべきメディアが本来の機能を果たせなくなったことです。

慰安婦だった金学順さんは、証言をしてから6年後の1997年に73年の生涯を閉じました。先程の金さんの言葉を借りれば、まさにそれを「待っていた」かのように、日本国内の慰安婦に対する風向きがガラリと変わります。

1997年に安倍晋三前首相を事務局長とする「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が発足します。以来、日本政府は慰安婦問題に関して国家の責任を否定し続けています。慰安婦を強制的に戦場に送ったことを裏付ける資料が見つかっていないことを理由に、慰安婦の募集は国家とは無関係だと立場を貫いています。その一方で、歴史教科書から慰安婦の記述をなくそうという動きが政府主導で進められました。と、同時にメディアに対する慰安婦問題への締め付けは厳しさを増しました。

一つの例として2001年にNHKETV特集で放送された「問われる戦時性暴力」という番組があります。慰安婦問題を扱う女性国際戦犯法廷を取り上げた番組ですが、放送の直前に政治家からの圧力で番組が改変され慰安婦のインタビューなど、最も重要な部分がカットされたというものです。政治家の中には、もちろん安倍さんも含まれています。N H Kや安倍さんは番組への圧力を否定していますが、最前線で番組を作っていたプロデューサーやディレクターは政界の意向を受けたN H K幹部の強い指示によって当初とは全く違った番組になったと証言しています。

もちろんこれはN H Kに限った話ではありません。この30年の間に日本のメディア全体に同様の変化が起きています。慰安婦を特集した記事や番組はすっかり姿を消しました。いつしか慰安婦問題はメディアではタブーとなりました。伝える内容をタブー視した時点でメディアの責任を放棄したと言ってもいいかと思います。

今日、この会場に来る前に韓国の聯合ニュースの東京特派員と会って話をしました。私が「以前、金学順さんにインタビューをした。他のメディアも金学順さんの声を記録しているが、今はその肉声が日本で報道されることはない」というと彼は非常に驚いていました。「そのような歴史的証言が慰安婦の調査に使われることはないのか?」と尋ねられたのでこう答えました。「日本政府が慰安婦の声を調査の対象にしたことはない。元慰安婦の話は“信憑性がない”、平仮名にすると、たった10文字の言葉で片付けられている」。

2019年に愛知県で開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」では、慰安婦を象徴する〈平和の少女像〉の展示をめぐって大いに紛糾する事態になりました。この時、名古屋市の河村たかし市長は少女像を指して「日本人の心を踏みにじる」と語りました。あの金メダルを齧った河村市長です。河村さんが金メダルを齧った時は、日本だけではなく全世界の顰蹙を買いました。ところが少女像によって「日本人の心が踏み躙られる」と語った時は、国内ではそれほど非難をされませんでした。というのは日本人の間に、この発言を容認する、あるいは同調する考えがあったかのように思います。は「慰安婦問題は補償金目当ての言いがかり」という。

来月、「標的」は朝鮮海峡を渡って韓国の釜山市で開催される国際映画祭で上映されます。釜山映画祭はアジアでは最大規模の映画祭で、韓国の方々だけではなく、全世界から大勢の映画関係者が集まります。国際社会の目に日本の常識は通用するのか?常識というのは慰安婦問題をタブー視する日本のメディアの常識、そして不都合な歴史を消し去ろうとする日本の国家権力の常識です。国際社会の反応を肌で感じるために私も現地を訪れる予定です。

 

誰もがおかしいことはおかしいと言える自由な社会、その実現を目指して映画「標的」を製作しました。日本ジャーナリスト会議賞をいただいたことは大変大きな励みになりました。ありがとうございました。